第四話 実地訓練
全てが白で彩られた部屋に、鋭い破裂音が響き渡った。
「……むぅ」
季太朗が放った弾丸は、一発は虚しく標的板の横をすり抜け、もう一発は人間でいう所の上腹。そしてもう一発は胸の中心より左に大きく逸れた箇所へ穴を刻んだ。
「どうした季太朗くん?
こんなおじさんに劣っているようじゃ、この先キビシイよ〜?」
してやったりな笑みを浮かべて、西部劇のガンマンの様にくるくると握られた拳銃を回してカッコつけているのは、極東支部情報担当、タカハラだ。
彼の立ち位置よりだいぶ離れた所に配置されていた人型の的には、胸の中心あたりに散ることなく三つの穴が開けられていた。
「うーふーふー♪ お姉さんも頑張っちゃうんだから! ……やったー! ヘッドショット、達成よ!!」
「うあー。医者のくせにぃ」
そして、そこで満面の笑みを浮かべながら子供のように喜んでいるのは、極東支部医療担当のアンジュ。
的には、頭部に三発分の弾丸の跡がくっきりと刻まれた。タカハラからさも悔しげな声が上がる。
「……へたくそね」
「五月蝿い」
傍らの蒼い少女の辛辣な批評に眉間のしわを深くしながら、季太朗は銃を構えなおした。
現在、季太朗を含む極東支部のメンバー三人は、拳銃を使っての射撃訓練中である。
あの銃を実戦で最低限扱えるようにと、レミーが射撃練習場として季太朗にこの一角を用意した。初戦はビギナーズラックでどうにかなったものの、季太朗が銃の取り回し方も知らないでこれから生き残れる保障は、ないのだから。
が、流石にこのタカハラとアンジュに指導される事になるとは、季太朗にとって完全に予想外だった。
既に射撃訓練が開始されて一週間程が経過した。今までの人生において拳銃など終ぞ撃ったことも、ましてや実物を見たこともなかった季太朗にしては、かなり命中精度は上昇したと言っていいだろう。
しかしこの両者、初めは指導者らしくやれ反動が吸収しきれてないとかやれもうちょい銃口を上に向けろとか季太朗に対して真面目にコーチングをしていたのだが、飽きが回ったのか今では先程のようにゲーム感覚で自分たち自ら射撃訓練に参加している始末だ。
「……おいおい、遊びでやらせてんじゃねえんだぞ?」
半ば呆れ口調で言葉を発した筋肉隆々の外人が、自動ドアからのっそりとその姿を現した。極東支部の隊長レミー、その人であった。流石に二人のことが目に余ったようだ。
「えー。一応真面目に教えたんだし、ちょっとぐらい楽しんだっていいんでない?」
「そうそう。それにもしかしたら季太朗クンも、絶対私たちよりも強くなってやるーみたいな反骨精神で、もっとうまくなるかもしれないじゃないの!」
「……生憎、そんなモノは持ち合わせてないんですけど」
「まあ、どうでもいいけど」
どうでもいいのかよ! と季太朗は思わず、立場上上司の人物に向かって大声でツッコミを入れてしまった。
「冗談冗談!! まあ、季太朗君は真面目にやってるようでなにより。……フムフム」
なんて、適当でとらえどころのない人物なのか。
かれこれ極東支部に所属して一ヶ月になった季太朗は、未だ一番最初に会ったレミーのことが一番理解できていなかった。しかし、レミーは季太朗の荒れた心境などお構いなしに、先程季太朗が撃った的をまじまじと見つめ始め、何かに納得したように相槌を打ち始めた。
「……弾を当てる能力はついてきたな」
「まだ、全然へたくそですがね」
「そりゃおめえ、この二人と比べるんならオリンピックの射撃に出れるレベルまでなんなきゃ勝てないぜ?」
「あら、隊長が俺らを褒めるなんて珍しい。
明日は雪でも降るんじゃないすか? こう、ドバーッと」
「ドバーッと降ったら何体、雪だるまが作れるかしらねえ?」
「……降る訳ねえだろもう四月だぞ?」
そんなことわかってますわよーだ、と子供っぽい間延びした返答をしたアンジュを華麗に無視して、レミーは季太朗に向き直った。
