第十一話 敵、新たなり
警鐘が雪混じりの風にたなびく。
部屋を飛び出し、それぞれに装備を求める。
屋外に出れば、折からの強風がレナータを諸共に吹き飛ばそうとする。眉まで伸びたセレンゲティの金髪が、風に暴れる。
「うぁ……っ、風が」
「予想以上に白いな、騎士様よ」
ジェネッタは二つ名の通りである。
「叙勲を受けた年に狩った冬将軍の革で揃えたんです。寒さを通しませんし、見た目よりも丈夫です」
各々が装備を整えて、屋敷の庭の中ほどで落ち合った。大小の二人も借り賜った装具だ。
「喧しいな。街に入られたか?!」
「恐らく。柵の外で食い止めている間は、鐘を鳴らしたりはしません」
「冬将軍のお出ましですかっ? ジェネッタさん」
「南門……風下が慌たゞしい様子ですから冬将軍か、或いは腹を空かせた猪豚や大熊が群れたのか……」
「門や柵が破られる程にか?」
「……」
ジェネッタは、眦を寄せてーー。
「北門へ行きます」
「まぁ、そっち見とかねぇとな」
「っと、セレ! ジェネッタさん、どういう事です?」
重い雲越しで午後の明かりは鈍く、息苦しささえも感じる程だ。対して軽やかな雪が、強い風に舞って、積もらず視界も悪い。
「レナータぁ。お前は賢いのに頭悪ィなぁ……。尋常にな、魔獣たぁ言えど、野獣が柵を破れるか? しかも、この街の高い柵をだ」
「手管は詳らかとはなりませんが、操られたか、嗾けられたか……」
「暗幕の袖には、女衒が居る?」
ジェネッタは口の中で「釘を刺されましたかね」と、呟いたが、聞かれては居ない様だった。
早足で北へ向かいながらとなる。家屋の隙間から迫る向い風は強く、歩みは進まず、声も大きくなる。混じる雪に辟易となるが……こればかりは、文句を付ける相手が遠い。
セレンゲティは、経験の教官である。「然りだ。問題は、火を使って来るか否か……」
ジェネッタは、教本的な戦術眼で、「街ごと奪う肚積りなら、火は使いますまいが……」
「蹂躙する、或いは国力に打撃する為なら火をかける? ならば、風上から?」と、レナータは良い生徒の回答をした。
「ええ。整理すると、そうなります」
大路を駆けて、北門の脇を守る詰所の前には既に、傭兵達が各々得物を手に集まっていた。
「頭数の分だけ、勘のいい奴もまあまあ居るもんだな」
「ジェネッタさん、こっちに来ちゃって……騎士団の方は良いんですか?」
「ふふふっ、良いのだ」
ジェネッタは"してやったり"の表情……だが、誰の目にも似合っていない。
「私は元々手伝いですから、騎士団には下の兄が居ます。追っ付け此方にも人員を回すでしょう。それよりも……コレですよ!」
美貌の騎士が、胸元を弄る。
「硬貨……じゃ無い。記章?」
「ピッカピカの新品じゃねぇか。何処で拾って来たんだぁ?」
「失敬な! 私のですよ!」
「じゃぁ、ちょこちょこ居なかったのは……」
「歩哨にも立ちましたからっ」
「葉っぱが一枚きり。随分と豪勢な歩哨だなぁおい……。しかも、初級神官になってやがる」
自慢顔で掲げる記章の中央には、風車を模した聖印が飾り気無く描かれ、初級の神官である事を示している。
「くっちゃべってても、門が開かんと埒が明かん。どうなっとるんだ?」
「デカイの、指揮官級が居らんとさ。兵隊さんに責任追っかぶせるにゃぁ、酷だろうしな」
そこには髭の小山の様な傭兵が、槍を携えて居た。
「あ、髭の」
「尖り耳の若いのか。イイ読みだな」
「ジェネッタ、出番だろ?」
「承りましょう」
ジェネッタは、同性でもどきりする程蠱惑的に微笑んで、詰所の屋上にある見張りを臨んだ。
