第五十五話『天霧家』
55.
いつまでもこうしていられればいいのに。
そんな風に思う時間はやはり、相対的に早く感じるもので。
一時間まるまる入っていることはないとか言いつつ、結構ギリギリまで2人で話しながら、じゃれ合いながら、過ごしていた。
次の人が来てしまう前に出よう、とアヤが言い出さなければ本気でギリギリまでいたかったくらいだ。
そうして先に上がって着替えたアヤに呼ばれてぼくも上がる。
1人でいる間考えていたのはやはり、アヤのことで。
どうもぼくは一つのことを考え始めるとそれに集中しすぎてしまうらしい。
ハルの事件のときもそれで気付くことができなかった。
そう思い出して、着替えながら意識を切り替える。
アヤはぼくが着替えている間背を向けて後ろにいた。
外で待つのはちょっと寂しいからやだ、とかなんとか。
まぁ、気持ちはわからないでもない。
てかぼくも今のこの気分のままアヤと離れるのは嫌だった。
もう少し、もう少しだけ2人きりでいたい。
アヤも同じことを考えていたらしく、来た道とは違うところから遠回りして部屋に帰ろうと言い出し、2人でなんとなく手を繋いで森の近くを歩いていく。
心地いい時間だった。
くだらない話をしていく。
なんでもない、他愛のない会話。
それが楽しくて、愛おしくて。
全部を心に刻み込んでいく。
結局、あんまり切り替えできた気はしなかった。
「この森、深すぎる気がしないか?」
「深すぎ?」
「なんつーかさ、外界と隔絶されていて、ここで起きたことはきっと外には伝わらないんじゃないか、とか」
「あー、森には結界みたいな意味合いもあるみたいだよ。だから、こーの言ったこともあながち間違いじゃないかも」
「少しだけ、怖いな。協会の会長みたいな悪意を持った人間がいて、ここに調査で来たわけだろ?まだなんの調査かわかんないけど」
「危ないかも、って?」
「うん。もし調査内容が彼らのような悪意を持った人に対することだと、もしかしたらここはかなり危険な場所になり得る、ような気がするんだよな」
「そだね。でも、たぶん大丈夫だよ」
「そうかねぇ。あんま楽観視できない状況な気がすんだけどな。嫌な予感とかはないのか?」
「ないわけじゃないけど、だからこそ、なんとかなるよ」
「そっか。お前がそう言うなら、なんとかなるんだろうな」
アヤの表情は穏やかだった。
何かに対する決意とか、前みたいな状況に対するほんの少しの悲しさのようなものも感じられない。
ただ、こう言っている以上、たぶん何かが見えているのは確かなのだろう。
けれど、それを言うわけには行かないんだろうな。
教えたら、ぼくが予定外の動きをするかもしれない。
そうなったときに、助けられないから、なんだろうな。
助けられてばっかってのはなんか、情けないけれど。
それでも、ぼくは生きていなければならないからな。
つぼみに報いるためにも、カナタのためにも、仲間のためにも、家族のためにも、そして何より、アヤのために。
何かを犠牲にしてでも、生き残らないと。
けれど、
「お前が死ぬのだけは、勘弁してくれよ」
「んー?」
「お前がいなくなったら、嫌だぞ。たとえぼくを助けるためでも、お前が死ぬのだけは、嫌だ」
「大丈夫、アヤは死なないよ」
「そっか。それなら、いいや」
「ん」
アヤはうなずいて、うれしそうに笑う。
「遅かったな」
「うぉ、ただいま」
「あーたん、何かあったにー?」
腕を組んだまま立っているアキラに迎えられてぼくらは自分たちの部屋に戻ってきていた。 部屋の前で名残惜しいが手は離している。アヤも同じ気持ちだったのかなんなのか、ほぼ同時に離していた。
カナタを想って、なんだろうか?
だとしたらなんか申し訳ないんだが。
「依頼について未だに案内人が現れないのでな。先ほど一度関係者に話は聞いたが」
「ん?ぼくらがいない間に誰か来たのか?」
「違う。風呂でだ。……あぁ、お前はいなかったか」
「あ?」
「コウヤさんが出た直後に少しだけお話したんですがお付きの方たちでしたので」
ぼくが出た直後?
なんか、少しだけ思い当たるやつらがいたが。
あの狐面のやつらか?
