第三十四話『努力の価値』
三四.
現場はハルの事件の現場からそこまで遠くない位置だった。
すでに鎮魂の儀は終わって慰霊碑も建てられている。
先に寄らせてもらってアヤとぼくは祈りをささげさせてもらった。
カナタとつぼみもそれに倣って手を合わせてくれている。
ここには公園のようなものが作られることになったらしい。
神明会が土地を買い取り、家が倒壊してしまった家庭などに保証金としてかなりの金額が支払われたようだがそれは別にどうだってよかった。
あの事件は結局西島が爆発物を電車の側面に取り付けたことによって起きた事故、と言うことで処理されたらしい。
類を見ない大量殺人事件。
司法解剖の結果133人のうち86人が横転の衝撃で死亡、もしくは意識不明状態になり、西島がPKによってあとから殺したのは47人ほどと言うことになる。
ハルは事故の方での死亡だったらしく、遺体の状況はよかった。
六日遅れの葬式ではやはり胸が締め付けられ、涙がこぼれるのを止めることができなかったが。
最後のお別れを済ませることができたことは本当に幸運なことだったのだと思う。
結局西島は現在裁判中だが情状酌量の余地はないとして終身刑は確実とのことだった。
一度だけ面会に行ったが食いかかってくるようなこともなく、かなり反省の色が見える状態。
ぼくのしたことが意味があったのかはわからない。
けれど、あのことで彼の気持ちになんらかの整理がついたのなら、それはうれしいことだと思った。
そして事件の犯人が車掌であったことが判明して大手鉄道会社は車掌の採用試験に人格テストが加えられることとなる。
それですべてが防げるとは限らないが対処法としてはそういった手段を取って行く他ないだろう。
正直西島のようにごまかせてしまう頭を持っている相手が一番厄介なのではあるが。
それは言っても栓ないことだろう。
閑話休題。
「ここが乙女川ビルか。八階って意外と高いんだな」
「一階3mと換算しても24m、数字だけで見ても結構な高さになるな」
インテリジェントビルと言うことになるらしくOA機器の配線を床下に納められる造りをしたビルなため各階の高さがそれなりに高い。
そのため予想以上に高く感じるのだ。
六月から開業したため結構近代化の進んだ建物らしい。
外観は新設だけあってやっぱりかなり綺麗だった。
「上から落ちたらひとたまりもないにー」
「マジでシャレにならないな。人通りの多い場所じゃなくてよかったよ。二次被害が出にくい」
電車通りからは少し遠ざかった位置にあって、路地と言うほど狭い道ではないし街中なのだが人通りはほとんどなかった。
現在五時半ごろ、帰宅時間なので人通りの多い道は結構な混雑になるのだが。
あんな高さから落ちてきたらたとえ人ほど大きなものじゃなくともかなり危険だ。
想像したくもないのだが落ちたあとは悲惨なことになりそうだな。
現在では遺体は司法解剖に回されているようで、ここにはテープが張ってあるだけだった。
しかし、なんと言うか、
「みんな近い位置に落ちてるな」
「ほとんど重なっていると言うことは位置が関係してくると言うことか。しかし、特に霊体も感知できないのだがな」
そう、かなり近い位置に落ちているのだ。
大体同じ辺りから落ちて、風速などで少し落下位置がずれた、と言う程度の差しかない。
にしても、テープの周囲が嫌な感じに濡れている。
これ血なのかなぁ?なんか気分が悪くなる、って失礼なの話なのかもしれないが。
見ていていい気持ちのするものじゃないな。
見上げたときからわかっていたが中に入ると電気がついている。
「今日も営業はしているって話だよな」
「停止を勧めてもやはり会社と言うのは易々と休業できるものではないだろうしな」
「命がかかってるかも知んないのになぁ」
「仕事をしなければ死活問題になる。注文を一度断ればもう二度と仕事をもらえないかもしれないのだからな」
「世知辛い世の中だな」
受付でPDCと名乗って最初の被害があったオフィスが何階にあるのかを確かめて全員でエレベーターに乗り込んだ。
ちなみに今回ハナとキリは家の用事とのことで来ていない。
移動は大きめなバンだった。
なんで今までバンじゃなかったんだよ。
9人乗れる車なので全員乗れることになるのに。
セダンばっかだったからセダンしかないのかと思っていたのだがなんか車が空いていれば人数に合わせてくれるとのことだった。
ただ、全員が現場に出ることがそもそも少ないだけらしい。
ハナとアヤはほとんど現場に出ないとか。
ぼくが来る前はアキラとキリが出るくらいだったようだ。
そのためほぼセダンで足りていたため専用で確実に空けてあるのがセダンだけだった。
閑話休題。
四階にたどり着く。
ワンフロアすべてを貸し切っているようでそれなりの広さを持っているオフィス。
移動式の間仕切りが結構たくさん置いてある。
