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第八話 犬・中編

 薄暗い部屋に、双眼鏡を構えて一点を見つめる男が二人。その視線の先は、どこにでもあるような一軒の住宅。

 もし、事情も何も知らない人が彼らの今の姿を見たのならば、警察に通報しようかと真面目に考えるに違いない。しかし、彼らにはこのような行動をとらなければならない理由があった。


「本当にいるんですか? あの中に、害霊が」


 長かった沈黙を破って、目つきの悪い男が声を発した。

 緋村季太朗だ。


「ああ、間違いねえよ」


 その問いに対して、簡潔な返事を金髪マッチョの男レミーが返した。

 

 彼等が張り込みを開始したのはおよそ一時間前に遡る。

 急に投げ渡された双眼鏡に、レミーからの張り込みを開始するという言葉。始めこそ季太朗は急な展開に混乱したが、話を聞く限り、こういことだそうだ。


 あの家に、八人もの人間を殺した凶悪な霊、害霊がいる。

 今回の標的であるが、一般家庭の生活している家の中に乗り込むわけにはいかない。

 故に、奴が動くまで、見張れ。


 既に季太朗の手には、じんわりと汗が握られていた。


「ジャーキー食うか?」

「……よくそんな余裕ありますね」

「何年もこの職業やってりゃ、ちっとやそっとのことじゃ動じねえさ」


 ムシャムシャとジャーキーを噛み千切りながら、レミーは言った。

 喉がものを通らないほど緊張しているのが馬鹿らしく思えてくるな、と、季太朗は内心で余裕のない自分を嘲った。しかし、実は最近異様に腹が減るので、若干欲しいなと思っていたりするのだが。


「……!」


 そんな中、無駄に期待の眼差しを向けてくる幽霊が一人。ステラだ。

 彼女の視線は季太朗の持つ道具、双眼鏡に注がれていた。


「きたろう、なにそのどうぐ……!」

「ああ? 双眼鏡っつー道具だ。……なんなら使ってみるか?」

「う、うん……!」


 ぽーい、と宙に双眼鏡を放ってやると、ステラが見事それをキャッチ。さながらその姿は、ボールをキャッチした犬のようでもあり、ずっと欲しがっていた玩具を手に入れて喜ぶ子供のようでもあった。  はー、へー、といった感嘆の声をあげて、目をキラキラさせながら彼女は双眼鏡に目を当てていた。


「ったく、こっちの気も知らないで」

「へへっ、まあ、辛気臭い顔して黙りこくってるよりはいいんじゃねえかな? 緊張するのも大切だが、緊張しすぎるとろくな結果が出ないしよ。 

 少なくとも、さっきまでのお前さんより、今そうやって溜息ついてるお前さんの方が十倍はいい仕事しそうだぜ? 緊張をほぐしてくれたステラに感謝だなあ?」

「…………」


 ニヤニヤとした笑みをレミーが季太朗に向けてきた。普段の季太朗ならば、ここで文句の一つでも言っていただろう。

 だが、今夜の季太朗は文句を言わなかった。

 実際にステラの気の抜けた姿を見て嫌な緊張が止まったのは事実だし、レミーの話にも一理あったからだ。


「そうですね。素直に感謝しときますか」

「……お前、嫌に素直になったなあ」

「そうですか?」

「ああ……、初めて会った時には周りのもん全てに対して警戒心全開にしてたからな。随分と素直になった気がするぜ。

 キモチワルイな、おい」


 気持ち悪いとは何だ! と叫びそうになった季太朗だったが、今は張り込み中だということを思い出して口を咄嗟ににつぐんだ。

 

 だが言われてみれば、数か月前に比べて確かに自分は変わったという自覚を、季太朗は持っていた。

 極東支部に就職したからか?

 給料が入って生活に余裕ができたからか? 

 こんな捻くれた自分に対して好意的にに接してくれる人々に出会えたからか?

