第三話 あの夜の決断
更新が非常に遅いことを深くお詫びいたします。
バチカン聖光王教会。
それはバチカン市国に存在する法王直属の退魔機関であり、世界最大のカトリックの総本山の一つでもある。
今、此処では前代未聞の混乱が発生していた。
「どういうことだ! 女王の意識が無くなったとは!!」
「原因は不明!! 現在蘇生を試みている最中です!」
一人の黒い重厚なローブを羽織った中年の男と、その部下らしき若い男の焦燥を含んだ声が部屋中に響き渡る。
彼らの挙動、そしてこの施設全体から溢れ出ている抑えようのないざわめきから、彼らの身に起こった事態がいかに深刻であるのかを言外に語っていた。
「全ての枢機卿を強制召集せよ!! 緊急対策会議を開く!教皇様にも早急にお伝えしろ!!
マスコミにはこの騒ぎを絶対に気取らせるな!!」
「了解致しました!」
練度の高さが伺える見事な敬礼をした後、男の部下は命令を果たすため一目散に走り去った。
「何があったのだ……我らが女王に!!」
そう嘆いた男の視線の先には、天井まで届かんとする容器の中に全身を浸され、大小様々な管に繋がれた、一人の女性の姿があった――――。
●
バチカン聖光王教会直属極東退魔支部は、その決して明るみに出ない業務内容故にさぞ一般市民とは関わる事のない僻地にあるかと思いきや、意外とごく普遍的な場所に居を構えている。
近隣地域は流石に新宿や池袋、渋谷のように朝から晩まで人でごった返すようなことはないが、昼間はそれなりに人通りがあり、近隣には病院や大学もある程だ。
そして極東支部のオフィスは、そこの地上より若干低い高さの位置に作られた空きテナントの、更に地下深くにあった。
訪れた男が空きテナントに続く短い階段を降り、磨りガラスで造られた扉の前に立つと、全身にくまなくレーザー光が当てられた。この光の識別機能によって、極東支部の人員である者とそうでない者を区別しているのだ。
常人が決して、この世界に踏み入らないようにする為に。
今夜、訪れた男の名は
『……認証確認。登録番号6613。
こんばんは、ヒムラ キタロウ様』
感情の無い無機質な電子音声の挨拶と共に、固く閉ざされていた扉が音も無く開いた。
黒いコートを羽織った、可愛らしさの欠片も無い仏頂面をした男。
その男は間違いなく、緋村季太朗だった。
●
「相変わらず、長いエレベーターだな」
ここに出勤するのはもう数回目だが、もう少し浅い場所に作っても良かったのではないかと、エレベーターの中での長い待機時間に辟易した季太朗は思った。
しかし、日本にローマ法王直属の機関。ましてや退魔機関なんてものがあるということは、日本政府や警察、公安などの限られた人間しか知らない極秘事項であり、故に行動の利便性や上方との連絡の容易さを考慮して都心にオフィスを造ったものの、衆目に触れる訳にはいかない為、必然的に地下深くに作る必要があったのだ。
対策は入念で、このエレベーターもオフィス直通ではなく、ボタンを決められた手順で押さない限りは極東支部に到達することは出来ない徹底した造りになっていた。
「……やっとついたか」
到着を示すランプの点滅と単調な電子音を聴き流し、ドアが完全に開いたのを確認して、季太朗は外へ歩を進めた。
たちまち、季太朗の眼前に地下深くとは思えぬほど光に溢れた空間が広がった。
今までずっと夜の暗い道を歩いてきたことも相まって、季太朗にはその明るさがひどく眩しく感じられた。
少しだけ目が慣れるのを待ってから季太朗は、隅にあるドアを目指してまた歩き出した。
途中、デスクに座し作業に没頭していた男が季太朗の存在に気付き、付けていたヘッドホンを外して、声をかけた。
「よお季太朗くん!
