第二話 電撃的スカウト
途中でデータが消え、修復に時間がかかりました。誠に申し訳ありませんでした。
夜の闇に塗られた長い廊下を歩く二つの人影と一つの蒼い光。
その光景は幽霊少女から発せられるぼんやりとした光のせいか異様で、同時に幻想的でもあった。
意外に長いと渦中の人物、緋村季太朗は思った。
現在、彼を含んだ三人が歩いているのは大通りに面する教会の廊下である。
季太朗は、教会といえば入るとすぐに開けた礼拝堂があって、大きいステンドガラスが見えるような建築様式のものを想像していたのだが、どうやら構造が違うようで歩き続けてもそのようなものは一切見えてこなかった。
(場が持たねえ。誰か喋ってくれ……)
と、割と早い段階で沈黙に耐え切れず内心思っていた季太朗だったのだが、自分から何かを切り出そうにも静寂に気圧されて中々口を開けないでいた。
しかし、確認したいことは数え切れないほどある。頭を整理するためにも情報は必要だ。
意を決して彼は、口を開いて言葉を口にした。
「前に一緒にいたあの大男はどうしたんだ?」
「レミー隊長のことですか?
分かりません。あの方は飄々とした人ですから。私に仕事を言い渡すとふらっと何処かへ」
歩き続けたままであるが、思ったよりあっさりと女は答えた。
季太朗に分かったことは、あの大男は今ここにはいないということ。
さらに季太朗は質問を重ねる。
「なあ、あなた達は一体誰なんだ?」
「医療室で隊長がおっしゃっていたでしょう。私たちはバチカン聖光王教会極東支部。
簡単に言ってしまえば、一種の退魔師のようなものです。世間からは遠い存在なので、ピンと来ないかもしれませんね。
私の名前は鬼口愛羅と言います」
退魔師。そういった方面には疎い季太朗だってその名を聞いたことはあった。
幽霊だのなんだのをお祓いする職業。この女性、鬼口はその一員という事らしい。ニュアンスも間違ってはいないようだった。
季太朗にとっては退魔師のイメージなど、「そこに霊がいます!」等といっては余人を不安に叩き落とす胡散臭い詐欺師にも近しい存在だったが、今自分の背後にいるのが立派な幽霊であるかと思うと、長年の認識を改めざるを得なかった。
ここで彼は、疑問を持った。
「……じゃあなんで、こいつはすぐ祓わなかったんだ?」
そう、幽霊だのなんだのを祓う、消すというのなら、自分の背後のこの少女も例外ではないはずだ、と。であるならば、自分を連れ帰った時に既に行動を起こしていて然るべきである筈なのに、幽霊の少女は依然、季太朗にくっついたままだ。
「……できなかったんです」
ずっと凛とした態度を崩すことのなかった彼女が、季太朗の問いを聞いた瞬間、弱々しい声音でそう口にした。
加えて彼女の歩行が急に止まった所為で、季太朗は前方につんのめってしまう。
「は?」
「その少女を追跡している最中に、憑りつかれて倒れたあなたを発見したんです。
勿論すぐに除霊を試みました。憑りつかれてすぐの段階なら、そう難しくはありませんから。
……ですが、その少女をあなたから引き離すことは、私にはできませんでした。私の実力不足に他なりません。
本当に、申し訳……ありませんでした」
鬼口の声は微かに震えていた。
凛とした外見とは裏腹に、精神的には少し脆いのかもしれない。
「……あー。
いや、謝らなくていいんで」
季太朗が発したその言葉に、思わず鬼口は後ろを振り返った。
「ど、どうしてですか?」
自分のミスでこんな事態になってしまっているのだから、鬼口は、季太朗から責められることは当然と考えていた。
なのに、季太朗から出てきたのは謝罪の拒否。狐につままれたような顔になるのも、無理はない。
季太朗は、こう言った。
「――――謝ったって、起こってしまったことはもう変わらないだろ?」
その言葉を聞き、今度は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる鬼口。が、すぐに微笑を浮かべ、納得したような表情を見せた。
「そうですね……」
そう言ってまた、彼女は暗い回廊を歩き出す。
「今、私の仲間の一人が、あなたの症状を完全に治療する方法を探しています。
今日貴方をお呼びしたのは、一時的な治療法を実践するためです」
「一時的、ねえ……」
