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このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
第1話『歌姫に聖夜の祝福を』
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④一緒に暮らす部屋


「あ、マルテ!」


 退院の日。


 迎えに来ると言っていたマルテを、落ち着かない気分で待っていたトニカは。

 病室の入り口に現れた彼の姿に、笑みを浮かべた。


 目線を伏せがちに現れた彼は、トニカの声にこちらを見て……。




 いきなり、固まった。




「え……?」


 トニカは、マルテの反応にとまどう。


 自分の格好がおかしいのかな? と、不安になり。

 今日初めて袖を通した、プレゼントされた服のスカートを軽くにぎった。


 トニカは、毎日面会に来てくれるマルテを見ているうちに気付いたことがあった。


 それは、彼はあまり表情が動かないだけで、無表情なわけじゃない。

 トニカは、人の顔色をうかがうのは慣れていたから、あまり間もおかずに気がついた。


 マルテは優しい言葉をかけてくれる時は少し眉尻が下がるし、真剣な時は口元を少し引き結ぶし、心配している時は軽く目を細めていたりする。


 そんな彼が、今は完全な無表情。

 トニカは緊張しながら、問いかけた。


「に、似合って、ない?」


 トニカは、ラストに教えられた通りに化粧をしていた。


 髪も短いなりに毎日梳いていたし。

 昨日の夜は薄く香油を使って整え、今日の朝も同様にしている。


 口調だって。

 散々口が悪いだの、マルテが気分が悪いだのとラストに言われて、普通の言葉遣いをするように練習していた。


 でも、やっぱり返事がない。

 やっぱりおかしいのか、とトニカはうつむいた。


 男に見間違えられた奴が、少し習った化粧をしても似合っていないのかもしれない。


 ―――でも自分では、少しはうまく出来たと思ったんだけど。


 しかしそんなトニカの内心は、次のマルテの一言で吹き飛んだ。


「見違えた……」

「え?」


 マルテの驚きがにじんだ声に、トニカは顔を上げた。

 彼は何故か、今度は軽く口を開いている。


 話す時以外は、いつも大体閉じている口元が。

 見たことのないその表情に対する率直な感想を、トニカは思わず口にしていた。


「あの、マルテ? その顔、なんか間抜け……」


 マルテは、ハッと口を閉じた。

 そのまま決まり悪げにこめかみを掻いた彼は、もう一度トニカに目を向けてくる。


 今度は普段の顔だ、とトニカは安心した。


「あー……似合っている、と、思う」


 マルテの答えに嬉しくなって、トニカは肩の力を抜いた。

 変じゃない、変じゃない、と思わずにやけてしまう。


「良かった! ラストの……」


 と言いかけて、トニカは口をつぐんだ。

 マルテの表情が、ラストの名前を聞いた瞬間に険を帯びたから。


 でも遅かった。

 トニカは、マルテから放たれる暴力の気配におびえながら、視線をせわしなく動かした。


 だがマルテは、そんなトニカに気づいていない。


「ラスト……?」

「あ、えーと……」


 トニカは、剣呑な声音でラストの名前を口にするマルテに、あわてて弁明した。


「ち、違うんだ、あの、も、もとのまんまじゃ、マルテがその、恥ずかしいだろうと思って……アタシが」

