第五十九話『旧家の闇、そして――』
59.
染め上げられた空は夕焼けのようで、何か既視感を抱かせるものだった。
まさか、本気でハナがこんなことをできるだなんて、思ってもみなくて。
次の瞬間、広がった衝撃が逆方向へ一気に引き寄せられる。
つまり、その紅い光の中心の方へ吸い込まれるように。
それが何を意味するのか、直後に理解した。
アヤとカナタを引き寄せて抱きしめる。
絶対に手放さないように。
周囲の壁と言う壁を感じられなくなり、そもそも建物の中である感覚が一気に失せる。
すべて、熱気に包まれたようだった。
現実ではないようなふわふわとした浮遊感。
そして、周囲には何か青い、液体のようなものがどろりと地面に落ちた。
それは、ぼんやりと光っていて儚いような、物悲しさをもたらすような色味をしている。
半透明のそれの中には強い光があるようで、にじみ出る輝きでそれの中の光が移動していることがわかった。
ゆったりと全体をめぐるように動く光は、最後に紅い光の中心の方で止まり、一気に吸収されるように飛んで行った。
それが、一つや二つではない。
十、二十、三十、いや、百以上。
近くだけではなく結構離れた位置からも紅い光に向かってそれらが飛んでいく。
とても、美しくも寒々しい光景だった。
紅く、大きくて強い光に、青い液体をまとった光が集まっていく様は寒気を覚えるほどに、美しい。
なのに、何故だかとても悲しくて、寂しくて、涙がこぼれ落ちた。
手の中に在るほのかなぬくもりを引き寄せて、抱きしめる。
アヤとカナタは戸惑うようにぼくの胸の中にうずもれた。
これは、人の魂だ。
人の、精神の液体、ってやつだ。
さっきの衝撃でこぼれ落ちて、アレに飲み込まれてしまったんだ。
アレがいったいなんなのか、もう考えるまでもなく応えは明白だった。
ヒノカグツチが、復活してしまう。
雷鳴のような、低い鳴き声が轟き、地面が震える。
青い光をどんどん吸い込んで、地面から外へ這い出るように形を成していくそれは、まるで恐竜か何かのようにも見えた。
いや、恐竜と言うよりはドラゴンか。
翼を持ち、長い首をした、トカゲのようでいて、それよりはずいぶん無骨で恐ろしい面持ちをした生き物。
明らかに現代には存在していない、不可思議な生き物だった。
それは白く美しい身体をしており、節々から炎が漏れ出す。
あぁ、そりゃ、こんなの産めば火傷を負って死んでしまうのも仕方がないだろう。
そうでなくとも、こんなやつには触れただけで火傷してしまう。
その大きさはここから結構離れた位置に見えるのにまったく小さく感じない、見上げなければならない大きさだった。
と言うことは10mはくだらない。
もっと大きいだろう。
あんなものが存在していていいのか?
あんな巨大なものがいたら歩くだけで森はなくなってしまう。
ましてやアイツは全身から炎を生み出し続けているのだ。
森が、どんどん焼けていく。
ただそこにいるだけで、害なすもの。
それがヒノカグツチだった。
「あんなの、どうするって言うんだ?あんなものを、利用できる?そんなわけ、ないだろ!」
「こー、どうするの?」
「ハナを止める」
「止めれると、思う?」
「止めれるか、じゃねぇんだよ、止めるんだよ!こんなふざけたことを、許せるか!?」
「許せないよね。それが、こーだもんね」
「当然だろ!」
「じゃあ、行こう」
「目を覚まさせてやる、あの、大バカを!」
こぶしを握り締め、2人を離して一度だけ、頭を撫でる。
「だから、それまで待っててくれ」
泣きそうな2人を見て、少しだけ胸が痛くなった。
「大丈夫だよ。必ず帰ってくる」
もう一度、ぽんと軽く叩いて、走り出す。
振り返らない。
決心を揺るがさないように。
止めるまで突っ走ってやろう。
意地っ張りで頑固な大バカハナをぶん殴って目を覚まさせてやるまでは。
走り出して、思う。
ホント、なんでこんな風になっちまったのかな。
どこで間違えたってんだろう?
どうしたら、よかったんだろうか。
もう、この修学旅行に来た時点でダメだったのか?
これはすべて、あいつらの計画のうち、なのか?
最初からこうするつもりで?
みんな、殺すつもりで来たのか?
たくさんの人を犠牲にして、あんなものをよみがえらせて力を見せるために?
そんな、悲しいことってあるのかよ。
ぼくらを殺したくはなかったのかもしれない。
だからこそ、結界を張ってくれたのだろうし。
キリが足止めにきたの、だろうし?
キリが、足止めに来た理由?