情報収集がてらヘラヘラ動画で新しいボカロ曲見つけたんだけど、おじさんと一緒に聴くかい?」
「先約があるんで遠慮しておきます」
「なんだ、素っ気ないなあ。気が変わったらまたきてね~」
男は口をすぼめていかにもな拗ねた顔を作ると、次の瞬間には先程までと同じようにヘッドホンを被って、またパソコンの画面へと向き直った。
季太朗がここに来てからいくつか実感したことがある。極東支部のメンバーは、大体変わり者だということだ。
代表してこの、パソコンの前に一日中陣取っている『タカハラ』という人物だ。誰彼構わず馴れ馴れしい態度で接してくる、非常にフレンドリーなおっさんだ。
季太朗がレミーや鬼口から聞いたところによると、彼は霊絡みのトラブルに関する情報収集を担当しているという話だった。
そして、タカハラという名前は偽名。本名を知っているのは、レミーと、極東支部が属する大元の聖光王教会のみ。
何故偽名を使用しているのか、という踏み入った内容までは季太朗に知らされることは無かった。
そしてもう一人、今から季太朗が向かうところにいる人物も、ある意味、変わり者の一人だ。
季太朗は目的のドアの前に到着すると、ドアノブを握って静かに回した。
「……どうも」
「あら――――季太朗くん。そういえば今日は検査の日だったわね」
軽く会釈をし、部屋に入った季太朗を出迎えたのは、褐色の肌に白衣をまとった一人の成熟した女性だった。
ここは極東支部医療室。季太朗が過去に一度運び込まれた部屋でもある。
そして彼女の名はアンジュ。極東支部唯一の、医師だ。
レミーによると、彼女の医療技術は非常に高度で、鬼口に至っても、まだ退魔活動を始めて間もなくの生傷の絶えなかった頃には、幾度となく助けられたらしい。
また退魔機関の医師を長年務めているだけあって、霊的存在の及ぼす人間への障害についても知識が豊富であった。
故に、こうして季太朗の状態を調査し、治療法を模索する役目を一任されている。週に何度か行われる季太朗の身体の検査も、同様に彼女の役目だ。
「それじゃあ早速……」
「まったあ!!」
なんの脈絡もなくアンジュの手のひらが季太朗に突きつけられた。突然のことに驚いて、季太朗は僅かに後ずさる。
「申し訳ないけど、今からお祈りするわ」
そう宣言するとアンジュは手を合わせ、元から用意してあったのだろう、デスクの上に置いてあった花瓶からおもむろに一輪の花を取り出し、掴んだ。
彼女はそれを頭の前に掲げ、何やらブツブツと言い始める。
季太朗には全く理解不能な言葉を数分言い続けた後、アンジュは花を元の花瓶に戻した。
「はい、終わったわ。待たせてごめんなさいね」
実は、彼女はインドネシア出身のヒンドゥー教徒だ。
今、彼女が行った行為は、宗教上の祈りの一つである(本人いわく、最近新しく開発された祈りの方法で、短い時間で行えるのでとても助かっているんだとか)。
どうやら一日三回やる内の一回を、まだしていなかったようだ。
――――季太朗でさえ、ここに彼女がいるということは、かなり異質な事態であるということをわかっていた。
ここはバチカンの教会の直属組織である。バチカン教会は言うまでもなくカトリック。つまるところ、キリスト教だ。
ヒンドゥー教徒のアンジュはバチカン側から見れば異教徒というべき存在だというのに、バチカンの機関の極東支部に所属している。本来ならば、それは不可能だ。
全ては、極東支部総隊長レミーの方針だ。
実力があればどんな宗派の人間だろうと構わない。それが極東支部、ひいてはレミーの思想なのだ。
故にキリスト教徒以外が組織に所属することを認めているのはこの極東支部のみだ。無宗派の季太朗がここに所属できているのも、そういった方針のおかげだ。その為、熱心な信者の中には極東支部を毛嫌いしたり軽蔑する者も少なくない(しかし、かなりの成果を極東支部は上げているので露骨にそういった態度を表にすることはあまりないそうだが)。
「……おーい、聞いてるー?」
「っと失礼……それじゃあ、今回もお願いします」
自分の思考が一瞬途切れていたことに気付き、季太朗は急いで意識を戻した。
「はいはい、どんと任せなさい!