「誰がそんな事を、一言でも口にした」


 厳しい声に、浮かれていた気分が完全にしぼんでしまう。


 自分のせいだ。

 内緒にしておかなければいけなかった事だったらしい。


「ごめん……マルテ」


 ラストは、悪くないのだ。

 トニカが彼の誘いに乗ったのは。


 せめて身綺麗にしていれば。

 自分なりに頑張ってみたら。


 それからマルテのくれた服を身につけたら……ちょっとは可愛くなれるんじゃないかと。


 マルテの変化に驚いたみたいに、自分も変われるんじゃないかと、思ったから。


 でも、マルテはそんな事を望んでなかったみたいで。

 そりゃそうだよね、と沈んでいると。


「トニカ。お前は、すぐに謝るクセを直せ。別に何も悪い事をした訳じゃないだろう」


 大きく鼻から息を吐いたマルテは、彼の胸元までしか背丈のないトニカに対して膝をつき、うつむけた顔を見上げてくる。


「……でも、ラストと」

「あいつがそそのかしたんだろう。俺は、化粧をするなと言った訳じゃない。卑屈になるな」


 マルテが怒っているのは、どうやらトニカが化粧をしたことに対してではないらしい、と気づく。


「別に最初の格好でも、俺がお前を連れていて他人に対して恥ずかしい、などと思う事はない。そして、今の姿が悪いとも思わない」

「あ、うん……」


 だが、気分は戻らなかった。

 まるで、トニカの格好なんかどうでもいい、と言われているように思えて。


 こういう所が、卑屈だと思われているのかもしれない。

 トニカの気分がしぼんだのが戻っていない事に気付いたのか、マルテは立ち上がってトニカの頭を撫でた。


「その格好は、似合っている。……ラスト」

「呼んだ?」


 前半はいつもの声音で、後半はあからさまに不機嫌そうに、マルテが言うと。

 病室の入り口から、ひょい、とラストが顔をのぞかせた。


「出てくるな。この性悪が」

「いやいや、君が呼んだんだろ?」


 どこまでも楽しそうに現れたラストは、トニカを見て満足そうにうなずく。


「うん、良いね。目元の涼しげな別嬪さんだ。これで誰かさんも男には間違えないね」


 相変わらずのラストの皮肉に、マルテの額に青筋が立った。


「……殺すぞ」

「出来るならとっくにやってるだろ?」


 殺す、という脅しに、トニカは胸が痛んだ。


 でもそんなマルテの脅しに、脅された本人であるラストは、まったく気にもしていない様子で肩を竦める。

 この悪魔は、どこまでも道化のような態度を崩さない。


「ラスト。人目を盗んでコソコソと、トニカに余計な事を吹き込んでないだろうな?」

「余計な事ってどんな事だ?」

「……」


 煽るように馴れ馴れしくマルテの肩に手を回して問い返すラストに、マルテは押し黙る。


「そんな怖い顔するなよ。綺麗になったお嬢さんがおびえてるぜ?」


 マルテが、ハッとしてトニカに目を向ける。

 彼女は、怖いという気持ちを押し殺してマルテに笑みを向けた。


「だ、大丈夫だよ……?」


 でも、その言葉が逆効果だったようで、マルテの表情がかすかに沈む。

 そんな顔、しなくてもいいのに。


 別に、怒りや脅しをトニカが怖いと思うのは、マルテが悪いわけじゃないのだ。


「そろそろ出てくれると嬉しいんだけど」


 居心地の悪い沈黙を破ってくれたのは、病室をのぞきに来た看護人だった。

 その言葉をキッカケに、トニカはあわてて動いて荷物を持ち、二人と一緒に病室を出た。

 

