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このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
第3話『歌姫にひと時の幸福を』
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閑話:成功の階段を

17時に本日前話投稿しています。


「この街を去る?」

「……ああ」


 マルテは、カステルとロザリンダを前にしてうなずいた。

 ギルド長の部屋を、トニカの仕事中に訪ねたマルテは、底冷えのする目でマルテを見るロザリンダから目をそらして、いぶかしげな顔をしているカステルを見た。


「元々、トニカがこの街で一人で暮らせるようになるまで、という契約で彼女とともに住んでいる。その契約が終わったら、また街を出る」


 マルテは、なるべく自分の感情を荒げないように、カステルとロザリンダに起こったことを説明した。

 黙ったままそれを聞き終えて、ロザリンダは腕を組む。


「……トニカは、あなたに惚れています。それを捨てていくのですか?」

「いいや、トニカは俺に惚れているんじゃない。依存しているんだ」


 マルテは、トニカが床に頭をこすりつけてマルテの許しを請う姿に、捨てないでと、追いすがった幼子のような姿に、これではダメだと悟った。


 ともに暮らすようになった過程には、ラストの思惑があった。

 マルテがトニカに惚れているのも事実だ。


 しかし、トニカは違う。


「俺はあいつの弱みに付け込んだだけだ。すがる相手が俺しかいない状況で、手を差し伸べた。……暴力を振るう盗賊団から、依存する相手が俺に変わっただけに過ぎない」


 トニカの本質は変わっていない。

 よく笑うようになり、本来の少女らしさは取り戻しても。


 彼女の心は、迷子の子どものまま。何も知らない、幼子のままだ。


 きっと、このまま一緒に過ごしても、マルテでは彼女を育てることはできないだろう。

 マルテは、彼自身を教え導いてくれたカステルやロザリンダのようにはなれない、と思っていた。


 トニカのそばにずっと居てやることもまた、できない。

 だから、彼女のために、マルテが残り少ない時間で与えてやれるものを、マルテは必死に考えた。


「多分、トニカに足りないのは、自信だ。誰かに頼り続ける状況からいきなり放り出されたら、いずれ潰れるだろう」


 寄りかかるものが、なくなってしまったら。


 マルテは、そばにはいてやれない。

 魔王を倒すのは、ラストとの約束であり、それはもう、譲れない事実だった。


「……そこまで馬鹿な子には、見えませんけど」


 あくまでも懐疑的なロザリンダに、マルテは首を横に振る。


「この街の近くを、魔王との戦場にするわけにはいかない」


 マルテは、ラストとウェアウルフとの契約を、カステルとロザリンダには伝えていた。

 これほどの一大事を、この街を預かるギルドの重役に伝えないという選択はなかった。


 ロザリンダが、それでも納得のいかない様子で言う。


「連れて行けば良いではないですか。あなたは、守れる程度の技量は持っているはずです」

「危ない場所にトニカを連れて行くのか?」


 守りきれる、などと、そこまで傲慢にはなれない。

 トニカが危険にさらされることを考えるだけで、恐怖に心が凍る。


 人は、すぐに死ぬのだ。

 冒険者をしていて、魔物と戦い命を落とした他の冒険者を、マルテは間近に見てきた。


「トニカは、自分の身を自分で守れない。それを魔王との対峙に連れて行くなど、無理だ」


 ロザリンダはため息を吐いた。

 彼女自身も冒険者だ。


 魔物の脅威を、マルテに説かれるまでもなく知っている。

 それなのに、あれだけ言葉を重ねた理由を、ロザリンダは口にした。


「それでも、愛する人とともに在ることは幸せなのですよ、マルテ。せめて彼女に選ばせては?」