そうだよ、ハナは式であの部屋にもう一度結界を張っていたんだと思う。
それで、キリを使ってあそこに足止めして、この瞬間に外にいないようにした。
たくさんの人を生け贄にして、ヒノカグツチを復活させるために。
恐らく温泉街にいた客や旅館の人たちだけではなく、あの会長の山杜と言う男も、犠牲になっただろう。
もしかしたら、天霧家のヒョウたちも?
いや、さすがに彼らは対処くらいはするか。
ハナがやっていたくらいだし他の人に出来ないとは限らない。
なんにしろ、対処しなければ、生け贄になってしまうはずだったのだろう。
だってのに、何故ぼくはなんともないんだ?
まさか、これもアキラの言っていた人間竜穴だから?
この力って、いったいなんなんだよ?
わけがわからない。
ぼくやぼくが抱きしめていた2人が犠牲にならなかったのがこの力のおかげだとするとこの復活の儀ってやつは人間の精神だけを生け贄にするもの、なのか?
しかし、だとすれば何故ぼくは吸われなかったんだ?
ぼくにだって人間の精神はあるはず、じゃないのか?
また、ぼくの胸にずきりと痛みが走る。
旅行前に抱いていた、不安がもう一度よみがえってきた。
ぼくは、本当に人間なのか?
本当は人間の振りをしているだけの、別物なんじゃないかと言う不安に押しつぶされそうになる。
そんなことしている暇はないはずなのに、どんどんその感情が膨れ上がってしまって、足が動かなくなっていった。
やがて、立ち止まってしまう。
怖くてたまらなくなった。
ぼくはここにいてもいいのか?
こんなところで人間みたいに存在していいようなものなのか?
アヤやアキラたちと、一緒にいてもいいのか?
危ないんじゃないだろうか。
ぼくが何ものかわからない以上、何をするかもわからない。
もしかしたら暴走するかもしれない。
みんなに危害を加えてしまうかもしれない。
ぼくは、もしかしたらとんでもない化け物なんじゃ、ないだろうか?
それはあの、存在するだけで害なすものであるヒノカグツチのように。
そんな暇はないはずなのに、考え出すともう止まらなかった。
ハナを止めようだなんて、ぼくみたいな化け物が考えてしまっていいのか?
それはおこがましいのではないか?
そんなことよりぼくの方が消えた方がいいんじゃないか?
もう、死んでしまった方がみんなのためになるんじゃないか?
恐ろしいものはみんな嫌だろう。
――パァン
乾いた音が、鳴り響く。
カナタが、目の前にいた。
涙を目に溜め込んで、ぼくを見つめている。
その手はぼくの頬を打ちぬいたまま、止まっていた。
少し、震えているようだ。
涙がそのまま、こぼれ落ちる。
言葉はなかった。
けれど、想いは伝わっている。
口にするより明白に、伝わってきていた。
なんでカナタがぼくの考えていることがわかったのか、知らないけれど。
それでも、彼女はぼくに、前を向けと。
顔を上げろと。
そして、前に進めと。
そう、叱咤していた。
その綺麗な瞳に映る自分の顔を見て、気付いた。
なんて、死にそうな顔してるんだ、ぼくは。
そりゃ、わかるだろ、こんな顔してたら。
て言うか、ホントぼくはバカだ。
この目の前にいるカナタだって、つぼみだって人間じゃないじゃないか。
それでも、ぼくは家族だと思ったんだ。
大切だと、思ったんだ。何悩んでんだよ。
そんなの悩むようなことでもなかったんじゃねぇかよ。
「ホント、バカだよなぁ」
ため息を吐くようにこぼれ落ちたぼくの言葉にカナタはうなずいて、ぼくの手を取る。
そして、そのままヒノカグツチの方を指差した。
行こう、と。
ぼくは、少しだけ怖気付いて、怯んだけどそれも一瞬のことで、その手を頼りに、また、走り出す。
ここまでしてもらって、行かないわけにはいかないだろ。
ハナ、決着をつけよう。
お前の劣等感は、間違ってんだよ。
まだ、諦めるのは早いんだよ。
そんな化け物に頼らなくても、ぼくらを頼ればよかったんだ。
仲間とがんばって、何が悪い。
背中を押してもらって、何が悪い。
誰かに助けを求めることの、何が悪いってんだよ。
それに間違いなんてないんだ。
これは取り返しのつかないことだ。
けれど、お前にはまだ時間がある。
だから、償いながら、成長していけば、いいんだよ。
他の誰かに何を言われようが、ぼくが認めてやる。
アキラだって、お前が諦めないでがんばる気持ちを持っていれば、認めてくれるさ。
