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このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
第1話『歌姫に聖夜の祝福を』
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⑤ミートソース・パスタ


「おい」


 声を掛けられて、トニカはパッと目を覚ました。


 寝過ごした!


 そしてすぐに、殴られる、と思ったトニカは、全身に力を込める。

 でも、予想した衝撃はいつまでも襲ってこなくて。


「……お前、何してるんだ?」


 代わりに、声がまた、不思議そうな響きを帯びて聞こえてきた。


 おそるおそる目を開けると、背の高い男が身をかがめてトニカの方を見ている。

 無精髭で、表情の乏しい、精悍な顔。


「……マルテ?」


 そこでトニカは、ようやく自分が寝ぼけていたことに気づいた。

 以前に寝過ごした時にされた事を、思い出してしまっていたらしい。


 ホッと息を吐きながら、トニカは首を横に振った。


「な、何でもね……ないよ!」


 トニカがごまかしても、なぜかジッと見つめてくるマルテの目が、居心地が悪い。

 寝ぼけていた事が恥ずかしくて、トニカは窓に目を向けた。


 日が赤く街並みを照らし、部屋の中にも差し込んでいる。

 本当にずいぶん、寝過ごしてしまったみたいだった。


 なんだか良い匂いがするなぁ、と思いながらも、マルテに目を向けられないままでいると。


 結局、彼は何も言わずにテーブルのほうに向かってくれて、トニカはホッとした。

 トニカは、彼が手に持ったものが湯気を立てているのを見て、キュル、と小さくお腹が鳴る。


 良い匂いの正体は、アレだ。


「マルテ。何、それ?」

「飯だ」


 トニカが身を起こすと、マルテは手に持っていた盆をコトリとテーブルに置いた。

 湯気の立つミートソースパスタが2皿と、半分に切られたバケットが載っている。


「マルテ、料理出来るんだ」

「ある程度できれば、旅の間もそれなりに美味い飯が食えるからな。食材があれば、だが」


 なるほど、とトニカが思いながらパスタをジーっと見つめていると。

 マルテがほんのかすかに笑みを浮かべながら、手招きした。


「こっちへ来い。食うぞ」

「え……食べていいの?」


 トニカがびっくりすると、マルテはなぜか頭が痛そうな顔をした。


「……お前が食べないなら、何のために二皿用意してあるんだ。いいから来い」

「う、うん……」


 あまりにも、今までに比べて豪勢な食事。

 ゴクリと喉を鳴らしながらトニカが毛布を脱ぐと、かなり肌寒くて、くしゃみが出た。


「うー……」


 そんなトニカを見て、マルテが暖炉に火を入れてカーテンを閉める。


 風がさえぎられ、暖炉の熱が感じられるようになる間も、トニカはパスタを前に待ちわびていた。

 何度もつばを飲み、そわそわとマルテとパスタを見比べる。


 あったかくなり始めた部屋の中でマルテがテーブルに腰を落ち着けると。

 さっそくフォークを手に取ったトニカと違い、マルテは手を合わせた。


「恵みに感謝を」


 マルテのその様子に、トニカは目を丸くした。

 彼女の様子に気付いたのか、マルテは軽く片眉を上げる。


「何だ?」

「あ、えーと……」


 なんだか気恥ずかしくなって、すぐに食べたい気持ちを抑えながら、トニカはフォークを置いた。


 食事の時に手を合わせる、なんて事も、久しぶり過ぎて。

 与えられたパンを必死で詰め込まなければ、いつ取り上げられるか分からない生活では、すっかり忘れていた事だった。


「め、恵みに、感謝を!」


 挨拶をしてから改めてフォークを手に取ると、パスタを巻くのももどかしく、口に含んだ。


 トマトの果肉が残る甘いソース。

 とろりとした肉の旨味。


 それらが、温かさをもって口の中に広がる。

 グッとパスタを噛むと、程よい弾力とともにさらに旨味が増して。


「ふふ……」


 トニカは、思わず笑ってしまった。

 2度、3度とパスタを一気に口の中に掻きこんで頬張り。


 トニカは、マルテがこっちを見ているのに気づいて、むぐむぐと口の中のものを飲み込むと。

 マルテに向かって、笑みを見せる。


「ウマ……おいしいよ、マルテ!」

「そうか」


 トニカに答えるマルテは、少しほっとしたように目尻を下げた。


「バケットも食え」

「うん!」


 バターをたっぷり含み、ガーリックの効いたバケットはこれまた美味で。

 トニカは、そこからは夢中になって、平らげていく。


 しかしパスタはあっという間になくなってしまい。


「あー……」


 トニカは残念に思って、思わず吐息をもらした。


 もっと味わって、食べれば良かった、と。

 なんせ病院食は味の薄いポトフやパン粥ばかりで、今までに比べれば格段にいい食事だったが、物足りなかったのだ。


