第九話 エンドラの騎士
客間を断って、兵舎に間借りする。
母屋へ近い辺りを空けて貰って、多く無い荷物を落ち着かせる。
成る程。雪は無いのに風ばかり強く、身を切る寒さに辟易となる。
「ジェネッタさん、部屋の手配にお手伝いまでして貰っちゃってすみません」
「いや、手伝うも何も、荷物なんか殆ど無いじゃないか」
「それよりよ。装備はそっち持ちだったろ? 鎧の穴塞ぎてぇし、靴。靴誂えに行こう。冬の間我慢すりゃぁ、春に間に合う。靴底の有るヤツが良い」
見るとジェネッタの靴には、分厚く貼り合わせた革が靴底になっている。
「セレ、目敏い!」
「ふふ。明日にでも早速、仕立てた職人を紹介しましょう。王都から戻って、一度も街を歩いてませんし」
「王宮勤めなんだろ? 一年も離れて言い訳は立つのかい?」
「剣術修行の為にと、お暇を頂いてきました……」
薬湯を啜る子供の様な顔である。
「何だ、当たりがキツイのか?」
「強くて、若くて、出世すればねぇ……」
「いや、そうじゃ無いんだ。皆、良くして下さるのだ」
視線の先は、神殿の尖塔だろうか。時を告げる鐘には、扉が設えてあると聞く。土地柄である。
「何にせよ、咎められも苛められもしないのだ。先例を当たるのは家業故、そう間違った事はしていないと思うのだが……。……同輩も部下も皆、年上なのだよ」
「何でぇ、自信が無ぇのか?」
「部下を死地へ送れる立場になって、急に、な」
「こればっかりは、場数踏んだ歩数分だからなぁ……」
「自信とは、無知かはったり」
レナータは、胸を張って断言する。
「って、親父が言ってた」と、これもはったりである。
「成る程、勉強になります。場数とはったりですね」
ジェネッタの後半は、噛んで含むようになってしまう。
「考え過ぎは、自信を溶かす毒だぜジェネッタ」
「なっ!? そ、そうなのか?」
「ほらね! ジェネッタさんの自信が溶けた」
「くぅ……っ」
堪えきれずに三人をして、声をあげて笑う。
「場数だな。自信を取り戻す為に、我が街の革加工を披露しよう。靴と一緒に外套もついでだ、父上の財布から無心する事にした」
「応、有難ぇや。屋敷に余りがあったら、炭鉢も頼むわ」
「炭鉢とか有難いけど、そんなにいいのかなぁ……」
翌日。
『身の丈』と言う言葉が、置いてけぼりになる程に上質な外套を借りて、朝日の街を往く。納租月の冷気に加え、エンドラの風は厳しい。詰所から支給される、木の葉を繋いだ様な外套で無い事を、出資者に感謝する。
厨房からピタを一人一枚くすねてきて(実際には、内密にと分けて貰っただけ)、頬張りながらジェネッタは街を案内する。貴族のお坊ちゃまは『お行儀悪いですね』などと、一人楽し気にしている。
黎明の頃には、身支度を始めて、暁と共に仕事を始めるのが街人達だ。水を使う音、槌の音が一定の韻律を反復する、年の瀬の忙しさの演出であろう。
そして、午後にはーー
予告の通りに、革職人の元へ靴や外套を頼んだその足で、詰所へと立ち寄った。
外に宿を取った事は伝えてあるが、記章の為だ。
記章はニアンガで彫られた物だ。一応の身分証にはなるが、それ以上では無い。
例えばレナータは魔術科で、刀も使える者である事。出撃や受けた依頼の回数も、縁取りの枝に彫られた葉や花、果実の数で判る。
しかし、どの程度の魔術士なのかまでは、刻印されてはない。要領良く逃げ回っても、前線で活躍しても同じだけ記章には花が咲く。
『一回は練兵場を使え』とは、『どの程度の仕事が振れるか、実力を示せ』となる。
三人が練兵場に足を踏み入れると、途端、場が沸き立った。「ジェネッタ卿だ!」「白騎士様が?」「王宮騎士様が掃き溜めに……」詰所中から、むさ苦しいのが集まってくる。殆どは柵人だが、森人も幾人かは居る。一町分四方ばかり平らなだけの練兵場の周囲は、建屋にも軒が据えられて瞬く間に人集りとなった。中には鉱人や鱗人も多く、むさ苦しさを倍加させている。
「随分な人気じゃねぇか。こういうのは、大丈夫なんだな」
ジェネッタは涼しい顔で、柔らかく敬礼なぞしていたりする。
「揶揄無いで下さい。地元贔屓なだけですよ」
「何ともやり難いなぁ……」
