第十四話 胸に抱えて
視界が高い所がよいのか、時折溢れそうになりながら、セレンゲティによじ登る。旅路の間にお気に入りとなった肩へと、てんが納まる。曰く『主様の肩は、骨張って狭い』だ、そうな。
「既に白骨化しており、死臭も無かったが……諸君、留意が必要だぞ」などと、尊大に嘯くこの小さな毛皮は『我輩はエティエンヌ・ド・ヴィニョル』と、名乗っている。
もっとも、餌をチラつかせて揶揄えば、すぐに癇癪 を起こすものだから、専ら『ラ・イル』『ライル』と呼ばれてこの二月愛玩されているーー当人はお気に召さぬようだがーー。
彼は大袈裟な、文字通りの秘儀によって、骨と皮ばかりに野垂れ死ぬ処を使い魔となる事で救われたのだ。
彼が話すところに依らば、儀式によってレナータの使い魔となる前の記憶は、曖昧模糊として説明の仕様が無いらしい。
レナータが紐解いた魔術書……これを著した者は、いったい何を指して"天使"と表したのか。感覚を共有したり、レナータと魔力で同調してみたりはする。普通の使い魔と何ら変わり無い。違いと言えば、人語を解した上で、よく喋る事だけなのだ。
レナータは今一度野垂れ死ぬがいいなどとは言えず、己が不幸を『いつもの事さ』と少々嘆き、二人はかける言葉も無い。エンドラ公爵は腹を抱えて一頻り笑えば、茶飲み友達が増えたと無責任に喜んでさえいた。女中達は無言のままにそれぞれの時間を、彼の為の小間物作りに充てたのだった。
「んで、何だったっけか?」
「セレンゲティ君。人の話は、疎かにするものでは無いな」
「ラ・イル、光を放つ死体が有ったんだな?」
「主様そうとも。面妖であったぞ」
「不死生物かも知れませんね」
「努めて油断を致さぬ事だ」そう結んだラ・イルはセレンゲティの襟巻きとなって齧り付き、暖と安全保障の等価交換を暗黙の内に契約した。
手慣れた呼吸で、レナータが周辺監視を厳にする間、セレンゲティとジェネッタが武装を整える。以前は三人が順に行っていたが、今はレナータの後背をライルが注視している……。
ロープはそれなりの長さを持ち運んではいるが、今のところ必要とする程の斜面は無かった。しかし、凹凸を複雑に折り重ねて、僅かずつ降っている。狭く、身を屈め、湿った壁を炙りながら用心深く進む。
「ご対面……だな」
強行偵察係は、仕草や態度とは裏腹に、そこそこ優秀である。額と尻を擦るようにして横歩きに抜け出た先は、三間四方足らずのドーム状で、休息出来そうな塩梅だ。足元が心持ち傾いで、細い流れが地下水を異界へと運んでいるように見える。
果たしてそこには、一体の亡骸がくしゃりとへたり込んでいた。武具屋や故買屋で偶に見る古い様式の革鎧が、満身創痍のままに白骨を包み護っていた。
目配せして、松明の灯りを遠ざける。
亡骸の内から、仄かに薄ら明りが漏れる。
「ジェネッタ。祈りを」
白騎士はこくりと頷いて、聖印を手にした。
小さな祈りは、洞窟に吸い込まれるように響いて、囁くまでに小さくなってしまう。ジェネッタは曲がりなりにも神官だ。反響する松明の鳴りに心が怯むのを感じる。やけに乾く喉を誤魔化し、途切れぬように詠唱を続ける。もし亡骸に魂が残っているなら、天へ召されるように。亡骸が弄ばれる事も、辱められる事も無いように、真摯に念じるのだった。
「もういいぞ」
セレンゲティが言うまでジェネッタは敬虔な神官のままに、現実と解離していた。大きく息を吐いて、五感を意識的に同期させる。
「不死生物では無かったようですね。光る……苔か何かでしょうか?」
「ひょっとして、ジェネッタさんは初めてですか?」
太刀を納めたレナータが、元傭兵の方を顧みる。
「そうか。まぁ、傭兵働きを長年やってても中々お目にかかるモンじゃぁない」
そう言ってセレンゲティは、形ばかり手を合わせると死体から鎧を剥ぎ取る。首に巻き付いたままの使い魔も、言葉少なに興味深気だ。
どちらかと言えば、鎧の中に骨が寄りかかっているだけなので、ガシャリと簡単に腕が落ちてしまう。
落ち窪んだ肋骨の下、革鎧の隙間にそれーー血水晶が、霞むような赤を含ませて、小さく煌いていた。
「……もしやとは思ったが、久々だな」
「強く想いを遺したまま死んだ者は、しばしばその想いを血水晶に託す、と。迷信だとばかり思っていました……。そう……想いを……」
ジェネッタは魂の欠片らしき輝きに惹かれて、感慨深くしている。対してレナータは即物的である。
