第七話 犬・前編
2018/08/31現在、最序盤における文章修正が前回までとなっております。
誠に勝手ですがご了承願います。
暗い部屋。その中でむくりと起き上がる、常人より一回り二回りほど上を行く筋肉質な巨大な体躯。
「ふあぁぁあ……。――――眠い」
聖光王教会極東退魔支部・戦闘隊長兼支部長、レミーの朝は早い。
現時刻、午前四時。日も昇り始めるか始めないかといった時間である。
彼は寝ぼけた眼を大きな指でこすりながら、慣れた手つきでスポーツウェアを身にまとった。この職業にとって、動きやすい格好は必要不可欠だ。
そして、至極簡単に身なりを整えた彼は、いくつか傷が見られるような、年季の入った木製の扉をくぐり、外へと歩み出た。暗かった部屋に次々と蛍光灯特有の白い光が差し込んでくる。
扉を開けるとそこは、職場だった。
職場というのは言うまでもなく、聖光王教会直属極東退魔支部のことだ。彼がそこに現れてすぐに、横から眠たさを隠しきれていない間延びした声が飛んできた。
「う~っす。おはよーごぜーます隊長」
「なんだ、お前徹夜してんのか? 目が真っ赤に充血してるじゃねえか」
「ここ最近、関東の霊現象の発生件数が頭おかしいじゃないすか……。隠蔽やら情報規制やら偉そうにどうにかしろとか言ってくる政治家のジジイどもの対応やらで昇天しそう」
「……まあ、確かにおかしいな。特に最近は。理由はだいたい、察しがつくが」
そーっすねー。と、机に突っ伏したままの極東支部情報担当、タカハラから返事が返された。
「生楔の魂の失踪……。
おあー!! 頭の中に頭痛の種という名の爆弾が! お許しください博士ぇ!」
「まあ、そこんとこはあんま考え過ぎるなって取り決めたじゃねえかよ」
季太朗君達の為にもな。と、レミーは静かな口調で、言葉の最後に付け加えた。沈黙が部屋を満たしてゆく。そんな状況を破ったのは、その状況を見かねた一人の女性のツッコミだった。
「……あんた達。いくら最近異常事態が多発しているとはいえ、朝っぱらから辛気臭くなってんじゃないわよ。早死にするわよー。
病は気から。これ医療の常識ね」
肌が若干黒いため、その身にまとった白衣の白が良く映える女性。極東支部医療担当らアンジュがそこにいた。
「なんだ。お前も起きてたのか?」
「……二時間しか寝てないわ。っていうか、あんたが朝四時出勤を続けてるからでしょうが。いくら仕事があるからっていっても!」
半ば乱暴に、アンジュの手からレミーに向かってビン状の容器が投げ渡された。
「……毎回薬で無理させて送り出してる、こっちの身にもなれって話よ」
「へっへ、気にすんな。
俺が望んでやってることだ。毎日関東中走り回るのも、もう慣れたさ」
軽く笑いつつ、ジャラジャラという音ともに、瓶の中身の錠剤と思われるものを、レミーは一気に飲み干した。
「あんがとよ。これでまだ俺の体はまだもつ 。昔は徹夜でも余裕でやれてたんだけどなあ」
「歳を取っちゃったってことよ。……お互いにね」
「おーい隊長。夫婦で話してるとこ悪いんですけど、データ、あがりましたよ。チェック頼んます」
あいよ。という声を挙げ、レミーがタカハラのパソコンへと顔を寄せた。アンジュが発した『誰が夫婦よ』という悲しげな声は、誰の耳にも入ることはなかった。
「……うっわ。相変わらずひでえ量はいってますね。北は栃木、南は房総半島の端まで」
「まあ、これくらいなら夜中アイラと季太朗クンが出勤してくるまでには戻ってこれるさ。アイラは大学生活で忙しいから――――おいちょっと待て、そのデータ拡大しろ」
画面に表示された膨大な仕事の一つに、レミーの視線が鋭く突き刺ささった。すぐさま、タカハラによって拡大コマンドが押される。
「こいつは……警察から挙がってきたデータですね。最近相次いで発生している猟奇殺人事件について、ですか……
む! こいつは……」
タカハラは添付された画像データのURLをクリックして展開した。画面上に表示されたのは、何枚かの見るも無残な光景を写した画像だった。
人通りのない裏路地で行われたのであろう。建造物の壁という壁に血が飛び散り、肉片、それも指、腕、目といった間違いなく人間のものが、辺りに散乱していた。
「……喰われてるわね。これは」
いつの間にか画面を覗き込んでいたアンジュから指摘がはいる。
「転がってる腕の断面を見ればわかるけど、牙で噛み千切ったような跡が付いてる」
「詳細データによると、予想被害人数は八人。とうとう警察も諦めてこっちに回したみたいですね」
