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このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
第4話『歌姫に限りない温もりを』
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⑥マルテの、うそつき。


 聖夜の日。


 一日公演で聖歌を歌うために出かけるトニカは。

 いつも通りマルテに、玄関先でちゅーをねだった。


「……?」


 その感触に、トニカは軽く首をかしげる。


「どうした?」


 いつも通りの顔をしているマルテがたずねるのに、トニカは首を横にふった。


「ううん」


 マルテが送ってくれる間に、手をつないで。

 外はくもっていて、ちらちらと白いものが舞っていた。


「珍しいね」

「積もらなければいいがな」


 この辺りで、積もるほどの雪が降ることはめったにない。

 空を気にするマルテの顔を見上げながら、トニカは考えた。


 さっきのマルテのちゅーは、いつもと違った気がする。


 お出かけ前のちゅーは、いつも触れるくらいの軽いものなのに。

 今日は、そう、ベッドでするみたいな、吸いつくようなものだった。


 長い時間じゃなかったけど。

 どこか、惜しむみたいな色を感じて。


「ねぇ、マルテ」

「ん?」

「今日は迎えに来てくれる?」


 少しだけ不安を覚えたトニカの言葉に、マルテは首を縦に振った。


「ああ」


 なら、大丈夫かな、ってトニカは自分の不安を、気のせいだって思った。

 今日が、前にした約束の終わりの日だから。


 心配し過ぎている、のかもしれない。

 本当は休みたかったけど、聖歌を歌うのは、さすがに断れなかったから。


「トニカ」

「?」


 劇場につくと、マルテはいつもの裏口から少し外れた物陰に、トニカの手を引いていった。


「なに? マルテ」

「今日は、特別な日だろう? 出会って2年だ」


 そう言って。

 見上げるトニカのくちびるに、マルテがまた顔を近づけた。


 触れた感触が離れると、トニカは口もとに手を当てて顔を伏せる。


「……外なのに」

「だから隠れている。誰もいない」


 上目遣いに見上げると、マルテの笑みと、その後ろに雪の舞う空が見えた。

 今日のマルテは本当にいつもと違うな、って、トニカは思う。


 でも、トニカが何か言う前に、マルテが言葉を重ねた。


「今日はケーキを準備しておこう。前と同じのでいいか?」

「うん……」


 一年前の聖夜、夕食の時にマルテがわざわざ買ってきてくれたそれを、トニカは初めて食べた。

 すごく甘くて、美味しかった。


 今日も一緒に食べてくれるって思って、トニカも微笑む。


「ありがと、マルテ」

「気にするな。……じゃあな」


 トニカを劇場の裏口に送って、手を振るマルテに。

 彼女は、ダメだろうな、って思いながら、きいてみる。


「今日も、見ていってくれないの?」


 マルテは、少しだけ目をふせてうなずいた。


「何度も出歩くのは、今日はしんどくてな」


 雪の中、コートのポケットに手を突っ込んで寒そうなマルテは、フォークを握るような手つきを示す。


「代わりに、ミートソースパスタも作っておこう。好きだろう?」

「うん。……無理しないでね」


 手を振るトニカに背を向けて、マルテは振り返りもせずに行ってしまった。

 結局、一度しか聴いてもらえてないな、って少し寂しくなって。


 それでも、舞台で歌うからって意識を切り替えて。

 トニカのために料理とケーキを用意して待っていてくれるマルテに届くようにって、聖歌を歌った。


 そうして、帰りにマルテの迎えを待つトニカのところに、ミキーが来た。


「よ!」

「お疲れさま」


 笑顔でうなずくトニカに、ミキーはニカッと笑みを浮かべて、なぜか立ち止まった。


「待たせてごめんね。行こうか、トニカちゃん」

「え?」


 そう言うミキーに、トニカは戸惑った。


「……どこに?」

「どこにって」


 ミキーがきょとんとして、道を指さす。


「トニカちゃん、今から家に帰るんでしょ?」

「そうだけど」


 不思議そうな顔のままの、ミキーが。


 トニカにとって。

 とても不吉なことを、言った。


「マルテさんが『今日は用事があるから、帰りは送ってやってくれ』って言ってたから、来たんだけど。え? 聞いてないの?」


 トニカは。

 心ごと凍りついたように、固まった。


 今日は用事がある?

 しんどいって言ってたのに?


 それよりも。

 迎えに来てくれるって言って。


 ーーーマルテは、うなずいたのに?


「……ウソ」

「トニカちゃん? あ!?」


 気づけばトニカは、ミキーを置き去りにして。

 雪の止んだ、日の暮れかけた道を、駆け出していた。


 ウソ。

 ウソだ。


 だって、マルテ、迎えに来てくれるって……!