だから、ぼくらと一緒にがんばろう。
これから、始めればいいんだ。
もう一度、間違いを正していけば、それでいいんだ。
ヒノカグツチの下に、ハナはいた。
可憐な少女にしか見えないその姿はヒノカグツチの紅い火の光に照らされて、妖艶に煌めく。
「無事、でしたか」
「何故か、な」
「疑問はあります。あなたはボクの結界内から逃げ出したはずなのに、何故、と。けれど、もうそんなことはどうでもいいんです」
ハナはずいぶん堂々として見えた。
ヒノカグツチを復活させて自信を付けたのかもしれない。
ふと気付けば、ハナの足元には数人の男たちが倒れていた。
「あぁ、天霧の人たちですよ。死に急いでいたのか、ボクに襲い掛かってきてヒノカグツチに吸われました」
「なんで、そんなに冷静なんだよ!死んでるんだろ!?」
「えぇ、ボクが殺したんです。ボク自身の願いのために申し訳ないとは思いますけど、仕方がないんです」
「仕方がない?何が仕方がないってんだよ」
「どの道ヒノカグツチは復活してしまう手はずだったんです。
それが少し早まっただけ。
ボクが完成させなくても他の人が完成させていました。
この温泉街に来ていた人たちには申し訳ないと思いますけど。
どの道失われた命なんです。
救いようがありませんでした。
儀式は止めることができない段階まで来ていましたし。
だったら、あんな人たちに使役されるより、ボクがしっかりと管理した方がいいんです。
ヒノカグツチは強力な神様ですから。
他の神様とは格が違う。
他の人では抑え込むことすらできないまま暴走させてしまうでしょう。
天霧家は悪用なんかしませんよ。
雹兄様の態度から勘違いさせてしまったかもしれませんが有効に使用されます。
だから、何も間違ったことなんて起きたりしません。
それでも、貴方はボクのことを間違っていると、止めようと言うのですか?
もう、たくさんの人の命を吸って復活してしまったヒノカグツチを前に、そんなことを言えるのですか?
彼らの命を無駄にしろと、貴方は言うのですか?
犠牲なくして平穏を得ることなんて、できないんです。
貴方はそろそろこの世界の現実ってやつを思い知った方がいいのではないでしょうか」
「言いたいことはそれだけかよ。それがお前の本音だとでも言うのか、天霧ハナ」
「はい」
「だとしたら、クソくらえだ。てめぇの素直な気持ちも吐き出せないような、そんな弱虫とぼくは話に来たんじゃねぇよ。さっさとぼくらの仲間の『ハナ』を出しやがれ!」
ぼくの声が鳴り響き、ハナはその眉をぴくりと歪めさせる。
これが意味がないなら、もうどうしようもないのだろう。
勝てるかどうかわからないが、本気でハナをぶちのめすしかない。
「だったら、どうしろって言うんだよ!
ボクだってやりたくてやったわけじゃないんだよ!!
犠牲なんて、出したくなかったよ!!
だけど、そうしなきゃ天霧の家は誰1人としてボクを認めてくれない!
能力が優れてるからって、ボクだって万能なわけじゃない!
なんだってできるわけないじゃんか!
なのにボクのことを、誰も認めてくれないんだよ!?
すぐ近くにあんなに優秀な天才のアキ君がいてさ!
勝てるわけないじゃん!?
だって、なんだってできちゃうんだよ!?
態度は酷いけどさ、間違いなく天才だよ?
あんな人が一緒にいるPDCでボクが勝てる道理なんてないんだよ!
キリちゃんだって手伝ってくれるけどさ、2人合わせてもアキ君には敵わないんだよ!
それにキリちゃんは認められたけどさ、結局ボクはいつまで経っても彼に認められない。
認めてくれないんだよ、ボクだけ。
ボク、だけ、ボクだけだよ?
ボクよりずっと後に入ってきた貴方だって彼に認められた!
ボクみたいに特殊な力を持ってるってわけでもない。
いや、持ってるかもしれないけど、あんまり役に立つものでもないのに。
なのに、彼は貴方を認めた。
ボクを認めないのに、貴方を認めた。
ずっと、羨ましかった。
アヤさんもボクよりずいぶんあとに出会ったのに、すぐに認められたんだよ。
なんで?なんでなの?
なんでボクだけダメなの?
何がいけないの?
ボクはずっとがんばったよ?
努力してきたよ?
力を使いこなせるようにがんばり続けてきたよ?
なのになんでボクだけダメなの?
ボクだけ認めない理由を教えてよ!
貴方とボクの違いを教えてよ!!