その顔には、先程までののんべんだらりとした表情とは打って変わって、見ている方の身が引き締まるかのような顔つきが造られていた。
「……本日六時三十分に、近隣地域にて害霊が確認された。
いきなりで悪いが君には今から、これの討伐に向かってもらいたい」
開かれたレミーの口から季太朗に伝えられたのは、退魔活動を開始しろという指令だった。
「いやいや待て待て! どう考えたって無理でしょう! まだ、霊との戦い方もよく知らないし、銃の扱い方もままならないのに!」
当然、季太朗は即座に反論に出た。
自身の未熟さから来る不安も勿論だが、何よりあの夜、脳裏に刻まれた恐怖心が季太朗を気後れさせたのだ。
しかし、流石にその事についてはレミーも了承していたようで、迅速に季太朗の説得を試みた。
「その点は心配いらない、今回は鬼口とタッグを組んで活動してもらう。
既に、彼女が害霊を戦いやすい地点へ誘導しているころだ。
彼女がいる限りは、君が命の危険に晒されることはない。なんてったって戦闘におきゃあウチのナンバーツーだからな。実際、前回も怪我の一つなかったろ?」
「しかし……!」
「安心しろ。戦闘予定地に行ってから、無線を使ってこちらからもサポートをする。銃の発射タイミングについては、鬼口が害霊の動きを押さえつけてる間に撃てばいい。既に鬼口にも君に撃たせることを優先させるように伝えている。動いてる相手にゃまだ難しいだろうが、止まってる相手になら当たるはずだ。
……それに、ここらへんで膿を出しとかないと、また痛いことになっちまうぜ?」
その付け足された一言に、季太朗の顔が歪んだ。
恐怖に溺れるのも御免だが、彼は、あの自分が自分でなくなるような痛みに再び襲われる事も許容できなかった。
だとしたらもう、季太朗に逃げるという選択肢はかった。
「……分かりました。ですが、期待はしないでください」
「よろしい。ついてきな、銃を渡す」
その時だった。季太朗の羽織っていたコートの裾が、小さく引っ張られた。
違和感を感じた季太朗が後ろを向くと、ステラがその小さな手でコートを掴んでいた。
「また……あんな怖い思いをするの?」
ステラの大きな瞳には、少量の涙が溜まっていた。
いつも季太朗と接する時は不愛想で可愛げがないが、そこには、これから遭遇するであろう恐怖におびえるただの幼い少女の姿があった。
「……俺だって怖いさ。お前みたいな霊が霊を怖がるってのも不思議なんだが、気持ちはよくわかる。できる限り、怖い思いさせないようにするから、我慢しろ」
「万が一ケガしても、絶対死なせはしないから、安心してちょうだい。ステラちゃんもね?」
かけられた二つの温かい言葉に、ステラの首が、僅かではあったがコクリと縦に振られた。
「頑張れよ季太朗くん。おじさんは期待してるぜ?」
「やるだけやってみますよ」
激励の言葉を受け、無機質なドアの開閉音とともに、季太朗は部屋から立ち去った。
終始不服そうな表情の季太朗であったが、立ち去った時の彼の眼には緊張の色はあれど、不満の色はなかった。
何もしないで命を捨てるよりは、命を懸けて命を繋ぐ。
季太朗はあの晩、そう決心した。
●
「……こちら季太朗。通信聞こえますか?」
『……はいよ、ちゃんと聞こえるぜ。戦闘展開予定地点には着いたか?』
「既に待機しています」
季太朗の片耳に装着された小型の無線機から、レミーの声が聞こえる。
右手には無機質で冷たい銃。左手には緊張の汗。背後には不安そうなステラ。そして周囲には、持ち主などとうに忘れ去られた鉄の塊がうずたかく積みあがっていた。
ここは区が運営する廃車場だ。
「しかしまあ、廃車場で戦うことになろうとは、思ってもませんでしたが」
『まあ、広くて戦いやすいってのもあるんだけど、なんか破壊されたり爆発したときに処理がしやすいじゃん?