「クソッ! なんでもっと早く回してこなかったんだ! 助けられた奴もいただろうが!」
普段、ひょうきんに振る舞っている体からは想像もできないような怒りの感情が、レミーの声には含まれていた。
「まあ、警察は極東支部とは仲悪いっすからね。自分達で解決したいっていう意地があるんでしょうよ」
そう。
タカハラの言う通り、日本の警察と極東支部の関係は決して良いとは言えない。
警察としては、外国の、しかもバチカンの教会直属という特殊な立ち位置の組織が日本の治安維持の一翼を担っているのが気に食わないのだ。故に、警察が意地で解決しようとして出来なかった霊絡みの事件が、最終的に極東支部に回ってくることがたまにある。しかも大抵、状況が悪化した状態で回されてくることが非常に多い。
今回の案件が、まさにそれだった。
もっと早くに、警察が情報をブロックせず、こちらに流してくれていたのならば、八人も人が死ぬことは食い止められたかもしれない。レミーの怒りはそこからきていた。
だが、全ては後の祭りだ。
「で、どうします? 今からでも他の仕事ほっぽりだしてこいつの討伐に尽力しますか?」
「……いや、それはできねえ。だが、こいつを放っておくつもりも毛頭ねえ。タカハラ。もう朝とはいえ、一応、結界張っとけ」
「ぐ……、結構馬鹿にならない電力使うんですけどね、あのシステム。……まあ、わかりました。俺も、これ以上の被害は望んでません。今回は事件の発生場所が一地区に集中しているので、稼働範囲も絞り込めますしね。
ただ、それでも長く発動しているのは、アレがある限り難しいです。今夜中にかたをつける必要がありますよ」
「はなからそのつもりだ。情報、俺が帰ってくるまで掻き集めておいてくれ」
この強力な害霊を放っておく訳にはいかない。しかし、レミーにはやらなければならないことがある。
故に彼は、タカハラとたったそれだけのやり取りをして、足早に極東支部オフィスの出口、地上へと直結するエレベーターへと乗り込んだ。
「ちょっと待って! レミー!」
閉ボタンを押そうとしたところでアンジュが駆け寄ってきたのを見て、レミーはその手を止めた。
「おいなんだよ。薬もちゃんと飲んだし全力で急いで終わらせて来るから……」
「必ず! ……必ず、怪我しないで戻ってきなさいよ」
「…………へっ。そんときゃあ、お前に治してもらうさ。頼りにしてるぜ? アンジュせんせ」
レミーがアンジュの肩を小突いた。それを尻目に彼の姿は、横から迫ってきたエレベーターの扉に遮られ、視認できなくなった。僅かな時間の後、エレベーターの現在位置を示すライトが上昇していった。
そして今日も彼は走り回る。人間に害成さんという、霊を殺すために。
己の体に鞭を打ち、無力な人々を守らんとするために。
「……まあアンジュさん。あの人なら、たとえ溶岩に落ちたって死にはしませんぜ。俺らの中の誰よりも強くて優しい人っすから」
「だから、心配なのよ。あの人の若いころを知っていると、特に、ね……」
「……隊長は、皆を助けるために戦う。俺達は、そんな隊長を助けるために戦う。
そうやって昔からやってきたじゃないですか。俺達がすることは隊長をただ心配していることじゃあない。最近色々とおかしいですけど、やることは今も変わりません。隊長が安心して、戦える場所と、帰ってこれる場所を提供することですよ」
「そう……そうよね」
アンジュは俯かせていた顔を上げた。先程までの、不安さを滲ませた顔ではない。
もし、彼女の今の瞳を見た者がいたなら、その奥に爛々と輝く炎を見たに違いないだろう。
それ程までに決意のこもった表情だった。
「そうと決まったらやるわよタカハラ! 私は今夜の戦闘に備えてありったけの治療用具を用意しておくわ。まあ、あの人たちのことだから無駄になるかもしれないけど……。タカハラはさっきも言われたように結界を起動して情報を掻き集めて! 多分今回の作戦には季太朗君、そしてアイラちゃんも参加することになると思うから、彼らにも報告をお願いするわ!」
そう言い切ると、彼女はバタン! と扉の閉まる大きな音を響かせて、医療室へ入っていった。
ガチャガチャと音が聞こえてくるところを見ると、早速準備に取り掛かったらしい。
「――――くくっ、やっぱ夫婦じゃねえかあの二人! さて、こっちも負けていられませんね。やることなすこといっぱいですよお!」
やがてオフィスには、カタカタというキーボードを打ち続ける音と、慌ただしく走り回る音だけが残った。
聖光王教会極東退魔支部の一日は、こうして始まる。
●
「……それで、今日のターゲットはコレをやった奴ってことですか」