どうしてボクだけがダメなのか、教えてよ!?」
どう、違うのか。
正直なところ、ぼくにもわからないんだよ。
ぼくから見たら、お前は十分がんばってる気がするんだ。
ただ、諦めが見えたのは確かだ。
卑下し続けるハナを見て、とても嫌な気分になったのは間違いないんだ。
「ごめん、ごめんね。ホントはわかってるんだ。
全部ボクがいけないんだよ。
努力したって言ったってさ、アキ君には敵わないよ。
どれだけ彼ががんばってるのか知ってるよ。
どれだけ努力してきたのか、見てきたんだからさ。
所詮ボクは家の力を使いこなそうとしてるだけなんだ。
アキ君はそれ以外もいろんなことを学んできた。
身につけてきた。
ボクはずっと家の教えに従ってただけなんだ。
他にはほとんど何もしてない。
それだけをバカみたいにずっとやってきただけ。
他人に敷かれたレールの上をずっと歩いてきただけ。
自分では何も選んでない。
何もつかみ取ってない。
戦ってすら、いない。
こんなボクを誰が認められる?
自分だって認められないよ。
認められるわけないじゃん。
生まれ持った力を使えるようにしただけで何も伸ばしてないんだよ。
ボクの意志が伴ってない。
心が伴ってない。
想いが、そこにはないんだよ。
圧倒的に、足りてない。
他の誰もが生きていくことに対して少しは思うところがあるはずなのに、ボクには何もないんだよ。
何も、ない。家族だってよくわからないし。
そのためにがんばることだってできない。
だって、親の顔も知らないんだもん。
兄弟だって義理の兄弟しかいなくて、みんな力のことしか見てない。
温かみもなんにもない。
ボクは、がんばる理由を見つけられないんだよ。
何かしたいとか、思えないんだよ。
何かしたって、意味がないとしか思えない。
こんな命になんの意味があるの?
こんな人生に、なんの意味がある?
ボクがここにいてどうするの?
ボクがここにいたって、意味がない。
いなくなったって、世界は何も変わらないよ。
だったら、ボクの想いなんて消しちゃって、天霧って言う名前の人形になっちゃえば、楽じゃん。
何も考えなくていい。
何も想わなくていい。
何も抱かなくていい。
何も感じなくていい。
何も志さなくていい。
もうどうだって、よかったんだよ。
ボクは天霧ハナだよ。
だから、貴方たちの仲間の『ハナ』なんて、最初からいなかったんだよ」
ハナの闇は深すぎる。
これまでずっと、個と言うものを無視され続けたせいで、すでに自分がわからなくなってしまっているのか。
アキラはそれでも自分を貫き続けた。
あいつは強い。
どれだけ否定されようと認められなかろうと、自分の努力で身に付け、認めさせてきた。
けれど、ハナはそんなに強くなかったんだ。
だから、天霧と言う、家の意志になろうとしたのか。
自分の感情なんか、全部捨てて。
それは、バカだ。そんなの、おかしい。
けれど、それを否定したところで、ハナは救われるのか?
ぼくが、PDCのメンバーがそれを認めて引っ張りあげたところで、ハナはまだ天霧と言う家で生きていかなくてはならない。
それを考えると、もう、いっそこのまま天霧 ハナとして心を捨て去ってしまった方が、いいのではないか?
その方が、楽なんじゃないだろうか?
辛い想いをするのは結局、ハナがハナである以上、いつまでも変わらない。
どうしようもない。
だからこそ、ハナはこんな風になってしまった。
自分の意志なんか、もう、なくなってしまえばいいと思うほどに、行き詰ったんだ。
それをどうこうしようとするのはあまりにも身勝手なのではないだろうか。
もう、手遅れなんじゃ、ないだろうか。
答えが出ないまま、ぼくはハナを見つめる。
ハナはぼくの目を見て、何かを期待するように、待っていた。
どうしろって言うんだよ。
ぼくにお前の人生を背負えって言うのか?
そんなに重い、重圧に耐えられると思ってるのか?
ぼくだって、弱い人間なんだよ。
一緒に生きてやりたいよ。
友達として、手を引っ張って、みんなと一緒に笑い合いたいよ。
けれど、そのために背負うものが、天霧と言う闇は、あまりに重すぎる。
とても、背負える気がしないんだ。
背負ってあげたいとは思うけれど受け入れがたいほど。
家の問題って難しすぎるんだよ。
どうすりゃいいんだよ。
一瞬、ほんの一瞬だ。
ぼくは躊躇してしまった。
答えを、出せなかったのだ。
それだけで十分だった。
ハナに絶望を与えるだけの時間は。
「そう、ですよね。当然です。それが正しいと思います。ボクは天霧ハナです。貴方たちの仲間なんかじゃ、ない。だから!!」
ハナを手を掲げる。
泣きそうな、笑顔で。
叫ぶように声を張り上げ、
「ヒノカグツチ!!敵を、迎え撃ちま――」
ごふ、と。
ハナの薄い唇から血がこぼれ落ちる。
目が驚愕に見開かれ、
びくん、びくん、と二度、痙攣して、崩れ落ちた。
その胸には、銀色に光り輝く、美しい刀身。
ハナは心臓を一突き、貫かれて、絶命した――