 

 そんな思考がとりとめもなく季太朗の頭の中を駆けたが、彼が明確な答えを出だせない内に、状況は進展することになった。


「! おい、動いたぞ」

「!」


 レミーのその言葉に、季太朗はステラから反射的に双眼鏡をひったくった。ステラがいかにも文句のありそうな瞳を向けてきたが、そんなのは後回しだ。


「なんだ……あれは?」


 間抜けな声。そう表現するしかない声が、季太朗の口から漏れ出た。だが、それもしょうがないだろう。季太朗は前回までと同じように人型の影が現れたと思ったのだ。

 

 だが今回現れたソレは違った。

 柔らかそうな毛に包まれた肉体。

 しなやかな引き締まった四肢。

 そして、頭頂部にある、人型には絶対にない、三角形の感覚器官。

 尖った鼻と、口の隙間から僅かに見える尖った牙。

 導き出された答えは、一つ。

 

 犬、それも柴犬。


「犬、か?!」


 驚愕という純粋な感情が季太朗の心を支配した。しかし、それだけでは終わらない。

 

『コアアアァァァァァ……』


 その犬の口から、どす黒い、靄のようなものが漏れ始めた。

 その瞬間、ソレの全身を、迅速に、しかし蝕むように、鼻の先端から尻尾の毛の一本に至るまで、黒い糸状の物質が覆い隠していった。

 全身が黒に塗り潰された後、奈落の底から浮かび上がるようにして現れたのは、宝石のような赤色をたたえた双眼。


 全身の細胞という細胞が、一気に縮み上がる感覚。そしてあとから追従してくる、抑えようのない震え。季太朗の心に、恐怖が到来した。

 

 害霊が出現した。


「おい季太朗! 付いて来い、奴を追いかける!」

「追いかけるって、なッ!?」


 犬が害霊となった。その事実に混乱していた季太朗だったが、再び窓の外を見た時、犬、否、犬だったモノは、純粋な生物ならば絶対に有り得ない程の跳躍を行い、瞬間的に季太朗の視界から消え去ってしまった。


「早くしろ! 見失うぞ!!」

「んなこと言ったってどうするんですか!?」

「ああ?! 決まってんだろ!!」  


 レミーがガァン!! とけたたましい音を立てて扉を蹴り開け、階段を猛ダッシュで下る(というか飛び降りている)のに、季太朗は必死で追従した。ステラも「~~~!」と声にならない悲鳴を上げながら右に左にと振り回され、既に涙目だ。

 そんなスピードで下ったものだから、彼らはアパートの出口に凄まじい速さで着いた。


 軽く呼吸が荒くなっている季太朗の視界に飛び込んできた物は、鉄のボディに、光る目を持ち、四つの脚を持つ物体。

 レミーは親指でそれを指し示し、ドヤ顔で宣言した。

 

「車だ」



「うッ、おおおおおおぉぉぉぉッッ!!!!」

 

 夜も深い住宅街を、これでもかといわんばかりの爆音を轟かせて疾走する鉄の箱。

 季太朗、レミー、そしてステラの乗り込む車だ。といっても普通の車ではなく、軍隊で使われていそうなモスグリーンで塗られた、チューンにチューンを重ねた魔改造ジープである。

 そんな音にも負けない程に大きな叫びを響かせたのは、現在進行形で筋肉という筋肉に全力で力を込めて体を支えているいる季太朗だ。

 理由は明白。運転担当のレミーの運転には安全運転のあの字もないのだ!

 

「も、もう少し遅くできないんですか?!!」

「んなチンタラやってたら逃がしちまうだろうが!! アイツを逃がしたらまた死人が出るかもしれねえんだぞッ!!」

「や、屋根の上を飛んでいくとかしないんですね?!」

「できないことはねえ! でもお前がついてこれねえだろうがッと!!!」

「成程、ォオッ!!」


 季太朗の語尾がおかしくなったのは、車体が急に左に傾いたからだ。思わず倒れこみそうになる体を鍛えた腹筋を使って立て直す。そんな状況はお構いなしに、レミーは更にアクセルを踏み込んだ。

