②意外なことが、色々。
劇場での練習を始めて、数日が経ったころ。
「トニカちゃん」
劇場の外廊下で声をかけられたトニカは、楽譜の入ったカバンを胸に抱えたまま、採光のために作られているという中庭の方を見た。
今トニカがいるのと反対側にある外廊下、劇場の舞台に続く方向に見覚えのある禿頭タトゥーの男が立って、こちらに手を振っている。
「ミキーさん!?」
トニカの呼びかけに、にこやかな顔のまま手を下ろしたミキーが、中庭を横切ってこちらに歩み寄ってきた。
「なんでこんなところに?」
トニカが戸惑っていると、近くに来たミキーは芝生の上に立ち止まって、ちょっと答えづらそうに頭にぺたりと手を当てた。
「ああいや、実はね……」
と、答えようとしたミキーに対して、今度は鋭い声がひびく。
「ミキー! 何をサボってるんだ?」
大きな声にトニカがビックリすると、ひょこっとミキーが向かおうとしていたドアから顔を見せたのは支配人だった。
人の良さそうな顔が、ちょっと険しい感じになっている。
いつも穏やかな支配人しか知らないトニカは、ちょっと首をかしげた。
あわてたような顔をしたミキーが振り向いて言い返す。
「いや親父、サボってるとかじゃねーよ! ただトニカちゃんを見つけたからアイサツをだな!」
「うるさいわ、このバカ息子が。うちの秘蔵っ子に気安く寄るな」
ツカツカツカ、と革靴を鳴らしながらこちらに近づいてくる支配人にうろたえながらも、ミキーが言い返す。
「いいじゃねーか! トニカちゃんを見つけれたのは俺のおかげだろうが! 少しは感謝して見逃せよ!」
「黙れ。今まで遊び歩いてた分で倍以上のおつりが来るわ」
「ぐっ!」
そんな二人のやりとりに、トニカは顔を見比べた。
支配人とミキー。
どこかで見たような目だと思ったら、二人の顔立ちはヒゲと髪をのぞけばソックリだった。
体格があまりにも違うので、繋がらなかったのだ。
「ミキーさんって、支配人の息子さんだったの?」
トニカが問いかけると、ミキーはこちらを見てバツが悪そうにうなずいた。
「ああうん、実は。ほら、前にマルテさんに脅……マルテさんと話しをした時に、トニカちゃんが何やるのかを聞いてさ」
近づいてくる支配人とトニカを見比べながら、ミキーが早口に言う。
「最初に広場で歌った時に、俺もそこに居たんだよ? で、スゲェ感動したから親父に話を……」
「ミキー。さぁ、仕事に戻れ」
「分かってるよ! ちょっと待ってくれてもいいじゃんかよ!」
自分より背丈の大きいミキーの肩を、がしっと支配人がつかみ、ふりほどきもせずに頬を引きつらせたミキーが、言葉だけは強く噛みつく。
支配人は、気にもせずに鼻を鳴らした。
「ふん。お前の下心なんぞ最初からお見通しだ。不良息子がちょっと性根を入れ替えたか、などと思うほど私はお人好しではない」
なぜかトニカを見ながら言う支配人に、ミキーが、うぐ、と喉を鳴らした。
「べ、別にいいだろ! それでもまじめに働いてんだから!」
「たった今サボってるだろうが。音楽も経営も才能がない奴は、大道具係としてくらい真面目に働け。お前ごときがトニカ嬢の時間を無駄に使わせるな」
ズケズケと物言いに遠慮はないけど、支配人はどこか楽しげだった。
反対にミキーは、すごくうっとうしそうに、ため息を吐く。
「ああもう、分かったよ! クソ、トニカちゃん、またね!」
「何がまたね、だ。劇場にいる間は近づくなよ」
「なんでそこまで!?」
「歌姫に頭の悪いのを近寄らせていては、支配人の沽券に関わるわ」
「むずかしい言葉を使うんじゃねーよ!」
「……お前、冒険者になってますますバカになったんじゃないのか?」
「ほっとけよ!」
吐き捨てたミキーがそそくさと立ち去るのを目を細めて見送った支配人は、いつもの人の良さそうな笑みを浮かべてトニカに向き直った。
「さて、トニカ嬢」
「あ、はい」
ぽんぽんと繰り出される言い合いに、なんだかマルテとギルド長みたい、と思っていたトニカは、少し遅れて返事をした。
「私はあなたに感謝しています」
「え?」
いきなり、今までの口調が嘘だったように改まった支配人に言われて、トニカは目をぱちくりとまたたかせた。
トニカは、何かお礼を言われるようなことをした覚えがない。
しかし支配人は、どこかうれしそうな笑顔のまま、軽くヒゲを撫でた。
「私に反発して、冒険者などと危ない上に蔑まれるような仕事をしていた息子がね、目的はどうあれ戻ってきたのです。私は、うれしいのですよ」
「えっと……」
ミキーと支配人のやり取りを思い出したトニカは、どういうことなのかを考えた。