「危機であれば心身を正常に戻し、正常であれば遺した"何か"を託される事もあるのだとか。処分してもいい額ですから、悲運を嘆いてばかりもいられませんね」
洞穴に入り込めば、時間の感覚を早々に失ってしまう。松明の灯りが切れれば、脂を塗りたくった布を巻き直す。
足元の不確かさや、いつ何時、何に襲われるか分からぬ緊張の連続は、集中力や体力、時に魔力を戦場の如くに奪ってゆく。知らない森に、独り取り残されるようなものだ。子供に還った様な不安……。
腕木代りの岩の割れ目に松明を刺して、往年の先輩と休息をとる。
使い切った松明の頭を折って薪にし、火を移す。
もどかしい様の白騎士は「何でも出来るんですよね」と、結局歩哨しかできない。簡単に区画を区切って、檀香の屑を一摘みずつ撒く。気休めだが、獣除けの祈りを捧ぐ。
「何でもやらにゃ、ならんだけだ。ま、傭兵と騎士様の一番の違いだな」
地下水の溜まりで銅の小鍋に水を汲み、ついでにセレンゲティは鉄兜を軽く洗う。耳まで隠れる、緩く巻いた金髪が露わになる。火の側に置いて、一応乾かす。
ナイフで割いた干し肉を、鍋に沸かした湯で戻してやらったら、兜の上にあけて冷ましておく。塩気の出た湯に三人分の干し肉と、外で摘んだ青菜や草木果を適当に切って放る。
松明の頭を欠いても、松脂の匂いがやはり気になる。ジェネッタは露骨にうんざりした顔だ……が、文句はつけない。
「洞穴に入ってコレなら、随分豪華だね」レナータがピタを千切り分ける。持てる程度に冷めた肉を両の手で掴んだご満悦のライルにも、一欠片が配られる。
頃合いにジェネッタが、自前の木椀を出す。それと、セレンゲティの兜によそい分けて、残りをレナータが貰い受けた。
余程疲れているのか、ジェネッタは特に無言のまま食事を流し込んで、舟を漕ぎ始めてしまった。
「必死だな、ぼんぼんは」
「自信てヤツは、お金や権力で賄えないんだろうね……」
「ふむ。人型は難儀なんだな」
こっちは文字通り生きるだけで必死だ。命を対価に差し出す仕事以外に、食ってく手段などはなから存在しない。
育ち、環境、運不運。産まれた瞬間から、確定要素が配られ、その素因の奪い合いだ。
否。奪い合いにすらならない。奪われる立場を配役されれば、永劫その立場で遣り繰りするのみである。
殊更悲観も怨嗟も無い。
ただ、当たり前。
しかし目の前で、命を賭して"自信"一つを求める、努力家の騎士の面倒を見ていると、己が身を滑稽にも思えてくる。
人は、持って無いモノを求めるのだ。多分、貪欲に。
思索の雲間にあって、どれだけの時が過ぎたのか?
松明をけちって、カンテラを使う。騎士様には無い価値観だろうか。
セレンゲティは、二十歳を過ぎた。これからは誤魔化しながら、衰えと付き合う事となる。
"穏やかに平穏"なエンドラでは、仕官の椅子に空きは出ない。さっさと通り過ぎるつもりが、嵌められてしまった。行きがかりの上で、悔いても詮の無いことだ。
膝が曲がらなくなるまで歩哨に立って、お迎えを待つか? 戦場を求めて、命を差し出して歩くか? 先が無い事実をボンヤリと反芻する。
漕いだ舟が時化で揺れたか、ジェネッタがびくりと身を震わせて目を醒ました。
ジェネッタは、油断して睡魔に負けた自身を恥じる。
巨漢の先輩は、時の流れを取り戻して崩れ朽ちた大先輩と、火の番をして下さったようだ。十も離れた叔父のように、柔和な笑みで「キツく無いか?」と囁いてくれた。
急速に霧散してしまう夢の中で私は、なぜお父様の事を『叔父さん』と呼んでいたのか……。
「少しは休めたかな? ジェネッタ君」
「ライル。最初に寝息を立てた奴の台詞じゃ無いぜ」
「無理をして剣が振れなければ、返って良く無いですから。言って下さいよ、ジェネッタさん」
「至らない限りだ。すまない」
ジェネッタは逡巡して、食事の前に考えていた事を思い返す。
「血水晶を使っても、その……いいでしょうか?」
レナータは事も無げに応答する。
「出資者なんですから、上がりはジェネッタさんのモノですよ」
ジェネッタは、また、もどかしい。買いたいのでは無い、手に入れたいのだ。
「傭兵達なら、こんな時どうするのです?」
セレンゲティは少し考えて「三分の一出すか、担保を取るか? だな」レナータに同意を求める。
ジェネッタは腰の革袋から、年末に買い取った血水晶を担保に差し出した。
「いいぜ。握り込んで、集中しな。こう……遺言をしっかと受け留める心持ちだ。使った事はあるか?」
首を振って若い騎士は、手に収まる血水晶を受け取る。
深呼吸をして、そしてーー