「俺のような人間を一生涯愛するくらいならば、街の平凡な男とでも付き合ったほうが百倍……マシだ」


 最後は歯切れの悪くなったマルテに、ロザリンダは呆れたように肩をすくめた。


「臆病なのは、どっちでしょうね」

「もういい、ロザリンダ」


 それまで一切喋らなかったカステルは、書類の片付いた執務机の上に両手を置いた姿勢を崩すと立ち上がった。

 机をゆっくりと回り込み、マルテの前に立つ。


 普段と違い、その様子はひどく静かで、威厳に満ちていて。




 ーーー兆候すら感じ取れないままに、マルテは右の頬に衝撃を受けた。




 吹き飛ばされ、後頭部を壁に打ち付けて止まったマルテは、頬に生まれた熱が瞬時に痛みに変わって呻いた。


 左の拳を振り抜いた完璧な姿勢。

 そこから軽く手を振って姿勢を正したカステルを、マルテが倒れたまま無言で見上げると。


「やりすぎですよ」

「腑抜けには丁度いいクスリだろう。頑丈さだけが取り柄のガキだ」


 ロザリンダがおざなりにとがめ、カステルはタイを結んだ首元を緩める。

 カステルの口調が、マルテの知る気取らない彼のものに戻っていた。


 マルテすらすくむような闘気を放つカステルが、その秀麗な顔に険を浮かべている。


「自分で守る気概もないクソガキには、たしかにトニカ嬢は預けられん。いいだろう、彼女の独り立ちをお前が志すのなら、手を貸そう。そしてトニカ嬢が独り立ちした折には、その後一切近づくな」

「……元々、そのつもりだったさ」


 口の中に溜まった血を飲んで、粘つく喉で言いながら、マルテは立ち上がった。


「一つ、用意して欲しいものがある」

「金は取るぞ」

「ツケてくれ。今はない」


 カステルは鼻を鳴らして、顎でマルテの言葉の続きをうながす。


「……チェロを準備してほしい。安物で良いが、それでも手が出ないくらい、今は金がない。必ず金は払うし、ブツも用が済めば返す」


 マルテの言葉に、カステルが片眉を上げた。


「チェロだと?」

「……ああ。クソ悪魔から一つ、有益な情報をもらってな。トニカに歌わせる」


 カステルは、さらにいぶかしげな顔をしながら、マルテに問い返した。


「歌わせる?」

「ああ。トニカの歌声を聴いたラストから言われてな。歌い手として育てれば、類まれな才能を開花させるだろう、と」


 嘘だった。

 トニカの歌声は、マルテがラストに代償を願って与えられたものだ。


 マルテが考えた結果だった。


 彼女自身が、なんらかの秀でた才能を身につけ、自らの力で立てるようになれば。

 それが自信に繋がるだろう、と。


 するとラストが提案したのが、トニカに歌声を与えることだった。

 人気者になれば、誰かがおいそれと手を出すことも出来なくなる。


 トニカは自分で思うよりも、ずっと賢い。

 マルテの教えたことを、一年に満たない短い時間でこなせるようになったのだ。


 だが、人に好きなように使われるような仕事では、彼女に自信を持たせることはできない。


「俺との残りの時間、トニカに歌わせる。それでものにならなければ、再び受付として雇ってやってほしい。……どちらにしろ、俺は消える」


 カステルは、マルテにそれ以上の追求はしなかった。

 侮蔑するように、目を細めただけだった。


「良いだろう。トニカ嬢の独り立ちに役に立つというのなら、チェロくらいは、いくらでも用意しよう」


 カステルが執務机に戻り、椅子をきしませて窓の方を向く。


 話は終わりのようだった。

 マルテにしても、これ以上の用はない。


「マルテ。あなたは本当に、それで良いのですか?」


 黙って出て行こうとするマルテの背中に、ロザリンダが声をかけてきたが。

 彼は答えずに、静かにドアを閉めた。


 そしてトニカをカステルたちと一緒に説得し、一週間後にチェロを受け取り。


 マルテは、窓際に立って歌う、奇跡の天使を目撃した。


 

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