五時半過ぎなのにまだまだ働いている人がたくさんいた。
忙しそうに見える。
確かにこれでは休めなさそうだよなぁ。
そして予想通りというかなんと言うか。
ぼくらのような若い人間がこんなところにいると言うのが珍しいと言うか怪しいので注目を受けていた。
すれ違っていく人に『なんだこいつら』と言う目でじろじろと見られる。
さすがにいい気分ではなかったが気持ちはわからないでもないので仕方がない。
場違いだもんなぁ。制服のままだし。
「管理者のものと話をしたい」
アキラがすぐそばに座っていた女性に声をかける。
さすがに度胸あるなぁ、こいつ。
どうしたものかと悩んでいたぼくは少し情けなくなる。
「えぇ?」
ものすごく怪訝そうな顔で見られた。
いや、そりゃそうですよねー。
事務系の会社らしくて何をやっているのかはわからないが特にクレームとかを子供から言いに来るような会社でもなさそうだしわけがわからないんだろうな。
「アポは取ってある。PDCのものだと言えばわかるはずだ」
「ピーディーシー……?」
態度のでかさに思いっきり不快そうな表情をした彼女はじろじろとぼくらを遠慮なく見定める。
「子供の来るところじゃないわ。警備は呼ばないであげるからさっさと帰りなさい」
結局ただ忍び込んできた子供と判断したらしく、そのまま自分の仕事に戻ってしまう。
「フン、社員に話も通していないのか。まったく、責任者の器が知れる」
「お前失礼すぎるんだって……」
またも不快そうな視線をいただいてしまう。
さっさと帰れ、と視線が訴えていた。
「すみません、お姉さん。ぼくらは倶楽部の研究でここのオフィスの責任者の方とお話させていただくことになっているんです。よろしければどの辺りにいらっしゃるのかだけでも教えていただけないでしょうか?」
「あ、うん、えっと、わかったわ。案内するからついてきて」
にこやかに丁寧に説明したらきちんと伝わった様子で慌てた様子の彼女が案内してくれることになった。
いやはや、そこまでしてもらおうと思ったわけではないのだが。
「案内してくれるってさ」
振り返ると全員の視線がぼくに集中していた。
その顔に浮かんでいるのは、呆れ。
「「「この、女ったらし」」」
「なんでそうなる!?」
全員で声合わせないでくれよ!?マジでへこむっつーの。
「こっちよー」
先行していた女性がぼくらを呼んでいた。
はぁ、とため息を吐きながらどうするんだよ、とみんなに視線を送る。
全員にやれやれと肩をすくめられた。
やれやれはこっちのセリフだよ!?
「こんばんは、PDCの皆さん。不手際があってお迎えに上がれず申し訳ありません」
迎えてくれたのは50代中盤ほどの恰幅のいい男性だった。
ずいぶん後退した額やひげなどからなんとなく威厳のようなものを感じる。
『こんばんは』
その様子を見ていた案内してくれた女性は本当だったのかとかなり驚いていた。
信じてくれたわけじゃなかったんかい。
「君は下がってくれ」
「あ、はい。ごゆっくり」
そのまま彼女は去っていく。
「社員の方には説明なさっていないのですか?」
「無駄に混乱を招くわけには行きませんので、すみません。忙しい時期ですし」
「とりあえず概要は資料を読ませていただいていますが詳しくお話を聞かせてもらっても?」
「えぇ、早期解決していただいて不安を取り除いていただきたいので協力いたします」
「ここのオフィスからは1名の被害者が出ているようですね」
「はい、真面目に勤務してくれていた青年だったためかなりの痛手でしたが。
彼は自殺などするようには見えない快活な子でした。
元々は中津町に構えていたオフィスから社員が多くなり、手狭だったための移転でしたがその前から勤務してくれていましたね。
大学からの新卒で今年で四年目になりました。
仕事振りも対人関係もずいぶんうまく行っているようでしたので悩みがあったとも思えません。
ただ、やはりそういった面に関しては他人では気付けないこともありますのではっきりとは言えませんが」
まぁ、そんなものだろうなぁ。
あの落下位置から見るにやっぱり偶然ではないと思うのだ。
何か外的要因があるのは間違いないと思う。
動機とかはたぶん話を聞いてなんとかなるようなものでもないだろう。
それよりぼくらが聞くべきなのは、
「彼はどういった状況で飛び降りたのでしょう?今のように当日は勤務していた人は多かったのですか?」
「あぁ、いえ。基本的には九時前後でほとんどのものは帰宅いたします。当日オフィスに残っていたのは彼を含めて4人ほどでした」
「他の方々からはお話を聞けますか?」
「すみません、本日勤務していないものもいますし、業務中は余裕がありませんね。話に関してはすでに詳しく聞いておりますので私からお話します」
この状況じゃ仕方ないか。
さて、何を聞いたもんか。
て言うかなんで他のみんなはこんなに黙っているんだ?
