表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
第4話『歌姫に限りない温もりを』
24/44

①わがままなトニカ


「い・や!」


 トニカは。

  ベッドからトニカを起こそうとするマルテに言って、頭からタオルケットをかぶって丸まった。


 横に立ったマルテが、大きなため息を吐くのが聞こえる。


「トニカ」

「いやったらいや!」


 マルテの手で引き剥がされそうになる上掛けをぎゅっと握って、トニカは頬をふくらませていた。

 

 今日は、劇場での正式な顔合わせの日だ。

 トニカは、それに自分を連れて行こうとするマルテに、全身で拒否を示していた。


「……お前な」

「なんでマルテが合格してないの! アタシ、行かないからね!」

「まだ言ってるのか」


 三日前の合格発表の日。

 トニカは、部屋に帰った後にマルテに詰め寄った。


 まるで当たり前みたいな顔で、トニカに『おめでとう』を言った彼に。

 マルテがいないのに、なんの為に劇場で歌わなきゃいけないの、って。


 マルテと一緒にいるために、仕事をやめたはずなのに。

 劇場で練習なんかしてたら、一緒にいられなくなる時間が増えるって、マルテだって分かっているはずなのに。


『……名誉なことなんだぞ』


 でも、マルテは返事もせずにそんなことを言ったから、トニカは怒っているのだ。


 名誉なんて、いらない。

 マルテは、ちっともトニカの気持ちを分かってない。


「好きなことをしていいって、ロザリンダさんが言ってたもん!」

「……だからやめる、と言って、今さら通ると思うのか」


 手で上掛けを引くのをやめたマルテに、トニカはガバッと顔を上げた。

 少し困ったように眉をしかめている彼を、にらみつける。


「アタシは、マルテと一緒にいたいの!」


 そんなトニカに、マルテはこめかみに指を当てて目を閉じてから、ベッドに腰かけた。


「なぁ、トニカ」


 彼女はマルテの横顔をにらんだまま、返事をしなかった。


「あのチェンバロの奏者は、アデリーナという名前だったな」


 マルテは、少し疲れているみたいに目の下にくまが出来ていた。

 ヒザの上に腕を乗せて、両手の指を組んで、壁を見たまま言葉を続ける。


「彼女の演奏と俺の演奏を聴いて、お前はどう思った」


 問いかけられて、トニカは軽くくちびるを噛んだ。

 

 マルテが何を言いたいのか、分かっている。

 彼の演奏の腕は、アデリーナには及ばない。


 楽器の違い、なんて関係がないほどに。

 アデリーナは並外れた才能を持っていると、あの時、トニカは思った。


「……マルテの演奏のほうが、好きだもん」


 それでも、トニカは反論した。


 アデリーナの演奏はすごい。

 でも、マルテのようにトニカに優しくはない。


 トニカのためだけの演奏じゃ、なかったし。

 マルテには、マルテの色がある。


 でも。


「そういうことを言っているんじゃない」


 って、マルテは、自分の手を見下ろして軽く笑った。


「アデリーナのような才能は、俺にはない。それなりにはなれても、専門家にはなれない。まして、なるつもりも元々ないとくれば」

「マルテだって、すごいのに! なんでそんなこと言うの!」


 たしかに、マルテはアデリーナには及ばないけど。

 それでもそこら辺の大道芸人とかよりは、よっぽど上手い。


 ちらっと、マルテはトニカを見た。

 指をほどいて頭に手を伸ばされて、体を引く。


 トニカは怒っているのだ。

 軽くまゆを上げたマルテは、そのまま手を下ろした。

 

