閑話:マルテの真実
トニカが、迎えは必要ないと言った日。
マルテは家のことを終わらせてから、ラストを呼び出した。
「おやおや、物騒な顔をしているな」
召喚に応えて現れた悪魔、ラストがこちらを見て言うのに、マルテは剣を腰に下げて対峙する。
それを見とがめたラストは、軽く首をかしげた。
「なんだ、こんな時間に剣を下げてるのか」
ラストは、赤い瞳を細めて女を蕩かす笑みを浮かべるが、当然そんなものはマルテには通じない。
笑みを向ける彼に対して、マルテはぼそりとつぶやく。
「―――封印された間抜けな悪魔、か。大悪魔イレイザーには相応しくない表現だ」
「事実だぜ? 何も間違っちゃいない。……いきなりどうした?」
「一つ、疑問に思うことがあってな」
ラストの問いかけに、マルテは剣の鞘に軽く手を触れた。
「お前が、間抜けだから封印されたのではなく、わざと腕輪に封印されていたんじゃないか、という、疑問だ」
マルテの問いかけにラストは妙なものを見る顔をして、軽く眉を上げた。
「なんでそう思う?」
「……お前が、あまりにも自由すぎるからだ」
マルテが、本当に最初に抱いた疑問はそれだった。
昔から不審には思っていたのだ。
ラストは封印されていた。
そしてマルテによって外に出れるようになった後も、確かに腕輪に縛られてはいたのだろう。
しかしこいつは、アーテアの街中くらいの範囲を自由に歩き回れた。
願いを口にする前から、そうだった。
力を奪われて封じられているにしては、行動範囲が広すぎる。
そして、さらにラストはこの前。
魔物や冒険者をまとめて眠らせるような高度な魔術を、指を鳴らすだけで行使した。
「わざと封印……されてたとして、俺にどんな得があるんだ?」
「そこまでは俺の知ったことじゃない……が、大悪魔イレイザーは、勇者に封じられた。伝承を信じるならば」
もし『封印されている状態』で、あれだけの力を自由に振るえるのなら。
人間側から見たら、ラストに対する封印の存在そのものが、まるで意味がないものだ。
たとえ、元の力に比べれば大したことのない力だったとしても、脅威的であることに違いがないからだ。
だから、ラストはわざと負けて封じられたか。
あるいは。
「お前は勇者と、何か取引をしたんじゃないのか?」
だが魔王ウェアウルフとの会話で、ラストはまるで勇者を恨んでいないように、マルテには感じられた。
自分を封じた相手だというのに。
さらにラストは、人が好きだと堂々と言う。
魔物に対して人に害を為すな、と言っていたと、魔王も言っていた。
ならばなぜ、勇者はラストを封じたのか。
「もしそうなら、お前の封印は」
だから、マルテは考えた。
ウェアウルフとの対峙で、それは確信に変わっている。
「最初から施されていないか、……本当はもう、封印が解けているんじゃないのか?」
強大な力を、ラストがやすやすと振るえる理由は、それしか思いつかなかった。
そんなマルテの言葉に。
しかし赤い目の悪魔は、おどけるように肩をすくめた。
「……どうだろうな?」
「ごまかすな」
悪魔は、嘘はつけない。
それは本当なのだろう。
だが、真実を語らないことや言い回しでごまかすことは、出来るのだ。
だからこそ、マルテは気づいた。
ラストが、封印に対して言及する時。
ある時期から、過去形で喋っていたことに。
封印『されていた』と。
それは、トニカとマルテが、共に暮らし始めた頃から。
ラストの言葉は、変わっていたのだ。
「一つ願いを叶えるだけで解ける封印。しかも叶ったかどうかはお前の裁量しだいなら。……勝手な判断で、封印を解くのも可能だろう」
そう。
マルテの願いは、既に叶ったと。
そう判断した可能性が、この悪魔にはありえる。
「答えろ、ラスト」
マルテの糾弾に。
ラストは、大きく息を吐いた。
「仕方のない奴だ。……ああ、封印は解けている。とっくにな」
嘘がつけないラストの、諦めたような返答に。
マルテは、絶望した。
認めたくない、という気持ちが、マルテを叫ばせた。
「何故だ!」
マルテの願いが。
トニカが幸せになるという、願いが、叶っているなどと。
到底、許容出来るはずもない。
しかし、ラストは。
「何故、だと? マルテ。その答えは君自身も知っているはずだ」
ラストは片手をポケットから出すと、指をくるくると回して。
色を暗く深め、静かに言った。
「……トニカがなぜ幸せなのか。その事実から目をそらしているのは、君のほうだ」
「……!」
ラストの反論に、マルテは震えた。