「ザッツライト」
季太朗の手には、一枚の写真が握られていた。
写されていたのは、飛び散った血、バラバラになった肉塊、見るもおぞましい惨状の有様。
季太朗は思わず、苦々しく顔を歪めていた。当然だ。見ていて気持ちの良い光景である訳がない。ステラに至っては、既に目を瞑って顔をそらしてしまっている。
「まあ、ここまで来てしまったなら仕方がありません。タカハラさんからも事前に知らされていましたし、腹を括りましょう」
「お? 意外だな。こんな奴倒せるわけがないだろ! とか言ってくると思ったが」
「いや、だってさあ……! まだ出勤時間まで時間があるからってことで街中を散歩してたらいきなり袋に詰め込まれて意識がフェードアウトしたと思ったらこんなボロアパートの一室って既に逃げ場なんてないでしょう!! ……個人的な理由もありますが」
彼にしては珍しく、季太朗の口からは怒声が漏れていた。
無理もない。拉致同然でかっさらわれたと思ったらいきなり見知らぬボロアパートの一室なんて言う展開に冷静に対応できる方がおかしいのだ。
拉致された理由が仕事だったから良かったものの、せめて、事前に連絡をできなかったのか、という責めの感情をこめて、季太朗は極東支部支部長兼隊長のレミーを睨んだ。
「いや、悪い悪い。ちょっとばかし結界のガタが想定以上に早く来ちまってよ」
反省の色もなく、レミーはへらへらと笑っている。
そこで、季太朗は聞きなれない言語が混ざったことに気付いた。
「ん? 結界ってのはなんなんですか」
分からないことがあったら即質問。この世で上手くやって行く必須条件。
もっとも彼は、人の受けが良くないなりの為、数か月前までずっとフリーターであったが。
「ああ、説明してなかったっけか。そうだな。
難しいことはよくわかんねえけど、害霊を封じ込めたり弱体化させる効果のあるシステムだ」
「あれですか? よく聞く、お札とか念仏だとか使って作る……」
「いや、あれとは別物だ。
確かに一般的に知られている結界のイメージってのはそういったアナログタイプのものだが、俺たちの場合、それを機械でやってる。タカハラが開発したシステムでな。かなり仕事が楽になった」
どうやら、季太朗の抱いていた結界のイメージとは少々異なるようだ。
だが、霊を弱体化させる、封じ込めるといった役割はほとんど同じなようなので、大して違いはないだろう。そして話から察するに、今回のターゲットに、その結界が使用されている。
しかしそのようなものを開発するとは、と、季太朗はタカハラを改めて凄い人物だと認識した。
普段は駄目な中年おじさんを演じているタカハラだが、季太朗はここ一か月で確信した。
戦闘の後の情報操作、警察への根回し、機密情報の管理等、彼はそういったこと全てを一任している。極東支部の活動は、彼がいなければ成り立たないといっても過言ではない。それに結界とやらの開発をしたとなればなおさらだ。
しかし、ガタが来たとはどういう意味だろうかと季太朗は思索していたが、答えはあっさりとレミーの口から語られた。
「だが一つだけどーしようもならねえ問題があってな……電力の消費が馬鹿でかいんだ」
「……具体的に言いますと?」
「そのまんまだよ。フルで使うとここら一帯が停電するレベルで電力を食いやがる。
もちろん今回のものは弱めに設定した。だが、それでも思った以上にガタが早く来た。
今回、お急ぎ御足労願ったのもそれが理由だよ」
電力の過剰消費による機動限界。それがガタが来たということなのだろう。季太朗は理解した。
「……理由はわかりました。でもせめて今度からは連絡をどんなに短くてもいいんで下さい。
それで、今回の標的は何処にいるんです?」
「ああ、その前に、ほれ!」
「?」
レミーから何かが季太朗へと投げ渡された。
まじまじと見てみると、それは季太朗も良く知ったある道具だった。
二つの適度な長さの筒を、横に平行に並べて接続したような形で、その筒の穴にあたる部分には、透明なレンズが埋め込まれている。
双眼鏡だ。
「やるぞ。張り込みだ」
●
季太朗達が張り込みを開始して一時間弱が経過した。彼らが何を張り込んでいるかと聞かれたなら、家だ。
大きさは、大きすぎるということもなく、小さすぎるということもなく、平均的な一般家庭の一軒家のサイズ。小さいながらも庭付き。窓からは、おそらく子供がいるのだろう、明るい声が漏れていた。
どこにでもあるような変哲のない住宅だ。
しかし、この家にはどんな家よりも際立った異常が、一つだけあった。
この家には、害霊がいる。