あと――――ステラちゃんもね」
アンジュがそう言うと、季太朗の背後から幼い顔立ちの少女がひょっこりと顔を出した。
緊張しているのだろうか。季太朗のコートの裾を掴み、眉毛はへの字に下がった不安を残した目で、季太朗の背を盾に覗くようにしてアンジュの方を見ている。
ここまでは普通の幼児の取る態度と、そう変わらないだろう。
少女自身が蒼白く発光し、宙に浮いている点に目を背ければ。
そう、この少女こそ季太朗に取り憑き、季太朗の世界を一変させたあの幽霊少女だ。
「ほらー、隠れてないで出てらっしゃい!」
「わひゃっ! は、離してっ……!」
アンジュが脇の下から手を差し入れ、持ち上げる形で少女を胸元へ引き寄せた。ようはたかいたかーいの形である。
ガッチリと宙に固定された状態で、手足を懸命にジタバタさせているさまは、季太朗にとって僅かに微笑ましい光景でもあり、呆れる光景でもあった。
いつもは季太朗に対して無表情で愛嬌のない態度なのに、検査の時となると、こうして注射を嫌がる子供のように必死で抵抗するのだから。
――――思えば、随分と馴染んでしまったものだな、と季太朗はその幽霊少女を見て思った。
幾日か前の時には、想像すらしなかった世界で今、生きているのだと。
●
一ヶ月前、大通り前教会内。
「君ね、退魔師になりなさい」
「…………はあ!?」
痛みの治療法を教えると呼び出して得体の知れないものと半ば強制的に戦わせた挙げ句の果てに退魔師になれ、と。この男は何を言っているのだ。
季太朗は、目の前の男の言葉の意味を理解することができなかった。
「なんであんたたちの同類にならなければならないんです? 俺は自分が助かる方法を聞きに来ただけなのに!」
季太朗は自分の死を回避する為の手段を聞きに来ただけだった。何故退魔師になぞならなければならないのだという反感から、思わず季太朗は怒鳴った。
しかしその瞬間、彼は急に魂が抜けたようにして地べたへと座り込んでしまった。
「っ?!」
「あぁーあ。
ほら、残量霊力切れかかってんじゃないの、キミ」
つい先程、トリガーを引いた瞬間も季太朗が体験したこの自身の体から何かが抜け出ていく虚脱感。単純な肉体疲労からくるものではなく、かといって精神的疲労とも言えない未知の感覚を、彼は体験した。
そしてレミーの口から漏れた聞き慣れない単語も、季太朗を混乱させた。
「残量、霊力……?」
「んー、人には少なからず霊感ってのがあるのは知ってるよな」
霊感。
霊的な現象や、霊などの人ならざるものの存在を特段強く感じてしまう能力。
それがどうしたと言うのかと季太朗は怪訝な顔になった。
「実はな、さっき君に使わせた銃。霊感、というより、その霊感の元となる力を搾り取る効果があるんだ。それでな……」
「……つまり、俺がこうなったのは、これを使ったことによって霊力が吸われたからだと?」
「察しがいい奴は嫌いじゃないが、最後まで言わせてくれてもいいじゃないのよ。
ま、それでだいたい正解だよ。
精神的エネルギーの一種を失ったから、体が一時的に言うことを聞かなくなってるんだ。そういうもんだと理解しとけ」
季太朗が思いつきで言った推論は、どうやら当たっていたらしい。未だ自分の手に握られている黒い鉄の塊に、季太朗は畏怖の念を抱き、視線を落とした。
「……でもそれはおかしい! 今まで俺は、自分に霊感があるなんて微塵も思ったことはないし、何故、霊力を吸い取る必要があるんです」
この世に生を受けて二十二年。緋村季太朗という男は今まで、霊的現象に遭遇したことは金輪際無かった……この少女と出会うまでの話だが。
そしてそれ故、自分に渡されたこの銃に、そんな機能が付いている理由も理解できなかった。
「ハイ、よくぞ聞いてくれた!
