第十話 彼等について
「さ、始めよう」
「動いて無いと寒いけどな。ちょっと待ってな」
一戦目の賭け金のやり取りが、戦いの寸評と共に交錯している。その騒めく軒に、セレンゲティは顎を向けた。
「レナータぁ! 今、ナンボだ?」
「八対二だよ!」
「ま、妥当だな……」
ジェネッタは眉根を寄せる。
「レナータ、俺に賭けとけよッ」
レナータはひらひらと手を振っている。
「結構な自信ですね」
「なに、はったりだ。……さて、戦るか」
何を思ったのかセレンゲティは、スタスタとジェネッタの方へと歩いてくる。木剣をぷらぷらと弄んで、散歩の様に。
ジェネッタも衆目も唖然としてしまう。そのままジェネッタの間合いまで無防備に進入する。
ジェネッタは呆けていた自身に気づいて、咄嗟に突きを繰り出す。咄嗟であっても身体が憶えた渾身の刺突は、セレンゲティの左目へと吸い込まれて行く。
セレンゲティの目は、嗤って……。
かーんと、乾いた木を打ち合わせる音が、高く風に流れてゆく。
ロングソードを模した木剣の鎬で、細い鋒がぴたりと留められ小揺るぎもしない。絵画に封じ込められたような白騎士は、顔を顰める。
「白騎士卿の突きが、止まった……?」
衆目が響めく。
「外じゃあり得ない二戦目だ、愉しもうじゃぁないか」
余裕の表情をするセレンゲティに、ジェネッタは唸る斬撃を投げる。
「楽器でも弾いて居ましたか? セレン」
「いや。掛け値無しの全力だったぜ」
返答は、黙して剣風。
八方からの斬撃で囲い、セレンゲティに攻め手を出させない。
セレンゲティは防戦一方となる。いや、防御に専念して、鋭い斬り込み一つ一つを受け、払い、叩き落として往く。
セレンゲティが力を込めて打ち払っても、反動さえ利用するジェネッタは、攻勢を緩め無い。
この速度! 連撃! どれ程の修練か!
『攻めに出れねぇ……、先ずはきっちり突きを封じておかねぇと……』セレンゲティは、心の内に舌を巻く。
「お前さんを組み敷こうとした連中と一緒にしてくれるなよッ!」
「嬲るなッ!」
「図星か?」
「二度も挑発には乗らんッ!」
一方のジェネッタもまた、焦っていた。
三十合を超えて尚、決め手に欠ける。
『渾身の突きを止められた。二戦目……、同じ手は通用しない? 私の刺突は見切られている……」
突きを一つ惑わしに捨て置き、喉頸へ振り抜く。
間近から遠間へ、また深く踏み込んで……。
芯の籠らぬ突きには目もくれず、何も強く叩き落とされる。
「ならばッ」
セレンゲティは、見た。
ジェネッタが揺らりと流れる。
ぬるりと間合いを詰めて来る!