 レンガ通りは、人が多くて。


 2年前に、大きなカゴを背負って歩いていた時みたいに。

 息を切らして走っていくトニカを、いろんな人が妙なものを見るような目を向けてくるけど。


 全然、気にならなかった。


 気持ちとは裏腹に、どんどん息が上がって、苦しくて、足が鈍る。

 走っているのに、周りの音が遠ざかっていく。


 トニカはいつもの脇道を通って、石畳通りにある集合住宅を……マルテがいるはずの部屋を見上げた。

 窓が閉まっていた。


 大きく脈打つ心臓の音ばっかり、大きくて。

 息が苦しくて、胸をおさえながら。


 走り過ぎて重たい足で、それでも、すぐにトニカは玄関に駆け込んだ。


 階段を上がって部屋のドアに手を掛けると……鍵が掛かっていて。

 トニカは自分の鍵を震える指で取り出して、鍵を開けた。


 マルテ。

 マルテ。


 ーーーお願いだから、中にいて。


 そう、何度も頭の中で繰り返す言葉も、むなしく。




 部屋の中には、誰もいなかった。




 しばらく、その場で呆然としてしまう。


 なんでいないの。

 なんで。


 暖炉の火が消えて、でもまだあったかい空気の中に足を踏み入れて。

 玄関脇のランタンの火を、つける。


 少し明るくなった部屋の中を見ると。


 冷めかけたミートソースパスタと、トニカの分のケーキ。

 それに木彫りの花と、計算の練習に使った巻物が、テーブルの上に置かれていた。


 トニカは、震えながら巻物に手を伸ばした。

 そばに置かれた木彫りは、見覚えのある花だ。


 可愛らしい、レンリの花。

 いつもと違って、色までつけてある。


 それは置いておいて、トニカは巻物をひらく。

 『二年の契約は終わった』、と、いきなり、マルテの字で書かれているのが目に飛び込んで来た。


 文面は、こう続いていた。


『俺は約束通りに旅に出る。


 悪いが、契約の更新はなしだ。


 もちろん、タダでとは言わない。

 お前が俺を雇うと言った金貨20枚を、違約金として。


 それに、2年前から騙すようにお前を抱き続けた代金として、さらに金貨10枚を。

 木箱の中身を、置いていく。


 トニカ・ルッソ。


 怒るなら、怒れ。

 恨むなら、恨むといい。


 俺はお前のそばにはいてやれない。

 今後、会うこともないだろう。


 だがお前はもう一人ではない。

 多くの人がお前を知り、お前を愛し、またお前を助けてくれる。


 それだけのものを、お前は持っている。


 俺は神を信じないが、一つだけ奴は良いことを言っていた。

 お前の好きな俺の木彫りと共に、その言葉をお前に贈ろう。


 ーーー『幸福とは、愛を与え、また愛を受けることである』。


 多くの愛する人々と、幸せに暮らせ。

 お前はもう、俺がいなくても生きることができる。


 マルテ・ベルトラーニ』


 トニカは巻物を読み終えて。

 なぜか、涙も出てこなかった。


 心が、痺れたみたいに。

 ああ、マルテはいなくなったんだ、って思って。


 巻物を置いて、ランタンを手にフラフラと寝室に向かった。

 部屋の中にはコート掛けにコートはあったけど、マルテの大きな皮袋がなくて。


 トニカは、置かれた木箱に目を向ける。

 上に並べた木彫りの一つ、ベアードっていう魔物の木彫りに、見覚えのない鍵がかかっている。


 それを手に取って、木箱の鍵穴に差し込んで回すと、カチャリと音を立てて錠が外れた。

 開けた木箱の中には、大量の銀貨が入っていた。


 トニカが2年間入れ続けたもの。

 それを、何も考えずにかぞえ始めた。


 1時間くらいかぞえたら、銀貨の底から金貨も出てきて。

 かぞえ終えたものは、トニカが入れたものよりもはるかに多かった。


 金貨10枚と銀貨が2073枚。


 銀貨1000枚は、金貨10枚だ。

 マルテが最初に、トニカに雇われると言った時の。


 3倍の金額が、そこに入っていた。


「……分かってた」


 薄暗くて寒い中で、トニカは誰にともなくつぶやいた。


 この部屋の中に、彼女の声に応える誰かは、もういない。


「途中から、ちゃんと分かってた……マルテは、嘘つきだって」


 普通に考えて、おかしかったから。


 マルテに、家計簿を付けろと言われて。

 計算が、おかしかったから。


 だって、マルテがつけた家計簿からは。

 トニカが彼を雇い続ける以上の金額が減っていなかった。


 5日で、銀貨5枚。


 トニカが家計簿を任された時に、貯金額から減っていたのはそれだけで。

 食費とか、家賃とか、最初に揃えた家具とか、トニカの服のお金とか。


 そういうものを買った時のお金は、家計簿に書かれてはいたけど、貯金から減ってなくて。


 マルテが自分の言ったとおりに、トニカの金貨10枚からお金を出してたなら。

 もっともっと、貯金額は少なくなってたはず。




 ーーーマルテを二年も雇うには、本当は金貨10枚じゃ全然足りなかった。




「最初に、お金をくれた時に言ったことだって、ウソ……」


 トニカは知っている。

 ギルドで働いたから。


 盗賊団退治は、一律金貨10枚。


 マルテは言った。

 トニカとマルテで、盗賊団を退治した金額を、半分ずつだって。


 でも、退治した報酬の金貨10枚以外に。

 マルテに渡された盗賊団の財産の一部が。

 