お前と話してると面倒な説明の手間が省けて楽チンだぜ」
「……あなたさっき説明したがってたんじゃないのか?」
この男は、どうしてこんなに適当でいい加減なのか。季太朗は本気で頭を抱えたくなった。
「隊長、真面目にお願いします」
「わーったよわーったよ!そんな怖い顔すんなって。美人が台無しだぞ?」
鬼口さえも、顔を強張らせる。
部下はしっかり者だというのに隊長がこれで良いのかと季太朗は呆れた。
「ハイハイ。んじゃ、サクッと説明しよう。
――――お前さん、今、体痛えか?」
季太朗はそこで初めて気付いた。
先ほどまで自分を蝕んでいたあの鋭い痛み。それが、完全に消え去っていることに。
「痛くない……! これはどういう事なんだ……!?」
季太朗はにわかには信じられず、まじまじと己の掌を凝視したり、閉じたり開いたりしてみたが、間違いなく痛みは消え去っていた。
目眩はしない。
頭は痛まない。
心臓が不定期な動悸を繰り返すことも、ない。
「あくまで一時的だがな、膿を出した、といったところだ」
「膿?」
思わず季太朗は問い返した。
「つまりな、お前さん。霊力がキャパオーバー、……詰まる所、容量超えだったのさ。
霊力ってのは人によって限界値が決められていてな。霊が見える奴と見えない奴っていう区別が生まれるのはその為だ。
あの痛みは、霊力の急激な増加への肉体の拒絶反応、という訳さ」
「……だから俺にこの銃を使わせて、霊力を搾り取ったと。
じゃあ何故、俺の霊力は急激に増加したんです。俺には、知る権利があるはずだ」
「……察しの良いお前さんならもうわかるだろうよ。
体に痛みが出る前と後で、一つ、変わったことがあるだろう?」
変わった事。それなら、一つしかない。
「こいつかッ……!」
「……!」
季太朗が睨みつけた少女の、小さな肩が震えた。
思い返せばそうだった。この少女に出会ってから、体に痛みが出始め、こんな状況に陥ってしまった。
「気付いたみたいだな。
そう、十中八九、そいつが原因と俺たちは睨んでいる。
何でかはわからんが尋常じゃねえほどの霊力を、そいつは保持してんのさ。
お前の体が拒絶反応を起こしたのも、憑りついたときにソイツから流れ込んだ霊力のせいだ」
「じゃあ早く、こいつを俺から引き離してくださいよ! あんた達、退魔師なら出来るだろ!?」
「あー、それなんだがな…………
悪い! 無理だ!!」
一瞬で頭に血が上るのを、季太朗は感じた。
「……ふざけるなッ!!
あんた、俺を助けてくれるといったじゃないか。このまま痛みに苛まれながら野たれ死ねと?!」
「だから、痛みの一時的な除去法は教えたぜ」
「一時的だろ?!
それにこんな銃を常に持ち歩いて痛みが出たらさっきの様に使えと? 無茶言うな!」
「あー。最悪、銃刀法違反やら何やらで逮捕だなあ。一応それ、殺傷力あるし。
……だからだよ。俺が今、キミを退魔師に誘ったのは」
「は……?」
季太朗は耳を疑った。
彼は自分の命が助かることと、自分が退魔師になること、この二つに何の関係があるのか咄嗟に理解できなかった。
「……こっちでも専門家やら何やらで、お前の身体について調べた。そこで、お前さんとその霊を引き離すことが出来てたのなら、とっくにしてる……結果はお察しのとおり、分離は不可能という判断が下された。
無理に引きはがせば精神崩壊が起こるレベルにまで、お前さんとその霊ががんじがらめになってたのさ。
こんなことは退魔師生活ウン十年の俺ですら初めて遭遇するケースなんだ。前例がないから、お前さんを確実に救ってやれる手段もはっきりとしねえ。
だが、俺たちだってプロの退魔師だ。そんなことで霊の被害にあった奴を見捨てることは、信条に反するのよ。
……お前さんが退魔師として俺たちの保護下に入ってくれれば、確約できることがいくつかある。
一つはお前の体が完全に完治するまでの生活の保障!