冒険者が危ない仕事、というのは分かる。
支配人に反発していたらしいミキーが、トニカのためにその支配人のところに行ったらしい。
支配人はそれでトニカを見つけて、なんでかは分からないけどミキーも大道具として劇場で働くことになった、のが、支配人はうれしい。
「不肖の息子ですが、これからも仲良くしてあげて下さい。もっとも、劇場では近寄らせませんが」
「あ、はい……」
どう答えていいか分からなかったトニカは、あいまいにうなずいてから、別に気になったことを問いかけた。
「冒険者、って、あんまり良いように見られてないんですか?」
支配人がかるく眉を上げてから、うなずく。
「ええ。荒くれ者の多い仕事ですから、酒場などで問題を起こしたりもするのでね。ああ、そう言えばトニカ嬢はギルドで働いていたのですね」
「はい」
支配人は、言葉を選ぶように少し黙ってから、続ける。
「全ての者がそうである、とは言いません。それにこの街は冒険者から成り上がった成功者も多いですから、偏見は少ない」
それでも、と支配人は声をひそめた。
「その日暮らしに近い上にいつ命を落とすかも分からず、金次第で汚い仕事なども請け負う冒険者を見る目は、決して良くはありません」
支配人の言葉は、納得のいくものだった。
劇場には、貴族である人も多い。
トニカが全員の前で歌を歌うまでは、どこか冷ややかに目を向けてきた人が何人かいた。
冒険者も、同じように見られているのかもしれない。
いつ命を落とすのか分からない仕事をする、平民。
「冒険者をしなくていいなら、そっちの方が良いって、支配人は思いますか?」
「……そうですね。他に稼ぐ手段があるのなら、わざわざ危ないことをしなくても良い、と、私は思います。魔物の脅威から人々を守るのには必要な仕事ではあるので、誰もやらなくていい、というわけにはいかないでしょうけどね」
その言葉に、トニカはマルテのことを思った。
冒険者が性に合っていると言った彼は。
自分の仕事が危険なものであることを、どう思っているんだろう。
「トニカ嬢。帰られるのでしょう?」
「はい。マルテが迎えに来てくれるって」
「では、私も失礼いたします」
支配人の言葉にトニカがスカートの裾をつまんで頭を下げると、彼もミキーを追うように消えた。
と思ったら。
「ねぇトニカ!」
「! アデリーナ?」
いきなり後ろから声をかけてきた女性に、トニカは心底おどろいた。
いつからいたのだろう。
アデリーナの目は、トニカをきらきらと見つめていた。
今日は、きれいな金髪をひっつめにして後ろにまとめている彼女は、話してみると思った通り貴族だった。
でも、あの審査の一件から、アデリーナはなにかとトニカに親しげだ。
『あんなに楽しそうに、上手に喉を鳴らす歌い手は初めて見たわ!』
そう言う彼女は、劇団でも一目置かれる存在だったみたいで。
アデリーナがトニカと親しそうにしているから、冷ややかな目を向けて来ていた人たちも何も言わなくて。
歌を披露してからは、そういう目がそもそもなくなった。
『やはり素晴らしい才能じゃ。アデリーナに並ぶの』
と、トニカの指導を担当しているベルナルド先生も言ったからか、アデリーナはトニカと関わるのを遠慮しない。
元々そういうタチなのかも知れないけど。
最初はトニカのほうが遠慮もしたし、さんづけで呼んでいたのに、アデリーナが嫌がるからいつの間にか呼び捨てにタメ口で話すことになってしまっていた。
「ねぇ、さっきのあの人、誰?」
あの人、と言われてトニカは支配人を思い浮かべたが、支配人は当然アデリーナも知っている。
だったら、あとは一人しかいない。
「えーと、大柄な男の人のこと?」
「そう! あのタトゥの人!」
顔を近づけてくるアデリーナの勢いに少し引いて、トニカは質問に答えた。
「ぼ、冒険者のミキーさんだよ。支配人さんの息子さんなんだって」
アタシも今知ったんだけど、と心の中で思いながらトニカが伝えると。
アデリーナは少しぽやん、とした顔で指を組み、斜め上を見上げた。
「ミキーさん……」
「えーと、アデリーナ?」
「……カッコいい」
「え?」
アデリーナの口から出た言葉を、トニカは一瞬理解出来なかった。
ミキーさんが?
アタシは、最初すごく怖かったミキーさんが?
混乱するトニカの前で、アデリーナはぽややん、とした顔のまま、劇場のほうに目を向けて。
両手を頬に当てて、ほう、とため息を吐く。
「私、一目惚れかも」
「え? ……えぇ!?」
あまりにも意外すぎる宣言に。
トニカは、思わず大きな声を上げてしまった。