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このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
最終話『歌姫に、望むまま全てを』
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閑話:マルテ・ベルトラーニ


 開拓者の街の近くに戻ったマルテは。

 街の上空を舞う巨大な鳥と街の周囲にいる獣の群れに眉をひそめ、直後に顔色を変えた。


「あれは……!」

「街が魔物に襲われているな。今までにない規模だ」


 遠くに見えたそれらの正体に、ラストが楽しそうに言及する。


「ただの魔物だけじゃないな。魔王の気配もあるぞ?」

「なんだと!?」


 マルテらを待つ間、街を襲わないと言っていたはずの存在。

 それが、なぜ。


「待ちきれなかったか、アーテアではないからいいと思ったか。まぁ、敵のすることだからな」

「何を冷静に……!」


 マルテは、剣を引き抜いて駆け出した。

 彼に気づいた魔物たちを斬りはらいながら駆け抜け、内側から破られたように見える街の門へ飛び込む。


 なぜか、街中は混乱に陥っているものの、血の匂いがしなかった。


「……?」


 不思議に思いながら、騒動の起こっている街の中心へ向かって。

 人を掻き分けて進むマルテの耳に。


「お前が、トニカ・ルッソか!」


 聞き覚えのある声が、聞こえた。


 魔王ウェアウルフ。


 だが、その声が口にした名前は耳を疑うもので。

 バカな、と思いながらマルテは騒動の場所にたどり着いた。


 周囲の、兵による人垣の上から、中を見ると。

 屈強な茶色い毛の人狼が兵士たちを威嚇するように10以上、ぐるりと半円を描くように立つ中で。

 

 カステルが、魔王と戦っていた。

 ロザリンダが魔法でそれを援護する姿まで見える。


 そして。

 倒れて血を流すミキーを膝に抱く。




 ーーートニカの、姿。




「……ッ!」


 大きく足をたわめて、人垣を飛び越えようとしたマルテは。

 不意にがくん、と膝から力が抜けて、その場に倒れこむ。


「が……ァ!?」


 めまいがして、周囲の景色が歪む。

 体が鉄のように重く感じる不調が、いきなりマルテに襲いかかってきていた。


 なぜ、このタイミングで……!

 そう思うマルテに、耳鳴りのすきまからラストの声が聞こえた。


「おっと。悪いが、いかせないよ」


 そう告げる悪魔の声は……邪悪さに、満ちていて。


「なんだと……!?」


 マルテの言葉に、悪魔が笑みを漏らした。

 そのまま、手が襟をつかむ感触を感じて、めまいがひどくなる。


 気がつけばマルテは、開拓者の街の中心にある時計塔の上にいた。

 トニカたちがいる広場を、見下ろせる吹きさらしに。


「だから散々言っただろう? マルテ。トニカのそばにいろと。俺の忠告を無視するから、こういうことになるのさ」


 マルテから手を離したラストは。

 悠然と時計塔の端に立って、楽しそうに眼下の戦闘を見下ろす。


「君はトニカを捨てたんだ。約束は守らないとな? ……俺は、約束を破る奴が嫌いなんだ」


 ひどく冷たい笑みを浮かべるラストに、マルテは苦しみを押し殺してうめいた。


「約束だと……!?」

「そう。トニカの前に、二度と姿を見せないと。君は言ったな?」


 たしかに。

 マルテは街を離れる時に、ラストに対してそう口にした。


「だから、邪魔をすると言うのか……!」

「そうさ。約束を守るのは大切なことだ。勇者である君が、よこしまな行いをしてはいけない。そうだろう?」


 ラストは喉を鳴らして、眼下を指差した。


「あの戦闘が終わり、トニカが犯され、殺されれば解放してやる」

「ふざ、けるな……!」

「ふざけているのは君の方さ。君はカステルたちに死ぬつもりだと伝えた。身勝手な都合でトニカを捨てた。それは、君自身の行いだ。君が彼女らにしたことと、今の君の状況は何が違うのかな?」


 言われて。

 マルテは大きく目を見開いた。


 死ぬつもりだった。

 だからトニカを置いて街を出た。


 両手をポケットの中に戻し、ゆっくりマルテの方に戻ってきたラストは言葉を続ける。


「君が死ねば、あるいは死ぬと口にすれば、彼らがどう思うか。君は考えたことがあるのかい? マルテ・ベルトラーニ……死に別れるというのは、そういうことだ。今の状況は、どっちが死ぬか、の違いでしかないんだよ」