気づいている、と言われるまでもなく。
心当たりくらいはある。
トニカが、マルテと共に暮らし続けたいと思っていることを。
彼女がそれを、幸福と感じていることも。
気づいていないはずがなかった。
「それならば、何故……今もお前はここにいる」
マルテはそれでも認めたくない事実に対して。
無意味と分かりながらも、言いつのる。
ラストの話が真実なら、マルテはここを去れない。
今の生活がトニカの幸せだというのなら。
トニカが今後、マルテが消えたことを不幸に思っても。
もう……悪魔への願いは、トニカを救わないのだ。
「マルテ。俺は人間が好きなんだよ」
ラストは、言うことを聞かない子どもに言い聞かせるように。
マルテに対して一歩、足を踏み出した。
「君の願いとは別に、君とトニカに幸せになって欲しいと、俺は思っている。だからそれを助けるために、ここにいる」
「どの口が……ッ!」
その言葉に、マルテは完全に頭に血が上り。
気づけばラストの胸ぐらを掴み上げて、怒鳴っていた。
「絶対に、この地を去らなければならない理由を作ったのは……!」
魔王とマルテが、対峙しなければならない理由を作ったのは。
「お前だろうが、この、腐れ悪魔が! ふざけるなよ!」
……そう、マルテが怒鳴ったところに、トニカが帰ってきた。
※※※
トニカと話し、部屋を後にして。
集合住宅の外に出たマルテの目に、壁にもたれるラストの姿が見えた。
まるでマルテが出て来ることが分かっていたように、ラストがため息を吐いて。
トニカがいる部屋を見上げて、ぽつりとつぶやく。
「あんなことしたら、嫌われるぜ?」
「……好都合だ」
マルテは、力なく吐き捨てた。
2年だ。
トニカと一緒にいるのは、最初の約束通り、2年の間だけ。
魔王と対峙しなければならなくなった日から。
マルテは考え続けて、そう決意を固めていた。
揺らいだのは、トニカを幸せにするというラストへの願いが、マルテが去った後の彼女を守らないと知ったせいだ。
マルテはラストを放っておいて、自分たちの住んでいる部屋の窓がある辺りに足を運ぶ。
視線を地面に生えた草に走らせると、探し物はすぐに見つかった。
茶色の宝玉をつけた編み輪。
拾い上げて、トニカの嬉しそうな顔を思い返して。
マルテは、拾い上げた編輪を手の中に握り込んで、ひたいに押し当てた。
「……トニカ」
トニカのプレゼントを、窓の外に叩き落としたのはわざとだった。
濃い下生えが、窓の下辺りにあったのは知っていた。
壊さないように、そこ狙って叩き落とした。
トニカの呆然とした顔が思い出されて、マルテは奥歯を噛みしめる。
あんな顔を見たくはなかった。
それでも、やらなければならなかった。
マルテは編み輪をひたいから離すとポケットの中に入れて、ラストを連れてその場を後にした。
向かった先は、人気のない裏路地。
「俺は、こんな願いの叶え方を……望んだわけじゃない」
ついてきたラストに背を向けたまま立ち止まったその場所は。
マルテが初めて、トニカと出会った場所だった。
背後で答えたラストの声は、どこまでも静かだった。
「いいや、お前は望んだんだ。だから、俺が叶えた」
マルテは振り向いて、ラストを睨みつける。
ラストは、いつもの笑みを浮かべて、言葉の毒を吐く。
「……トニカを自分のものにしたい、と、お前の魂が望んでいたからだ」
「お前が、それを出来なくしたんだろうが!」
マルテは、ついに本心を叫んだ。
望んでいたのだろう。
自分の親に絶望していたマルテは、同じ血が流れる自分の人生もこんなものだと、人と関わるのは必要最小限でいいと諦めていた。
それを、年下の少女と、たった一度目と言葉を交わしただけで、覆された。
最初に声をかけた悪魔の思惑通りに、願いを口にして。
同じ悪魔に、さらなる絶望を味わわされている。
「魔王と対峙するんだぞ! 分かっているのか!」
あれほど強大な魔物と再び対峙して、生きて戻れる保証などどこにもない。
それでもし、マルテが死ねば。
トニカは、どうなる。
「勝てるさ。俺も行くんだ」
「お前の言葉が……!」
「信用できるさ。君は勇者の血を引いている。そして、あいつに似ている。お前が、後継者だ。だから俺は目覚めた」
人を救う使命、など。
マルテは信じてはいなかった。
魔王は何度でも勇者に倒されるが、新しい魔王は尽きることなく現れる。
目の前のラストだって、元は魔王だったのだ。
だが、救わねばならない状況へ、持っていかれた。
