表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このキスで、さよならを。  作者: メアリー=ドゥ
第2話『歌姫に穏やかな愛を』
11/44

③マルテのお出かけ、トニカの鼻歌


「少し出てくる」


 夏も近づいたある日のこと。


 洗濯するから着替えて、というトニカの言葉を受けて寝室に入っていったマルテが、旅支度をして出てきた。

 最初に持っていた大きな皮袋と、腰には剣まで下げている。


「え……?」


 今日もいい天気だなー、と思いながら、気持ちいい風に誘われて窓際にいたトニカは。


 マルテの格好を見て。

 自分の顔から、サーッと血の気が引くのを感じた。


 旅支度。

 それも最初に着ていた、ボロだけど頑丈そうな服を着て。


 ーーーで、出て行くの?


 トニカは混乱した。


 なんで?

 アタシ、何か悪いことした?


 泣きそうになりながら、マルテに対して震える声で呼びかける。


「マ、マルテ……?」

「どうした?」


 彼の声のトーンは普段と変わらない。


 なんで?

 出て行っちゃやだ! 


 と、思いながらトニカは走って、彼に抱きついた。

 

「トニカ?」


 ゴワゴワした皮の服の感触で、マルテの体は一回り大きくなったみたいだった。


 体温も何も感じなくて。

 距離が遠ざかったみたいに思って。


 トニカは、あったかいはずなのに寒気を感じて、歯を鳴らした。


「ごごご、ごめんなさい!」

「……なんで謝るんだ」


 トニカは舌を噛みそうになりながら。

 うるんだ目のせいでゆがんでいる、マルテの顔を見上げる。


 かすかに眉根を寄せて、首を曲げてこちらを見下ろすマルテに。

 何か言わなきゃ、言わなきゃ、という気持ちだけが焦る。


「ああ、アタシ何か悪いことしたんでしょ!?」

「……?」

「ま、まだ寝てたかった!? 起こしちゃったから!? それとも、き、着替えろって言ったから!?」

「……トニカ。落ち着け」


 肩に手をかけて、トニカを離そうとするマルテに、慌ててまた力を込めてしがみつく。

 ぎゅっと体に手を回して、マルテの胸元に顔を埋めた。


「おい」

「ああ、謝るから! だ、だから出て行っちゃ、やだ!」


 そんなトニカを引き剥がすのを諦めたのか、マルテの手が肩から外れて、大きなため息が聞こえた。


「トニカ」

「ごご、ご飯も頑張って作るから! マルテが嫌になるようなことしないように頑張るから!」

「落ち着け」

「こ、こないだダメって言ったのは、お、乙女の日だったからなの!」

「分かってる。……出ていかないぞ。夕方には戻る」

「それに、そそ、それに……え?」


 ーーー夕方には、戻る?