「状況はッ?」
「何も……いや、灯が! 松明だっ。三つ……八つ? まだ増えてますッ!」
傭兵達から集まった視線を、向かい風を貫く声で白騎士は返す。
「騎士団の到着まで、戦匠殿が臨時に指揮を摂る。我々傭兵で持ち堪えるぞ!」
「なッ?」
「うぁっ、親子だ」
「デカイのは戦匠殿だったか、宜しくな」
巨漢は口を半開きに、二の句を失いかける。が、時が無い。
「くそっ。ジェネッタ奴、憶えてろよッ」
「心得ましたとも。返ってきた貴方の記章には、旗が増えておりましたよね? セレン」
セレンゲティは、苦虫を噛んで吞み下すと、のしのしと門前へ進んだ。
「公爵家は随分と財布が重くて難儀してらっしゃるようだ! 謝金を倍踏んだくる働きをやるぞッ!!」
むさ苦しい連中が、得物を鳴らして応える。
「門を開いたら盾を使える奴で、緩く網を張る。無い奴は兵卒と、網を抜けたヤツを叩け! 弓箭とそこの鱗人は水の手配だ」
ぐるりと見渡す。臆する者は無しと。
「ペーペーはベテランで挟んで貰え、恥には無らん。いいかッ! 倒し切れんでも火がかけられなきゃぁ、俺たちの勝ちだッ!」
自身も背中から得物を抜く。鈍く軌跡を残す片手半剣を掲げる。
「門を開けろォッ! 商売の時間だッ!!」
左右の詰所へと、巨大な閂が引き込まれる。
身の丈の倍はある門扉が内側に引き込まれ、鬨の声を上げる傭兵達が、街の外へと駆け出して行く。
待っていたとばかりに矢が射かけられ、身の運、不運を判じられる。不運を割り付けられた幾人かがどうと倒れ転げる。大事に至らぬ者には、屈強な僧侶が盾を背負ったままに付いて、各々の神に其々の聖句を捧げる。
レナータは知己となった髭の男に、ジェネッタはセレンゲティにそれぞれ《防護》の呪文を唱える。
「盾を前に押し出せよ。俺の割り当てが増えっちまうぞっ!」
大声で叱咤しながら、セレンゲティもジェネッタを従えて走り出す。戦匠は切り欠きのある楕円の盾、白騎士はやや小振りな装飾盾を構えて、ままよと飛び出す。
柵に遮られて乱れる風が、殴りつける。その風に推されて、恐るべき弓勢と化した矢が、不規則に襲いくるのだ。しかも、その矢風の中を、豚頭人がすでに攻め寄せているでは無いか! 疎林から浸み出すかのように、まるで追い立てられたかのように、甕や壺を抱えた決死隊だ。髭達磨が唸る。
「胸糞悪いの」
豚頭人は妖魔では無く、人類種だと称える学者も居る。曰く、彼等は生まれつき邪悪な種では無いらしいのだ。ただ、彼等は、怠惰で、文盲で、理性的で無いだけである。と。故に豚頭の者達は、妖魔共から容易く騙されては、使い捨てにされる。
「真面目に相手になる必要は無いぞっ! 油壺を叩け、転ばせとけばいい!」
セレンゲティが叫ぶ要もなく各々がそうしており、そこら中が油で染みを広げていく。
前衛に盾を持って網を張る傭兵が牽制し、時に打撃する。後ろからは槍が、魔弾が、オークを撃ち、侵攻を食い止める。
オークが右往左往しながら柵を目指す。網に穴を空ける訳にもいかず、オークに気を取られると矢が刺さる。そして、戦列は無為に広げさせられ、森はオークを吐き出し続ける。
「足元に気ィ配れよ! 油を浴びた奴ぁ退がって他の詰所へ伝ーー」
神殿の尖塔から、水袋が落ちてきた音。とでも充てるべきだろうか? その時起こった事象を理解出来た者は、一人として存在し無かった。頑丈な柵に遺されたのは、油混じりの赤い染みと、武装の残骸と、肉片。そして傭兵達は何が起こったのか、直様理解する事となる。
下草を均し潰して、のっそりと姿を現したのはーー
「食人鬼!」