表ではこうして冷静に振舞ったが、季太朗は内心歓喜した。
本心を言えば、こんな鬱陶しい痛みからはさっさと永遠におさらばしたかったが、そううまいこといかないのは世の常ということは身に染みているし、一時的でも何も手段が無いよりは遥かにマシだと季太朗は思ったのだ。
「それで、その一時的な治療法っていうのは」
「くる!!」
――――突如、今まで背後を黙って付いてくるだけだった幽霊少女が、季太朗の鼓膜が張り裂けんばかりの声量で叫んだ。
急に耳に響いた凄まじい声に咄嗟に背後を睨んだ季太朗が見たのは、恐怖と驚愕の色に塗り潰された少女の顔だった。
「おい!? 何が来るってッアアァッッ!?」
瞬間、季太朗の体を激痛が襲った。今まで感じたどの痛みよりも、凄まじい痛みが。
あまりの痛みに、視界が歪む。
季太朗は地面に倒れ込もうとする自らの体を必死の思いで留めさせ、顔を上げた。
気が付けば季太朗の眼前には、まるで先程まで歩いてきた回廊など始めから無かったかのように、開けた空間が広がっていた。
月明りの所為か、その空間は蒼白く照らされていた。
彼の目に入ってきたのは、巨大なステンドグラス、ずらりと並べられた横長の椅子、そして、そびえ立つ装飾を施された十字架。
季太朗のよく知る教会の光景がそこにあった。
……ただ一つの異常を除いて。
「なんだ……ありゃあ!?」
季太朗の眼に入ってきた、本来、その光景には不要な異物。例えるならば、それは影だった。
いや、異形といった方が正しかったかもしれない。
深淵の如く黒い体躯。その中に漂うように浮かぶ紅玉のような眼。安定することなく常に揺らぎ続けるその体。
これを異形と言わずにどう言えばいいというのか。
「……あれが、私たち退魔師が排除する対象の一つです」
目の前の存在に対して鬼口が淡々と説明をする。
どうやら、彼女にとっは慣れた存在らしい。しかし、季太朗にとっては未知との遭遇だった。
あんなものを相手するのが退魔師だというのか、と季太朗は驚愕した。体が硬直する。
しかしソレは待ってはくれない。
「危ない!!」
「ッ――――?!」
一瞬、季太朗の視界が途切れた。
しかし次の瞬間に彼は体が宙に浮いたような感覚を感じたかと思うと、凄まじい衝撃を肌で味わった。
――――地面が抉れていた。先ほどまで季太朗がいた場所が、粉々に。
その時季太朗は、鬼口にコートの襟を掴まれていることに気づいた。
どうやら地面が粉々になる寸前に鬼口が、先程いた地点から咄嗟に季太朗を連れて移動したらしい。女性の身で何たる膂力だろうと、思わず季太朗は目を剥いた。背後にいた少女も、もれなく一緒についてきていた。
「大丈夫ですか?」
「……何とか。
ってそうじゃない! 逃げるぞ!!」
ここは自分のいて良い場所では決してない。
季太朗は動物本能的にそう直感した。鬼口の手を振り切り、一目散に出入り口の扉へと走った。一刻も早く、アレから逃げなくてはならないと。
しかし、扉は開かなかった。
「クソッ!! なんで開かないんだ!?」
ガチャガチャと力任せに取っ手を揺するが、季太朗の必死の抗議も虚しく一向に扉が開く気配はない。
季太朗は焦りと恐怖に突き動かされ、思わず隣の幽霊少女にも怒号をぶつけた。
「おい、お前幽霊なら壁ぐらいすり抜けられるだろ! 向こうから鍵開けるとか出来ねえのか?!」
「むり! いまのわたしはあなたからはなれることができない。
もしできたとしても、アレがにがすとはおもえない!」
「クソッ! ちったあ役にたてって……!」
そんなやり取りをしている内に、とうとう『異形』の視線が季太朗たちに向けられた。
ソレの口元辺りから発せられた不可視の何かが、床を粉々に削り飛ばしながら季太朗達に肉薄する。
が、間一髪鬼口が季太朗たちの前に立ち、ソレを防いだ。
「グッ…………!!」
不可視の攻撃といつも間にか取り出されていた鬼口の持つ棒状の武器らしき物との間で、鉄が激しく摩耗しているが如き凄まじい擦過音が鳴り響く。
思わず、耳に手を当てる季太朗。
「季太朗さん! 私がこいつの攻撃を受け止めている間に、コレを!!」
鬼口の懐から自分に向かって何かが投げつけられたのを、季太朗は見た。寸分の狙いの狂いも無く自身の胸元に飛来したそれを、季太朗は両手で受け止めた。季太朗が目を落とすと、そこには
