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このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
おまけ
43/44

とある音楽記者の記事


 奇跡の歌姫。


 そう呼ばれた女性、トニカ・ルッソを、あなたはご存じだろうか?


 アーテアの街の生まれでなければ、知らない方が大半だろう。


 最近噂になっている『とある歌曲』のモチーフと言われている人物。


 そう言えば、お分かりいただける方もいるかと思う。

 それでも分からない、という方は、是非、私の話に軽く耳を傾けてほしい。


 おっと、これはもちろん比喩的な表現だ。

 今、記事を読むあなたは、文字を目で追っておられるはずであるから。


 文字を聴く、と書くとひどく詩的でもあるようにも思える。


 話が逸れたようだ。

 時間は有限であり、読者の貴重な時間をいただいている身としては、あまり長々と語るのもよろしくない。


 私の悪いクセだ、本題に入ろう。


 トニカと呼ばれる歌姫がいたのは、数十年前―――魔物の侵攻が特に激しく、この国が疲弊していた時期の事だ。


 当時、まだ開墾(かいこん)されていなかった魔性の森近くにあった、アーテアの街。

 そこに建てられた慰撫劇場で、ほんの一時期だけ、天上の歌声を披露した少女。


 彼女がどこで生まれ、どこへ消えたのか……それを知る者はいないと言われていた。


 彼女の歌声を一度聴いた者は。

 『もう一度劇場で聴きたいものだ』と、歌に関する話題が出れば、ことあるごとに口にするものらしい。


 私の祖父もその一人で、彼が酔うたびに私も耳にタコが出来るくらい聞かされたものだ。


 その後、嫉妬する祖母に殴られるのもお約束ではあったが。


 そう、私はアーテアの街の出身者である。

 しかもかのトニカの歌声を、私は幸運にも耳にしたことがある。


 噂に偽りはない、と、言っておこう。


 そのトニカが劇場を去ってから半世紀以上も過ぎた今になって、ある楽譜がこの世に出た。


 『今は亡きトニカ・ルッソに捧ぐ』と末尾に記された歌曲は、彼女がアーテアの街で過ごした一時(ひととき)を歌ったものとされている。


 その歌曲は、楽曲そのものの美しさもさる事ながら詩もまた劣らぬ程に美しく、高い評価を得ている。


 トニカが辿ったとされる数奇な人生と。

 その愛を記した詩は。


 実際がどうであるかに関わらず、魅了される者も多いことだろう。


 私は一度、詩だけを読んだが、それでも涙を禁じ得なかった。

 歌曲を知る方の中には、同じく涙した者も多いだろうと思うのだが、いかがだろうか。

 

 もっとも正教会では、かの曲を『悪魔の歌曲』と呼んで取り締まりを行うように政府に働きかける動きも出ているようだ。

 とんでもない、と言わせて貰おう。


 現実として、悪魔が書いた楽譜などという事が信じられるだろうか?

 人類に敵対する魔物の筆頭だというのに、何故悪魔が人の事を歌うと思うのか、首を傾げざるを得ない。


 こんな事を口に出来るのも。


 ある貴族と結託して国を食い物にしていた正教会の化けの皮を剥ぎ。

 『私は正教会を信じない』と言って人々の目を覚まさせた勇者のおかげだ。


 その一事だけを持ってしても、彼は英雄と呼ぶに値する人物だと思う。

 魔王を倒し、森の開墾に生涯を捧げた勇者は、寡黙な方だった。


 しかし彼の作るミートソース・パスタは絶品だった。


 今思い出してもよだれが……いかんな、また話が逸れた。

 この楽譜が『悪魔の歌曲』と呼ばれるのも、歌曲の内容に理由がある。


 一匹の悪魔が、トニカと想い人を結んだ、と読み取れるからだ。


 はっきり断じておくが、私はこの部分に関しては創作だろうと思っている。

 正教会も信じ難いが、悪魔も信じ難い、それが偽らざる私の気持ちだ。


 そんな私に一人の知り合いは、事実は小説より奇なり、という言葉をニヤニヤしながら贈ってくれたが。


 では最後に。

 この記事を読んでくれたあなたに、私からの親愛の口づけを。


 ……いらない? まぁ、そう言わないでくれ。

 理由を聞けば、断る事は無粋だと思っていただけるのではなかろうか。


 何故私がそのような事を口にするか、歌曲を知る方はご存知な筈だ。




 ーーー『QuestoBacio(このキスで ) D'addio(さよならを)』。




 それが、かの歌曲のタイトルだ。 

 興味を持たれた方は是非一度、我が曾祖父が建て、祖父母が盛り立てた劇場の公演に、足を運ぶ事をお勧めする。


 心が洗われるような、夢の時間を過ごす事が出来るだろう。

 トニカに勝るとも劣らない歌声を持つ、歳の離れた我が妹の初公演だ。


 では、トニカの喜びと悲しみを、かつて彼女の歌ったアーテアの劇場で。

 多くの人々と、分かち合える事を願って。


            ーーー音楽新聞『ピッコル』専属記者 カルロ・ベルトラーニ

 

Web拍手に、ラストの掌編を載せました。

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