そして全力を挙げての完全治療法の模索!
お前さんが生命活動を保つための現状唯一の手段であるその銃を使って、命を長らえさせられるのに十分な環境、仕事!
……これじゃ不満か?」
「!」
季太朗にとって、思ってもみなかった話だった。藁にもすがる思いですぐにでも飛びつきたかった。
しかし、もう一つだけ、季太朗は確認したいことがあった。
「……その仕事ってのは、何ですか?」
「わかってるだろ? 先程の君がやったのと同じ、退魔活動だよ」
「命を助ける代わりに命を懸けろと」
「その銃を、監視も無く君に持たせっぱなしという訳にもいかないんだ。危険すぎるからな。それに先程も言った通り、君を治療するにしても俺たちの管理下にいた方が都合が良い。
普段は、俺達極東支部が責任をもってその銃は保管する。そして退魔活動の際、君に貸し出して使わせ、君はそれによって霊力を発散させ、命を長らえさせることができる。
…………安心してくれ。
お前を絶対に、死なせはしねえからよ」
少しの沈黙を置いて発せられたその男の言葉と、自身を真っ直ぐに射抜いた瞳の中に、季太朗は自身の命を預けるに相応しい覚悟を垣間見た気がした。
そして少しだけ逡巡した後に、もう季太朗の中では、何を選択すれば良いのか決定されていた。
「…………分かった。俺は、
あなた達の仲間になります」
こうなったらもう、やるしかない。覚悟は、既に。
「……ヘッヘ。
んじゃ、契約成立、だな。握手といこうじゃないか」
レミーから季太朗の眼前へ、ゴツゴツとした傷だらけの大きな手が差し出された。
その手を季太朗が握り返そうとした時、
「わ……わたしを、ころす、の?」
今まで季太朗の背に隠れているだけだった幽霊の少女が、割り込んだ。
「……俺を治すとなればそうなんじゃないのか?」
「い、いやだ! まだ、しにたくない!!」
「あー。
安心してくれ幽霊の嬢ちゃんよ。
おめえさんは確かに霊だ。それも人に害を及ぼすタイプのな。
本来なら俺たちが消すべき存在だ。
が、お前さんは殺さねえ」
「え……!」
その言葉を聞いた少女も、季太朗も、困惑した。片やまだ生きていられるという事実に、片やレミーが少女を殺さないと発言した意図がまるで読めずに。
「待ってください! じゃあ、俺はどうなるんだ?」
「安心して下さい。
あくまで季太朗さんのその症状は、彼女が憑りついていることによって起こっているものです。彼女をあなから引き剥がすことさえできれば、彼女が存在していようが消えようが支障はありません。ただ……」
鬼口の言葉が途切れた。
その後を継ぐかのように、レミーが言葉を続けた。
「肝心な理由だがな。
お嬢ちゃん。君は知らないかもしれないが、君は、まだ生きている可能性が高い。
要は生霊ってやつだ」
「いき……りょう?」
「原則として俺たちは、対象の霊が生霊と判明した場合は本体をさがして霊体を元に戻さなけりゃならないのさ。さもなきゃ、人が一人死ぬことになるからな。
霊ってのは要は精神的エネルギーの塊だ。霊は死んだ肉体やら何やらからそれが抜け出て出来るのが大半だが…稀に、肉体が生きているにもかかわらず、精神エネルギーだけが抜け出て勝手に行動してしまう時がある。それが生霊だ。
だが、肉体の方のエネルギーのみでは、生霊の主は生命活動を保つことはできない……だから急いで肉体の方を探さなきゃならんのだ。……非常にめんどくさいが」
「だから、コイツを消すわけにはいかないと?」
「そういうこった」
要は、死んだ者の霊やらは消すことが可能だが、肉体の方が生きている霊は不可能、という事だ。
精神的エネルギーの塊である霊を殺してしまえば、その肉体も必然的に生命活動を停止してしまうが故に。