 安全運転? なにそれおいしいの? と言わんばかりの運転に、後ろにぶっ飛んでいく景色を見ながら、どこかにぶつかったらどうすんだ! と内心季太朗は戦慄していた。


「ぐううっ。おいステラ生きてるかー!?」

「……きゅううぅぅぅ」

「死んでたか」


 本物の幽霊さえも気絶させるレミーの運転恐るべし。と言ったところか。もう一人の被害者のステラは、既に目をグルグル回して意識を遥か彼方へと旅立たせていた。

 だが、やはり加害者のレミーは何処吹く風。というか、あまりにも集中していて追跡している害霊以外、視界に入っていないようだった。

 いつも飄々としているイメージしか無いので、その必死の形相に季太朗は意外さと違和感を覚えた。


「おい季太朗! もうすぐ戦闘に入るかも知れねえから、神無月(かんなづき)と無線持っとけ!!」

「分かりました!」


 その言葉と共に車両後方の季太朗に向かって、何度か仕事を重ねて今では見慣れた対魔の銃と、耳当て式の無線機が投げ渡された。

 

 戦闘に入る。その言葉が、季太朗の心を引き締めた。

 人間を八人殺した霊との戦闘。気を僅かでも抜けば、いくら極東支部のバックアップがあるといえど、無事とは言えない状況に立たされるのは明白だ。

 

 だが季太朗はあることに気付いた。レミーの短い言葉の中に、自分の聞き慣れない単語が混じっていた事に。


「あのレミーさん? ()()()って何すか?」

「お前の銃の名前だが?」


 さも当たり前とも言うような口調で返されたその言葉に、季太朗は訝しげに目を細めた。


「……聞いてねえ」


 季太朗はポツリと呟いた。季太朗はこの銃に名前がある事など初耳だったのだ。


「ああ、言ってなかったか。そいつを造ったジイさん……まあ極東支部(俺達)の懇意にしている職人なんだがな、気に入った作品に好き勝手に名前付けんだよ。

 例えば鬼口の使っている薙刀みたいな奴もそのジイさんの作品なんだが、あれには打鉄(うちがね)っていう名前が付けられてる」

「それでこの銃につけられた名前は神無月だと」

「そういうこった。渡したは良いが中々言うタイミングがなくてな。

 いや、しかし仮にもカミサマバンザイの組織の武器に『神』は『無い』なんてネーミングするとは……くくっ。神無月、カッコいいじゃないか」

「……まあいいか」


 溜め息まじりに、名前があろうとなかろうと役割を果たしてくれるなら何だっていいと季太朗は結論付けた。


「ああ、ちなみにそのジイさんの話によるととか打杯(ダグラス)とか舞蹴(マイケル)っつー名前を日本刀とかに付ける奴もいるみたいだぞ」

「…………」


 季太朗は前言を撤回した。

 やはり名前は重要だ。そんな名前の武器恥ずかしくて振るえた物じゃない。


『……隊長! 準備完了しましたよ!』

「うっしゃ! でかした!!」


 無線から響いたタカハラのものであろうその声を聞いて、レミーは更に車体を加速させた。

 体にかかったG(重力)によって座席に張り付けられそうになりながらも、季太朗は無線を装着し、銃を握りしめ、戦闘準備を開始した。


 やがて三人を乗せた車は盛大に砂埃を巻き上げながら、ある地点に到着した。

 どの町にも一つはあるような、大きめの公園だ。その入り口付近に、運転の反動で軽くふらつきながらも季太朗達は降り立った。


 見れば、数十メートル程離れた対の位置にある出口に電撃の様な紅い光を発生させながら、それを発生させているのであろう薄い膜の様なものに向かって突撃している、黒い影があった。

 先程の霊だ。どうやら、あの赤い膜に妨害されて、公園から出られないらしい。


「タカハラが設置した小型結界だ。これであいつはここから出られない」

「分かりました……いきます」

「おっとちょっと待て」


『ピューーッ!!』というよく響き渡る音を、レミーが指笛の要領で鳴らした。途端、鋭い風切り音と共に、美しい黒髪を持つ女性が傍らに降り立った。鬼口だ。


「アイ……鬼口。季太朗のサポートを頼む」

「分かりました。隊長は?」

「俺は待機組と連絡を取り合いながらここで待ってるよ。ほら、俺が参戦しちゃうと、なあ?」

「ああ……そうですね」


 レミーのその言葉に鬼口は何か思う所があったのか、深く納得したような顔をした。季太朗はまだ付き合いがそれほど長い訳ではないので、その鬼口の表情の真意は分からなかったが。