あ、あと上にはちゃんと許可取ってあるから思いっ切り戦っていいぞ!』
「……了解」
『ステラちゃん! 季太朗君 頑張ってー!!』
『あと数分で鬼口ちゃんがそっちに到着するぞ。情報操作は任せな!』
「…………」
突如として、こちらの心境などまるっきり無視して発せられた馬鹿に明るい声に、季太朗は絶句した。
面白がっているのではなく、少しでも緊張をほぐしてやろうという魂胆であらん事を、季太朗は祈った。
「……みんな、うるさい」
『はうあ!? ステラちゃん、ひどいじゃないの……』
いいツッコミだステラ、と普段意見の同調の少ない季太朗でさえそう思った。
気を取り直して左腕の時計の針に季太朗が目を落とすと、時刻は既に戦闘開始予定の数分前にまでなっていた。自然と、彼の鼓動の早さも上昇していく。
これではまずいと思い、焦る心の意識を逸らそうと、季太朗は先程から気になっていたある事についてレミーに問いを発した。
「あと数分、ですか。
……渡されたときから気になってたんですけど、銃の先端に付いてるこの装置何ですか? 初めて使ったときはなかった気がするんですが」
『ああ、それか。そいつはリミッターだ』
「リミッター?」
『要は、その銃の破壊力を一定に抑え込むための装置だ。
初めて使った時のことを思い出してみろ。教会の天井に大穴ぶちあけただろ』
「……ご迷惑をおかけしました」
あの時は戦闘の余韻から即座に気づくことができなかったが、翌朝、教会の前に山のような人だかりができていたことを季太朗は覚えていた。
……そしてその騒ぎの原因は間違いなく自分であろうことにも、気付いていた。そりゃ、天井に一夜にして大穴が開けば騒ぎにもなる。
季太朗は一応の謝罪を口にした。
『まあ、そこまで気に病む必要はねえよ。
あの時はそいつも使い慣れてなかったんだしよ。ましてや、銃弾に変換される霊力の調整なんてなおさらだ。
そして今もうまい具合に調整できるとは言えねえだろ? だから、銃の破壊力の一定化……流し込まれる霊力に規制をかけることによって、オーバーな破壊力を持たせないようにしたのさ。
副産物として些か反動も減ってるし、だいぶ扱いやすくなってるはずだ』
「成程……いや待ってください。そしたら霊力は溜まり続ける一方では?」
季太朗からもっともな懸念が飛び出した。
銃弾へ変換される霊力を抑えるということは即ち季太朗の体から出ていく過剰霊力、膿の量が減るということである。
現状、季太朗の体は霊力が増え続ける状態にあり、それが原因となって体が崩壊現象を引き起こすこととなってしまった。なら、一度で多くの霊力を出せなくなるというのは、考え方によっては危険ではないか。
『そこが難しいところでな。
霊力ってのは増えすぎることは勿論、減りすぎてもいけねえんだ。最初に使った時だって、霊力流し込みすぎて衰弱したろ』
季太朗の脳裏に記憶が蘇る。
数週間前のあの夜、確かに変換された霊力を以ってして凄まじい破壊力を得、襲い掛かってきた霊を撃破することはできたものの、その後は激しく衰弱し、家に帰るのもままならなかった。
『そして、膿については心配しなくていい。
あの時大量に出したおかげで、まだそこまでの危険域には達してねえ。しかしやっぱり定期的に発散が必要になる。だから今回は、五発くらい撃てばもう安心だ』
「……わかりました」
そうは言われてもまだ、季太朗は自身の中の不安を拭いきれずにいた。
しかし、四の五の言う時間はもう、彼に残されてはいなかった。
「季太朗さん!!」
「!!」
空から声が響いた。
思わず上を見上げた季太朗の瞳に映ったのは、手に薙刀のような得物を握りしめ、後ろ手に結んだ長い黒髪を夜の闇にたなびかせる女史、鬼口アイラ。
『よお、鬼口ちゃん。ちゃんと誘導できたみたいだな』
「当たり前です。私だってもう一人前ですから」
そんなやり取りをしながら彼女は、季太朗のすぐ隣に砂煙をあげながら着地した。乱雑な着地ではなく、一流のスポーツ選手のような美しいフォームだ。
「鬼口さん! 相手はどこに?」
「ええ、もうすぐ来ると思いますが……」
季太朗は、鬼口の口元が一瞬曇ったのを見逃さなかった。
その理由は恐らく、彼女がこちらを見た瞬間に、ステラが凄まじいスピードで季太朗の背に隠れてしまったからであろう。
「……なんでそこまで拒絶するんだ?」
「わたし、ころされかけたから……きらい」
ああ、そういえば鬼口が退魔中に自分に憑りついたのだったな、と季太朗は思い出した。まあ、あんな物騒な薙刀みたいなものを持って追いかけられたなら、気持ちはわからなくもないと軽く季太朗はステラに同情した。
