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このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
最終話『歌姫に、望むまま全てを』
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⑤トニカ・ルッソ


 吠え猛る魔王から、距離を置いたマルテは。

 受け止めたトニカを抱いたまま、後ろへと呼びかけた。


「ロザリンダ」


 ウェアウルフを警戒ながらの声に、ロザリンダは黙って彼に目を向ける。


「トニカを頼む」


 ロザリンダは、油断なく杖を構えたまま、マルテをジッと見た。

 突然現れた彼の真意を探るような目で。


「どうするつもり?」

「奴を倒す。……説教は、後で聞く」


 トニカを下ろしながら、ぼそりと付け加えたマルテに。

 ロザリンダが、少し意外そうな顔をしてから微笑みを浮かべた。


「そう。……いいでしょう。後で存分にしてあげます」


 彼女に対してうなずいたマルテは、見上げたまま声も出せないトニカの頭をなでた。

 目線はずっと、ウェアウルフを見ていて、表情は厳しいけど。


 そっとトニカの頭に置かれた手は、大きくて、あったかい。

 トニカの慣れた、マルテの手だった。


「お前も、少し待っていてくれ。全ては奴を倒してから」


 そんなマルテは。

 なんだか、ここ最近の様子と違って……2人の暮らしに慣れ始めた頃の、マルテみたいだった。


 その優しい声に、泣きそうになりながら。


「うん……」


 トニカは、マルテの言葉に素直にうなずく。

 周りでは魔王がマルテによって傷つけられたことに勢いを得たのか、茶色の人狼と、兵士や駆けつけてきた冒険者が戦い始めている。


 ロザリンダにかばわれながら、ミキーのそばに戻ったトニカは。

 ギラつく目をマルテに向ける魔王と、マルテの横に立つギルド長の後ろ姿を見た。


 ギルド長は、ちらっとマルテに視線を投げてから、鼻を鳴らす。


「なんだ、腑抜けてたんじゃなかったのか?」

「……ついさっきまでな」


 マルテが苦笑まじりの声を出し、ギルド長がマルテの肩を拳で殴る。


「少しはマシな顔つきになったようだ。吹っ切れたか?」

「ああ。……1人では魔王を倒せないかもしれない。手を貸して欲しい」


 ギルド長は担ぎ上げた剣の腹で、トントン、と肩を叩いた。


「いいぞ。素直になったじゃないか。最初からそう言っていれば、余計な苦労はしなくてすんだ」


 どこか嬉しそうな声なのは、もしかしたら笑っているのかもしれない。

 2人の顔は、見えないけど。


「分かっている。……反省も、している」

「ならいい。やるぞ。後でもう一発、そのツラを殴らせろ」


 ギルド長とマルテが、同時に剣を構えた。


 2人は、利き手が違うことをのぞけば、構え方がそっくりで。

 きっと、マルテに剣を教えたのはギルド長なんだって、トニカは思う。


 そして、戦いが始まった。


 ギルド長とマルテを、ロザリンダが魔法で援護する。

 マルテたちと魔王の動きは、たまに目で追えないくらいに速くて。


 でも、年齢のせいなのか、ギルド長の動きはマルテや魔王よりも少し鈍かった。


 それでもなんとか渡り合っているのは。

 とても強い、ってロザリンダさんが言ったように、積み重ねてきた腕があるんだと思う。


 まばたきすらせずに見守る、トニカの耳元で。




「助けたいか、マルテを」




 そうささやいたのは。


「ラスト……!?」


 ニヤニヤ笑いを浮かべて。

 いつの間にかそこにいた悪魔だった。


 トニカに顔を近づけて腰をかがめたまま、彼は戦いを指さす。


「彼らを助けたいか? トニカ」

「……マルテたちを、助けてくれるの?」


 トニカはその言葉を、ラストが加勢してくれるんだ、って思ったけど。

 彼は首を横に振る。


「いいや。勇者の戦いに、悪魔の存在はふさわしくない。悪魔が味方をしているなんて、まるで邪悪な者みたいじゃないか。……助けるのは、君さ」

「わたし……?」


 トニカはとまどう。

 戦い方なんて、彼女はまるで知らない。


 ロザリンダのように魔法を使えるわけでもないのに。


「そう。今度は、君がマルテを助ける番だからな」

「今度は?」


 ラストは当たり前のように言うのに、トニカは目をまたたいた。

 彼は、いつもより意地悪な目でトニカを見返す。


「ああ。助けてもらってばかりで、君は満足しているようだが。君は彼を助けようとは思わないのか? マルテと出会うまで、何も知らなかったトニカ。マルテにすがるだけだったトニカ。可愛らしくけなげで……甘えるだけだった、ワガママなトニカ」