 マルテ自身の、約束のせいで。

 カステルを。ロザリンダを。ミキーを。


 ―――トニカを。


 見殺しにすることを、受け入れろと。

 目の前の悪魔は言う。


「そんなことが……!」

「受け入れるしかないんだよ。残念な勇者殿」


 無理やり体を起こそうとしたマルテの背中を、ラストが踏みつける。

 顔を下ろし、さらりと髪を流してこちらを覗き込むラストの笑みは、正しく悪魔のような笑みだった。


「君の寿命を、今ここで、ほんの少しだけ残して吸い尽くしてやろう。そうして動けなくなった君を、彼らを皆殺しにした魔王の前に放り出す。争うことくらいはさせてやろうと思ったが、気が変わった」


 不調がさらに重くなり、マルテは口を開くことすら出来なくなった。


「……!」

「それで、俺のウェアウルフとの約束は果たされる。君は強くなった。が、強くなった君の体調が悪いのは俺のせいじゃない。君自身が魂を差し出すと、俺に言ったからだ」


 マルテの髪を掴み上げて体を逸らさせたラストは、コキリと首を鳴らす。


 全て、お前のせいだと。

 嘘をつかない悪魔は、マルテ自身の言葉でマルテを追い詰める。


 まるで、映し鏡であるかのように。


「だがマルテ。安心するといい。俺は大悪魔イレイザー……あの程度の魔王に負けはしない。本当は勇者など必要ない。俺は君をもてあそんで楽しんでいただけだ」


 マルテの頭から手をはなし、ラストはいとおしむように彼の頭を撫でる。


「ウェアウルフの望みも、俺に殺されるという形で果たされる。そうして世界は救われる。……君と、君の大切な人々を除いてね」


 全ては俺の意のままに、と、ラストは天の使いのような美貌を蕩けさせる。


「楽しいな、マルテ。最高のショーだ。君の大切な人々が殺され、トニカが犯されるのを、一緒に見ようじゃないか」


 背中から足を退けたラストは、ズルズルとマルテを引きずって時計台の端から、下を見せる。

 ちょうどカステルが吹き飛ばされ。


 トニカが首を掴まれて、彼らの盾にされている景色が見えた。


「宴もたけなわ。絶望に染まった君の魂は、さぞかし美味だろう。永く時間をかけて、味わってやるよ。君の魂にこの絶望を、何度も何度も、見せながら―――」

「……!」

 

 それでもまだ起きようとするマルテの背中を、ふたたび踏みつけるラスト。


「頑張るね。そして愚かだ。さらに、無駄さ。君ごときでは、復活した俺の拘束は逃れられない」

「ナニ、が、ヤクソク、だ……」


 無理やり口を開いたマルテの心の奥で、ぎしりと何かが軋んだ。

 

「そんナ、もノ……!」

「そんなもの? そう、君がそんな考えだから俺に邪魔されるんだ、マルテ。約束なんか、と思うから。目先のことしか見えない愚かな勇者」


 約束、約束、約束。

 生まれた時から、マルテを縛り続けるそれら。


 約束されたあらゆる才能。

 約束された栄光を得る生。

 約束された魔王との対峙。


「何が……」


 マルテは地面に這いつくばったまま、時計台の端を握りしめる。


 ーーー何が約束だ。


 俺が望んだわけじゃない。

 そう、マルテは思って。


 唯一。

 人生で唯一、自分が心から望んで交わした約束を思い出す。


 『トニカを幸せに』、と。


 衝撃が、マルテの心を走る。

 



 ーーーこの状況が、トニカの幸せか?




 危ないから離れたはずなのに。

 おそらくは、マルテを追ってきた彼女。


 マルテは死ぬと、カステルに手紙を書いた。

 彼女が、それを知ったとしたら。


 なぜ追ってきた?

 決まっている。お前が消えたからだ。


 死ぬつもりだと知ったからだ。


 今、自分の感じているのと、同じ気持ちを。

 彼女が、抱いたからだ。


 失いたくない、と。

 失うことに対する恐怖を。


 お前は、一体何を分かったつもりになっていた?

 何も分かっちゃいない。こうなるまで、彼女らの気持ちを理解しようともしなかったのだから。


 ―――お前が、間違っていたんだ。


 そう思うと、心の軋みが大きくなり、ほんのわずかに力が戻る。


 お前は、悪魔に願ったんじゃなかったか。

 お前は、彼女に、誓ったんじゃなかったか。


 トニカを幸せに、と。


 何が彼女にとっての幸せなのか。

 分かっていて、目を逸らしたんじゃないのか。


 代わりを与えて、自分だけ満足して。

 こんな恐怖を、彼女に与えた。


 彼女は言ってなかったか。

 母親に捨てられて、あの盗賊団に拾われたんだと。


 なぜ、そんな彼女を置き去りにするような真似をした。

 決まっている。運命が。


 ーーーそんなくだらないもののために、彼女を置き去りに。


 結果が、これだ。


 ……俺は間違っていた。


 一体、なにをしている。

 彼女を、守れない体たらくで。


 何が勇者だ。

 お前みたいなゴミが、1人で何を出来ると思っていた?