「元来、消滅させる存在だとしても、いささかショックですね……」
「なんかすみませんね。こいつ、異常に臆病なんで」
「いえ、季太朗さんが謝ることではありませんから。
それに――――そろそろ来たようですよ」
――――寒気が走る。筋肉が震える。空気が凍る。
黒い、黒い影が、季太朗たちの前に降り立った。
「ッ……慣れねえな、この感覚」
「初めは誰でもそんなものですよ。事実、私がそうでしたから」
「やっぱり……こわい……」
各々、目の前の敵に対する感情はそれぞれだった。
湧き上がる恐怖を押し殺そうとする者。
武器を構えて臨戦態勢になる者。
肩を縮めて怯える者。
しかし、向こうはそんなこちらを待ってはくれない。
害霊はゴオ!! という風を切る音と共に、急速に距離を詰めた。
「させません!!」
一瞬ののち火花が散って、鬼口の薙刀と相手の腕と思わしき部分が交錯した。
「季太朗さん! 今です!」
「わかりました!!」
季太朗はその瞬間、神無月を三発撃ったが、当たったのは一発。
残りは全て躱された。しかし、苦悶に身をよじるかのような反応から察するに、効いていることは間違いなかった。
咄嗟に化け物は薙刀に絡ませていた腕を振りほどき、距離を取った。
ノルマはあと二発。さっさと撃ってしまおうと銃を再び構えた季太朗の耳に、無線機から声が響いた。
『おおっと、季太朗君!! ストップだ撃つなよ?』
「なっ、何故!?」
季太朗は構えていた銃をおろし、無線機の声が良く聞こえるよう左手で位置を調節した。
あと二発。たったそれだけ撃てばもう自分の出番はないのにという焦燥が彼の中で走った。
『奴の背後、よーく見てみな』
「……! そういうことか……!」
そして季太朗はソレに気付いた。
ここは廃車場。つまり、持ち主に廃棄された使い物にならない車が吐いて捨てる程ある。当然、標的の移動したポイントの真後ろにソレがあったとしてもおかしくはないのだ。
『下手すりゃ大爆発だぜ?』
「戦いやすいと言っていたかと思いますが?!」
『的確に状況判断して戦い方考えるのも大切な特訓だからな!』
「ちいっ、性質が悪ッ?!」
季太朗の言葉の語尾が乱れた。
理由は単純。害霊の姿が闇に紛れるようにして、季太朗の目の前から跡形もなく消え去ったからだ。
「消えた?! どうなって……」
『姿を消したのさ。どうやら、今回の相手は対ステルスの訓練もしてくれるようだな』
「そんなこともできるのか? 害霊って奴は……」
『とりあえず、落ち着いて周囲に目を配れ。姿を消されても打つ手はある。まずは鬼口の近くに移動しろ』
「季太朗さん、こっちです!」
鬼口の誘導に従い、季太朗は大急ぎで鬼口の側まで移動した。すると鬼口は季太朗とは逆を見る体勢、つまり背中合わせの状態を作りだした。
こうすれば三百六十度を注視することが可能となり、背後を取られるという不安要素も少なくなるという訳だ。
「いいですか季太朗さん。彼らは常に一定のプレッシャー、つまり威圧感を放っています。遭遇した際に、身体が異常な緊張状態に陥るのもその為です。馴れによって軽減する事もできますが……
こうして姿を消しているときは、彼らが発するプレッシャーは感じられなくなります」
言われてみれば確かにそうだ、と季太朗が自らの体を確認すると、全身から吹き出ていた汗は止まり、呼吸も正常に戻っていた。
そうして自分の体を確認した後、視線を鬼口に向け、説明を促した。
「それで?」
「つまりです。奴らが姿を現さなければ、原則身体は緊張状態にはなりません。ですから――――」
「!? ッ――――――!!」
鬼口の説明が終わろうとしたその瞬間、再び季太朗の体から汗が吹き出し、彼の心臓の鼓動が加速した。
「きたろう! 上ッ!!」
「なッ!!」
ステラの声を聞き、季太朗は慌てて視線を自らの頭上に向けた。
そこには確かにあった。標的の姿が……おぞましいほどのスピードで落下中の。
標的は気配を隠し、季太朗たちの注意の及びにくい上空に、致命傷を与えるために移動していた。あの落下速度を付けられたまま攻撃されたのでは、甚大な被害が避けられないことは明白だ。
「クソッ!!」
二発。弾丸が放たれた。本来ならばノルマ達成なのだから、季太朗にとって喜ぶべき場面のはずだった。
しかし標的はやすやす弾丸を躱してみせた。裂けて見えるほどの嘲笑的な笑顔が露わになった。
つまりは、季太朗の攻撃は届かず、相手の攻撃は続行されたまま。最早ノルマなど関係なく、季太朗は再び銃口を標的へと構え直そうとした。
だがそんな時間はなかった。標的の、命を刈り取る為のみに特化したとしか思えない凶腕が、季太朗の首に差し掛かった。
(畜生! ここまでかッ……!)