と呟いて、レナータは練兵場へ進み出た。試験官役の正規兵が、場の中程で松明を、適当に誂えた三脚へと立てている。
このテの試験は様々だ。柵の外周をひたすら走らされたり、召喚獣や簡易な魔法生物と戦わせられたり……時には練兵場に集められたにも関わらず、柵の外で何かを採って来いだとかも有る。
「火を消すヤツか?」
「水を呼んでも可は貰えますから、どう消すか? ですね」
既にレナータは、細い腕を軽く掲げて詠唱を始めている。小雪が舞う中で、僅かに汗を垂らしているから、中々に難儀な呪文でも唱えているのだろう。
松明の炎の上下に、薄っすらと魔法陣が現出する。魔法陣から漏れる熱が、しゅんと音を立てて舞う雪を水蒸気に変じた。湯気が纏わり、魔法陣がジリジリと間隔を狭めてーー閉じた。火は、消えていた。
汗を撫でて、レナータが戻る。
「随分と地味だな」
「派手なのは控える事にしたのさ」
「君は……、火の精霊界と繋いだのか?」
「良く識られる"水で消せぬ炎"を、逆回ししてみたんです。衒学的に過ぎましたかね?」
「いや、解る者は判ったようだが……。しかし、ちょっとな」
「実践的では無いですからね。……依頼主の信頼には足りました?」
「あぁ、それは勿論」
「じゃ、次は俺だな」
試験官が多少煤けてはいるものの、まだ油に濡れた松明を検分しつゝ、片付けている。
セレンゲティは建屋の壁に掛けられた木剣を選ぶ。「軽過ぎる」「重さが乗り過ぎる?」と間尺が様々で選び様があるのだ。
すると、腕に覚えの有りそうな者共が、いそいそと木剣を手に取り始める。
「随分と人気なんですね。こういうのは、どうなんです?」
ジェネッタは、言いながら細身の木剣を既に手にしている。
次いで放たれるのは、肚からの大音声。
「悪いが先約有りだ! 傭兵諸君、ここは一つ譲って戴こう!」
升って、胴間声ばかりのセレンゲティとは、年季が違う。堂に入ったものだ。
軒下の其処此処で弦歌く、賭け声が飛ぶ。
「セレ、七対三だって。ひっくり返してよ!」
「無茶を言うな。手は抜かん!」
軽く身体を解して、場の中ばまで互いに進んで距離を取る。
「構え無いのですか?」
隙なく斜に構えたジェネッタは、問う。
「柵の外で、構えるまで待ってくれるヤツぁ……居ないぜ?」
「成る程……。では、参ーー
三間一足、霞む程の速さ。
喉元には、鋒!
ーーるッ!」
巨漢は仰け反って、踏み止まる僥倖。
「ぬォ……ッ?!」
雑に横薙ぎをして、振り払う。
美丈夫は既からに間をとって、構えている。
「お座敷剣法と侮ったかッ?」
「お坊ちゃんが、抜かせよッ!」
裏腹の展開に変わる。
間合を詰めて、セレンゲティの唐竹。横薙ぎに弾く。
ジェネッタの逆袈裟を、袈裟掛けに迎える。
逆胴、逆風、右切上げ。
袈裟斬り同士から鍔迫り合い。膂力でセレンゲティが押し込み、ジェネッタは飛び退って難を逃れる。
丁寧に挨拶を交わす様。
互角と魅せて、互いの実力が有り体となった。
油断無く、じりと間合を計り合う。
戦匠は肚に『仕掛けるか』と自問した。
「衆目に気勢が上がったか? お坊ちゃん?」
「破廉恥なッ!」
縮地一躑の刺突、巨漢の首の皮を焼く。
胸を穿つ様なニ射目。予想通り! とばかりに、上に弾く。
反撃に移らんとするセレンゲティの肩と、ジェネッタの額が掠める。予測の外からの三撃目が顎に迫る!
吼えて退こうとする巨漢を貫けるなどと、騎士は楽観しない。
態勢を崩したセレンゲティに体を浴びせて、返す柄頭で胸を捉える。
「ぐァッ……」
踏み固められた地面に、顔から叩きつけられる。ちくちくと生え始めた頭髪に、雪片が舞う。練兵場には、肌が粟立つ程の風だ。
「誘ったのは貴方の方だ」
突き付けられた木目を、セレンゲティは数えさせられた。
「ま、こんなモンだろう?」
「この程度の天井では無いでしょう」
ジェネッタは静かに剣を退いた。
「買い被りか?」
「欲深なんですよ」
「品が無ぇぞ」
「柵の外では?」
セレンゲティは目を剥く。
「品性が役に立った事は無いな。二本連取だジェネッタ」
「今一度付き合って貰います。セレン! 」
「お前さんの望む天井とは限らんぞ」
滲む血を乱暴に拭って、セレンゲティは立ち上がった。