 この窮地は、マルテだけでなく君のせいでもある、と。

 ラストは言葉に毒をふくめる。


「君は幼かった。そして花開いた。だが、その心は幼いまま。そして幼いままでいることを、許されたのはなぜなのかな? それを許してくれたのは、誰だった?」


 ラストは首をかしげるが、トニカは言葉の意味が分からなくてさらに戸惑う。


 幼いまま、というラストが。

 まるで、トニカを責めているみたいで。


「今こそ、思い返すといい。君に、救いを与えてくれたのは誰だった? トニカ・ルッソ」


 彼の言いたいことは分かる。

 だって、トニカを助けてくれたのは。

 

「マルテ……」

「そう。彼が君を救った。その後もそばにいてくれたのはなぜだ? 君が助けを求め、そしてカラダを許したからか? たったそれだけのことで、君は彼の好意にぬくぬくとして、それを当然だと思い続け、そして裏切られた。なんの努力もせずに、受け取るだけ。……今の状況は、君の自業自得だ」


 自分の今までを、そんな風に言われて。

 トニカは、顔をこわばらせた。


「わたし……が?」


 私が、悪かったの?

 そう思うトニカに、ラストはうなずく。


「俺は、愛し合う者同士は対等で在るべきだと考える。君たちは未だ、対等ではない。マルテに、今の君では心を届けることが出来ない」


 ラストが体を起こして、軽く首をかしげた。


「君はマルテには、言葉が足りないと思っている。君は、その言葉の足りなさに傷ついたと伝えて、この後、彼を間違っていると責めるんだろう? だから、逆に問おう。なぜ君は、そんな言葉足らずなマルテの心を察せなかった? なぜマルテは君に、何も話してくれなかった? その理由を考えたことはあるか?」


 話してくれない、理由?

 そんなものが、あるのだろうか。


 トニカが答えられずにいると、ラストは続けた。


「理由は簡単だ、トニカ。……君がマルテに、自らのことを話すに足る相手だと認めさせることができなかったから、だ」

「―――!」

「だがそれは、マルテだけが悪いのか? 君自身も、マルテの気持ちが分からないと逃げ、逆に彼の気持ちを察する努力を、話し合う努力をしなかったのに?」


 悪魔の言葉は、容赦がなかった。

 トニカの心の動きを、彼は見透かしているみたいで。


 姿は見せないけど、そばにいたラスト。

 

「言うことを聞く契約だと言われて、引き下がる。プレゼントを投げ捨てられて、なじることもしない。マルテがいなくなるかもと思って、それなのに歌うことを優先する。それがマルテのためだ、とね。違うんじゃないか? トニカ。君は、マルテを失いたくない自分のために、それをしていただけだ」


 彼は、最初からずっと……トニカとマルテの、全てを見ていた。

 そんな彼の言葉は、鋭い刃を秘めていて。


「トニカ……君がマルテに受けた仕打ちは。そこから出たすれ違いは。君たちのお互いに間違ったことの、積み重ねなんだよ」


 ラストは、トニカに指を向ける。

 まるで、貫くように。

 

 悪魔の顔は笑っているのに。

 その赤い目が、少しも笑っていない。


「『言われなきゃ分からない』だって? じゃあ、何故マルテには、何も言わない君の気持ちが分かると思ったんだ?」

「あ……」


 トニカはその指摘に、一歩後じさる。


 だって、マルテは。

 いつだって、トニカのことを考えてくれて。


「君のマルテへの想いは、その程度なんだよ、トニカ・ルッソ」


 まるで、くだらないものを見るような目で。

 ラストが、トニカを見る。


「君はただ、マルテがたまたまワガママを聞いてくれたから、なついただけなんじゃないのか。その上、こうしてほしい、ああしてほしい、と言うだけで、なぜそうして欲しいのかを理解される努力もせず。マルテが自分の理想とちがう行動をすれば、不満に思って泣くだけ」


