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このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
第2話『歌姫に穏やかな愛を』
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④ギルドの面接


 トニカがマルテと暮らし始めて、一年が経った。


 聖夜も、新年も。

 マルテとともに祝えたことが、トニカには新鮮だった。


 前の新年は病院で迎えたし。

 男たちの所にいた時は、祝いの日なんて忙しいだけだった。


 だから余計に、二人で祝えたことがうれしかった。


 トニカは今の生活に慣れて、昼間なら一人で出歩く事も出来るようになったし。

 マルテはたまに魔物を狩りに行っては、夕飯にはちゃんと帰ってくる。


 月日が過ぎた分、トニカの髪も肩口を超える辺りまで伸びていた。


 でも、そんなおだやかな生活は。

 ある日、テーブルに差し向かいでトニカを座らせたマルテの一言で。


 あっけなく、崩れ去った。




「……し、仕事?」




 マルテの言葉に。

 トニカは、口もとを引きつらせた。


「そうだ」


 マルテが重々しくうなずくので、トニカは両手を膝に置いたまま、視線をそらす。


 聞きたくないなぁ、って。

 でも、マルテは当たり前のように話を続けた。


「ここの冒険者ギルド長に何度か依頼を受けた話はしたな。昔なじみなんだ。そのギルド長が、今、ギルドの受付を募集していると言っている」


 ギルドの受付。

 トニカは、視線を部屋の中へうろうろさせた。


 受付って、自分が、いつも買う店のおっちゃんおばちゃんみたいに?

