②トニカが決めたこと
「歌、ですか?」
ギルド長の部屋で。
カステルギルド長に告げられた言葉に、トニカは戸惑った。
「ああ、マルテの相方が『トニカは、いい歌声をしている』と言っていた……という話を聞いてね」
ちらりと意味ありげにマルテを見たギルド長は、渋い笑みを浮かべてうなずいた。
「でもアタ……私、まともに歌ったことなんか、ないんですけど……」
「そうなのか? だが、些細なことだ。美人が歌っている姿はそれだけで素晴らしい」
「えっと……」
トニカの戸惑いは消えない。
なんだか話をはぐらかされているような気がする。
「それって、仕事より大事なんですか?」
トニカは業務をこなせるようになったものの、一人前とは言えない。
知らないところで何かしたのか、もしかしてクビなんじゃ、とトニカが沈みかけていると。
「大事だとも。そして君は何もミスなどしていない。ミスをしたのはマルテだ」
まるで心を読んだような早さで、ギルド長が付け加えた。
「マルテが?」
「そうとも」
ギルド長は椅子の背もたれに体を預けて、足を組んだ。
すごくサマになっているけど、まるで悪い奴の親玉みたいだった。
口元に浮かぶ笑みが、悪い人っぽいからかな。
と、トニカが思っていると。
「マルテが、トニカ嬢がこんな仕事をしていては、君と一緒にいられる時間が短くなって寂しいと言い出したんだ」
「はぇ!?」
トニカは、おどろいてマルテの顔を見上げた。
マルテが?
本当にそんなことを?
一気に体温が上がったように顔がほてるトニカの視線を受けて、マルテが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……おい、カステル」
「何かね?」
どこかとぼけたような顔で首を回しながら問い返すギルド長に、マルテがさらになにかを言う前に。
ギルド長の横で、両手を体の前にそろえて隙のない様子で控えていたロザリンダが、微笑んだ。
「マルテ? 私も、そう聞きましたよ?」
「……」
マルテは、開いた口を閉じて、舌打ちしようとして。
腫れた頬が痛んだのか、顔を歪めただけで終わる。
この二人の前だと、なんだかマルテは、ふてくされた子どものように見えた。
特にロザリンダには頭が上がらないみたいだ。
黙ってしまったマルテに。
「マルテ……本当?」
それが本当だったら、うれしいな、って。
期待しながら、トニカは問いかける。
マルテは三人の視線を受けながら黙りこくっていたが、誰も口を開かないと見ると目を閉じた。
あきらめた様子で、小さく言う。
「……残り時間は少ないからな。一緒にできることがあれば、やろうと思っただけだ」
マルテの言ったことに、トニカは複雑な気持ちになった。
残りの時間が少ないから。
でも、一緒にいてくれる、って。
トニカは、思わず頬に手を当てた。
頬がにやけているのが、自分でも分かる。
そんなトニカを見て、ロザリンダは微笑んだままうなずき、ギルド長は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「トニカ嬢。君の境遇はマルテから聞いている」
ギルド長は背もたれから身を起こすと、まじめな顔でトニカを見た。
思わず、トニカは背筋を伸ばす。
でも、ギルド長が口にしたのはお説教じゃなかった。
「君は、幼い頃から好きなことを自由にやったことがないんだろう? その年頃まで遊んだ経験がない、というのはあまりよろしいことではない……というのが我々の総意だ」
「そう、なんですか?」
「そうとも」
あくまでもまじめに、ギルド長がうなずく。
「真っ正直な人間というものは、とにかく騙されやすい。冒険者になりたての田舎者が、騙されて身ぐるみ剥がれてギルドに駆け込んでくることもありふれた話だ」
言われて、トニカは思い至った。
たしかにトニカが受付に入ってからでも、そういう相談はいくらでもある。
それこそ毎日誰かが対応しているし、トニカが泣きそうな冒険者に切々と訴えられたのも一度や二度ではなかった。
