第一話 この地の果てへ
何処までも、何処までも萌える緑の濃淡を霞ませて、見渡す限りの大地が続いている。霞んだ先は空との境界を曖昧にして、限りなく透明に近い薄緑に澄んで滲む。どの方向を向いても同様の景色が飽く事も知らず、無限を思わせて広がっている。
南側にぽっかりと空いた薄青い空には、朝焼けの太陽が低く登りつつある。天頂を仰げば薄っすらと、萌黄色の顔料を水に溶かした様な天蓋に、広々と雲が泳ぐ。振り返って北に空いた蒼穹の空には、くすんだ銀盤のような太陽が小さく瞬いている。
感謝月の空気は、澄みきって天高い。暑気は失せて柔らかくなって、気後れ気味に吹く涼気も心地良い。遠くの空を悠々と横切って行く芥子粒の様な点は、巨鳥か翼竜だろうか。
あと半月も過ぎれば冬季に入り、景色も色合いを変え始める頃合いである。
リプト地方の東端、ニアンガ公国の国境近く。一面を高低様々な緑に覆われた小高い丘を越えれば、モトラッド地方に迫る際。地方に同名のモトラッド王国の内にある、エンドラ公国領に程近い森の中である。
荒い息を吐きながら下生えを掻き分けて、二人の男が歩いている。鬱蒼と茂る木々の間を黙々と、一歩一歩足元を確かめながら進んで行く。
「付いてこれてるか? レナータ」
「僕だって……一人前の……傭兵だよ。セレンゲティ」
二人は、旅を住処とする傭兵である。
先を進む一人は、柵を囲って内に住まう人型種族の柵人(地球という世界の"人間"という種属が、随分と似た種であるとの事)。年の頃は二十歳頃と見える、壮年の引き締まった巨漢だ。硬く煮固めた革鎧に、窮屈そうに身を押し込めている。ぞんざいな作りの冑と丸盾を背負い袋と共に担ぎ、大鉈を振っては枝葉を払い、背後に気遣いを送っている。使い込まれた背負い袋は荷物に膨らみ、左右には革帯で締め付けられた槌矛や革袋が括られている。
透ける空色をした目は木漏れ日を返して輝き、快活に行く先を見つめている。つるりとした頭からは汗が流れる。
顎のがっしりとした厚い口からは、時折「滑るから気を付けろ」などと、息は弾むものの疲れた様子も無く、道無き道を拓いて行く。
遅れまじと続くのは、前を歩く者に比して、身体的には幾分か劣る様子の男である。
こちらは膠で固めておらぬ革の胴巻に、同じく革製の丈夫そうな兜を被っている。腰には大振りの太刀を履いて物々しい。禿頭の柵人と同様の背負い袋が、肩に食い込む様は痛ましく重々しい様子だ。
華奢な身を屈め、目も虚ろに杖を突いて歩く。前を行く背を追っている様は、疲労の色を隠しようも無い。
だが、若木のような明るい茶色の瞳は、理知を湛えて注意深く周囲を伺っている。毒性の植物や危険な野獣の痕跡を見つけては、前の男に伝えるのだ。
この世界には、旅商人や傭兵団といったモノが存在出来ないらしい。大体は彼等のような傭兵が、その役回り務める。何処までも緑濃く連なるこの世において、柵を巡らせ集団で自衛する村や町を出れば、ほど無くして妖魔や野獣の餌になる。
木々の間に倒木の椅子を探し当てた二人も、前述の通りである。
「珍しく地図なんてもんを手に入れたものだから、これ幸と思ったが……。 縮尺が合わんな。大丈夫か? レナータ」
レナータと呼ばれた方は革兜を外して、ベッタリと張り付いた長髪をかき分ける。秀麗に整った顔立ちには惜しく、厳しい表情である。
やや上向きに尖った耳を覗かせて口を開く。
「何のまだまだ! と、言いたい処だけど。縮尺が合わないんなら、後どれだけ歩くかも分からないのか……」
「ああ、位置関係はおおよそ合ってるようだがなぁ……」
大柄なフェンサは、手の平程のドロップナイフをベルトから抜き出して、草むらに身を屈める。目当てを見つけると、その草の葉を立てて根元をナイフで掘り起こす。芳ばしい地面から顔を出すのは、丸々と太った根っ子だ。四つ程掘ったら、棘の無い大振りな葉を、手近な木から無造作に千切る。千切った木の葉でもって、ナイフと掘った根を拭う。レナータが出した手拭いで磨いて、布と一緒に丸根を「ほれっ」と、半分渡してやる。
遠く、鳥の鳴き声が長く伝わってくる。
視界の端を、歩く低木が陽当たりを求めて、ゆっくりと去って行く。
天を覆う緑に混じって、葉を落とすものたちが、木漏れ日の秋を届けている。翌年に向けて花を散らせた草花が、短い冬の間だけ他の植物達に場所を明け渡す。
あの低木もいずれ、陽だまりに住処を見つけるのだろう。
瑞々しい草の根を齧る。シャクりと、小気味良い音。多少青臭いが、冬を前に滋養を蓄えた甘みと、後からくる酸味。たっぷりとした水分が、火照った身体と喉に殊更優しい。
「んぐ、当たりだ。甘い」
「僕のは普通だな、少し酸っぱい。やっぱりツイて無いのは半分だからかな……」
「お前さんの垂れた耳が半森人の証だからとて、お前さんがツイて無いのは、やっぱりお前さん自身故さ」
「セレンゲティだって、柵の内側に居着いてたって話は聞いた試しが無いけどね」
残りが少なくなった干し肉も、背負い袋から取り出す。こちらは慌てずに少しずつ噛みちぎって、ゆっくりと水分を含ませながら、磨り潰すように食べる。