 笑顔でお客の相手をする姿が、トニカにはまったく想像できなくて、ちょっとごまかし気味に笑みを浮かべる。


「えっと。まだ早いんじゃない、かなー……?」

「トニカ」

「な、なに?」

「ここに住み始めて、どのくらい経った」


 マルテの言葉は、厳しくはないけど、反論させまいとする迫力がこもっていた。

 それでも、そろそろとトニカは反論する。


「ま、まだ一年ちょっとくらい……かなぁ」

「もう、一年以上、だ」


 トニカは足の間に手を挟んで、身を縮こまらせた。


 いやだなぁ、と思う。

 ……新しいことは、ちょっと苦手だから。


 化粧も、新生活も、読み書きだって。


 慣れるまで、お腹が痛くなることがしょっちゅうだった。

 マルテに、そんな事言わないけど。


 それも、マルテのため、って思ったり、マルテと二人だから頑張れた。

 でも、仕事をしに行くなら、今度は一人だ。


 一人で、新しいことをするのは……怖い。


「読み書き算盤(そろばん)は、もうきっちり出来るだろう」


 でも、どうにか逃げようとしているトニカの気持ちなんか、マルテはお見通しみたいで。

 ため息を吐いてから、トントンと指先で机を叩く。


「俺との二年の契約が終わった時、仕事がなくてどうするつもりだ」

「う……」


 それはトニカが、一番、考えないようにしていることなのに。

 マルテは、後一年経たないうちに、また旅に出る。


 そこからは、一人で暮らさなきゃいけない。


 ずっと一緒にいて欲しいな、って、トニカは思っているのに。

 彼は、そう思ってくれてないみたいだった。


「仕事をしなければ、金は手に入らない。そのために、色々なことを教えた」


 マルテの言うとおり。

 トニカは、文章も書けるし、家計簿ももうしっかり読めるし、付けられる。


 ほとんど間違うことはなくなった。


 収入は、たまにマルテが狩ってくる、魔物を換金したお金。

 貯金はトニカがマルテに半分貰ったお金の、部屋代二年分を払った後の残り。


 そこから、三日に一度。

 マルテに支払う分の銀貨5枚を寝室の箱に入れていき、食事代やその他の代金を引き算して。


 そうやって家計簿をつける内に、トニカは気づいていた。


 当たり前の事だけど、貯金は着々と減ってる。

 マルテの収入は、街の近くに出る弱い魔物をたまに狩っているだけなので、人二人が生活できるほどの額じゃない。


 毎日行けば違うのかもしれないけど、最近は魔物自体が、このあたりから減ってるみたいで。


 なんで? ってトニカが聞いても。

 マルテは、さぁな、としか言わない。


 もっと遠くまで行ければ……たとえば、アーテアの街の先へ。

 開拓者の街の近くにでも行ければ、また事情は違うだろう。


 でもマルテは、きちんと毎日帰ってきてくれる。


 そのことに、文句なんかない。

 そもそもマルテには本来、お金を入れる必要すらない。


 狩りに出るのは、腕を鈍らせない為と言ってたけど。

 お金を家に入れてくれるのは、完全に彼の好意でしかない。


「仕事……かぁ……」


 いつかは、しなきゃいけないと知っていた。


 でも、今の生活があまりに心地よくて。

 トニカは、尻込みしてしまう。


 だって、仕事を覚えたら。

 きっとマルテは、そのままいなくなってしまうから。


 トニカが仕事を覚えなければ、もしかしたら。

 契約が終わっても、ずっと、一緒にいてくれるんじゃないかって。


「どうしても、しなきゃ、ダメ……だよね」


 それは、トニカの期待と、最期の抵抗だった。


 マルテを見ながら、言った。

 でも彼は。


 ぐ、と顎に力を込めはしたけど、首を横には、振ってくれなかった。


「……ズルズルと後回しにすれば、この先、余計に辛くなるぞ」


 慣れなければ、と、マルテは譲らなかった。


 仕方がない事だった。

 トニカがそれを、どれだけ寂しいと思って、先延ばしにしたくても。


「……分かった」


 マルテの言うことを聞く、という約束は、ずっと守っている。


 トニカは久しぶりに、怖い、という気持ちが強くなりすぎて、視界が歪んだ。


 新しい事をするのは、怖い。

 マルテがいなくなるのも―――怖い。


 その日の夕飯は、あんまり会話もなくて。

 いつも美味しいはずの食事が、すごく、味気なかった。


※※※


 その翌日。

 さっそくギルドへと面接に向かうトニカは、いつもと変わらない格好をしていた。


 マルテのくれた青いスカートの服に、いつもと変わらない化粧。

 髪もくくれるほど長くないから、梳いただけ。


 アーテアの街は、一番通り……レンガ敷きの真っ直ぐな道が、真ん中を伸びている。

 その左右に石畳の敷きの二番通りと三番通りがそれぞれに伸びていた。


 脇道は、真ん中辺り以外は基本、ならしただけの土がむき出しの道だ。


 北と南の門から一番遠い真ん中辺りには、神様を祀る聖協会とか、金持ちが住むところとか、お役所の偉い人がいるところが集まっている。


 市が立つ二番通りや三番通りに近いあたりから、普通の人が住んでいるところや宿屋、救護院なんかがあって。

 

 中央から遠い壁の近くに行けば行くほど、治安が悪くなる。

 トニカの住んでいたスラムは、南の端っこの方だ。


 冒険者ギルド、というのは、二番通りをまっすぐ向かった、露天市が立つ辺りからもう少し、中央近くにあった。

 トニカたちの住む集合住宅よりも大きい、立派な石造りの建物だ。


「うわぁ……」


 見上げて尻込みしていたトニカの手を引いて裏に回ったマルテは、裏口を守っている人に声をかけた。


「マルテ・ベルトラーニだ。カステル冒険者ギルド長と面会の約束をしている」


 警備の人は生真面目にうなずき、中に確認を取ると、鍵を外してトニカたちを中に入れた。

 案内の人についていきながらきれいに掃除された階段を上がると、案内の人は階段の横に立って動かなくなってしまう。


 マルテはさっさと先に進み、大きな両開きのドアにあるノッカーを、コンコン、と叩いた。


「入れ」


 中から聞こえた低く深みのある声に、マルテが気負いもせずにドアを開けて、トニカの背中を押した。


 部屋に入って真っ先に目に見えたのは、巻物や羊皮紙の山だった。

 緊張しながら周りを見ると、戸棚には背表紙のある分厚い本が並んでいて、床の上にまで本が積まれている。


 足元に赤い絨毯がしきつめられていて、足がふわふわと浮きそうだった。


 最初に見えた羊皮紙や巻物の山は、執務机の上に置かれている。

 整理されてるけど、向こう側に座っている人の頭しか見えなかった。


 あの人が、ギルド長っていう偉い人なんだろうか。

 撫でつけられた、銀色の綺麗な髪だ。


「来たぞ」


 偉い人に対しても、いつもどおりに無愛想なマルテが、ボソッと言う。


 ―――そ、そんな言い方でいいの!?