「もしかして――」
聞こうと思った瞬間、真後ろのふすまが開いてぼくはアヤに引き寄せられた。
「っと」
「邪魔するぞ」
ぼくが退いた位置に入ってきたのは狐面を着けた長身の男だった。
がたいが非常にいい。
肩幅も広く、かなりバランスよく筋肉がついている。
薄青の浴衣を紺の帯で締め、白地に赤を基調とした模様の描かれた狐面をしていた。
その狐面は先ほど木の湯で見た狐面とはまったく被らない。
特徴的なのは、金で塗られた瞳と朱で彩られたまぶた。
その目はまるで生きているかのように、動いて全員を見渡したのだ。
なんだあれ?
ただのお面じゃないのか?
あまりに不可思議な光景に目を疑う。
動いたからといって立体感があるわけではなく、平面に描かれているだけ。
それは全員を見渡したのち、ハナを目に留め、細められた。
「紹介は必要か?」
男は野太い声でそう、ハナに問う。
「雹兄様……!?」
ヒョウ、にいさま?
にいさま、って兄様?
ってことは、兄ってことか?
「如何にも。他のものには紹介の必要がありそうか。我は天霧 雹。そこにいる花の義兄に当たる」
「あ、えっと、よろしくお願いします」
「よろしくするつもりはない。そのような礼儀は必要ない」
うわぁ、またなんかすげぇキャラが来てしまった。
オイオイ、神明会の上の連中はまさかこんなんばっかか?
しかし、声と体格から言って年齢は20後半っぽい感じだがこの人がハナの兄貴?
まったく血が繋がってるとは思えねぇなぁ。
「ふん、キサマが件のヒョウか。まさに天霧本家筋長兄といった風貌だな」
「左様。そういうおぬしは三島のか。確か晶だったか?」
「三島 晶だ」
「おぬしとは長い付き合いになる。そこの愚弟次第だがな」
「オレはどちらでも構わん」
「ククク、面白いやつよのぅ。三島においておくのはもったいないほど気概のある男だ」
「オレは三島を誇りに思っている。天霧に移るつもりはない」
「そうかそうか、それは惜しい。しかしおぬしが居れば三島も安泰であろう」
「オレの目が黒いうちは三島を没落などさせん」
厚顔不遜なアキラをただただ見込みあり、と言った感じで笑うヒョウ。
2人で話している間中、言葉や声に合わせて狐面の表情も変わっていた。
マジでなんなんだ、あのお面。
「そこのボンはこの面が気になって仕方がないようだ。質問があるなら遠慮なくしてみぃ」
「その面は、生きているのか?」
「生きているのか、ククク、面白いことを聞くボンだ。これが生きているように見えるか?」
「笑ったり目が動いたり不可思議な動きをしている。生きているように見えるけどな、ぼくには」
「どうもボンには霊感がまったくないようだ。これはとあるあやかしを封じ込めた我が天霧家の証。こちら側の人間ならば誰でも知っておることだが天霧家は犬神憑きの一族でな」
犬神憑き、ね。
確か呪いの一つだったような気がするけど。
「1人に一匹の犬神が憑いとる。それを抑えとるのが、これ」
お面は指差されてにたぁっといやらしく笑う。
目がぎょろりとこちらを見ていて、気持ち悪い。
「気味が悪かろう。だがこの面をしていないと我らは正気を保てん。犬神は力が強すぎるでの」
「それは分家でも皆同じなのか?」
「分家も同じだ。そこに居る愚弟も面を持っておる。しかし、普段はしておらんようだがな」
「ボクには、必要ないですから」
「ククク、さすがにその程度は制御できねば表には出られぬよのぅ。これが理由で我らは神明会以外で働くことなどできぬ」
「アンタもなのか?」
「いやはや、なめられたものよの。そんなわけがあるまいて。我とてこれでも天霧家では現在二位の力を持っておる。一位はその愚弟だがな。しかし。力だけではなく実力と言う観点で見れば、まだまだわからぬもの。そやつはまだなんの成果も上げられぬ」
バカにしたようにクスクスと笑い出すヒョウ。
その声に肩を震わせてうつむくハナを見て、少し苛立つ。
何もそんなにバカにしなくてもいいじゃねぇかよ。
「ま、先刻風呂で分家筋最高峰の3名をぶつけてみたが難なくクリアしおったで弱いというほどではないようだ」
風呂、3名、あぁ、やっぱりあの狐面はこいつの仲間か?
ぶつけてみた、って、戦ったのか、まさか?
あー、もしかしてあの時アヤがぼくの所に来たのはそれでか?