トニカを平和に暮らさせるためには、マルテが、ラストと共に、魔王ウェアウルフを倒さなければならない。
「悪魔は嘘をつかない。契約があってもなくても関係はない。俺たちは、魔王に勝てる」
「お前は……」
マルテは力なくうなだれた。
「どこまでも、俺を、宿命から逃がさないのか……」
※※※
ラストと出会ったきっかけは。
まだ冒険者に成り立ての頃、幸運のお守りだと騙されて売り付けられた、古ぼけた銀の腕輪だった。
嵌めてみた途端、目の前に現れたのがラストだった。
『おお、ついに勇者の末裔が現れたか。仲良くしようぜ』
ニヤニヤと言うラストは、願いを口にして俺を解放しろ、と言った。
マルテはそれをを拒絶した。
『消えろ!』
『残念、聞けない願いだ。他の願いにしてくれ』
『願いなど、それ以外にない!』
その頃、マルテはまだ青かった。
勇者の血を引くと言われる公爵家に生まれ。
親に言われるがままに、腕を磨いて知識を蓄えた。
だが、貴族社会の腐敗や腹の探り合いに嫌気が差した。
英雄であり、ギルドでのしあがった元・冒険者であるカルテルの家に入り浸っては、親に反発する日々。
それでも、社交の場や貴族学校では逸材・勇者の再来などとと呼ばれ。
次男坊で家を継ぐ必要もなかったから、他家からの引く手は多かった。
だが、自分に嫉妬する兄や、溺愛する母、金と色にしか興味のない父など。
貴族そのものに愛想を尽かしていたマルテは、出奔した。
冒険者となり、騙された事もある。死にかけた事もある。
逸材などと呼ばれても、所詮自分は若輩だと思い知らされ、それでも家に戻るつもりはなかった。
少しずつ、ラストの茶々を聞いたり他の連中を盗み見たりして冒険者のやり方を覚えて、貧相な食事や生活にも慣れ、いっぱしに暮らせるようになった。
これで良い、と思っていた。
だが、ラストは言った。
『一緒に魔王を倒そうぜ、勇者の末裔殿。俺と組めば、魔王ウェアウルフくらい、余裕で降せるぜ?』
冗談じゃない、とマルテは思った。
貴族が嫌で冒険者になったのだ。
今更奴らの権益に利するような勲功など、立てる気すら起こらなかった。
なのに。
マルテは悪魔の思惑通りに願いを口にした。
そして。
※※※
『トニカを幸せにする』……マルテの願ったことを、あろうことかこの悪魔はマルテ自身を巻き込む形で叶えた。
悪魔に、期待などするべきじゃなかった、と思いながら。
「……トニカを、不幸にするわけにはいかない」
怨嗟にも似た決意に、ラストは教えさとすように言う。
「だから言っているだろう? 勝てば……」
「俺の願いを叶えろ、悪魔!」
マルテは、持ちうる限りの殺気を込めて、悪魔を睨み付ける。
拒否すれば、斬り捨てることすら厭わない覚悟で、腰だめに剣を構えた。
意思を翻す気は無かった。
再び、願いを叶えさせる。
「……何を叶える?」
「トニカが、俺がいなくとも幸福に、暮らせる手段を」
今度こそ、望むように、願いを。
ラストは首を横に振った。
「願い事は一回だけだ」
「だったら新たに対価を払う。この魂を欲するのならくれてやる。……願いを、叶えろ。ラスト」
マルテの本気を読み取ったのだろう。
ラストは、大きく息を吐いた。
「分かったよ」
ラストが口にした手段と代償に、マルテは間髪いれずにうなずいた。
※※※
その日の夜。
食事もせず、会話もないまま、ベッドに入ったマルテと同様、トニカは眠れないようだった。
横になり、目をつむっただけの背中で、トニカが身を起こしたのが分かる。
彼女は泣いていた。
泣かせたのは、自分だ。
だが、このままでは、ダメなのだ。
抱きしめて、謝りたい気持ちを。
今すぐにでも、嬉しかったと。
ーーーどんなものより、お前が大切だ、と。
言いたい気持ちを、頭の下に敷いた拳に、手のひらを突き破るくらいに握り潰して押さえ込み。
マルテは、トニカの泣く声を聞いていた。
この手で守ると。
共に暮らそうと。
俺の旅についてくるか、と。
あるいは、このまま一緒に暮らそう、と。
―――そう言えたら、どれだけ良いだろう。
だが、無理なのだ。
マルテがこの先、対峙するのは魔王で。
天地を揺るがす相手に対して、こっちはラストと二人きり。
大悪魔イレイザーは、生き残るかもしれない。
しかしマルテが生き残れるかどうかなど、分かるはずもないのだ。
だから。
今聞いている静かな泣き声に。
自分が感じる、引き裂かれそうな痛みが。
トニカに、マルテを頼らせてしまったことに対する罰だと、彼は自分に何度も言い聞かせた。