※※※


 病院を出ると、いつの間にかラストの姿は消えていた。


「……寒ぃなぁ……寒いね」


 普通の喋り方、普通の喋り方、と自分に言い聞かせて言い直したトニカに、マルテは何も言わなかった。


「きっちり外套を着ておけ。体力もなくなっているだろう。この時期に風邪をひくと厄介だ」

「あ、うん」


 トニカは、古着だがしっかりしたコートをきちんと着直して、これも新調して貰った肩掛けを、首と口元に巻いた。

 軽く見上げると、晴天をゆっくりと雲が流れていた。


 今から、新しい生活が始まる。

 風邪などひいては、マルテに迷惑を掛けてしまう。


 そう、アタシは厄介ものだ、とトニカは思う。

 迷惑を掛けるのは、必要最小限にしないと……。


 少し気分が重くなって、結局うつむき気味にマルテに着いて行っていたトニカは、しばらく歩いたところで不意に立ち止まった彼の背中に当たってしまった。


「きゃうっ!」

「……大丈夫か?」

「う、うん」


 マルテの呆れた声に、トニカは少し恥ずかしくなる。


 ぼんやりし過ぎた。

 鼻をさすりながら周りを見ると、煉瓦造りの中央通りのすぐ脇、石畳の二番通りに面した四階建ての集合住宅の前で、マルテが足を止めていた。


 石造りのしっかりした建物。

 隙間風も入らなさそうな集合住宅を見上げてから、トニカはマルテの顔を見た。


「も、もしかして、ここ?」

「そうだ」


 どもるトニカに、マルテは平然とうなずいた。

 トニカは住む場所の価値に詳しいわけではないが、こんな表通りの前にある建物の家賃は高いに違いない。


 本当にここに住むのだろうか、と逆に不安になる。


「あの、お金は……?」

「お前から預かった金でまかなった。二年分先払いだ。その間に金を稼げるようになれば、一人でも暮らせるもう少し安い家に引っ越すか、ここで暮らし続けるか決めろ」

「あ、うん……」


 トニカは、安堵と一緒に不安も覚えた。

 そう、マルテはトニカが一人で生きていけるようにする為に、一緒に暮らすと言った。


 いつまでも、一緒にいてくれる訳じゃない。

 本当に、自分が一人で生きていけるようになるのか、そんな不安をトニカが覚えていると。


「行くぞ」


 マルテはさっさと先に進み、建物の入り口脇にあるドアを開けて、中にいた中年男性に声をかけた。

 そのまま中に入ろうとして立ち止まり、動かずに立ち尽くしているトニカを手招きする。


「早く来い」

「あ……ゴメン!」


 慌てて追いつくと、入ってすぐに階段があった。

 両脇に共用の台所とトイレがある。


 階段を四階まで登って行くと、マルテは階段近くの部屋の鍵を取り出して開けた。


「わぁ……」


 マルテが奥に進み、木製の落とし窓を開けて明るくなった部屋の中を見て、トニカは思わず声を上げる。


 元々住んでいた大部屋ほどの広さはないが、二人で暮らすには十分な部屋だ。

 入り口を入ってすぐに居間があり、脇に一つドアがあった。


 居間には、ロウソク立てとダイニングテーブル、それに食器を入れる棚と長椅子が二つ。

 そして床の一角が石造りになっていて、暖炉が備えられていた。


 マルテは振り向いて、脇のドアを指差す。


「そっちは寝室だ。ベッドとタンスがある。地下に氷を入れた食糧貯蔵庫が各部屋分鍵付きで備えられている。食材はそっちに入れるんだ」

「……すごい」


 トニカは、今まで聞いたこともないような待遇に、ぽかんと口を開けた。


 部屋自体も、外観通りにきれいなものだ。

 中には板張りがしてあって、土床の上に毛布一枚で寝ていた以前に比べれば、床に寝ていても快適に違いない。


「入れ。土足で良い。ただ、玄関敷きで土を取れ」


 言われた通りにマットに足裏を擦り付けてから恐る恐る中に入ると、床が軽くきしんだ。

 身の置き所が分からない。


 そう思いながらも、トニカは。

 ここまできちんと準備をしてくれたマルテに、控えめに笑みを浮かべた。


「マルテ……あ、ありがと……」


 礼を言うのなんか、いつ以来だろう。

 それを口にするのにすら勇気がいるくらい、トニカは久しく、礼など言った事がなかった。


  服をもらった時は、言うのを忘れていた。

 マルテは、そんなトニカを見て、何かをこらえるような顔をしてから。


「……買い出しに行ってくる。椅子にでも座っていろ」


 目をそらして、トニカの横をすり抜けた。

 どうしたんだろう、と思いながら、トニカはマルテの背中に手を伸ばす。


「あ、あの、買い出しなら一緒に……」


 一人で持つよりも、二人で持った方が荷物は軽くなる。

 でも、マルテは首を横に振った。


「……いい。病み上がりだろう。大人しくしていろ」

「でも」

「寝室に毛布がある。コートを脱いでそれを被っておけ。なるべく、すぐに戻る」


 マルテが出て行ってしまい、仕方なくトニカは寝室に向かった。

 こちらには小さなストーブが一つあり、煙突が空いていた。


 でも、ベッドが一つしかない。

 そして床には、小さな絨毯が敷かれていた。


「あれ?」


 不思議に思ったが、多分二つも買う余裕はなかったのかな、と思い至る。

 トニカはコート掛けに上着を掛けると、ベッドの上にきちんと畳まれた二組の上掛けと毛布を見た。


 きっとベッドはマルテ用なのだろう。


「でも、あの上掛けと毛布にくるまったら、土床より全然マシだよな」


 それに絨毯まであるのだ。


 逆に嬉しくなりながら、トニカは毛布を持ってきて椅子に座った。

 そうしろと言われたし。


「へへ、あったかいなー」


 病院の毛布よりさらにふわふわの毛布にくるまって一人笑みを浮かべていたトニカは、いつのまにかウトウトと眠ってしまった。

 


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