アヤを見てみると、かすかに苦笑いしていた。
そういうことかよ。
なんつーか、ホント意味ない行動ってほとんどないんだな。
アヤはそういうの、ほとんどわかっているのかもしれないし。
「さて、そろそろ本題に入るか。すでに悟っているであろうが今回は天霧本家からの依頼である。天霧 花と三島 晶、両名とその他心霊探偵倶楽部メンバーに告ぐ」
そこで彼は一息おいて、お面の視線が全員を見回した。
そして、にやり、と笑みの形を作る。
「穂結温泉で現在進行中の『火の神』召喚を停止、もしくは奪え。手段は選ばなくてよい。処理はすべて神明会が行う。以上!」
その言葉はぼくらの間をびりびりと通り抜けていった。
決して大きくない声なのに、響き渡る音。
そして、意味を理解するのに少し時間がかかる言葉だった。
現在進行中?火の神召喚?停止、奪え?
手段は選ばなくてもいい?それって、どういうこと?
それだけ言ったら説明は終わったとばかりにヒョウは出て行こうとする。
「待て、神を破壊しても構わんか?」
「ククク、また実に面白い質問をする男よの」
アキラの言葉に楽しげに笑ったヒョウが振り返ってアキラの顔を長し見た。
にらんでいるようにも見える。
お面に隠れているせいで本当の表情がうまく読めない。
本当は笑ってなどいないのではないかとさえ思えた。
「もし破壊しようとしたら我が止めに入るがそれでも破壊したいのなら構わん。この件は我とおぬしらの勝負と言うことになる。これは天霧家の進退に関わる話だと言うことを忘るることなきようにな、愚弟よ」
「わかりました、雹兄様」
そうして今度こそヒョウは去っていった。
威圧感のある人だったな。
少し萎縮してしまっていた気分がようやく落ち着いてくる。
余裕ができてきて周りを見回すと、悔しそうに顔をしかめるハナと、どうでもよさそうに座布団に座るアキラ、そして窓際に腰掛けたまま少しも表情を変えずハナを見つめ続けるキリがいた。
「気に食わんが言わせたままでいいと思っているのか、凡俗」
「え?あ、いいえ、言わせたままになどして置けません」
「ではどうする」
あー、アキラがぼくの時と同じでなんか試している感じだな。
見込みありになったんだな、ハナが。
確かに今のハナは悔しそう、つまり見返してやりたいと言う気持ちがあるわけだ。
「まずここに拠点を構えます。今回の旅行中はずっとこの部屋を使わせてもらいましょう。力を溜め込む結界を作っておきます。危険なときは皆さんここに戻ってきてください」
ハナはかばんから取り出したペンで床に何かを書き込み始める。
オイ、いいのか?
と思って見ていると、どうやらそれは普通のペンとかではないようで、書いた瞬間は光っているが時間が経つと光が消え、見えなくなるものだった。
書いているのは何かの図形と漢字。
魔法陣とかっぽい感じに見えるけど、よくわからない。
床に書き終わると次は四面の壁にも色々と書きこんでいく。
すべて違うことを書き込んでいるように見えた。
そして、四隅に何か万華鏡のような筒を置く。
最後に中心に戻ってきて、二礼四拍手一礼した。
そこで、ふわりと、空気が少しあたたかくなる。
「ここにいればボク以外の天霧の人間も入ることができません。天照大神さまのご加護があるので現存する神々もほとんどはここに押し入ることができなくなっています」
「ほ~、すごいな。ハナはこんなこともできるのか」
「家の力なのですけれどね。あまり自慢できるようなものではありません」
「そんなことはないだろ。それに、そういう言い方はよくないと思うぞ」
「……あなたも、ボクを否定するんですか?」
「そういう意味じゃない。たださ、それをここに敷いてくれたのはぼくたちを守るためだろ?それはお前がお前自身の意志でしてくれたことだ。それは誇ってもいいと思う」
ハナはきょとんとした顔をしていた。
そんなことは考えたことがなかった、と言うような。
お前は自分で気付いていないかもしれないけどさ。
すごくいいやつだと思うよ。
それを卑下することなんて、ないんだ。
「力は結局生まれ持った性質だろ?そんなもんかえようがないし、どうでもいいことだ。それよかそれをどう使うか、の方が重要なんだよ」
「どう、使うか……」
「暴力を振るうために使ったらそれは確かに悪だ。けれど、誰かを助けるために使えるならそれは、間違ってるだなんて言えないだろう?それを責める必要なんて、ないんだよ」
「ありがとう、ございます」
ハナはうつむいて、涙をこらえているようだった。
ほとんど褒められることがなかったんだろうな。
さっきのヒョウを見ている限りでは正直ほめるどころか存在をしっかり認められてすらいないような状態に思えた。
そりゃあんな態度でずっと接しられたら自信なくすわ。
けど、あんなのとは違ってハナは他人のことを気遣ってあげられるやさしい子だ。
それを卑下する必要はない。
そろそろ認めてやってもいいだろう?
今の自分ってやつをさ。