自分は死んだと季太朗は反射的に悟った。
だが、そうはならなかった。
「……何のために私がここにいると思っているんです? 害霊」
その、普段から考えられようのない冷気の含んだ言葉を発したのは、鬼口だった。
『ぎ……ギギュアアァァァ…………!!』
直後、この世のものとは思えない、身の毛もよだつ叫びが大気を震わした。
目を見開いた季太朗の瞳に飛び込んで来たのは、首一寸程に迫った、うねうねと動くどす黒い漆黒を纏った巨大なかぎ爪。そして、そのかぎ爪を差し向けた標的の額に深々と突き刺さる、薙刀の刀身であった。
「お、鬼口さん?」
「……このようにして、身体がプレッシャーを感じたら、奴らが姿を現したということです。その瞬間、威圧の根源を探し当てれば、対応を取ることは非常に容易です。
今回は季太朗さんを護る為に、私から攻めに行くことは避けましたが」
その言葉が、先程の話の続きだということを察するまでに、季太朗は数秒、時間を用した。
「もう五発、撃ち終わりましたか? 季太朗さん」
「え…………ええ」
「良かった、では……もう消えてください」
『ア……アアアアァァァアアアアアァアア!!?
アアァァ――――――!』
鬼口がそう言葉を発した瞬間。再び化け物の断末魔が響き渡った。しかし、その憎悪と苦痛を全てひと纏めにした様な叫びは、的以外の誰の耳にも届く事なく、虚しく闇夜に吸い込まれていった。
次の瞬間には、標的の姿など初めから存在していなったかのように、先程までの戦いが嘘のように、静かな夜の静寂が辺りに満ちていた。
標的は息を吹かれた灰のように崩れ去り、空の闇に溶けていくかのように消滅したのである。
「こちら鬼口。標的の無力化を確認。
緋村氏についての任務も滞りなく完了したことを報告します」
『あいよ、さすが鬼口だな。
了解した。銃撃音などの隠蔽については、すでにタカハラが終わらせている。
それと、アンジュがこの後、季太朗くんとステラ、そして武装のデータを取りたいそうだ。直ちに帰投しろ』
「了解」
無線機から季太朗に下された次の指令は、早く戻れ。
つまり、今夜の退魔業務は、これで終了であることを告げるものだった。季太朗は安堵した。これでもう、今日の所は命を懸ける必要はなくなったのだ。
しかし、季太朗には一つ、心残りがあった。
今回の戦闘。自分はただ、足手まといなだけだったのではないか? と。
(くそ、こんな有様じゃあ……)
「……季太朗さん。帰りますよ?」
鬼口の、さして季太朗が役に立たなかったことなどまるで気にしていないとでもいうような柔らかい笑顔が、逆に季太朗の胸を抉った。
だが、この場で延々とそのようなことを悩んでいても仕方がない事は、季太朗は百も承知だった。取り敢えず、レミーたちのいる支部へ帰らなければとそう思って、季太朗はその感情を喉の奥深くへ飲み込んだ。
「……わかりました。ほら、終わったから帰るぞ、ステラ?」
「――――――イヤ」
――――なにやら、ステラの様子がおかしい。
その場にいた鬼口も、それを感じ取った。
元々、霊自体に恐怖を感じるステラならば、終わった今、すぐにでも帰ると言いだしてもおかしくはなかった。
なのに、紡ぎだされたのは否定の言葉。
「おい、大丈夫か!?」
「イヤ! 嫌アアアアアアアアァァァァッ!!」
「「!?」」
突如としてステラが地面に崩れ落ちた。小さな腕は力なく垂れ下がり、闇を照らす蒼い光もみるみる力を失っていく。
「おいどうしたステラ!! おいっ!!」
「こちら鬼口!! 保護対象ステラが突如として意識を失いました!
原因は全く持って不明!! 至急、救援手配を願います!!」
『クソッ!! 何がありやがった! おいアンジュ! 急げ緊急事態だ!』
「おいステラ!! しっかりしろ、おい!!」
季太朗はステラの小さな手を強く握り必死に声をかけ続けたが、ステラの瞳の光の消失を、止める事は出来なかった。