第五話 旅立ち
その日セレンゲティは、カエノメレスや弓を使える村の若い者達数人と、柵の周りを巡っていた。
冬を前に、柵の点検も兼ねての狩だ。筋が良いのか指導が良いのか、中々の箆鹿と猪豚を一頭ずつ仕留めての帰りだ。
セレンゲティ自身も借り物の合成弓で、猪豚一頭を背負って帰る事となった。
狩の収穫を男達が捌いて、女達が料る。
女達が料理を整える間に、男達はくすねた酒を舐めながら、剥いだ皮を洗って塩水に漬ける。
夜には宴だ。
広くも無いが狭いとも言えぬ村長の家へ、代わる代わるに村人が訪れて飲み交わす。食材が変わっても味付けに変わりが無いのは、ご愛嬌と言うヤツだ。
傭兵もそれ以外も、滅多に余所者が訪れ無いとあって、宴席の盛り上がりも中々だ。旅の話をせがまれ、見聞に脚色をなして話す。レナータは大太刀の由来を得物に講談を打って場を沸かせた。
夜も更けてくれば、女子供はぽつりぽつりと数を減らして各々の寝床へと帰って行く。
そうなれば酒の肴は、自然と地勢の話に移り変わる。
「俺達はニアンガの雇われで、シウダートホヘイダから国境を守る砦の守備に就いてたんだ。と言っても後一・二年は戦にならねえと踏んで、のんびりしたもんだったがな」
「気付いたら、兵鹿が寄せていたって印象かな? 迎え撃つ準備を叫んでた騎士様は、兵士も侍従も連れていつの間にか居ないし」
まま有る事ではあるが、失笑が漏れる。
「命大事に金大事の傭兵だがよ、一当てもせんとケツを捲ったとしたら与信に関わる。ってんでまぁ、木を倒して野戦陣地をようよう設営しようとしてるシウダートホヘイダの連中。これに傭兵隊でだけで、どーん! よ」
今度は和やかな笑いが広がる。
「僕達傭兵だけで大体五十、騎士様共を入れても七十がとこの小砦なんだけど……。向こうさんは奴隷兵士込みでおおよそ百五十、これはおかしいぞ? ってね」
村長と紹介された上座の老婆が、はてと問うてくる。
「定石では、籠城には三倍の兵が要るものと聞くが? 違うたかの?」
「いや。婆さんの言う通りだ。最低三倍は要る。だとするとーー」
「砦を落としに攻め入った訳では、無いのかえ?」
「僕達にも確信があった訳じゃ無いけど、そこにヤマを張る事にしたんだ」
「残念ながら騎士様方は、脱出なさっていらっしゃいましたからな。砦中にある物を何もかにも引っ張り出して、砦の門扉から罠だらけにしてよ」
「そこに引き込んだがか?」
「ああ。撃って出てみせてな。実際にゃァ兵力に差があるもんだから、這々の体よ」
「撤収する僕達を追って、砦の中まで押し寄せてくる。調子付いてるから、張り縄一つでも後から来た連中が始末をつけてくれる」
「そこへ釣り落しだの、振り杭だので散々にな。揉みくちゃになりながら奴等が撤退する頃には、埋めるのも面倒な数の死体が残ってる」
「しかし、砦ごと燃やすつもりで押されれば、ひとたまりも在るまい」
「その通りよ。俺達は門を閉ざして、籠もる構えに見せておいて……死体からお仕着せを失敬してな。着れる者だけ着込んだ。んで、案山子を立たせて砦を放棄よ」
「一つ遠回りをして、ニアンガの街に戻る道を選んだら……丁度シウダートホヘイダ軍の真後ろでさ。僕等も呆然としたね」
「生き残りが四十、シウダートホヘイダの軍はざっと見たところ千を超える」
皆から「おぉ」と、どよめきが走る。
「ただ、後方の警戒がどうにも薄い。成る程、あちこちの砦や村落の兵力を釘付けにする予定での電撃的作戦だったんだな」
「僕達の遊撃は、彼等にとっては予想外」