 トニカが、バッと顔を上げると、マルテは呆れた顔になっていた。


「ただの小遣い稼ぎだ。街の近くに小型の魔物が大量発生しているらしくてな。ギルド長から応援を頼まれたんだ」

「出て……行かない……?」


 呆然とつぶやくと、マルテはあっさりうなずいた。


「契約期間はまだ残ってる。金も残したままだ」


 言われて、開けっ放しの寝室に目を向けると。

 三日に一度、マルテを雇う銀貨5枚を入れるように、と寝室の隅にマルテが作った口の開かない大きな木箱がそのまま残っている。


「金は、少しでもあるほうが良い。遠くないから引き受けた」


 勘違い。

 早とちり。


 それに気づいて、トニカは一気に恥ずかしさがこみ上げた。


「あ……」

「顔が真っ赤だぞ」


 おかしさを堪えるように少し口元の緩んだマルテが、手布をポケットから取り出してトニカの顔を拭く。


「泣きそうな顔だ。いつからそんなに泣き虫になった」

「ぁう……」


 恥ずかしさと安心から、トニカはまたマルテの胸元に顔を埋める。

 マルテはポンポン、と頭を撫でた。


「一日、いないが。食料はまだあるだろう? 出来るだけ、外には出るな」


 最近になって、一人歩きも少しはさせて貰えるようになったが、マルテは彼女が外を出歩く時にはついていきたがる。


 心配してくれているのは分かるけど、ちょっと心配し過ぎじゃないかなぁ、とトニカは思っていた。

 元々は、スラムに住んでいたんだし。


 でも、もしかしてトニカがこんなんだから、マルテはついてきてくれてたのかもしれない。

 一緒に行くと言われると、嬉しかったし。


「マルテ……お金、ないの……?」


 恥ずかしさをまぎらわせるために、トニカはそう言った。

 最近、間違いはするけど家計簿をつけるのもトニカの仕事になっていた。


 マルテに確認はしてもらってるし、まだ、お金に余裕はあったと思う。

 そんな彼女の言葉に、マルテは苦笑したようだった。


「今ある金は、お前の金だ。減る量は少しでも少ない方がいい」

「き、気にしなくていいのに……」


 そのお金は、トニカの稼いだお金じゃない。

 マルテが、トニカに渡してくれたものだ。


 また肩に手をかけるマルテに、トニカは、今度は大人しく離れる。


「そこはお前のほうが気にしろ。心配しなくても大丈夫だ。夕食には間に合うようにする」

「う……うん」


 今までも、マルテが少し一人で出かける事はあったけど、今度は別の不安を覚えた。

 魔物と戦うのは、危ないことだ。


「心配するな。発生した魔物は、ランブル・キティだ。大した魔物じゃない」


 言われて、トニカは少し安心した。

 トニカでも木の棒を持てば追い払えるくらい弱いから、マルテなら大丈夫だと思った。


「きちんと戻ってくる。いい子で待っていろ」

「うん。でも、でも気をつけてね?」

「ああ。行ってくる」


 マルテはトニカにそう言い置いて出て行き。

 トニカはとりあえず洗濯物を干してから、掃除を始めた。


 弱い魔物の相手。

 でもマルテが街の外に出る事に、また少しだけ不安に感じた気持ちを、トニカは頭を横に振って追い払う。


 マルテは強い。

 そんな、魔物に負けて殺されるようなことはない、と自分に言い聞かせた。


 窓から吹いてくる柔らかい風と、きれいになっていく部屋に、気分が徐々に上向く。


 ーーーマルテ、疲れるだろうから、おいしいご飯作ろう!


 今ある食材で、何が出来るかな、と考えたトニカは、気づけば鼻歌を口ずさんでいた。

 最近、マルテに連れられて露天市に行くと、たまに吟遊詩人や大道芸人が歌っていたりする。


 その中でも有名でよく歌われるものを、聞いて覚えた。

『この愛は涙の川に』という題名だと、マルテが教えてくれた。


 ちょうど歌が終わった時に寝室の掃除を終えて、開けっ放しのドアを振り向いたトニカは。




 ビックリして、心臓が止まりそうになった。




「よう」


 いたずらに成功したかのような、人を小馬鹿にしたような笑みでトニカに声を掛けたのは。

 赤い目の美貌の悪魔だった。


「ら、ラスト?」

「他に誰に見えるんだ? んー、中々いい感じだ。俺は当然として、マルテも女を見る目があるな」


 腕を組んで顎を指で撫でながら、固まっていたトニカに近づいてきたラストは、彼女を眺め回す。


「肉付きも良くなったが、相変わらず胸がない。揉まれたらデカくなるってのはやっぱり嘘っぱちだな」

「なっ……!」


 思わず胸元を手でかくすトニカに、ラストは喉を鳴らす。


「怯えんなよ。別に俺はお前を襲う気はない。マルテのもんだからな」


 ラストの視線は、もう体ではなくトニカの顔に向けられていた。

 一体、何をしにきたのだろう。


「化粧もまともだ。俺の教えた通りに肌の手入れもしているようで、何よりだ」


 次にラストに腕をつかまれて、よく殴られていた肩を半袖をまくって勝手に見られる。


「体の青あざも消えたな。女に手をあげる奴は本当に救いがたい。女は愛でるもんだっつーんだよな」

「っ離せ!」


 腕を払うと、ラストは少し後ろに下がった。

 握られたところに、少し感触が残っていたので、トニカは手首をさすった。


 でも、やっぱりラストに対する怖さはない。


 悪魔だからなの?