「親子かッ?!」
間合いを潰して手許を隠し、逆風。顎から脳天まで両断せんとの気迫。
「が、そこだッ!」
セレンゲティは斜に躱して、剣が仇と渾身の打ち下ろしを見舞う。
ガッと鈍い音を残して木剣は、くの字に曲がって、冷たい地面へと伏した。
「五十と六合……。戦匠って奴ぁ、一度も攻め手を出さずに勝ちやぁッた……」
ジェネッタの手は震えるばかりで、暫くは剣を握れぬ程に痺れていよう。
信じ難しと、目を見開くのみである。
「危なかったが、これで一勝二敗だ。面目は立つかな」
「セレン……。完敗です」
「力比べにさせて貰ったからな。攻めにも移れんし。突きを重ねられたら、打つ手が無かった」
「なっ……」
「褒めるなら"磨いた技"を、だったろう? 突き技のみなら二個上だろうなぁ。ま、刺突無しなら俺とどっこいだが」
「あんなに鮮やかに止めておいて……、ちょっーー」
木剣と元木剣を手に、巨漢は歩き始めている。
「動いたら小腹が減ったな。茶飲んでこうぜ」
翌日のセレンゲティは、早朝から窮地に立たされていた……。いや、立つ事は許され無い。
エンドラ公爵は、当然公務へ。ジェネッタも諸用有りとかで、朝から居らず。頼みの綱のレナータも、走り込みに出てから戻って来ない。
鍛え上げた膂力、無尽を誇る体力、戦場を駆け抜けた生命力はその用を為さず、得物を持つ手はわなわなと震えるばかり。傍に炭鉢を焚いているにも関わらず、冷たい汗が背中を伝う。
正に孤立無援。死地を掻い潜り続けた経験も、生き残る嗅覚も、今の己を立たせた勘働も……何一つとして状況を好転させるだけの力を持たない。
敵は、砂板。
木枠の付いた、ちんまりとした板に目の揃った砂利が敷き詰められている。セレンゲティの手にある得物は、揺れる羽根。何代か前の親父が、子供達の為に書いたと言う謂れの、文字列が描かれた獣皮紙の広がり。対面には、女性の方。
音一文字を砂に大きく書く。発声しつゝゆっくりと。
家庭教師を買って出てくれたのは、年配の女中で、嗜虐な微笑みが魅力的だ。落ち着いた深い緑のチョカを纏った彼女は、無表情に獣皮紙の分厚い本を捲る。時折こちらに微笑みかけたら……、最初からやり直しだ。直しが無ければ、徐々に文字を小さく書いていく。彼女が良しと言ったら、獣皮紙にインクで清書する……のだが、これがまた難しい。
「くそッ。俺ァ細っけぇのは向いて無ぇんだ……」
「何か言いましたか?」
「ノー、マム」
「宜しい。次の文字はーー」
レナータは無心に木剣を振るう。練兵場の隅で、ただただひたすらに。
時間を決めて、街の地理を頭に入れながら走り込み、練兵場の隅を借りたところだ。
「尖り耳のあんちゃん、精が出るな」
髭の豊かな男丈夫が、興味深げに話しかける。剣を振る半森人が珍しいのかも知れない。
しかし、練兵場を使うのは、レナータだけでは無い。黙々と素振りを続ける者、激しく試合う者、足捌きや体捌きを入念に確認する者……。誰かに強制された訳では無い。皆死にたく無いから、寒い中己を鍛え続けるのである。
「膂力も技も、もしかしたら魔術も、必要になるのは一瞬だけだ。しかし体力はずっと必要だ。体力がなきゃぁ、従軍出来ねぇし的になる。それに、割り当ても少なくなるからなーー。相棒からの忠告でして」
「違ぇねえな。お前さんの相棒とやらは、面白い事言うな」
先程からいる髭達磨といった風情の男が、いつの間にやらレナータの隣で素振りをしている。怪訝な顔をしながら、レナータの動きを真似て、木剣を振り回す。
「さっきっから、変な素振りだな? 何かの型稽古かい?」
「昨日のジェネッタさんの影を追ってるんです。凄い連撃だったから」
「ほぉ……それも面白い。どれ、付き合おう」
髭達磨が戦匠役になって、ひたすら受ける。セレンゲティもかくやと思しき、力感の受け太刀だ。
レナータは、白騎士の動きを再現する。
一振り毎に力を込めて。僅かでも血肉となるように。
