⑤契約の更新
また、冬が来た。
二度目の公演は10日間、それを無事に終えたトニカは、翌日に1日休みをもらい。
マルテと一緒に、部屋の中で過ごしていた。
「トニカ」
最近、口数の少なくなっていたマルテが、名前を呼んだ。
「うん、なに?」
椅子に座って楽譜をめくり、新しい曲をイメージしていたトニカは、珍しくマルテに話しかけられて顔を上げた。
トニカの口調は、少しトゲがある。
ここ最近、不満だから。
マルテは、具合が悪そうなことが目に見えて増えている。
治療院へ行って、とお願いしても、必要ないって反発されるのが一つ。
もう一つは、それに合わせてトニカを抱いてくれる回数が、減ったこと。
気づけばもう一ヶ月、マルテはトニカに触れていない。
床に座って木彫りをしていたマルテは、手を止めて目元を揉んでいた。
なんだか、背中が丸いような気がする。
マルテはこんなに小さい人だったかな、って疑問に思うくらい。
「……そろそろ、一人で暮らせるんじゃないのか」
マルテが、こちらを見もせずに言う。
トニカは。
それで、マルテが何を言いたいのかに気づいた。
もう、後10日もすれば聖夜が来る。
……マルテが、トニカと約束した2年が終わる日が。
「……私はこれからも、マルテと一緒に暮らしたい」
椅子に座ったまま楽譜を閉じるトニカに、マルテが軽く目を向ける。
ひどくだるそうなその目は、マルテに似合わない。
「言ったはずだ。俺は旅に出る」
「冒険者は危ない、って、支配人が言ってた。ミキーがやめて帰って来たのが、うれしかったって」
そんなトニカの言葉に、マルテはかすかに皮肉げな笑みを浮かべる。
「俺に、俺の命を心配するような家族はいない」
「家族はいなくても」
拒絶の言葉に、傷ついたけど。
トニカは、言いたいことははっきり言えるようになった。
「ギルド長たちは、きっとマルテを心配してる」
「あの人たち自身も、冒険者だった」
「今は違う。それに、マルテのことを息子みたいに思ってる」
あれから、トニカは、何度かギルド長やロザリンダに会っていた。
劇場に入るから、ギルド職員は続けられないって言いにいったり。
二人がトニカの招待を受けて、公演を観に来てくれたり。
その時に、二人はマルテのことを口にしていた。
いつのまにか、マルテはチェロを二人に返していたみたいで。
マルテの様子が気になるけど、それ以来会っていない、って。
マルテは。
一番最初の公演以外に、足を運んでくれなかったから、二人がいる時にはいなかった。
一度で満足だ、と。
なんでそんな風に言うのか、トニカには分からなくて。
トニカは、最初の頃に比べて成長している。
それをマルテに見て欲しいって、思ってるのに。
マルテは、木彫りを手にのっそりと立ち上がった。
その目が細まり、マルテは皮肉な笑みを消した。
「いいや、あの人たちは俺を息子だとは思っちゃいない。俺は、恨まれていても仕方がないとすら思っている」
「……どういう意味?」
マルテは一度息を吸ってから、ぼそりと告げた。
「俺の父親が、あの人たちの息子を殺したからだ」
その表情の冷たさと放たれた言葉に、トニカは絶句した。
殺した?