 苛立ちを覚えながら睨みつけるトニカに、夏も近いというのに相変わらずコート姿のラストは、肩をすくめた。


「口の悪さは相変わらずか。しとやかにしろと言っただろう。もっとも、マルテの前では少し殊勝になったか。こないだは手なんか握って、見せつけてくれたしな」


 トニカは、耳が熱を持つのを感じた。

 朝から頭に血が上りすぎて、のぼせそう、と思う。


「もう! この覗き野郎!」

「街中で堂々と手をつないでおいて覗きとはひどい。これでも寝室を見たりはしない」

「いちいち言わなくていいんだよっ!」


 なんで、こんなに恥ずかしい思いをさせられなくちゃいけないのか。

 最近すっかりラストの姿を見ないせいで、マルテが悪魔憑きだという事を忘れていた。


 意地の悪い、ずけずけとモノを言う悪魔なんかに会いたくないのに。

 全身で拒否を示していると、ラストは大げさなくらいに嘆いてみせた。


「悲しいねぇ。こんなに君たちのために尽力してる俺に対して、君たちは扱いがひどすぎる」

「嫌がられたくなかったら、出て来なければいいのに」

「そういうわけにもいかないから、出てきたんだと気づいてほしいね」


 ラストは、ベッドの横のサイドテーブルに近づくと、皮袋に入れて置いてある化粧品を勝手に残らず取り出した。

 トニカはラストに噛みつく。


「出てこないって約束だっただろ!」

「違うな。必要な時は出てくる、という約束だ」


 この悪魔には口では勝てないんじゃないだろうか、とトニカは思った。

 嘘はたしかにつかないが、まぎらわしいモノの言い方で煙にまいてくるのだ。


「化粧品、そろそろなくなるものも出てくるだろう。買い足せ、と言いに来たのさ」


 ラストは、トニカが居間の棚に収めていたはずの巻物と羽ペンをポケットから取り出して、さらさらと何かを書き付ける。


「買った化粧品店と、足りないものだ。店に行って、これを見せれば揃えてくれる。字の読み書きはできるようになったんだろう? 分からなければマルテに見てもらえ」


 書き終えたラストは、丁寧に巻物を巻いてトニカに向かって差し出した。

 トニカは受け取らずに、ラストをにらみ続ける。


「粗悪品やこれ以外のものを使うなよ。肌にシワが出来るからな」


 ラストの重ねた言葉に、トニカは息を吐いた。


 それが、必要なのは事実だった。

 マルテのために、なるべくきれいにしていようと思うトニカは、道具が目減りしているからどうしよう、とたしかに思っていた。


 化粧品を買う場所なんか、分からなかったから。

 マルテだって、そんなことはさすがに知らないと思う。


「……ありがと」

「そうそう、素直が一番だ」


 トニカがしぶしぶ礼を言いながら巻物を受け取ると、ラストは満足げにうなずいた。


「それはそうと、さっきの歌はなんだ? 思わず聞き惚れてしまったが」

「有名な歌だろ」


 鼻歌まで聞かれていたらしい。

 歌なんか、誰にも聞かせた事がないのに。


「君は本当に俺を驚かせてくれる。そうか、そうか」


 よく意味の分からない納得の仕方をして、ラストはトニカに背を向けた。


「ああ、一つ不安を取り除いておこう。マルテは、別に心配はいらない。俺という悪魔の加護があるからな」

「……逆に一気に不安になってきた」

「本当にひどい事を言う。これでも力の強い悪魔だぞ。マルテが死んだら次の主人を探さなきゃならんし、死なせるような真似はしない」

「封印された間抜けじゃないか」

「封印くらいしかできなかったのさ。だから、マルテに解放されたことに感謝している」


 ひらひらと手を振って、ラストは姿を消した。


 親切なのは良いけど、とトニカはラストの消えたドアを見て思った。

 なんでラストは、そこまでやってくれるんだろう、という疑問は消えないままだった。

 

※※※


 その日の夜。

 無事に帰ってきたマルテにラストの事を言うと、マルテはいぶかしげな顔をした。


 夕飯は、オニオンドレッシングのサラダと、焼いたチキン、それにパンとミネストローネ。

 昼過ぎから仕込み始めた自分なりに腕を振るった食事を、マルテはおいしいと言って食べてくれた。


 嬉しいと思ったけど、切り出さなきゃいけないことが引っかかっているトニカに。


「何かあったのか?」


 と、マルテが問いかけて来た。

 彼は、ちゃんとトニカを見てくれる。


 生活に慣れても、トニカの変化をちゃんと察してくれる。

 トニカはマルテに昼間にあったことを話した。


 ラストの話題は、前にマルテが不機嫌になって怖かったけど、トニカはちゃんと話した。


「ラストが、か」

「うん……それでさ」


 言いにくい話をしたが、マルテは戸惑いながらも今日は怒らなかった。

 ホッとしたついでに、そのままトニカは要件も一緒に伝える。


「だからその、化粧品を……買いに行きたいんだけど」


 自分の用事、というものが、今までのトニカにはなくて。

 どう言われるだろう、とドキドキしていたけど、ラストに渡された巻物を渡すと、マルテは目を通してあっけないくらい簡単にうなずいてくれた。


「分かった」

「……いいの?」

「お前のしたいようにすればいい。俺は、ベッドで見るすっぴんのお前も好きだが」

「……バカ」


 恥ずかしくなってうつむくトニカに、マルテは軽く笑った。

 

「明日連れて行ってやる。場所は分かるからな。さ、片付けて湯屋へ行こう」

「うん」


 それから、埃まみれのマルテと共に一週間ぶりの湯屋へ行った後。

 ベッドに入り、ランタンの灯りを消すマルテの横顔が、何か気になることを考えている顔をしていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