⑦ラスト
救護院で治療を受けたマルテとミキーは、隣り合わせのベッドで眠っていた。
トニカはその間にある椅子に座り、昔とは逆の状況でマルテを見下ろす。
ラストの言ったとおり、命に別状はないみたいで。
規則正しい寝息を立てるマルテの腕には、あの日窓の外へ捨てたはずの貴石の編み輪が、古ぼけた銀の腕輪と一緒に身につけられていて。
トニカは、いくら探してもそれが見つからなかった理由を悟る。
「あなた。本当にいいのですか?」
「いらん。だいぶマルテに庇われた。なのに同じように寝転んでいたら格好がつかんだろう」
意地っ張りなギルド長は、マルテよりは怪我が軽いのを理由に、壁にもたれて腕を組んでいた。
どう見てもしんどそうなのに、頑としてベッドを使おうとしないギルド長に。
ロザリンダは、トニカを見て頭が痛そうな顔でこめかみに指をそえた。
きっと、本当にダメな時は、ロザリンダさんのあの迫力のある気配が炸裂するだろうな、と思っているトニカは、クスクスと笑った。
「さて」
そんなトニカたちを見回したラストが、部屋の真ん中で声を上げた。
「俺からはもう少し、君たちに話さなければいけないことがある」
ニヤニヤと言うラストに、ギルド長とロザリンダは警戒した目を向けていた。
悪魔だと知っているから、ムリもないと思うけど。
「何を話すの?」
とりあえずトニカが聞いてみると、ラストが人差し指を立てた。
「昔話と、今の話だ。……まずは昔話を始めよう。銀の腕輪を得て、俺を目覚めさせたマルテには、俺の封印を解くためにタダで願いを叶えられる権利があった。たった1つだけだが」
「願い……?」
「代償なしに、悪魔が願いを叶えるのか」
信用していなさそうなギルド長の言葉に、ラストは肩をすくめた。
「それが俺を封印した興国の勇者との契約だったからな」
マルテはその願いで、と言いながら、ラストは髪をかき上げてトニカに目を向ける。
「君が幸せになれるように、と願い、俺は叶えた。だが、マルテは納得しなくてね」
「なんで?」
「君は、マルテといて幸せだっただろう?」
「うん」
「つまりそういうことだ。マルテは、自分が君の幸せの一部になっていることを認めたくなかったんだ。君はマルテに頼りきりだった。そのマルテがいなくなったら、悪魔が何もできないトニカに与えた幸せは失われる、と思った」
淡々と言われたことに、トニカは眉をひそめた。
トニカがなにもできなかった頃、っていうのは。
多分、ギルド長たちに会って、ギルドで働き始める前の話だと思う。
「一体いつ、マルテはラストに願ったの?」
「君が盗賊団の男に殴られ、蹴られていた時さ。マルテは、あの泥だらけのパンを拾った時に、君に惚れた。そして俺の狙い通りに願った。あの頃のマルテに、あれだけの盗賊団を1人で退治する力はなかったからね」
マルテはあのやり取りで、トニカのことを好きになった?
たったあれだけの、罵倒混じりのやり取りで?
トニカはあの頃、今以上に可愛くなかったのに。
でも、マルテは言ってた。
最初に抱かれた夜に、私だから助けたって。
あれは、そういう意味だったんだ。
「でも、マルテは強かったよ?」
「俺がマルテに、強くなるための手助けをしたからだ。それが叶えた願いの中身。君を救い、マルテ自身が君を幸せに出来るように。そのことにマルテが気づいたのは、君がプレゼントを買った日だ。今、マルテの腕にある編み輪を、窓の外へと振り払っただろう?」
忘れているわけがなかった。
マルテとの別れ以外だったら、一番悲しい思い出だったから。
「あの直前にマルテは、自分の願いがすでに叶っていると知った。俺を問い詰めてね。そして怒った」
それが、あの日聞いたマルテの怒鳴り声の意味。
どうして怒っていたのか、と、ずっと疑問だったけど、理由が分かった。
ラストは、自分の目元をとんとん、と指で叩く。
「マルテは、君が彼を愛しているのではなく、彼に依存していると勘違いをしていた。そして君に目を覚まさせようとした。もともと、幼く、甘えてはいたが、決してくもってはいなかった君の目をね」
そして、トニカの前から消えようとした、と。
悪魔はまるで、笑い話のように片目を閉じる。
実際、彼にしてみたら笑い話なのかもしれない。
「なんでマルテは、目を覚まさせようとしたの?」
「その理由は、もう知っているだろう? マルテは魔王と対峙する運命にあった。そして実際に魔王と対峙し、魔王にアーテアの街を襲うと言われ、その街には彼らと、そして君がいた。マルテは運命から逃れられなくなって、死を覚悟したのさ。魔王とやり合えば、生き残れる可能性のほうが普通は低い」
カツ、と革靴を鳴らし、一歩前に出たラストは、眠るマルテを示す。
その目は、まるで幼子を見るみたいに、優しくて。
どこか、マルテがトニカを見る目に似ているような気がした。
「マルテは正しく考えた。君がマルテに好意を抱いたまま死ねば、君が悲しむだろうと。そして間違った覚悟をした。生きるために努力をするのではなく、死を目の前に君のもとを去ろうとした。そんなマルテを君は、金でつなぎとめることを考えた。だから、マルテは止まらなかったんだ。君が愛を口にしていれば、あるいは」
「一人で抱え込むからそうなるんだ。トニカ嬢のせいにするな」
ギルド長が、ラストの言葉をさえぎり。