確か、ギルド長たちの息子さんは。
マルテの、友達だったって。
「俺はあの人たちに頼まれる仕事は断らない。たとえそれがどんな過酷な依頼でもな。あの人たちがもし復讐をしたいなら、喜んで受け入れる。俺がカステルやロザリンダに今も会う理由は、それしかない」
トニカに出会った時に、この街に来ていたのも。
二人の依頼を受けに来たのだと、マルテは言った。
「開拓者の街の向こうにある、魔性の森へ行くために寄った、って」
「そう。俺は魔性の森での依頼を回してくれ、と頼みに来た。それは俺の理由だが。その前にお前に会って、言い出せなくなった」
二人に会うこと自体が久しぶりだったと、マルテは言う。
「ここにいることは知っていた。だが踏ん切りがつかなかった。だから、これからようやく、最初の目的を果たしに行く」
「ダメ!」
トニカは思わず大きな声を出していた。
服を取りに行こうとしていたのか、寝室に向かおうとする足を止めて、マルテはトニカを振り向く。
「何故だ? お前との契約はじきに終わる。止められる理由はない」
「なら、延長して!」
トニカは、戸棚を指差した。
鍵のかかる引き出しの中には、お金が入っている。
それはマルテとの広場での歌や、トニカが劇団員として、あるいは公演の報酬としてもらったお金で。
お金が増えても、今までと変わらない生活をしていたから。
金貨で10枚、今すぐにでも簡単に払えるくらいに溜まっていた。
「また二年間、マルテを雇う! 今度は、銀貨で10枚でもいい。頑張って歌えば、それくらい」
「やめろ」
「やめないわ! だって、私だってマルテが心配なんだもの!」
マルテが押しだまり、痛い沈黙が降りた。
ギルド長たちがマルテに危険なことをさせようとするなんて、そんなこと絶対にない。
ランブルキティの退治の時に人狼が出たって、ミキーが言ってたけど、ギルド長たちが狙ったことじゃないと思う。
その場には、ほかの冒険者もいた。
マルテ一人でやらせるなら分かるけど、あの時は人手がいるからマルテに頼んだはず。
それから、断れないって言ってた依頼も全部、一日くらいで帰ってこれるような簡単な依頼ばっかりだった。
「マルテは間違ってる。ギルド長たちが、もしそのことでマルテも恨んでるなら、なんでマルテの好きなチェロをわざわざ取り寄せてくれたの?」
「……」
そのチェロは高いものだって、マルテはうれしそうにしてたのに。
マルテだってきっと、ギルド長たちを慕ってるはずなのに。
じゃなきゃ、あんなに気安い態度で接するはずがない。
「冒険者が危ない仕事でもお金が稼げるから続けるって言うなら、同じくらいのお金がもらえたらやらないでいいでしょう?」
トニカは提案した。
マルテが、トニカと一緒にいても不自由ないくらいの、お金をかせいだら。
マルテがそばにいてくれて、トニカを抱いて、たまに、ミートソースパスタを作ってくれるなら。
トニカは、彼が働かなくたっていいと思う。
『トニカのそばにいる』っていう仕事を、ずっとしててくれたらいい。
だってトニカは、もう十分なお金をかせげるから。
マルテの具合が悪いなら、一日中ごろごろしてたっていい。
冒険者みたいに色々どこかへ行きたいなら、ふらっと出かけていったっていい。
帰ってきてくれるなら、待つことくらい、今のトニカには出来る。
不安で、誰かにずっとそばにいてもらえないと何にも出来ないトニカはもういない。
マルテが苦しいと思うことがあるなら、支えてあげることだって、きっと出来る。
読み書きも、計算も、歌も。
一人で生活できる方法を、生きていけるだけの知識を、トニカが一人じゃないっていうことを。
教えてくれたのは、……全部、マルテだ。
「だから、行かないで」
マルテは、トニカを見つめてから目をそらして。
「……5日で、銀貨10枚か」
「そうよ」
「良いだろう」
マルテは、そのまま寝室に入って、冒険者服じゃなくてコートを着て、出てきた。
腰に剣も、下げてない。
「2年延長。それをカステルに伝えてくる」
「一緒に行く」
「一人になりたいんだ。契約は元のまま有効なんだろう? だったら、言うことをきくというのも、契約の内だ」
「……わかった。いってらっしゃい」
具合が悪くならないか心配だったけど。
気持ちを押しころして、気をつけてね、と告げるトニカに。
マルテは目を合わせないまま、小さくうなずいて部屋を出ていった。