「幸い、君は優秀だ、トニカ嬢。一月であそこまで仕事が出来るようになったなら、少し離れてから復帰しても問題はないだろう」
そしてギルド長は、またマルテを見た。
「すこし遊ぶといい。そこのいたいけで可愛らしい少女をもてあそぶクソガキよりも、もっといい男が見つかるかもしれんし……」
「おい」
「君がクソガキよりも魅力的な私に気づくかもしれんし……」
「ギルド長? 怒りますよ?」
「とにかく、クソガキを見つめる曇った目も覚めるかもしれん」
「えっと……」
なんだかよく分からないけど、今日のギルド長はマルテに対してとげとげしい。
もしかして、マルテの頬が腫れていることと何か関係があるんだろうか。
トニカが返答に困ってマルテを見上げると。
マルテは、鼻の頭にしわを寄せていた。
「……そろそろいい加減にしとけよ」
「なんだ、やるのかクソガキ。バラすぞ」
ブルブルと拳を握りしめて震わせるマルテと、鼻でマルテを笑うギルド長に、ロザリンダがため息を吐いた。
「正直に言わせてもらうと、トニカを抜かれるのは痛いですが」
ロザリンダは、男二人を放っておいてトニカに目を向けながら頬に指を当てた。
「でも、あなたのしたいようにするのが、私は一番だと思いますよ」
どうしたいか、と聞かれて、トニカは困った。
スカートの横を手でもぞもぞといじりながら、ロザリンダに訊く。
「アタシ……私が、決めていいんですか……?」
トニカは、マルテに決めてほしい、と思っている。
だって、自分のことを自分で決めるのは、不安だから。
「私、どうしたらいいか、わからない、です」
「どうしたらいいか、を考える必要はありません。どうしたいかを考えるのです」
どうしたいか、と言われて、トニカは口ごもった。
ギルドに残るか。
よく分からないけど、歌を歌いながら遊ぶ、のか。
正直にいえば、トニカはどっちでもよかった。
ギルドで働くのは、いやなこともあるけど楽しい。
それは、マルテと暮らしていても同じだった。
マルテと一緒にはいたかったけど、勉強はちょっといやだった。
新しいことをするのはいやだったけど、マルテと一緒にいられるのはうれしかった。
どうしたいのか、と、どうするのがいいのか、は、どう違うんだろう。
「やっぱり、わからないです……歌うのが楽しいかどうかも分からないし」
お掃除しながら鼻歌を歌ったり、口ずさんだりするのは、楽しいけど。
たとえば街中で、歌を歌ったりすることなんて、全然想像できない。
それなら、お仕事をしているほうが……マルテとは一緒にいられなくなるけど、いいような気がした。
そんなトニカに、ロザリンダはさらに言葉を重ねる。
「別に、歌を歌わなくてもいいのですよ?」
「え?」
ロザリンダはトニカがパッと顔を上げたのを見て、やっぱり、とでも言いたそうな顔をした。
「好きなようにしなさい、と私たちは言っているのです。仕事とは違う何かをしてみる、そのきっかけになりそうなものが歌かもしれない。もし歌ってみて楽しくなければ、やめて別のことをしてみてもいいのです」
ロザリンダの表情は真剣で、トニカの耳には彼女の言っていることがすんなり入ってくる。
「やることなど、なんでも構いません。ですが、あなたはどうしたいのか、というのが大事なのです。今までの話の中であなたが一番したいことが、受付の仕事ならそれはそれで構わないのですよ」
優しい声音のロザリンダに、マルテが声を上げた。
「ロザリンダさん、それは……」
「黙りなさい、マルテ。私はトニカに聞いているのです」
「……」
トニカは、グッと顎を噛みしめるマルテの顔をちらっと見上げてから、自分の指に目を落とした。
一番したいことの、答えはあった。
でもそれを口にするのは、なんだかためらう。
怒られたりしないだろうか。
思ったこと言っても、いいんだろうか。
どうしても、自分がしたいことをいうのに抵抗があった。
「アタシ、は……」
ロザリンダは待ってくれた。
