第四話 茶色の瞳に映るもの
「俺達は寝る、一刻程で起こしてくれ」
「その間に、食事と湯の用意を頼みます。僕たちは…………」
子供達を泣きながら抱き締める夫婦に渡した後、村の奥まった場所にある家へと二人は案内された。板壁造りの家の一室に通された二人は、それだけを言い残して後は覚えていないと言う。
戦いが続くなら続くだけ起きてもいられるし、戦い続けられるだろう。寝られる状況なら寝ておく。傭兵なぞ、そんなものだ。
「いっ痛……」
セレンゲティは丁度一刻程で、むくりと起き上がった。板張りの床に崩れ落ちたままに、寝入ってしまったらしい。見知らぬ女が、榛色の目を見開いてきょとんとこちらを向いている。
傍らでは精神を消耗したレナータが、養父に謝りながら夢の中で苦悶の様子だ。もう少し寝かせて置いてやるのが、友愛と言うヤツだろう。
手足がキシキシと動かし難い。鎧ていない部分には、恐らく薬草と共に薄布が巻き付けてある。肌が見える所が無い程だ。
「……あのっ、よろいをーー」
言いかけた女の言の葉を、中空で捉えて目線で制する。手振りで外に促した。
部屋をそっと抜け出し、今度は戸外へと女に先導される。
小柄な村の女だ。
年の頃はレナータと同じ十五か十六程か。無造作に背中まで伸ばした髪は瞳と同じ榛色で、蜂蜜色のリボンでざっくりと纏められている。膝丈まである藍染のダルマティカに革のズボンは活動的で、少し焼けた肌と相まって快活な印象だ。
戸外へ出ると午後の日差しは弱く、涼気が気になる頃だ。ふと気になり見回すと、板壁の棟はこれ一つきりだ。見える範囲は丸太造りや干しレンガの造りで、屋根の形も不揃いだ。
「貧しい村なんだな……」
「そりゃぁ、そうさ。こんな辺鄙な山にへばり付いたような村が、裕福なわけないよ」
女は、カラカラと笑う。位置の低くなった陽光が笑顔に触って、髪がふわりと山吹に反射する。
「おじさんは傭兵さん? どっから来たの? 強いんだって?」
「俺達は山向こうの戦で負けて逃げて、迷い込んだって所さ。お前さんは?」
饒舌になりかけた女の表情がぴたりと留まる。見えて無い風を装って、景色を楽しむ。高低差のある森に不揃いな柵。柵の手前には、収穫を待つ綿花がふわふわと風に踊っている……。
「そうねぇ……。そこから来たの! ってのじゃ、駄目かな?」
上目遣いになる身長差だ。
綿花畑の側にある、小さな丸太造りの家へ向かう。数段だけの階段をとんと上がって、ベル型の重い扉に通された。
「ここがあたしん家。あたしはフュイールっていうんだ。入ってよ、脇の辺り怪我したまんまでしょ?」
言いながらにも、手早く突き窓を上げたり片付けなんかを始めている。
セレンゲティは快活さに気圧されつつも、固い革鎧を脱ぐ。
黒く変色した鎧下の綿入が、傷口に張り付いて難儀する。
「ああ……、すまん。俺の荷物の中に晒布が有ったんだがな」
「いいのいいの。村長が、払ってくれるって。麦と芋で」
やんわりと笑いながら、現金は払え無いと伝えられたようなものだ。セレンゲティは、片頬を少し上げて「じゃぁ、遠慮無く」と答える他ないのである。
睡魔と緩やかな舞踏に耽溺していたレナータを起こして、用意させた湯を使う。その最中にカエノメレスが顔を出した。村長からの宴席の誘いだったが、今夜は断りを告げておく。
随分と感謝をされたものか、用意された夕餉は豪華だ。
山と積まれ湯気を上げるピタ。絞められたばかりの羊が丸一頭分、スープ・焼き物・炒め物・腸詰め・煮物……余す所無く所狭しである。気遣い故か、カエノメレスとフュイールが給仕に付いて世話を焼いてくれた。
「厚待遇だな」
「ゴブリンの跳梁は、目下の懸案でしたから。この柵は"手強い"と印象付ける、痛撃になったでショウ。村長も喜んでいまシタよ」
「柵の外にどうしても出なきゃって時もあるしさ、みんな助かるって!」
「まぁ……僕等だって"掴んでたルフが飛ぶ"ってヤツだからね。……兎に角、皆命あっての物種さ」
セレンゲティが「酒は?」と小さく問う。と、フュイールが「傷に障るから少しだけね。取ってくるから待ってて」などと、満更でも無い様に返して席を外した。
「聡い女だな」と口に含んで、セレンゲティは樹人に問う。
「ゴブリン共が食事を始めてからかかれば、一匹も逃す事は無かった。その上余計な食い扶持をお荷物にして帰って来ちまったんだ……、飛び出しちまってよ。悪かったな」
「共感は出来まセンが、理解はしてまス。村長も何も言ってマセんでしたし、後の事は村と家族の話でショウ?」
拾われっ子のレナータは、思う処があるのか静かだ。むっつりと黙って汁物を啜っている。
「あなた達は、通りがかりにゴブリンと戦って下さって。その結果とシテ、幼い姉弟の命を救っただけでスよ」
「……そうか」
酒は来なかった。
フュイールが白い吐息をゆっくりと洩らす。薄着を纏い蕩けた瞳は潤んで、昼には想像出来ないしどけなさだ。
「この土地の酒は旨いな」
「ありがと。あたしが醸したんだよ。……あんた達は、いつまでこの村に居るんだい?」