「まぁ、あれだ。考えてもみろ? 俺たちは結構ツイてるぜ。負け戦の全滅って所を生き残って、割り当てはたんまりだ」
「ふん。セレはまた仕官の口を失くしたって、ボヤいてたじゃないか?」
「過大な期待はしちゃいなかったさ」と、セレンゲティは、ため息と一緒に吐き出す。
「……まぁ、最低あと一年は傭兵暮らしやって、命が残ってたらの話だしな……。済んだ事だ、気にするな」
「派手に立ち回ったもんだから、ニアンガには居られないし。どの道負け戦の後じゃぁ払いも悪くなるだろうしねぇ」
「モトラッドでなら、少しは楽に稼げるかもしれん」
「噂通りならね」
「戦で払いの浮き沈みがある位なら、食人鬼相手に命を賭けた方がナンボかマシだ」
「セレ。セレンゲティは井戸掘ってたり、柵の建て付けやってる方が似合ってると思うよ」
この顔だ。こんな時のレナータは、意地悪な風に見せてるつもりなのだ。だがその実、年齢以上にあどけなく小動物めいた雰囲気に見える。
「褒めるなよ……。しかし、今は十四月の半ばか? 今年も後二月か」
「来月には冬が始まる。霜が降りて雪が降るようになったらお終いだよ」
「ああ、ちいっとばかり厳しいな。街道が使えれば一週間か十日の道のりが、もう二週間だ。ピタも残っておらんし、このまま進んで良いものか……」
「どうだろうな? 僕にも、もう一度地図を見せてくれよ」
これもまた背負い袋から、丸めた獣皮紙を取り出して渡す。開くとやや滲んだインクで、低い尾根や高い山、沢に谷と、いくつかの村落、横切るように鷹揚な線が国境を示している。一面森なのだが、当たり前過ぎて一切描かれてはいない。
レナータは額に眉根を寄せて、地図を睨め付けるのだが、目印も周囲に対比する物も地図上に増えたりはしない。
「分かるかっ!」
「そうカッカするなよ。だいたいの場合、俺たちに遅考は無い。いつだって拙速ばかりよ。しかしこりゃぁ、早々に野営の準備を始めた方が良いかもしーー 」
「セレっ!」
半森人が小さく、しかし鋭く制する。二人は声を殺し、息を潜めて動きを止める。倒木を楯に身を縮込ませて、気配を窺う。レナータの耳が、ひくひくとコミカルに律動して、それだけが現実味を遠ざける。
間も無くセレンゲティの耳にも、木々を分けて歩く集団の音が届くようになる。やがて、黙して観察する二人の視線の先、丘の頂上付近から何かが下って来る。無造作で猥雑な集団が、こちらに近付いて来るではないか。
セレンゲティやレナータの胸程の醜い矮躯の鬼。どす黒く垢染みた肌には、掠奪品の成れの果と見える、皮や布の襤褸を体に巻き付けている。頭には思い思いに褐色や赤錆色の頭巾を被っており。くすんだ灰の斜視は、あらぬ方を仰いでいる。鉤鼻の下の裂け気味の口からは、汚らしい乱杭歯と吠え声のような会話らしきが覗いている。手にはそれぞれに石斧や短剣、短槍や棍棒などを、身振り手振りにと振り回している。
ゴブリンだ。
一町歩程先を掠めるようにして、通り過ぎていく。
矮鬼供が、収穫と思しき麻袋を駕籠の如く吊って運んでいる。彼奴等がざわと移動している様子が、枝葉の隙間からはっきりと見てとれるのだ。
「一、二、三……。 沢山居たな」
「セレンゲティ、数えるのを諦めないでよ。十匹も居ないぞ、多分」
「とは言えど、だ。あの数は相手にしておられん。誰からも報酬が出らんとなれば、割りに合わん事この上無しだ」
「ああ、そうだな。縮尺は合わないけど、方角は合ってるみたいだから。このまま進んで尾根を越えれば、村が在るんだろう? そろそろ柵の内側で寝たいよ」
小声で軽口を交わす。聞こえぬ筈と分かっていても、背中が冷える。普段は気にもならぬ蠛蠓さえも、視界に五月蝿い。
「屋根の下で寝たいのは、確かよな……。 行ったか?」
「大丈夫そうだ。良い休憩にもなったし、僕たちも行こう」
勾配の厳しい斜面を迂回して、油断無く半刻余り歩く。
尾根を越えると視界が開ける。後背と変わってなだらかな緑の絨毯と、遠く視界の果てに僅かな白花色の煌きが窺える。
リプト地方を抜けて、モトラッド海岸地域に入ったのだ。
この地域は、モトラッド王国とその内外に従属する公国や領地を持つ。その為、地域内での衝突が無いと聞く。また、攻めに出難く、守るに易き地勢である。
故に『周辺地域に比して、穏やかで平安』と、聞く。そう聞けば見飽きた凡庸な景色も、穏やかな開放感を感じるのだから、不思議なものであろう。
「ーーんっ、ぁーーっ」
我思わずといった風情でセレンゲティが、目を細めて大きく伸びをする。
剛力を誇る肉体を縮込ませて、時に枝に掛からぬよう、時には音を立てぬようにと張り詰めていたのだから無理も無い。
釣られたふりをして、レナータも同じように伸びをしてみる。想像以上に強張って居た身体が、解れていくのを感じる。
少ししか年の違わぬはずの同性の先輩に、上手く誘導されているな、と思う。若干の気恥ずかしさを感じて、顔を見られぬよう先に進み出す。
二人は地の果て"モトラッド"へと、辿り着いたのだ。