アキラを見てみると何やら思考しているようだった。
カナタはつぼみをじーっと見ている。
つぼみはその視線を受けてたじたじ、と言った感じ。
アヤはぼくが見ると首を傾げてきょとんとしていた。
何も考えてないな、こいつ。
なんか全員いつも通りな感じだった。
「彼はどんな状況でいなくなったんですか?」
「はい、彼はその日次の日に提出の資料を仕上げるために残業していました。他のものも似たようなものでして、あまり社員同士を見ていたりということはなかったと思います。そのため全員彼が外に出て行ったのには気付いていましたが何をしにいったのかは知りませんでした」
「タバコを吸う方でしたか?」
「確か吸わなかったと思います。それに喫煙室はオフィス内に用意されていますからわざわざ外に出る理由もないかと」
「トイレはどこに?」
「オフィス内にあります。喫煙室もトイレもここから立ち上がれば見える位置にありますよ」
立ち上がって見てみるとぼくらの入ってきたエレベーターホールの方とは離れた位置にある。
と言うことはエレベーターホールの方に行く用事なんて普通ないよな。
だとすればもうその時点で何かが起きていたのか?
しかし、そんなおかしな行動を取ったら誰か声をかけたりしないのか?
おかしいと思わなかったのか?と、思ったが現状を見て思い改める。
正直今見渡してみて仕事をしている人たちの顔を見たところ、余裕がない。
九時過ぎまで残業しているほど忙しいのなら、他人を気にかけている余裕なんてないだろう。 責めることはできないな。
「他に誰かが同じ行動を取ってはいなかったのですか?」
「そのようなことはなかったようです。戻ってこないので帰宅したのだと思ったようです」
まぁ、ぼくがそこにいたとしてもそう思うだろうな。
「待て、タイムカードを誰も確認しなかったのか」
「タイムカード?なんだそれ?」
アキラが突然口を挟んできて少し驚く。
にしても、タイムカードってなんだ?時間、札?
「就業時間の賃金計算のために多くの会社で用いられる個人の情報記録用媒体のことだ」
「あー、入り口の辺にあったやつか」
名前の書かれたカードがたくさんあって、そこに時間が書かれていた。
あれそういう用途だったのか。
「タイムカードは押されていませんでした。しかし、誰もおかしいと気付かなかったようですね」
「忙しかったら仕方がないだろ」
「フン、そうか。ひとつだけ質問したいことが浮かんだが構わないだろうか?」
「えぇ、どうぞ」
「彼の席は窓際だったか?」
「あ、えぇ、そうですね。窓際でした」
「聞きたいことは以上だ。コウヤ、次へ行くぞ」
「あ?終わり?なんかわかったのか?」
窓際だったことが重要なのか?
窓の外になんかいた、とか?
んー、まだ情報が少なすぎてよくわからないな。
けど、普通じゃないことは間違いない。
心霊現象かはわからないがやはり普通の自殺ではないだろう。
「あ、えっと、ありがとうございました。参考になりました」
「いえ、お役に立てばいいのですが。事件解決、よろしくお願いします」
「はい、尽力します」
アキラは会釈だけしてさっさと立ち去ってしまう。
他の4人でぺこりと頭を下げてアキラを追いかけた。
「解決できそうか?」
「さてな。ただ、仮説は立ってきた。もう少し話を聞いて確認さえすれば大体原因はつかめそうだな」
「早いな」
「フン、キサマも少しは考えてみろ。わかるかも知れんぞ」
「知識が足りねぇっつの」
「調べればいい」
「調べるポイントがまだ見えてこないし」
「その調子だ」
その調子?なんだそれ?
よくわからなくてアキラを見ると、少し楽しげに笑っていた。
「まだ、なのだろう?諦めていないのならきちんと見えてくるだろうからな」
「あー、まぁ、諦めるつもりはねぇよ」
「キサマの手で真実をつかみ取って見せろ」
言われなくても努力はする。
いつまでもこいつにばっか頼ってるのも嫌だし、自分でも何かしたい。
できるようになりたいんだ。
「紅夜、楽しそう」
「え?」
「その人と話してる紅夜、すごく楽しそう」
「そうか……?」
「そうだよ。なんか、うれしいな」
「どういう意味なんだ、それ」
「えへへ」
笑うだけでつぼみは答えてくれなかった。
よくわかんねぇなぁ。
眉をしかめてアキラを見る。
話してると楽しそう、かぁ。
楽しいっつー感じはあんまないんだけどな。
ただ、追いつきたい。
こいつに一矢報いてみたいんだ。
勝てる、とまでは思ってないけれど。
ぼくにも何かが出来るんだ、って証明したい。
「うがっ」
真面目に考え事をしていたら後ろから体当たりを食らって転びそうになる。
「どうしたんだよ、カナタ」
突っ込んできたのは他でもないカナタだった。
そのままぼくに抱きついて頭をぐりぐりしている。
その抱きしめる力もかなり強くて、少し痛いくらいだった。
声の出ないカナタの想いは、背中越しでは見えなくて余計にわからない。
それでも、少しだけ、ほんの少しだけ伝わった。
あぁ、寂しいんだな、この子は。
だから、一番構ってくれるはずのぼくが他の人のことを見ているのが、嫌なんだ。
「よしよし」
背中にいるカナタの頭を少し厳しい体制だったけれど、撫でてやる。
ぐりぐりをやめてぼくの背中に顔を押し付けるカナタは少しだけ、安心したように思えて。
大切にしてやらないとな、なんて、少しだけ強く、思うようになっていた――