第七話 囚われたミライ
数名の兵を連れ分厚い扉を跨いだ公王は、先程までの好々爺では無かった。
「さて……。先に払いから話すかな」
兵を置いてぱたりと扉は閉じられ、途端にしんと静まり返る。広く明かり取りに開かれた窓は、二重の両開になっている。窓の内側は獣皮紙張りで、部屋から森を望める眺望だ。頑丈さだけが取り柄の机と椅子が、揃いで設えてある。
それぞれが椅子を求めると、公王は厳格な雇い主の表情で傭兵を順に睥睨する。
「条件を聞きましょう」
前以て仕切られていればレナータも一端の傭兵で、命を賭台に乗せる男の顔になる。
「期間は残り十三ヶ月。期間中、かかる費用は全てこちらで持つ。装備も支給しよう。事成れば成功報酬として、モトラッドの金貨で三百枚を用意しておる」
「呑んだ」
「ちょっと!? セレ!」
レナータは、間髪入れずに身を乗り出す。
「どんな依頼か分からないんだよ? 一人一頭龍を狩って来いとか、不老不死の秘薬を見つけて来いとか言われたらどうするの!」
セレンゲティは「まぁ落ち着け」と諭しながら、がっしりとレナータの肩を掴み、無理に座らせた。
「条件を呑んだのは俺だけだ。それに、この爺様は一見無茶を言ってるようだが、何の当ても無くこんな事を言ってる訳じゃ無いと思うぜ」
「そんな、根拠も無くっ」
「根拠……根拠なぁ」
セレンゲティは、宙空に絵を描く様に、緩やかに言葉を求める。
「根拠になるか分からんが、いいか? 先ず、この爺様は歳の割に耳が良い。先の戦から一月と少し。この間で、俺達の事も含めて大体の事情を知ってるんだ。訓練されたデキる間諜が、多く控えてるんだろうよ。多分、俺達が知らん事も知っていなさるぜ」
レナータはハッとして、エンドラ公と目を合わせた。レナータが雰囲気を飲み下してしまい、公王は扉を跨ぐ以前の様に、笑みを湛えただけだ。
「"戦匠"の話も事実であれ与太であれ、あの場で爺様が吹いたんだからどの道一緒だ。この話を蹴ったら……箔を付けたい傭兵供が決闘、試合、闇討に散々悩まされる事になるだろうよ」
「嵌められた?」
「そう取ってくれて構わんよ。儂は、事前に箔を買っておくつもりだがね」
「逃げる肚でも、モトラッドを縦断せにゃぁシウダートホヘイダとニアンガ以外の国には逃げれん。それぞれが俺の首に掛けた値が、合わせて恐らくーー」
「金貨三百枚」
「やはりな。正直そんな値打ちがある自信は無いが、今が最高値で売り時だ」
「底値とは言わんが、適正価格と思うとるよ」
「そりゃ、どうも。金貨で三百もありゃ、何処へ行ったって領民証と畑が買える」
「随分とささやかじゃのう」
「俺にとっちゃ、仕官するより値打ちが高いんでね」
「そうか……」
しばし、沈黙が場を支配する。
日が落ちて、部屋が急に暗くなったように感じた。
濃い色の茶と、ランプを差し入れに兵士が入って、出て行った。
窓が内外に閉められ、灯火をゆらゆらと写して闇を手繰る。
「僕等を雇う根拠には、足りない」
レナータは、深い沈黙の後にこう吐き出した。
「身内の恥かい?」
「否じゃな。身内の事には変わりが無いが」
「信用に値すると仰るのですか?」
公王は、今度こそ優しく、孫に語るように相好を崩して目尻を下げた。
「それなのじゃがな、昨日の話よ。ニアンガとの国境……今はシウダートホヘイダとも接する事になる辺りに集落が有ってな。どうやら流民、棄民やーー」
セレンゲティが、困った振りの視線を投げる。
「ーー逃亡奴隷や罪人の子孫が築いた集落のようなのじゃ。ここに至って保護を求める書状を携えた者が、儂の元へと罷り越してな」
「書状には窮乏の現状と経緯が、些か熱っぽく綴られておってな。その書状の代筆人に傭兵のレナータと言う署名と、蜜蝋の封には刻印があったのじゃ」
レナータは目を向いて、少々唖然とするばかりである。
「通り掛かりの小村落に、何やら力感の篭った筆での。好感を持ったものじゃ。折しも数日前に、先の戦の噂から、そなたらの事に関心を集めておったものじゃからなぁ」
好爺の方が一枚上手と、二人は顔を見合わせるのみである。そんな二人に、エンドラ公王は決然と締め括る。
「信用に値すると儂が勝手に期待するだけじゃが、もしその気があるなら……近い間に屋敷へおいでなさい。いつでも案内をする様、手配はしておこう。儂は、セレンゲティ殿とレナータ殿の両名に依頼をしたのじゃ。色良く招待されて貰えると、これも身勝手に期待しておるよ」
化かされたのか、抓まれたのか。二人は至って巧遅には遠い存在であった。
「結局、付いてきちまってよ。お前さんの言う通り、酷いメに会うかも知れんぞ」
傭兵二人、案内の兵士に先導されて領主館へと赴いたのは、拙速翌日の事である。
「毒匙を見分ける事が、出来るのかい?」
兵士が、じろりとレナータを睨む。
低い柵に包まれた敷地は、間近に寄ると内が隠すまでも無く見渡せる。質素だが良く整えられた庭の先に、建て増しを繰り返したらしい、複雑に積み上がった館が聳える。