「世の中には、向いている仕事というものがある。俺も、審査までにチェロをそれなりに練習はした。だが、受かるとは思えなかった。向いていないからだ」


 マルテの目は、悔しく思ってもいなかったし、嘆いてもいない。

 ただ、泣きながら走っていたバイオリンの女の人のことを言っていた時みたいに、淡々と事実だけを告げている。


「俺には、お前やアデリーナのような音楽の才能はない。ただ、昔習ったからチェロやチェンバロを少し弾けるというだけでな」

「アタシは、マルテの音に感動したもの! 支配人たちに見る目がないだけだよ!」


 マルテの弾いた曲は、口にした歌は、トニカの心をちゃんと揺さぶったのに。

 しかしマルテは、トニカの言い分をやんわりと否定する。


「俺は何度も、観劇をしたことがある。そのたびに顔ぶれが違うくらい大勢の奏者がいるが、その誰もが俺よりも優れた者ばかりだった。そういう世界なんだ」


 そんな世界に、と。

 マルテはトニカを諭すように、軽く微笑んだ。


「トニカは選ばれるだけの才能があるのに、挑戦しようとは思わないのか?」

「才能があったら、やらなきゃいけないの?」


 マルテのと一緒にいられないのに、やりたくもないことをやる、というのは。

 一人もトニカを助けてくれなかった盗賊団での生活と、何も変わらない。


「歌うのは嫌いか?」

「嫌いじゃない。でも、マルテと一緒にいられないなら、劇場で歌わなくていい」

 

 トニカははっきり言った。

 一か所で歌ったら迷惑をかける、って言うなら。


 毎日違う場所で歌ったっていい。

 マルテと一緒に、街中で歌うだけで。


「別に、マルテ以外の誰かに認められたいなんて、アタシ思ってない」

「……お前を劇場に行かせようと思ったのは、俺が、お前の歌声が好きだからだ、トニカ」


 マルテは、あくまでも静かだった。

 声を荒げもしない、表情も微笑んだままで。


「お前が劇場で歌う姿を、俺が見たいと思ったんだ」


 トニカは、言葉に詰まった。

 そんなに真っすぐに、マルテが望んでいると言われるなんて、思ってなかった。

 

「俺の言うことを、聞くんじゃなかったのか?」


 少しからかうような色を声音に混ぜたマルテが、また手を伸ばしてくる。

 今度は、トニカは体を引かなかった。


「いつからそんな風に、わがままを言うようになった」

「むー……」


 頬を撫でる大きな手に、トニカは顔をますますしかめる。


 マルテがごまかそうとしてるって、分かってるのに。

 うれしいと思ってしまう自分がくやしい。


「……別に劇場に行かなくても、もう一人でお金稼げるのに」


  トニカは小さく言った。


 ギルド長が、戻ってきて良いって言ってくれてるから、受付の仕事もある。

 それこそたまに、街で歌うだけだって、トニカは楽しいのに。


「なんで、劇場で歌わなきゃいけないの?」

「劇場が、お前の歌声が一番綺麗に聞こえる場所だからだ」


 なんだか、今日のマルテはいつもと違った。

 こんなにいっぱい、褒められたら。


 照れるし、怒った気持ちがどんどんしぼんでしまう。

 ズルい。

 

「……それにな、劇場は基本的に毎日本公演がある。どうせ練習は午前中だけだ」

「そうなの?」


 一日中、ギルドの時みたいに働かなくていい、という話を聞いて、トニカが思わず反応すると。

 マルテはとても力強くうなずいた。


「ああ。劇場へ送り迎えもしよう。一緒にいる時間は、そこまで少なくならない。今まで俺と練習していた時間、劇場で練習するだけだ」

「むむー……それなら……」


 行ってもいいかも、とトニカは思った。

 マルテがトニカの歌を劇場で聴きたいって言うなら、それくらいは我慢してもいいかな、って。


「……1日でも早く舞台に立って」


 トニカが怒らせていた肩から力を抜くと、マルテはトニカを抱き寄せて、耳元でささやいた。




「俺のために、劇場で歌ってくれないか?」



 

 息がかかったところが、すごく熱くなる。

 マルテ、今日は本当にズルい。


 そんな風に言われたら、いやって言えなくなる。

 でも、ただで言うこと聞くのも、なんだか納得いかなくて。

 

「……ちゅーして」

「?」


 トニカは、顔をはなしたマルテに、口もとを緩めないように頑張りながら、上目遣いにおねだりする。

 交換なんだから、って、思いながら。


「これから、毎日、行く前にちゅーしてくれたら、マルテのために練習に行く」


 そんなトニカに、マルテは苦笑した。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