「季太朗さん、今回も私がサポートに回りますが、よろしいですか?」

「はい、頼みます。……ただ、一つ頼みたいことがあるんですが」

「頼みたいこと、ですか?」


 季太朗の頼みとやらがわからず、鬼口は軽く首を捻って季太朗に視線を合わせた。


「ええ、今回の戦闘、可能な限り俺一人で戦わせて下さい」

「…………」


 その願いは、鬼口にとって理解し難いものだった。

 八人もの人間を喰い殺した霊。そんなものに、たった一人で挑む必要など本来は無いのだから。それに、幾度も霊と戦ってきた自分達と比べて、季太朗はまだ数回しか戦闘を重ねていない。自殺行為にも等しいその判断。一昔前の鬼口なら、無理にでも止めただろう。

 そう、一昔前ならば。


「……分かりました」


 無視して断ることもできたろう。だが、鬼口は既に、季太朗の覚悟を知ってしまっている。

 彼が家族のことを語った夜のことを。 

 あの霊のような凶暴な相手にも、臆せず向かっていく様になった理由も。

 

 その決意踏みにじることは、強く躊躇われた。


「ですが、本当に危なくなったら問答無用で助けに入りますから。

季太朗さん……それと、ステラを信じてこの判断をします。御武運を」

「有難うございます」

「……うん」


鬼口の答えに、季太朗は満足気な顔をして微笑んだ。

 ステラの方は、顔を固めたままだ。レミーはやれやれと言った顔だが、強く反対する様子は無い。


 その時、結界を破るのは不可能と判断したのか。突進を取り止め、犬の害霊が季太朗たちへ意識を向けた。

 剥き出しにした牙の隙間から黒い瘴気の様なものをボタボタと垂らし、殺気を剥き出しにした血走った眼球が季太朗を捉えた。


「……っ」


 直後、季太朗を襲う恐怖。

 自然と、先程名前が判明したばかりの銃、神無月を握る手にも力が入る。

 見れば、隣のステラの顔にも、恐怖の表情が見て取れた。しかしその中には、何処か思いつめた感情も窺えた。


「……なあステラ。怖いか?」

「え? う……うん」


 突然自分へと向けられた季太朗の問いに、ステラはどもりながらも答えた。

 ステラにとってこの状況が怖くないはずがなかった。

 先日被った精神的なショックからは徐々に立ち直れては来ているものの、その原因が記憶のフラッシュバックという現象な以上、同じようなことがいつまた起こるかもわからないからだ。ステラにとって、不安以外の何物でもなかった。

 そんなステラの内心を見抜いたのか、季太朗は言葉を続けた。


「怖いのもわかる。それがどうしようもないのもわかる。だったら、一つ約束しろ」

「約束?」

「ああそうだ。

 そうやって俯いてないで、ちゃんと前を向いといた方が良い。怖かろうと辛かろうと目を開いとくんだ。大抵そうしとけば、どんなに怖くても不安でもなんとかなる……と思う。

 それに、俺がいる。常に俺がお前の前にいるんだから、それぐらい出来るだろ?」

「……わかった!」

 

 その季太朗の言葉に、ステラの力強い返事と首肯が返された。

 

 自分の前には、自分を否定しなかった人がいる。それだけで、今は良い。

 ステラの眼から、先程までのような不安と恐怖はいつの間にか消え失せていた。


 季太朗としては、これから戦うという時に隣でずっと辛気臭い顔をされているのは困るので、少し気持ちをほぐしてやろうかな、というノリで言った言葉だったのだが、その言葉はステラに予想以上の力を与えた様だ。

 

「よし……行くぞッ!」

 

 その切り替わったステラの眼を見て、季太朗は地面を蹴った。

 一気に害霊との距離が縮まった。地道に続けた鍛錬の成果が、ここに出た。


「先手必勝だこの野郎ッ!」

『!!』


 二発の蒼い霊力の弾丸が、害霊に向かって放たれた。

 間は約二メートル。初撃は決めておきたいがゆえに、銃という武器を使いながらも彼はそこまで接近した。結果、標的の横っ腹に弾丸が炸裂する。


『オ゛ッ!! オ゛オ゛オォアァッ!!』


 勿論標的も黙ってはいない。口を裂けんばかりに開け、季太朗の腕に噛みつかんと跳躍した。

 しかし


「ふんっ!!」

『!! ガッ、ッハ!』


 上方に向かって蹴りだされた季太朗のキックが、相手の胸元を抉った。口から黒い液体を飛び散らせながら、害霊は宙を舞った。

 しかし、動物的な身体能力とでもいうのか。害霊は綺麗に着地した後、後ろ脚で地面を凄まじい脚力で蹴り、自身の体そのものを弾丸のようにして再び季太朗向かって突っ込んできた!