 ひとりの少女すら守れないのに。

 それで、ほかの何が救えると。


 トニカを幸せに―――お前が冒険者になった後、心から願ったことはそれだけだったはずだ。


 運命だの宿命だのを、なんで重要なもののように思っていた?


 才能以外、空っぽなお前の。

 中身を満たして、くれたのは。


 運命なんかじゃなく。


 マルテ、と笑顔で呼んでくれる。

 彼女だったんじゃ、ないのか。


 トニカを幸せに。


 ただ唯一。

 その約束だけは守るべきものだったのに。


 ―――俺が、間違っていたんだ!


「どちらが死ぬかという違いしかない、だと……?」


 マルテは、徐々に戻り始めた力で、ようやくまともに言葉を発した。


 大違いだ。


 俺ごときの命と。

 トニカの命では、重みがまるで違う。


 彼女の住む平和な世界が。

 魔王を倒した後にあると信じたからこそ、宿命を受け入れた。


 そのつもりになっていた。

 自分に、酔って。


 だが、間違っていた。

 自分の行いが、今の彼らの状況を招いたのなら。


 正すのもまた、自分しかいない。


 ほかの誰かに押し付けていいものでは、決してない。

 トニカを救おうと思ったのはお前だろう、マルテ。


 だったら、最後まで責任を持て。


 マルテがいなくなることが。

 今自分の感じている気持ちを、彼らに与えることになるのなら。


 自分が死んでも、彼らは守れない。

 死んでしまって、トニカを、救えないくらいだったら。


 無様でも生きてやる、くらいの気概は、ないのか!


 トニカを幸せに―――それ以外の、約束など捨ててしまえ!


「お前らなんかに……!」


 マルテは。

 それまでの自分の間違いをはっきりと認める。


 俺は、トニカのそばに、いるべきだった。


 魔王など放っておけばよかった。

 トニカや、大切な人々と一緒に逃げるべきだった。


 あるいは頼り、共に戦ってくれと。

 1人では不安だと、自分の弱さを認めるべきだった。


 格好をつけていた、だけだ。

 彼らの、トニカのいない世界など、守る価値すらないのに。


 自分から、背を向けた。


「助けるんだ……」


 どれほど責められようと。

 誰かに罵られようと。


 頭を地面にこすりつけて、謝罪しよう。


 俺が間違っていた、と。

 結局、1人では何も出来なかった、と。


 立ち上がることさえ、トニカへの想いがなければ。


「諦めんぞ、俺は……」


 俺は、どうしようもない人間だが。

 それでも、彼らを守りたいと、トニカを救いたいと願った気持ちだけは、嘘ではない。


 それもこれも全て、生き残ったら、の話。


 格好をつけるのは、終わりだ。

 無様でも。


 この命尽きる瞬間まで、足掻く。




「どれほど間違おうが、トニカたちだけは……!!」




 マルテは、自分の心の奥底で、軋んでいたなにかが弾けるのを感じた。


 不調が消える。

 力がみなぎる。


 背中の上に乗っていた、ラストの足の感触が軽くなり。

 マルテは、跳ね起きた。


 全ての強がりをかなぐり捨てて、吼える。


「―――俺のトニカに、触れるな! この、クソ狼がァ!」


 マルテは、剣を手に時計台から跳ねる。


 魔王ごときに。

 悪魔ごときに。


 トニカの幸せを、奪わせはしない。


 カステルも、ロザリンダも、ミキーも。

 彼女と関わった、全てを。


 今からでも、守らなければ……!


 宙を舞うマルテの背に。

 悪魔の、楽しげな声が投げられる。


「合格だ、マルテ・ベルトラーニ。君は、自身の愚かさを、弱さを認めた。そして真の勇気を持った」


 今までを超える何かがマルテの中に際限なく生まれて、体を膨れ上がらせるような力に変わる。

 マルテは、眼下の人狼に向かって剣を振り上げた。


「―――勇者殿の、覚醒だ」


 笑みを含んだラストの声を聞きながら。

 マルテはトニカを掴む魔王の、腕の(けん)を。


 一息に、断ち落とした。

 

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