 声も出せなくてあわてるトニカの前で、銀髪の頭が動いて、その人物が立ち上がった。


 渋いおじさん。

 というのが、トニカの最初の印象だった。


 若い頃は甘いマスクの美青年だっただろうと思わせる、彫りの深い顔立ち。

 目じりや口もとのシワまで、計算されたように渋さを感じさせる。


 銀髪は丁寧に撫でつけられているが、数本、ほつれたようにおでこに垂れ下がっていて。

 微笑みと合わせて、かっちりし過ぎていない印象を感じる。


 正装、というか、上下がきちんと揃った紺の衣服を身につけていた。

 ステッキとハットが似合いそうな服装だ。


 実際、似合うに違いない、とトニカは思った。


 同時に、男の人だ、とトニカは緊張していた。

 あの盗賊団での暮らしから、一年以上も立っているのに。


 ……マルテ以外の男の人は、いまだに、ちょっと怖い。


「その子が?」


 隙のない、ゆったりとした動きで執務机の前に出たおじさんは。

 ドアの前で聞いたのと同じ声で、マルテに問いかけた。


「そうだ」


 問いかけに答えながら、マルテはトニカの肩に手を置いた。


「挨拶を。自分の名前は、自分で言うんだ」


 言われて、トニカはピン、と背筋を伸ばした。

 そしてマルテに教えられたとおりに、スカートの裾をつまんでヒザを曲げ、頭を下げる。


「トニカ・ルッソです……よ、よろしくお願いします……」


 緊張しすぎてどもってしまった。

 どうしよう、と思いながら頭を上げて、また、背筋を伸ばす。


 一応、教えられたとおりにできたトニカに、ギルド長のおじさんは目をまたたいた。

 そのまま、(せき)ばらいをしてから、彼女に話しかける。


「失礼、お嬢さん」

「は、はい!」

「少し待っていてくれるかい?」

「は、はい……」


 何かまずいことをしちゃったのかな。

 ドキドキしながら待っていると、ギルド長のおじさんはマルテに目を向けた。


「マルテ」

「何だ」


 ギルド長のおじさんは、不意に真剣な眼差しでマルテの無表情を見据えて。




「一体、こんな美しいお嬢さんをどこで射止めた」




「……え?」


 トニカは。

 思わず、間抜けな声を上げてしまった。

 

 しかしギルド長のおじさんは、真剣な目のまま、悔しげに顔を歪める。


「君は、気怠げでワイルドな美形だのと、私が美しさを認めて厳選した受付嬢らに騒がれても、ちっともなびかん奴だと思っていたが……」


 彼は、渋い雰囲気はそのままになんだか悪ガキっぽい感じが出ていた。

 