「じゃあ……わたしはまだいきられるの?」
「おうとも、生きられるぜ。
という訳で嬢ちゃん、なにか自分について覚えてるこたあないか? さすがにそういったことは、本人から聞くしかねえんでな」
「……無駄ですよ。
そいつはさっき、自分について分かることは何もないと」
「ステラ。それが、わたしのなまえ」
「?!」
季太朗は眼を見開いた。
先程までは、尋ねても己の名前すら答えられなかったというのに、今、この少女は確かに自分の名前を口にしたのだ。
「んだよ覚えてんじゃん。
まあ、さっきまで本当に忘れてたとしても、些細なことで急に思い出すもんさ」
「そういうものなんすか……?」
「そういうものさ。
あとな季太朗君。なんにでも疑問を持ちまくってると、結構辛いぜ? こういうこたあ適当なところで受け入れなきゃあな。
……特に『こっち』の世界じゃ。
君はもう、一応こっち側の人間だ。これが、長生きするコツだぜ?」
「……わかりましたよ。で! これから、俺はどうすればいいんです」
「とりあえず今日は帰宅してもらって結構だ。必要だったとはいえ一芝居打って悪かったな。ゆっくり休んでくれ。
おっと、ちゃんとその銃預けていけよ?」
「わかってますよ。こんなもん常に持ち歩けるほど、度胸ありませんし」
「よろしい。確かに預かったぜ。
……明日は君に、俺たちのオフィスの場所を教える。時間になったら鬼口を送るから、ついて行ってくれ。
またな! かえるぞぉ、鬼口ぃー!!」
「そんな大声で言われなくても大丈夫です。
それでは季太朗さん、また明日、よろしくお願いいたします」
鬼口が、季太朗へ深々と頭を下げた。鬼口は終始丁寧に対応してくれたのと、自分を守ってくれたという事実も相まって、気付いた時には季太朗も自然と鬼口に頭を下げていた。
「こちらこそ、頼みます」
季太朗が軽く下げた頭を戻し、視線を上げたた時には、既に二人の姿はなく、風の吹きこむ教会に取り残されていた。
が、今しがたまで彼らが確かにここに存在していた事は、あの激しい戦闘の跡と、季太朗の掌に残る冷たい銃の感触と重みが、証明していた。
「さて……帰る、か」
取り敢えず、まずは帰って色々なことを整理しなければならない。
今のこと、今後のこと、考えなければならないことは数え切れないほどに。
そう考えて、季太朗が出口に向かって踵を返した、が
「まって、わたしをおいてこうとしないで」
――――まじかよ!
思わず、季太朗は呟いた。
そう。
よりによってあのふたりは、一番厄介なものを、どう接すればいいのかを季太朗に何も説明せず、押し付けていってしまった。
この、幽霊の少女を。
「おまえ、まさか、俺についてくる気か?」
「……わたしはあなたからはなれることができない。
だから、そうなる。
それと、わたしのなまえはおまえじゃなくて――――ステラ、よ」
●
「どうしたの、ぼーっとして」
彼の顔の周辺をふわふわと漂いながら、ステラは季太朗に問うた。
「……なんでもねえよ、ただ、どんなに努力しても受け入れ難いことはあるんだなあとしみじみ思っていただけさ」
「?」
アンジュによる、肉体の崩壊の進行状況などを調べる検査も無事に終了し、季太朗は今帰路についている。
あの夜から数週間、季太朗は無事、聖光王教会極東退魔支部に正式に所属した。
メンバーは非常に少ないながらも皆優しく、今のところは大した問題も発生していない。
ステラとの共同生活という最大の困難を除けば。
(なんで俺が、子供の、しかも幽霊の、世話をしなくちゃならないんだ……)
内心溜息を吐きつつ、季太朗はコンクリートの路上を歩き続ける。
そんな二人の道先を照らすようにして、夜の漆黒の空にぽつんと、蒼い月が輝いていた。