 ラストの言葉は。

 悪意的で。


 それでいて、彼の口にしていることに対して。

 トニカが足もとが崩れるような気持ちを感じるのは。


 それが、トニカのしてきたことだって、納得できて、しまうから。


「君がそんなだから、彼は去ったのさ。マルテだから抱かれたと、去って欲しくないと言ったその口で、金を提示する。そんな君の本心など、マルテには分からないからだ」


 悪魔の言葉は、トニカの心をえぐった。


 彼女の心を踏みにじるように。

 今まで目を向けすらしなかったことに、目を向けさせるみたいに。


「だから君はマルテに、共に立つ者ではなく、いつまでも守るべき者としか思われなかった。ほかの者たちも。誰もが、真の意味でマルテを理解してはいなかった」


 ラストは、大きく両手を広げた。


「彼を身勝手だ、と。自分は心配しているつもり(・・・)の誰もが、マルテに勝手に期待して、自分から彼に本心を言わない。ロザリンダくらいは、薄々気づいていたようだが。……それで何が伝わるというんだ?」


 君たちはその程度の存在だ、と。

 正直者の悪魔は言う。


「マルテは、本心を言えばあざ笑われるような境遇で育った。それを知っている者ですら、彼の聡明さに惑わされて、本心を言ってもいい、と口に出しては教えなかった」


 だから我慢をする、と。

 そう言われて、トニカは。


 自分の盗賊団での境遇を思い出した。


 何を言っても、泣いても、黙っていても、泣かなくても、殴られる生活。


「君はマルテに、マルテが関わらせてくれた者たちに、素直になってもいいと教わった。ならマルテは? 誰が彼を肯定した?」


 振るわれる暴力に、怯えて。

 できて当然だと、言われ続けて。


 出来なければ、罵られる。

 体への暴力だけじゃなく、言葉の暴力も……心を押し潰す、ものだ。


 マルテも。

 そうだった、っていうんだろうか。


「教わってもいないことを、君はできるのか? 読み書き計算を、譜面の読み方を、歌で金をかせぐ方法を、自分が素直になれる環境を。……1人で生きる方法を知らなかった君は、マルテがいなくても、それが出来るようになったのか?」


 答えは否だ、とラストは笑みを深めた。


 境遇。

 本当は出来るのに、誰もそれを教えてくれない境遇。


 マルテとトニカの、境遇。


「……おぞましいな、人間は。特に君は。ほかの誰よりも幼く、そして寵愛を得るために幼いままでいようとした。それが愛するということなら、愛とはどこまでもおぞましいものだと思わないか?」


 一方的に求めるだけの、与えるだけのものならば、と。

 ラストは言葉を締める。


 トニカはマルテに、一緒に連れて行ってもらえなかった。

 それはなんで。


 もし、マルテがギルド長だったら。

 私がロザリンダさんだったら。


 ……きっと、連れて行ってもらえた。


 もしかしたら、彼女の方がギルド長の言葉のはしから、彼の心を察して。

 出て行くことを理解して、勝手についていったかも。


 それはロザリンダが強いから?

 トニカには、なんの力もなかったから?


 だったら、もしマルテがミキーで。

 私がアデリーナだったら。

 

 彼女はミキーが隠し事をしようとしても、きっといつもみたいに正直に話をして。

 お互いに、納得したと思う。


 マルテに、負担をかけたくなかったから。

 私は、心の中でそう、言い訳して。




 結局、何もしなかった。




 私も間違ってた、って。

 ラストはそう言っている。


 本当に、マルテのことが好きなら。

 ミキーが言っていたみたいに。


 自分の想いを、ちゃんと。


「私……は」


 トニカは、戦うマルテを振り向く。

 歯を食いしばって、ギルド長をかばう彼の姿を。


 求められて、望みもしない戦場に立つ彼を。


 周りの人たちは。

 皆トニカには優しくて、マルテに厳しいけど。


 でも、それは。


 皆にとって、マルテは並び立てる相手に、見えるからで。

 トニカが……どう見ても弱そうな、守るべき者だったから。


 本当はマルテだって。

 弱くて、誰かに頼りたかったかもしれないのに。


 なんでも出来るから。

 皆、勘違いして。


 分かりあおうとすら、しなかったんだって。

 言わなくても勝手に分かるって、きっと思ってた。


「どうすれば、マルテに並べるの……?」


 わかり合うには、どうすれば。

 どう、伝えれば。


 マルテは本当に、私の気持ちを理解してくれるの?