 金貨10枚分も、あるわけない。


 一割なら、せいぜい、銀貨30枚。


「マルテの、ウソつき……」


 彼はトニカに、あの盗賊団を退治してもらえたお金を。

 半分じゃなくて全部、渡してくれていた。


 自分を雇う以外の、トニカとの生活費は。

 本当は、きっと、マルテが最初から持っていたお金だった。


 でも、聞かなかった。


 だって、なんでマルテがそこまでしてくれるのか。

 トニカは気づいていたから。


 マルテが、トニカのことを大事に思ってくれてたからだって。

 だから。


「マルテだって……私と一緒にいたいって、思ってくれてるって……」


 信じてたのに。


 そのまま、食事をする気にもなれなくて。

 一睡もできないまま、トニカはぼんやりと長椅子に座って毛布を体に巻きつけて、朝を迎えた。


 その間にドアが何回かノックされたけど、自分に関係のあることとは思えなくて。

 ただ、窓の隙間からの光で、日がのぼったことは分かった。


「……行かなきゃ」


 聖夜の次の日は、公演はおやすみだけど。

 新年の祝いの、音合わせをする日。


 舞台で歌うのは、マルテが望んだことだから。

 ふらふらと外に出たトニカの部屋の前に、ミキーとアデリーナが立っていた。


 ミキーは目の下にクマを作っていて、寝ていないみたいで。

 心配したよ、と言って。


 なんで出てこないの、って後からきたらしいアデリーナは怒ってた。

 でも、なんだか二人が遠くて。


 心の外側に、今までよりも分厚い殻ができたみたいで。

 なんでもない、って言って、二人と一緒に劇場に向かった。


 マルテは? って聞かれたけど、出かけてる、って言ったらそれ以上何も言われなかった。


 楽譜を持って舞台に向かうと、まだ、誰も来てなくて。

 アデリーナは着替えにいって、ミキーは支配人のところへ行った。


 舞台のまんなかで、練習しなくちゃ、って思って。

 譜面に目を落として、トニカは持ってきた楽譜が間違っていたことに気づく。


 歌曲【遥かに隔てて】―――無意識に持ってきたのは、その楽譜だった。


 耳に、マルテの音が聞こえてきて。

 トニカは、歌い始めた。




 ―――そこで、涙があふれてきた。




 今まで痺れてた分の感情が、一気に襲ってきて。

 トニカは、心の嵐に呑まれた。


 『この愛は涙の川に』ーーー歌曲の始まりの歌は。


 トニカが吟遊詩人から聞いて、最初に覚えた歌。


 愛する人との。

 どうしようもない別れの歌だ。


 ああ、と。

 トニカは、不意に気づく。


 この歌は、私の歌。

 この気持ちは、私の気持ち。




 ―――私はマルテを、愛しているんだと。




 失った今に、なって、気づいた。


 喉が、ひく、と鳴って、トニカは歌えなくなる。


「ま、るて……」


 涙は止まらない。

 涙と一緒に流れ続けるこのどうしようもない感情を、抑えることが出来なくて。


「マルテ……マルテぇ……!」


 トニカは、力の抜けた腕から楽譜を周りに撒き散らして、舞台の上で彼の名前を呼んだ。


 どこに行ったの。

 なんでそばにいてくれないの。


 お金なんか、いらないのに。


 マルテがいてくれれば、貧乏だって。


 家なんかなくたって。

 この街で暮らせなくたって。


 ―――そばに居られれば、それでよかったのに。


 トニカは、賢くないから。

 だから、マルテの気持ちなんて。


「お、教えて、もらわなきゃ……!」


 なんでも教えてくれたのに。


 なんで、自分のことは、何も話してくれないの。

 なにか理由があるなら、なんで言ってくれなかったの。




「言って、くれなきゃ、わからないよぅ、マルテぇ……!」




 トニカは、次から次にあふれる涙がつたう頬に、握り拳を当てて。

 子どものように、声をあげて、泣いた。


 あなたがいなくても、生きられる?

 そんなのうそだよ、マルテ。


 だって、あなたがいなくちゃ歌えない。


 幸せになる?

 そんなのむりだよ、マルテ。


 だって。


 マルテと暮らすことが。

 私の、幸せだったのに。




 ―――それ以外のものなんか、何もいらなかったのに。

 



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