「俺達か? そうだな、霜が降りる前には町に行かねぇと。雇い主が付かねぇ傭兵なんざーー」
「ゴブリンと大差無い?」
「違いない」
「そっか……」
艶やかな時間を、無為に過ごす楽しみ方をする。
時間をかけて思い出すように、フュイールは言葉を手探りに探す。
「セレンゲティ。あんたはさ、強くないけど……イイ奴だね……」
「……聞いてたのか?」
フュイールは猫の様に目を細くする。
「……俺は、そうなのか?」
「そりぁ……そうさ」
何が面白いのか、フュイールはくすくすと微かに微笑んで、暫くすればやはり年相応の寝息へと変わっていた。
女のカンってのは何処へ行っても変わらないのな、とセレンゲティは独り言を落す。
「もう少しだけでも強けりゃ、怪我も減るだろうがなァ……」
夢か現か不明なままに、独り呟いた。
気付かぬうちに開け放たれた突き窓から挿す髪を撫でる光で、レナータは独り目を覚ました。ボンヤリとはっきりしない眼のままに、のたくたと部屋を見回す。
部屋の隅に置いてある甕の蓋を開けると、数匹の虫けらの幼生が、泡を食って走り回る。甕の淵をカンっと叩くと、小虫達が算を乱して底へと潜る。そこへ備え付けと思しき杓でもって、水を掬って喉を鳴らす。顔にぴしゃりと浴びせて覚醒を促し、手拭いが無い事に気付くまでで一揃いだ。
レナータは、耳が良い。遠間から、泣き声が聴こえる。
朝の散歩にしては、難儀になりそうだ。と、レナータは深く息を吐いてみた。
田舎の村落にしては"行き届いている"印象を感じる。人々は用を足す時、戸外に備えた専用の桶を使っていたから、何処かで纒めて処理をするのだろうか?
家畜のそれも道の脇の田畑に避けて、不快に感じ無い。どこの村だってそうだし、大きな街でも貴族の踏み入れぬ裏道へ一歩入れば、垂れ流しに匂い立つのが相場だろうに。
臭気が無いからだろうか? 収穫を終えた田畑は、近く動かされる藁をふんわりと残して、牧歌な絵画の様に感じる。
飼われて険を失った狼が、ブンブンと尾を振って歓待する。そこから角を曲がると、やはり泣き声だ。昨日、行き掛かり上救ってしまった姉弟。その弟が独りまた、しゃくり上げるように啜り泣いている。小屋の様な丸太の家、その裏手で独りだ。
『ああ、この子供は僕を知らないんだったか……』などと思い返すが、男児の方も泣くに忙しくこちらに意識は向いていない。開け放たれたままの突き窓から、何気なく覗き見て、レナータは小さく息を飲んだ。
昨日姉弟を渡した若い夫婦だ。母親の方はうずくまって、さめざめと泣くばかり。父親の方は、目も虚ろに食事の支度の様子だ。
そして……助けた筈の幼い姉は、虚空に色の無い瞳を向けて微動だにしない。飴色の瞳は何も見ていない。何も映していない?
レナータは平静の薄衣を掛けて、腰を落とした。
「ねぇ少年よ、何があったんだい? 僕に話してくれないかな?」
なるべく優しく聞こえる様に、ゆっくりと問うた。見知らぬ青年に話かけられた弟は、びくりとしたもののしばらくかけて涙を押し留める。と、少ない語彙で懸命に説明をしようとする。
「おじちゃんは、だれ? 何でそんなことを聞くの? お姉ちゃんが大変なんだよ!?」
「おじちゃん……は、旅の魔法使いでその……カエノメレスさんから、様子を見てくるようにって頼まれたんだよ」
喉をつかえさせさせながら、途切れがちに伝えたのは、
「お姉ちゃんは、目を覚ましたのに、起きて無いんだよ」
と、なる。その一事を伝える間にも思い出して、ぼろぼろと涙を落とし始める。
余りに時間をとるもので、レナータは気短になってしまう。こんなガキは、親子諸共に捨てられてしまっても、文句も言えない。
「坊主、泣くな。泣いたら姉ちゃんは目を覚ましてくれるのか? 泣いたら何でも上手くいくのか?」
レナータはじっと待つ。魔術を操る精神の持ちようで、ガキの答えを待ってやる。
やがて十分な時間をかけて、弟は涙を引っ込めてふるふると首を精一杯に振った。
「そうだ、泣いても始まら無いんだ。いつもお前の姉ちゃんは、今時分に何をしてる?」
「お姉ちゃんは、僕と遊んでくれたり、ママのお手伝いをしてるよ?」
「そうか。姉ちゃんがしなけりゃ、誰がやるんだ?」
「……」
「姉ちゃんはな、坊主。お前を泣かせる為に右手と心を使った訳じゃ無いんだぞ。分かるか?」
難しい顔に変わった幼い弟に、レナータは畳み掛けてしまう。
「姉ちゃんが目を覚ます時まで、泣いてるつもりか? 姉ちゃんが心を治すまで、何にもしないで待ってるだけか?」
「でも……お姉ちゃん……」
「でもじゃぁ無いだろう? 悲しい気持ちばかりかもしれないが、それだけじゃ駄目だってのは分かるだろう?」
「……うん」
「分かりゃぁ良いんだ。父ちゃんを手伝ってやんなよ」
「……ん。……うん、分かった。おじちゃんありがとう。お手伝いしてくるよ」
さっと振り返って戸口へ駆け出す間にも、チュニックの袖口を目元に当てている。ほんの少しだけ逞しくなった背中と、窓越しの飴色の目を見比べる。
レナータはガリガリと頭を掻いて、来た道を戻るしか出来なかった。