午後になって。レナータとジェネッタは、愈々仕事に取り掛かった。
半地下の埃っぽい書庫には、典範の長たる誇りが居並び、訪れる者を圧倒する。
漆喰で塗り固められた壁には、等間隔に書架がくり抜かれ、その壁のくすみが色見本の様に時代を映している。更に、重い蛇木の書棚が広く無い書庫を割って、圧迫感や威圧感を増すのだ。
「ここは……夢の国?」
「レナータ……君。鎖で括られた物は部外秘、札で封じられた物は呪いがかかっています、紐で括られた物は魔導書です」
「では、ジェネッタさん。僕は魔導書かーー」
「ーーは、お預けです」
「よねぇ」
公式に遺された記録、各地から寄せた数多の文書、時々の詩歌を集めたものまで様々な文書が、年代毎に並ぶ。
木製の表紙を結わえたものや、後世に残した冗談と見える粘土板まである。多くは無いが、最奥に行くに連れ、木簡や冊書もちらほら見受けられる。しかし、殆どはやはり獣皮紙の本であった。
「注意した三種は、私も触る許可が降りていない物ばかりですから。各王女の記録に絞れば……」
「それでも気が遠くなる作業ですね」
「春までにどれだけ出来るかわかりませんが、とにかく! やるしか有りません」
「あの、空いてる辺りが六代前?」
そこだけ疎らに空いた書棚を指す。
「そうです。その奥の七代前から、調べて貰いましょうか……」
レナータは予想以上に我慢強く勤勉な助手で、ジェネッタの仕事を多いに助けた。
女児とその周辺の記録に絞って、抜き出す。成人を前に嫁いだ娘達の記録を、他家や他国の史書から拾い出す。
女児を中心とした本件限りの系図を引き、時系列を纏める。内乱がある時期は代替わりも早く、枝が多く分かれて煩雑になる。
一月が過ぎ、もうすぐ丸二月……。
ジェネッタは学究の徒となって、インクで手を汚した。父や兄の補佐もするし、私兵たる騎士団の教練も折を見て肩代わりする。歴史に埋もれた事実を幾つか散見し、書き付けを増やす。
レナータは午前に鍛錬、午後には調査と規則正しい。カチカチ繰り返しては、結果を表してみせる。魔導書に心惹かれていたのは最初ばかりで、元来こういうタチなのだ。
セレンゲティはと言うと……。一日机と愛し合うには、少々甲斐性が足りぬらしい。騎士達や他の傭兵に混じって剣を振り回したり、年中行事の様な冬将軍の迎撃に飛び出たりと忙しい。使用人の誰ぞか、娼館なのか、夜だけ居なくなる時もあった。が、女史や、冬は手隙になる代官の監督で、随分読み書きが進んだと聞き及ぶ。
都合が合えば、三人で食事を摂るべくした。傭兵の二人は、騎士達や詰所で食べていたり、使用人と厨で済ませたりもしたが、擦り合わせの要は互いに共通の認識でもある。
「もう年も暮れますね……」
ジェネッタが、ぽつりと呟く。
パチパチと小さく薪が爆ぜる音、芳ばしい茶の香りと獣皮紙の黴臭さが、世の支配者か。家人は、使用人と共に年跨ぎの祭祀へ出払っており、侘しい静けさである。
「もうそんな時期ですか……、気付かなかったな」
「結局、なぜあの一回に限り完敗したのか……。セレン?」
「んあ? ジェネッタよ、お前さんがよーく自分を鍛えてる証拠だな。しかし、年越しか……」
「没頭してましたけど、僕等の調査は……進捗を測る物差しが無いんですよね。それが、少しもどかしいですよ」
「レナータはよ、仕事してるじゃねぇか。俺ァ、何でこんな事になったんだか……」
セレンゲティは課題に置かれた書を、字引きを頼りに写本の最中である。
「タダ飯喰らいだぜ、俺。お気楽だけどよ、最近チョット情け無くってよぉ」
「私も父も、必ず必要になると確信してますから、気持ち良く食客してて下さいな。今は、どんな写本を?」
「えらく古いヤツなんだがな、コレ写しとけって。……えぁあっと、エムリーとかいうお姫様が17歳になって、入婿を迎えたって辺りだ」
「……え?」
カンカンカンカンッ!
けたたましい警鐘が、静寂を突き破る。
三人は三様の緊張を放って、部屋から駆け出した。