「ぐっ……!」


 季太朗の纏うコートの端が爪で引き裂かれた。予備動作がほぼ皆無のその攻撃は、さすがに軸は逸らせたものの躱しきれなかった。

 

「きたろう!」

「なんだ!? これくらいどうってことは!」

「もういっかいくる!!」

「何ッ?!」


 思わず季太朗が害霊の突き抜けていった方向を振り返ると、再び、牙を見せつつ猛スピードで突っ込んでくる害霊がいた。季太朗は先程と同じように上半身を捻って直撃は何とか回避したが


「ッ!」


 コートの布地が更に切り裂かれた。しかもよく見れば、一撃目よりも僅かながら広範囲が抉られていた。それだけで済めば良かったがそうはいかなかった。

次の瞬間には、再び放たれた弾丸を彷彿させる一直線に飛来する害霊の姿を、季太朗の瞳が捉えていたからだ。


「またかよッ!?」


 再び回避行動をとる季太朗。しかし無惨にもまた先程よりも範囲を広げてコートが削り取られたていく。しかもまた間髪入れずに害霊は突っ込んで来る。

 避けて上から削られ避けて右から削られ避けて左から削られ。余談も許さぬ攻防が開始された。


(くっそ一体どうしたもんかな! これは!)


 季太朗が回避する度に、再び四方八方から突っ込んで来る害霊のスピードは上昇していった。肉が切り裂かれるのも時間の問題だ。

 そんな中で季太朗は思考する。どうやって奴はこんな動きを可能としているのか。攻撃を躱しながら、周囲を細かく観察していく。


 答えはすぐに見つかった。


「成程、それか!」


 間一髪、季太朗が己の腹の肉を掠めた攻撃を避けた瞬間、一発の銃弾が放たれた。だがそれは害霊に向かって放たれたものではなく


『!!』


 何てことはない。獣故の跳躍力を利用して相手の視界に収まらないほどの速度で立体的な直線攻撃を繰り返すにはあるものが必要だ。

 足場だ。


 季太朗の撃った銃弾は、見事周囲三百六十度に林立していた木々を薙ぎ払った。害霊は四方八方に広がる公園の木々を跳躍の土台として、高速立体攻撃を可能としていたのだ。

 一瞬にして全ての足場を失った害霊は、為す術なく空中に無防備を晒した。  


「さーて、人の唯でさえ少ない衣服をボロボロにしてくれたんだ」


 静かな、しかし確かな怒気を含んだ言葉と共に、季太朗は神無月の狙いをつけ、


「こっちの番だ、犬っころ」


 一気に引き鉄を引いた。



「あっれー? すげえまともに戦えてるんですけど?」


 季太朗と害霊の戦闘展開を見て、心底意外といった風に軽く首を傾けながらレミーが呟いた。

 まさか、季太朗がここまで目立った損傷も受けずに戦えるとは思わなかったのだ。


『ヤクザキックもどき習得、高速攻撃を見てから回避、しかもその状況下で攻略法を見つけられる洞察力……。鬼口ちゃん、君一体どんな訓練彼に施したのよ?』


 今この場に姿はないが、モニターを通じて戦闘を監視しているタカハラからも驚きの言葉が漏れた。


「いえ大したことは。ただ私の全力で組手を何度も行っただけです」

「OH……そりゃまたエグいことを……」


 鬼口の答えを聞いてレミーがどこか遠い目をしながらも、納得のいった表情になった。

 