 どうすれば、マルテは本当の気持ちを話してくれるようになるの?


 私はどうすれば、マルテの気持ちを分かるようになるの?


「また、人に頼るのか?」


 ラストは、不意に目を細める。


「もう、君には力がある。今はマルテと同じように、自分の芯となる力が。いつまでも、ヒナのままでいようとするな。少しは自分で考えたらどうだ」


 ラストは、まるで断罪するようにトニカを見下ろして。

 笑みを消した。


「そうやって君が頼るばかりで並び立つことをしなかったから、マルテは出て行ったんだと言っているだろうが。君が今のままでは、彼はまたいずれ間違う。それで、本当にいいのか?」


 今のままじゃ。

 また間違う。


 マルテのせいだけじゃなくて。

 私のせいで。


 私は、これからどうしたいんだろう、って

 トニカは自分で、ようやく考え始めた。


 対等な立場って、なんだろう。

 マルテが戻ってきて今までどおり、じゃ、ダメなんだって。


 きっとラストが言いたいのは、そういうことだと思う。

 私は、私にしか出せない答えを、見つけないといけないんだって。


 マルテのために。自分のために。

 間違わないために、どうすればいいのか。


 マルテだけじゃなくて、私も。


「私は、マルテが……」


 ラストは、黙ってトニカの言葉を聞いている。

 声が震えてても、マルテみたいに、優しくはない。


 だってラストは、マルテじゃない。

 トニカを守ってくれてた、彼じゃないから。


 今は誰も、トニカをかばわない。


 自分の力だけで、なにかを言うのが。

 こんなに、勇気がいることだったなんて。


「私は、マルテが、間違ってる、って思った……」


 あんなに、ギルド長たちに愛されてるのに。

 自分の存在は、誰のためにもならないって、きっとマルテは思ってたから。


 でも、ギルド長の部屋で、彼が本音を口にするまで。

 トニカだって、ギルド長がマルテを見捨てようとしてるんだって、思ってた。


 そんなトニカと、マルテも同じだったら?


 厳しい言葉を。

 愛情の裏返しじゃなくて、そのまま受け取っていたと、したら。


 私は、自分に価値がないと思ってたから。

 逆らって、マルテに嫌われるのが、怖くて。


 でも、それじゃダメだったんだって。

 本当にマルテのことを好きだったなら、嫌われたって。


「私……マルテに、伝える……マルテは間違ってたって……」


 1人だと思うなんて、間違ってるって。

 ちゃんと、マルテの心に届くように。


「でも、私も、間違ってた、って……両方とも、伝える……」


 マルテが私を心配するように、私もマルテを心配してるんだって。

 愛してるって。


 マルテは、1人じゃないって。

 抱え込まなくても、頼ってくれて良いんだって。


 トニカは、伝えないといけない。


 伝えること。

 それ自体がきっと、大切なことだったんだ。


 トニカも、そしてマルテも。

 そんな事すら、知らなかった。


 マルテも知らなかったことに、誰も気づかなかった。

 目の前の悪魔だけが、それに気づいていた。


 だからマルテは、ラストに対してだけは。

 表情を隠さずに、むき出しの感情をぶつけていたんだって。


 ようやく、分かった。


「生き残って……ちゃんと、マルテに。……だからラスト」


 トニカは、冷たい顔のラストを。

 本当は誰よりも優しいから、トニカにそれを気づかせてくれた悪魔を、見上げた。


「マルテを助けて、生き残るために。どうすればいいのか、教えて」


 ラストは、不意にいつものニヤニヤ笑いを浮かべて。

 合格だ、ってつぶやいた。

 

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