ギルド長も、マルテも、さっきマルテの返事を待ったみたいにトニカを見ている。
「アタシが、したいのは……」
トニカは、両手の指を体の前でもじもじとこすり合わせながら、誰とも目を合わさないように小さな声で告げた。
「……あの、マルテと、一緒にいられるなら、なんでも……いい」
口にしてから。
ものすごく恥ずかしくなって、トニカは肩をちぢこめた。
なんか、そんなことを言うのは、自分が小さな子どもみたいに思える。
すると。
ギルド長が指先で机を叩く音が聴こえて、トニカはビクッと震えた。
やっぱり言っちゃダメだったかな、とビクビクしながら待っていると。
「ギルド長。トニカが怯えています」
聞こえたのは、ギルド長をたしなめるロザリンダの声だった。
「ああ、すまない。……やれやれ。ロザリンダ。トニカ嬢がああいうので一年だけ我慢してくれ。その間も人員は引き続き募集する。もちろん、トニカ嬢の席は残したままでだ」
「それでいいかと。……ギルド長が妙な条件を付けなければ、優秀な人材はいくらでもいるのですが」
「男は願い下げだ」
「言うと思いました」
文句の言い合いのような二人の会話は、しかし笑いがにじんでいて。
トニカは二人のほうを見た。
声と同じように、二人の顔が笑っている。
本当にいいのかな? とトニカが思っていると。
「美人で有能、それこそ最高。すこししょうもない男と一緒にいたいとトニカ嬢が言ったとしても、手放すには惜しすぎる」
「……あなたも、負けないくらいしょうがない人ですよ」
呆れたようなロザリンダの顔に、ギルド長は、心外だとでも言うように眉を片方、大きく上げてから。
トニカに向かってわざとらしく首をかしげて、両手を上に向けた。
そんなギルド長に、トニカはホッとしたけど。
「茶番劇がしたいなら、俺たちを帰らせてからにしろ。観客にするな」
マルテが冷たい声で言い、ギルド長がまた不愉快そうに目を細める。
「お前は、本当に礼儀を知らんガキだな」
「そのガキ相手にちくちくと嫌味しか言えない、大人気ない大人が相手だからな」
「ま、マルテ!」
実は、トニカもちょっとマルテに賛成だと思っていたけど、本当にマルテはギルド長に気安すぎる。
一応、えらい人なんだから、あんまり怒らせないほうがいいと思う。
そう、トニカが目線でマルテに訴える間に、ロザリンダがギルド長の後ろからトニカの近くに来て、彼女の肩に手を置いた。
「トニカ。あなたがそうしたいなら私たちは否定しませんよ。本当に、あなたは少し楽しそうなことをしてみてもいいんじゃないか、と思っているのです」
「でも、あの」
トニカはひとつだけ気がかりなことがあった。
「好きなことをしていると、その、お金はもらえない、です」
マルテと過ごした間は、マルテの稼ぐお金と貯金だけで生活していた。
その生活に戻る、というのは、その間はお金がかせげないってことだ。
トニカの不安に、ギルド長は、大丈夫だ、と言った。
「ギルドの給金は一度もらっただろう? 一月分だけでも、普通の市民が暮らせる二倍ほどは金が手に入る。せっかく遊べる今のうちに、休まず金を貯めることもないだろう」
「それに、トニカ。困窮するほど切羽詰まった事態になる前にマルテがどうにかしますよ。そうでしょう?」
「当然だろう」
マルテがうなずき、ギルド長とロザリンダもトニカを安心させてくれる笑みを浮かべた。
「だから、好きな事をしてくるといい」
好きなこと、というのは、やっぱりよく分からないけど。
トニカは、安心していいよ、と言われているような気がして、うれしかった。
「えーと、よくわかりません、けど、わかりました」
それに、なにより。
「マルテ」
「なんだ」
「今日は、ミートソースパスタがいい」
マルテと、ずっと一緒にいられるのは、やっぱり一番、うれしい。
「分かった」
トニカが昨日は出来なかったおねだりをすると。
マルテは、昨日のことが嘘だったんじゃないかと思うくらい優しい顔で、小さく微笑んでくれた。