「まさか、こんな宝石を隠し持っていたとはな。自慢か? 自慢しに来たんだな?」

「アホか」


 あくまでも、渋く、真剣に。

 しかしギルド長の口にしているその内容は、スラムの男たちと大差ない、残念なもので。


 マルテが、呆れた声で切って捨てた。


「受付嬢を募集してると言ったのはあんただろうが」

「む。ギルド長に向かってその口の聞き方はなにかね?」

「女の前で気取るのは相変わらずか……」


 見上げたマルテが、どこかうんざりとしている。

 昔なじみとは聞いていたが、マルテはずいぶん気安げだった。


「本題に入れ。これ以上あんたの残念さを露呈するな」


 まぁ、いずれバレる事だが、と付け加えるマルテに、ギルド長はさらに首を横に振る。


「父に対する尊敬の念もないと来た。まったく、嘆かわしい」

「ち、ちち!?」


 ギルド長は、マルテの血縁なのか、と思って見上げると。


「……こいつの子どもが、昔の知り合いなんだ。父親じゃない」


 マルテが、射殺しそうな目でギルド長のおじさんを睨みつけていた。


「嫌がらせをしていないで、さっさと本題に入れ」

「あの腐れ親父のところから散々逃げては、うちの世話になっていたくせに」


 マルテがジリ、と一歩足を踏み出すと、ギルド長が両手を上げた。


「わかったわかった。トニカ嬢」

「はひ!」


 急に呼びかけられて、トニカが裏返った声を出すと。


「採用」

「はい! え?」


 ギルド長のおじさんは、渋い笑みをトニカに向けて、歓迎するように両手を広げた。


「普段の受付嬢の採用には、容姿のほかに仕事が出来るかどうかも非常に大事だ。が、マルテの紹介に限って無能は寄越さんだろう。美人で有能、それこそ最高。つまり採用だ」


 以上、とくるりと背を向けたギルド長のおじさんは、執務机で山になった書類を一つ手に取りながら席についた。

 また、頭しか見えなくなって、トニカはどうしたらいいかわからなくてマルテを見上げる。


「あ、の?」

「ああ、トニカ嬢」


  目を向けると、座ったギルド長のおじさんが、ヒラヒラと頭の上で手を振っていた。


「休み時間にでも少し話そう。業務内容は下の受付にいる子たちに習ってくれたまえ。案内は付ける」


 手を下げた彼が、チリンチリン、とベルを鳴らす。


「……こんなので、いいの?」


 こそっとマルテにたずねると、マルテは平然とうなずいた。


「ギルド長は、公私混同はほとんどしない。採用の際に美人であるという条件を付けるだけだ。昼休みは二人きりにならないように気をつけろ。口説かれはしないが、女にはしつこいからな」

「聞こえているぞ」


 ギルド長のおじさんの声に、マルテは小バカにしたような笑みを浮かべた。


「聞こえるように言ったんだ。手は出すなよ」


 そんなマルテを見るのは初めてで、知らない顔にトニカはとまどった。


 マルテって、そんな顔もするんだ、って。

 でも、ギルド長のおじさんは気にもしていなかった。


「紳士に向かって何を言う。もちろん弁えているとも」


 それからすぐに、両開きのドアから、今度は柔らかな美貌の女性が現れた。

 

 金髪碧眼、おっとりとした顔立ちでメリハリの効いた体を、ギルド長のおじさんと似たような服に包んでいる。

 でもズボンじゃなくて、膝丈のスカートをはいていた。


 すっごくきれいな人だ。

 年は、マルテよりも上に見えるけど、それでもきれいな事に変わりはない。


「お呼びですか、ギルド長」

「副ギルド長のロザリンダだ。彼女に話を聞いてくれ。ロザリンダ、この子がマルテの言っていた子だ」

「ああ、新人の……」


 ギルド長の言葉にうなずいたロザリンダは、トニカに対して微笑んだ。


「よろしくお願いしますね。ギルド長が外見と仕事に厳しいので、ギルドは人手不足で。リンダとお呼びください」


 年上の女性に丁寧な口調で言われ、トニカはギルド長に対するのとは別の意味で緊張した。

 でも、どうにかうなずいた。

 

「はい。よ、よろしくお願いします、リンダさん」

「では、案内します」


 ロザリンダは、マルテを見た。


「預かるわね」

「ああ」


 マルテは、ロザリンダにも気安げにうなずく。


 ……この人とも知り合い?

 と、なぜかもやっとしたトニカの視線に気づいたのか、マルテが妙な顔をした。


「なんだ? ……言っておくが、ロザリンダさんはそこのギルド長の嫁だぞ。俺の友人の母親だ」

「!?」


 マルテの友だちのお母さん!?

 ロザリンダの美貌をもう一度まじまじと見る、が、どう見てもそんな歳には見えない。


 おどろくトニカをよそに、マルテはロザリンダにうなずきかけた。


「あの女好きがトニカに手を出さないように見張っててくれ」

「もちろん」


 ロザリンダが笑顔でうけおい、マルテがトニカの頭をなでた。


「また、仕事終わりに迎えに来る」

「う、うん……」


 そうして出て行こうとするトニカたちに、ギルド長のおじさんがうめいた。


「見せつけおって……」

「ギルド長?」

「仕事してろ」


 ロザリンダとマルテが、ギルド長にそれぞれに言う。

 

 ……えらい人なのに、軽い人だなぁ。

 それが、トニカがギルド長に抱いた素直な感想だった。


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