 鬼口は、若くともこと戦闘においては退魔師として一流といっても過言ではない実力を有している。そんな人物と何度も本気の組手を繰り返せば、嫌でも強くなるというものだ。

 うまいこと経験値稼ぎしやがったな、とレミーは内心で季太朗を評価した。


『あの調子だと、想定していたよりも早く終わりそうですね。獣型の奴の特徴とか教えることもなかったですねー。……樹木の損害どう区と話つけよう』

「そんなのは終わってからで十分だ。

 ……しかし何だかな。八人も人を殺しやがった奴にしては妙に……」

『ん?! 隊長! レーダーに反応あり。公園に誰かが接近しています!!」


● 


「はあ……はあっ……!」

「んんっ…………」


 力を一気に使いすぎた、と襲ってくる激しい倦怠感の中で季太朗は悟った。

 あの瞬間、害霊が放り出された直後、ここぞとばかりに集中砲火を浴びせたのだが、想像以上に霊力が神無月にもっていかれてしまったようだ。が、


『……アガッ……オア゛ッ、ガッ』


 硝煙と砂埃が次第に晴れて露わになったのは、最早立っているのが限界に近いことが容易にわかるほど、痙攣した脚で地面に這いつくばる害霊の姿だった。

 結果として季太朗のあの判断は功を奏したのだ。


(よし……もう少しだ)


 その姿を見て、季太朗は確信した。あと少し、あと少しで、こいつは倒せると。

 余力を振り絞って、銃口を上げた。 

 


 ――――だが、引き鉄は引かれなかった。


「――――やめて!! もう()()をイジメないでっ!!」

「なッ!?」


 この場にいる誰がこの展開を予測することができただろうか。

 季太朗が止めの銃弾を撃ち込もうとしたその瞬間、間に割って入ってきた人物がいた。

 

 それは、年端もいかないような少女だった。

 年相応に短い腕を精一杯に伸ばし、目尻に涙を溜め、強い批難の色をその瞳に浮かべて、季太朗を睨みつけていた。まるで、後ろの害霊を季太朗から守るように。

 

 その膠着した空間で、先に口を開いたのは少女の方だった。


「おにいさん……どうしてマルをイジメるの?」

「は……?」


 その時、季太朗の思考は、比喩でもなんでもなく、ぐちゃぐちゃになっていた。

 

 突然目の前に現れたこの少女は何者なのか。

 マルとは何なのか。

 どうしてこの少女は、害霊を庇っているのか。

 故に、その返答には間抜けた言葉で返す外なかった。


「どうしてって、それは」

「マルはわたしの大事な家族なのっ!! 一回いなくなっちゃったけど、また元気になってもどってきてくれたのッ!! もう、イジメないで!!」

「ッ」


 その少女は目尻に溜まっていた涙を撒き散らして、必死の形相で季太朗に訴えかけ始めた。

 その剣幕に、季太朗は思わず押し黙ってしまう。

 訳がわからずとも気圧される程に、その表情には、”心”が籠っていた。


『季太朗ッ!! 早くとどめをさせッ!!』

「!!」


 しかし、突如響き渡った焦燥を孕んだ怒声に、急速に季太朗の意識が引き戻された。

 

 そうだ、目の前の標的を倒さなくては。

 散漫していた季太朗の思考はそれに絞られた。

 

 目の前の少女ごと撃つ訳には当然いかないので、余力を振り絞って横に回り込み、銃口を向け、狙いを定めるが、


 遅かった。


『――――ア゛ァオオオオオォォォンッ!!!』

「ぐっあぁッ!!」

「ッキャアァァッ!!」


 害霊の放った咆哮が、季太朗たちの身体を吹き飛ばした。純粋な、しかし尋常ではない程の空気の振動。避ける手段など無く、あったとしても、消耗している季太朗ではどうしようもなかった。

 季太朗の身体は数メートルに渡って吹き飛ばされ、容赦なく樹木に叩き付けられた。


「カハッ!! クソッ……!」


 だが、それでも季太朗は銃口を向けた。せめて、あと一撃、()てる。そう思って痙攣する腕を無理やり伸ばしたその先には……何も無かった。

 必死の表情で季太朗の前に立ちはだかっていた少女も。地面に這いつくばるほど、衰弱していた害霊も。

 それらは、一瞬にして消えてしまった。


 駆け寄ってくる二つの人影を視界の端に捉えたところで、季太朗の意識は闇に沈んだ。

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