「俺達は味方で御座いと近付いて、なるべく派手に騒ぎ立てながら後方の部隊を叩いた! 陣幕も騎士様も無視して、一番弱そうな輜重隊をだ」
ここぞとばかり、セレンゲティは決まり顔で打つ。
「輜重隊に雪崩れ込んで、魔法を使える連中と火をかけて……混乱に陥った頃合いに撤退してな」
「一旦森に入った末、苦労してニアンガに帰還した、と」
「ニアンガは、街まで攻め登られたと?」
「ええ。シウダートホヘイダは、いつの間にあれだけの兵力を整えたのだろうね? 傭兵を集めてるって噂を僕等も聞き始めたばかりだったのに」
「余程ばら撒いたんだろうよ。だから俺達が輜重隊を叩いた事で、採算が合わなくなった。それで結果的に引いたんだろう。俺達が街に入る頃には、シウダートホヘイダも撤退し始めていたからな」
話の区切りに、皆それぞれ真剣な面持ちに変わる。そこかしこで、これからの地図の線引きが影響するかと囁き合うのだ。
やはり村長が、皆を代表するかの如く口を開く。
「ニアンガは切り取られたか?」
「恐らく。奪った村や砦まで、撤退した形でしょう」
「俺達には手当てがきっちり払われたが、同時に首に賞金もかかってな。どうやら国を売ろうって連中が居たらしくて、その後どうなったか確認する余裕なんて無くてよお」
「で、ニアンガから半端な地図を頼りに、この村まで辿り着いたって訳」
レナータが目配せをすると、セレンゲティは損な役回りを演じきる事にする。
「なぁ、婆さんや。あんたは村長じゃ無くて村長だと言う。兵士も神官も居らん。訳有りばかりの寄り合い所帯だろう? だが、村がここまで大きくなれば、誤魔化しは効かんぞ。年貢の納め時じゃ無いのか?」
「租税を払ってさ、保護を求めなよ? 来年から少なくとも税を納めるって約束すれば、多少のことは有耶無耶にしてくれる。心配なら、沽券を取り交わせばいい」
幾度と無く検討してきたのだろう、話題を振る前から皆神妙な面持ちで、時折村長の方を覗き見る。
「地図にも載った。地勢も変わり目だ」
「この村は、モトラッドのどこが近い?」
青年の一人が「エンドラ公だ」と、さっと答える。
「何れにせよこれからは、妖魔以外に襲われる事も考えなきゃなるめぇ」
「シウダートホヘイダは、モトラッドへ楔を打つ為に。ニアンガは、失った税収を補填する為に。エンドラは、それぞれへの防衛の為にこの村を目指すだろうね。来年か、五年後・十年後かは、分からないけど」
沈黙が重くのしかかる。国境を分かつ線引きが、僅かにでもずれれば、土地の価値は大きく様変わりするのだ。
「植生は、変わるかえ?」
「ああ」
「確実だね」
老婆は誰とも無く、口の中で反駁する。暫くかけて小さく「そうか」と、呟いただけだった。
黙する老婆を他所に、村人達の話題は紛糾する。何れに寄る辺を求めるか、或いは今暫く独自の道を往くべきか? と言った具合だ。
話題の切れ目にセレンゲティは「用を足してくる」と席を立った。
酒気の熱も退いて、外へ出れば霜も間近と脅す夜気に身を震わせる。手早く用を足して、戻る途中で足を止めたセレンゲティは、暗がりに向かって囁く。優しく、諭すように。
「つーワケだ。お前さんを連れて行く訳にゃいかんし、その気も無いんだ。悪ィがな、勘弁してくれよ」
「……にゃぁ」
甘やかな香りが、通り過ぎた。
「この村では、猫は一匹も見て無いんだがな……」
バツが悪そうに、或いは楽しそうに、猫はもう一度「にゃぁ」と鳴いた。
数日後、村で頑健を自慢する男を二人連れて、一行は四人となった。村で漬けた皮と、書状と、期待を背負っての旅立ちとなった。