 それに病院で過ごした時間の半分は、口の中が切れていた傷が治らず。

 痛みと戦いながら、食べていたようなものだった。


「むー……」


 ソースがちょっと残った皿を恨みがましく見たトニカは、同じくもうちょっとだけ残っていたバケットを半分に千切って、ソースをすくい取る。


 それも終わって、まだ跡の残る皿をトニカがじーっと恨みがましく見つめていると。

 綺麗にゆっくりパスタを食べていたマルテが、半分パスタの残った自分の皿をトニカの前に滑らせた。


「ほぇ?」

「食っていいぞ」

「え、あ、い、いいよ! マルテの分じゃないか!」


 トニカは目の前に来た皿に思わず手を伸ばしかけて、躊躇した。


 目を向けたマルテは、当然ながら体が大きい。

 あの程度では、全然物足りないのではないだろうか。


 しかしそんなトニカの心配を視線で悟ったのか、マルテは薄く笑った。


「心配しなくとも、街道筋での普段の食事は、干し肉に堅パンや山菜スープの生活が大半だ。それに体力を付けなきゃいけないのは、お前の方だろう?」

「うー……」


 がっついてるみたいで、凄く恥ずかしい。

 前髪をくしゃっと握ってから、皿に手をつけようとしないマルテを上目遣いに見て唸ったトニカは、反対の手で皿を引き寄せた。


「じゃ、そうする……」

「ああ」


 マルテは本当に気にしていないようだ。

 バケットを千切って口に運ぶ彼の顔を見ながら、今度は味わってパスタを食べた。


「ふー……」


 こんな満足感は初めてかもしれない。

 背もたれに体をあずけて口元を緩めるトニカに、マルテはナプキンを差し出してくれた。


「口のまわりが汚れてるぞ」

「うぇ?」


 手でさわると、たしかにベットリとミートソースがついていた。

 勿体ない、と思いながら、ぺろっとソースのついた指をなめるトニカに、マルテがまた呆れ顔を見せる。


「そんな食い意地張った真似しなくても、食いたきゃまた作ってやる」

「う、ごめん……」


 トニカが身を起こすと、マルテが手を伸ばして彼女の口元を拭った。


 大きい手だ。

 ゴツゴツしていてちょっと乱暴で、痛い上に気恥ずかしい。


「じ、自分で出来るよ!」

 

 言いながらマルテの手をどかすと、彼はまっすぐトニカに目を向けていた。

 面食らうが、とても真剣な顔で、何か怒っているのだろうか、と不安になる。


 ―――指でミートソースを舐めた事が、そんなに気に入らなかったのかな。


 何も言わないマルテの太い腕が、顔の横にある。

 おどろきが消えると、その事実に少し恐怖心が首をもたげて。


 トニカは彼の腕をつかんだまま、ささやくように声をもらした。


「……マルテ?」


 頬の辺りでナプキンを握っていたマルテは、彼女の声に、ピク、と軽く眉を動かした。

 そして、何事もなかったかのようにナプキンを畳んでテーブルに置く。


 トニカはホッとした。

 やがてマルテが口にした言葉は、ミートソースとは全然関係のない話題だった。


「……湯屋に行くか。いや、今日は病み上がりだからやめておくほうがいいか?」

「ゆ、湯屋?」


 これまた初めての事だ。

 温めた湯に布を浸して体を拭くような生活を、生まれてからずっと続けていた。


 トニカはさっきの恐怖心をすっかり吹き飛ばされて、期待とともにマルテを見つめる。

 彼は居心地悪そうに身じろぎした。


「毎日行くほどの金はないが、週に一度くらいはな」

「い、行こう!」


 トニカは、ガバッと身を乗り出した。

 大きな浴槽があり、大量の湯に浸かれる場所だと、男達の話を漏れ聞いて知っている。


 ワクワクしているトニカに、マルテは。

 何故か目を逸らしてため息を吐いてから、立ち上がった。


※※※


 

「気持ち良かった……」


 想像以上の心地よさに、ついつい長湯してのぼせかけたトニカは、部屋に戻ったとたんに長椅子に転がった。

 まさか浴槽に張られた湯に浸かるのが、あんな至福だったとは。


 クセになってしまう。

 暖炉を落とした部屋は寒くて、トニカの寝ころんだ毛布は冷たかったが、火照った頬には気持ちいい。


「上着を脱げ。毛布が汚れる」

「ちょっとくらい……」


 良いじゃん、と言いかけて、トニカはガバッと身を起こした。

 言葉を途切れさせたトニカに、ランタンを持ったマルテが不思議そうな顔をする。


「どうした?」

「ううん、何でもない。ごめん」


 トニカは謝って、毛布を手に取ると、逃げるように寝室に向かった。


 ちょっとくらい良いじゃん、なんて。

 そんな甘えた発言をして、マルテの機嫌を損ねてはいけない。


 一緒に暮らす間は言う事を聞く約束だ。

 大体、自分の口からそんな甘えが漏れる事も、トニカには信じられなかった。


 病院でもここでも、ぶっきらぼうであっても、マルテはなにくれとなくトニカを気遣ってくれるから……いつの間にか、気を緩めすぎていた。

 