「出されりゃ喰うし、美味けりゃ本望だな。まぁ、エンドラの公王様は、毒匙なんてケチ臭い真似はしねぇだろうよ」
柵の隙間から忍び込んだ幼子達が、寒い中駆け回っていて拍子抜けする。それでいて、設けられた門には詰所があり、衛士が厳しく見張って居るのだ。
「立場じゃないが聞くけどよ。アレはいいのかい?」セレンゲティは、衛士に訝しむ。
「アレの為に、時に不毛でも骨を折るのが生業だと、閣下の御言葉だ」
「入れ。粗相はするなよ」と釘を刺して、屋敷へと通される。
「当代の領主様は、皆の誇りだ。領主様に何か有れば、最初に疑われるのはお前達だ。精々心しておくんだな」
ぽつり、と肩に触れた氷雨に足を速める。
お仕着せの革鎧は誇らしげで、得物を置いて来させられた二人に、槍を散らつかせて威嚇を忘れない。
「敷地内に兵舎に厩舎もある様な所で、手にかける程の暗殺者に僕等が見えるのなら、神殿へ相談に行った方が良いよ。きっと」
「俺達だって、今日は空手で不安なんだぜ」
それでも信用ならないのか「ふんっ」と鼻を鳴らして、見上げる屋敷の扉に下がったノッカーを叩いた。
私兵と思われる騎士に、無言のまま促された部屋に二人は待たされた。
薄暗い室内を不安に照らすのは、瓶底窓の硝子の連なりで、二人を驚かせた。硝子窓など遠目に見る事はあっても、その窓のある部屋へ入る機会があるとは思いもしない。宿屋が丸ごと収まるかの広い部屋に調度は少なく、落ち着いた雰囲気だが、一つ一つに時代の魅力を感じる。応接間らしい部屋の中央には、どっしりとした八人掛けの机が光沢を主張しており、更に不安を煽るのは、クッションの効いた椅子だ。詰め物を入れた革張りの椅子は、寝台や椅子が硬いの固いのと普段から愚痴る二人には、返って不安に感じてしまう。
「待たせたかの?」
実際には、さして時間は過ぎていないはずである。
「硝子窓を拝見しておりました」
「硝子窓は、景色を透かし見る物じゃよ。尤も、斯様な天気では、自慢もし甲斐が無いのう」
「韜晦するのは止してくれ。仕事が無いなら、探さにゃならん」
時機を見て、メイドがワゴンで茶を運んで来る。公爵は「そうじゃな」と含んで、席に着いて居住まいを正した。
「ここへ座したなら、仕事を受けると見て良いか? ……聞けば降りれぬ故、翻心ならば今のうちにじゃ」
セレンゲティは小さく、レナータもゆっくりと顎を引いた。
「周りの国か? それとも、貴族様か?」
「王家の……モトラッド王家の秘事じゃ。生涯に口外無用ぞ」
「暗殺ですか? 僕等、そういうのは得意じゃ無いですよ」
公爵は、不意に老け込んで翳り苦笑する。
「詰所でセレンゲティ殿が言うた通り、そんな事なら兵士も騎士も自前で事足りよう」
茶を一口含んで、喉を濡らす。一呼吸を過去へ置いてくる。
「呪いじゃ。モトラッド王家にかけられた呪いを、解いてもらう」
「そいつぁ……領分じゃぁ無いが、一年分の飯代だ。聞こう」
「古くから王家には、まことしやかな言い伝えがあってな。王家の女児は、成人出来ぬと言われておる」
「迷信でしょう?」
「迷信じゃろうな。しかし、政は験を担ぐものじゃ。王家の子女は皆、成人前に婚姻を済ませる習わしじゃ」
「では、そうなされば良いでは無いですか?」
公爵は、同じ苦笑を若返って披露する。
「それが、そうもいかぬのよ。そなたらの死戦の結果、末の王女殿下の嫁ぎ先がな……。輜重隊を率いて勇戦に果てられた、シウダートホヘイダの王子殿下なのじゃ。彼の王子様が正に、嫁の入り先で在ったのじゃよ」
何の因果で有ろうか? 二人は絶句して、天井を眺める他無い。
「我家は古いだけの小領主じゃが、歴史と添い寝をしておってな。王家の典範を捲る役を仰せつかっておる」
「てんぱんって何だ?」「偉い人の家には、沢山決まり事や約束事が有るんだよ。それを調べる係さ」
「婚儀が破談と成り果せたものじゃから、大童よ。シウダートホヘイダも、直ぐ様南に欲目を向ける程の余裕は、無いと見える。向こうも代わりの釣書を慌てて用意しておる頃合じゃが、届くのは春を待つじゃろうな」
いつの間にか、硝子窓は光を透しておらず、絶え間無く氷雨が叩く打楽器となりおおせていた。
「調整を経て、縁談に至っても再来年じゃ。畢竟、姫様は成人の儀を、果たさねばならぬ。しかし……何代にも渡って典範を扱って参ったが、ここへ来て『王族子女の成人の儀』を、行なった記録が無い事に気付かされた訳じゃ」
「幸い。当家六代前の備忘録に準備の様子が遺されておってな。それを元に祭事の手配は始めておる。
お主達は冬の内に、この呪いの"基"を探れ。春を待って、呪いの基を断つのじゃ」
「迷信じゃ無かったのかよ?」
「迷信ならそれで良い。じゃが同時に、迷信であるとの証をたてるのじゃ」
硝子の向こう側を這うように流れ落ちる水の流れは、面妖で、美しい。
呪いの柵は、安住の囲いなのかもしれない。他方でそれが破られたなら……老人は、公としての責を自らに任じるしか無いのだ。解放か、閉塞か? 後の史学者は、識れば何を思うだろうか。