ラストは大きく、彼をバカにしたように片眉を上げる。
だが、ラストがなにかを口にする前に、ロザリンダが言った。
「マルテがしようとしていることに気づいていて、口に出されて、それでも手助けしなかったのはあなたでしょう。だから私は、こうなる前に、あなたからきちんとマルテに話すべきだと伝えたはずです」
困ったような笑顔で頬に手を当て、マルテとギルド長を交互に見る。
「私だけでは無理だったとも、言ったでしょう。あの頃のトニカには、まだ荷が重い話でしたし」
そんなロザリンダに、ギルド長が口を曲げる。
「うるさいな。マルテが賢い頭をまともな方に使わないから、呆れていたんだ」
「あなただって昔、私に散々言われて、ようやく自分の無鉄砲さに気づいたんでしょうに」
ついに笑みを消したロザリンダに半眼で言われて、ギルド長が黙る。
それは彼にとって痛い部分なんだと、トニカは思った。
「……俺も悪かったってのか」
「当然です。父親の役目は厳しくすることだけではありません。母親には出来ないことをやることです」
ぴしりと言うロザリンダに、トニカは肩をちぢめた。
せめてトニカがしっかりしていれば、こんな事にならなかったのに、って。
ロザリンダがそんなトニカに気づいたのか、また柔和な笑みを浮かべる。
「最後は、生きてさえいればどうにかなる、とは思っていましたよ。私も。自分の子どもと思うマルテのために苦労することを、惜しむつもりはありませんし。ですが、マルテは頑固ですからね。カステルも。だから2人は勝手に苦労したのです。あなたが気にすることではありません」
男はいくつになってもバカなものですよ、とロザリンダが言い、ラストにちらりと目を向ける。
「話の腰を折ってすみませんでした」
「構わない。あなたも魅力的な女性だ。是非一夜を共にしてもらいたいね」
「おい!」
いきなりロザリンダを口説くラストに、ギルド長が本気の殺意を向ける。
でも彼女自身は涼しい顔で、ラストの提案を受け流した。
「遠慮しておきます。厄介な男の面倒を見るのは、1人で十分です。今後もう1人のほうは、トニカが引き受けてくれますしね」
すまし顔から、ふふ、と茶目っ気のある仕草で口もとに手を当て、ラストに流し目をくれたロザリンダに。
「それは残念」
ラストはしつこく言わず、肩をすくめて引き下がった。
実はロザリンダさんとラストは、似た者同士なのかもしれない、って、トニカは思った。
トニカはふと、ラストに対して思いついた疑問を口にしてみる。
「もし、私が死ぬなら……私もマルテと、同じことを考えたのかな」
「さて、それは俺にも分からない。だがマルテは、自分がいなくても君が幸せになる方法を考えた。君が多くの人に愛されるようにするには、どうすれば良いのか?」
ラストは、さえずるように喉を鳴らして話を続けた。
「何か、人に認められる才能があればいいんじゃないかと、マルテは思った。彼には、それを君に与える手段があった。どうせ失われる自分の命を使えば、願いを叶えられる。……そうして、誰しもに見られるようになれば、君の魅力に気づく人は多くなるだろう」
ラストは、自分の喉に手を当ててトニカを見る。
歌声。
じゃあ、この声は。
歌う才能は。
「マルテが、ラストに願ったのは……」
「カステルの言う通り、悪魔は本来、代償をもって契約する。マルテは君の編み輪を拾った後、再び俺に願った。君を幸せにしろとね。彼はその対価に、自分の魂を示した」
ラストが自分の胸の前で。
獣のアゴのように曲げた指を、ぎゅっと閉じる。
だから。
「だから、マルテは死ぬの?」
魔王を倒して、それで済むと思っていたトニカは。
ふたたび示された言葉に息を呑んで、太モモの上で手を握りしめる。
悪魔は、からかうように告げた。
「さて、どうだろう。……だが彼を俺は、すぐにでも、殺すことができる」
「やめて!」
胸に向けた指を広げて、その手をマルテに向かってかざすラストに。
トニカは思わず立ち上がって、さえぎるように両手を広げた。
ギルド長とロザリンダが厳しい顔になっている。
でも、ラストはそんなことを何も気にしていない顔で、手を下ろした。
「しかし、魔王との約束も、マルテとの約束も、俺は果たした。……おや、俺がマルテの魂を奪うのをやめる理由がないな?」
「……マルテを失うくらいなら、歌声なんかいらないわ」
この声を返せば。
ラストに、マルテの魂を奪う理由はなくなる、って。
でも、ラストは両手を大きく広げて、邪悪な笑みを浮かべた。
「残念ながら、君の言うことを聞く理由はない。仮にトニカ、君が俺に歌声を渡したとしても、君はすでに、その才能を使って多くのものを得たはずだ。そんな都合のいい要求が、通ると思うのかい?」
「!」
知らなかった……は、言い訳にはならないことを、トニカはもう知っている。
だって、マルテの気持ちを、ラストと交わした契約を知らなかったのは。
トニカが、知ろうともしなかったからで。
もっと早く気づいていれば、そしてマルテと話し合っていれば。
それを知って、どうにかする方法も、あったかもしれなかったから。
だけど、トニカや、ギルド長たちが口を開くよりも前に。
「では、どうすれば通るのか、を示せ」
低い声が聞こえて、トニカは後ろを振り向いた。