「仕事だからね……」


 トニカは、自分に言い聞かせる。


 そう、これはマルテの仕事だ。

 トニカが一人で生きていけるようになる、その目的の為に一緒に居てくれているだけなのだ。


 楽しいからといって、勘違いしてはいけない。

 マルテはトニカの親や友人ではないのだ。



 トニカはその事実になんとなく寂しさを覚え、ぎゅ、と毛布を握ってから畳もうとして。


「トニカ」

「何?」


 寝室に静かに入ってきたマルテに声を掛けられて、トニカはそちらを見た。


 湯屋に入ったのに無精髭は剃らなかったらしいマルテは、少し髪が湿っている。

 ドアの枠に手をかけてランタンの明かりに照らされているその顔に、トニカはなぜか目を引かれた。


 少し気だるげなのは、湯に浸かってマルテも少し気が抜けているのかもしれない。

 トニカは、マルテの顔から目が離せなかった。


 彼の口元が、かすかに動く。


「畳まなくていい。もう寝るぞ。体が冷える前にな」

「あ、うん」


 トニカは、畳み掛けた毛布をもう一度手にかけ直して、上掛けも持った。

 そのまま、絨毯の敷かれた場所へ行こうとすると、寝室に入ってきたマルテに肩を掴まれる。


「……何をしてるんだ?」

「え、何って。寝るんだろ……寝るんでしょ? だから準備を」


 トニカが当たり前の事を口にすると、マルテが溜息を吐いた。


「あのな。病人だろうが。大人しくベッドで寝ろ」

「何で? マルテのベッドでしょ?」

「お前の部屋なんだからベッドもお前のだろうが。何でそんな考えになるんだ」


 思いがけない言葉に、トニカはきょとんとした。

 それから慌てる。


「じ、じゃあマルテはどこで寝るのさ!?」

「居間の長椅子があるだろう」

「絶対寒いじゃん!」



 昼寝には良かったが夜寝るには長椅子は硬いだろうし、マルテでは窮屈に違いない。

 それなら、絨毯がある寝室の方がマシだとすら思う。


 マルテは、パスタまでトニカにくれたのに。

 この上寝る場所まで取るなんて。


「マルテがベッドで寝てよ! 逆に落ち着かないよ!」

「野宿で慣れてる」

「アタシだって土床で慣れてるよ!」


 しかしマルテは、譲る気はないようだった。


「いいからベッドで寝ろ」


 ーーー分からず屋!


 トニカは頭に血が上った。


「寝ない!」

「トニカ」

「なんで、マルテばっかり我慢するの!」


 トニカはマルテに歩み寄って、腕をつかんだ。


「マルテが寝て!」


 腕をつかんだトニカを見下ろして、マルテは。


「お前の部屋だろうが」


 トニカのことを、抱き上げた。


「!?」


 不意に体が浮き上がって、トニカはおどろきで固まってしまう。


「いいからベッドへ行け」

「強引!」

「言うことを聞くんじゃなかったのか」


 足をバタつかせて抵抗しても何の効果もなくベッドに転がされたトニカは、毛布と上掛けを離して身を起こそうとするマルテの首にぎゅっと手を回した。


「……なんだ」

「長椅子で寝るくらいなら、一緒に寝ればいいだろ!」


 トニカの言葉に、マルテが珍しく大きく表情を変えた。

 目を見開いて、ぽかんとトニカを見つめる。


 ベッドは大きい。

 そりゃ二人で寝たら多少は狭いかもしれないが、トニカ自身はそこまで大きくないし、マルテと二人で寝れるはずだ。


 だがマルテは、トニカが考えなしに発した言葉に対する驚きから覚めると、かすかに眉をしかめた。


「……何だと?」

「別に寝れない事ないだろ!? マルテが長椅子で寝るって言うなら、アタシも絨毯で寝るからな!」


 トニカに優しくしてくれるのに、マルテにばっかり窮屈な思いをさせるわけにはいかない。


 一歩も譲らないぞ、と、ぐっと顎に力を込めるトニカを見て。

 マルテはなぜか、苦しそうな顔をした。


「……お前は」

「なんだよ」


 強気に応じるトニカに、不意にマルテが顔を近づけて来たかと思うと。




 ーーートニカは引き結んだ口元に、柔らかい感触を感じた。



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