「――――――これは、銃、なのか?」
季太朗の手に収まったソレは、大雑把なシルエットだけに注目すれば間違いなく銃であった。黒い鉄のずしりとした重さが、否応なしに季太朗に、これは命を奪うものであると認識させる。
しかしその表面には、現実の銃には存在する筈のないメカメカしい装飾が多量に付けられていた。
「その銃を使って、アレと戦って下さい!!」
「……はあああッ!?!?」
そして次に鬼口から突きつけられた斜め上をぶち抜けていくような要求に、季太朗は耳を疑った。
「冗談言うな!! こんな、見たことのない道具渡されて、あんな奴相手にどうしろって!?」
「使い方は一般的な銃と同じです! 相手に照準を合わせてトリガーを引くだけです!!」
しかし、日本という平和な国でだらだらと過ごしてきた季太朗に、銃を使った経験などある訳がない。
それに、
「なんで俺があんなのと戦わなければならないんだ!? 俺はただ死にたくなくて呼び出しに応じただけなのに!!」
そう、季太朗はただ一方的に呼び出されただけで、死にたくないから応じただけ。
なのに気付けば命の危機、挙句の果てにあんな化け物と戦うなど有り得ない。
季太朗はそう叫んだ。
「あッ!!」
鬼口から声が漏れる。気づけば化け物は鬼口の防御を無理矢理突破して、季太朗に直接攻撃を加えんとしていた。
敵意が剥き出しにされた紅い眼が季太朗を捉える。
「ひっ! こわい……こわいよ!」
「早くッ、トリガーを引いて下さい!! このままでは死んでしまいます!!」
「…………
――――――――クソッタレがあアアァッ!!!!」
考える暇など、残されてはいなかった。
季太朗の中で、なんで自分がこんな目に、という思いよりも、今、こんなところで死にたくないと願う本能が勝った。
その瞬間、黒かった銃身が蒼く光り出した。
溢れんばかりの蒼光が、季太朗と霊の少女を包んでいく。
季太朗が感じたのは、体の深奥から何かが吹き出るような感覚。
それは荘厳に湧き出る泉のように力強く、無限に広がる海のように果てが感じられなかった。
――――トリガーが、引かれた。
●
「……ひゅう~。すっげえな」
季太朗達のいる教会より、ほんの少し離れた民家の屋根の上に、一人の男が立っていた。
筋肉隆々、金色の短髪、黒いバンダナを頭に巻きつけた男。鬼口からレミーと言われていた男だ。
彼の見る先にあったのは、暗黒の空に向かって伸び続ける、光の柱であった。
光の柱は大気を震わし、暗雲を薙ぎ払い、果てしなく天へ伸び続けている。
「…………こりゃあ、期待できそうだ」
そう言うとレミーはその光の大元へ、彼が季太朗を呼び出した教会へ屋根を飛び移りながら向かっていった。
●
「…………はっ! はっ! はあッ!」
光が収まった後、季太朗達の目の前から忽然と、あの異形は消え去った。
激しい断末魔と共に、蒼い光に掻き消されるようにして。
(ダメだ。もう立ってはいられない)
季太朗は地面へ座り込んだ。
銃のトリガーを引く。ただそれだけの動作だったというのに、彼の体には凄まじい疲労感があった。
それは幽霊の少女も同じらしく、季太朗の背にもたれかかり、同じように息を整えている。
「よかった……。意識はありますね」
鬼口が駆け寄ってきた。
どこにしまったのやら、彼女の手からは、先程まで所持していた棒状の武器が消えていた。
「……なあ、今のは一体――――」
その季太朗の問いを遮るようにして、拍手が響き渡った。季太朗の目の前にいる鬼口は手を叩いていない。
「お見事だった、キタローくん!」
季太朗にとって一度耳にしただけだが、忘れることが出来なかった声が響いた。
この飄々としながらも重厚さを感じる声は、確か
「レミー隊長!!」
そう、季太朗を呼び出した張本人。筋肉隆々の外国人男性、レミーだ。
この口ぶりからするに、どうやらどこかで一部始終を見ていたようだ。
だとしたら、何で見ているだけで助けなかったという激しい抗議の気持ちを込めて、季太朗はこの大男を睨みつけた。
「てっきり来ないのかと思っていましたけどね」
「まあまあ、そんなこええ顔すんなって! 約束通り、治し方を教えっからよ」
その発言を聞いて季太朗は疲労感に苛まれながらも、目を輝かせ、真に胸を弾ませた。やっと、ここに来た本当の目的が達成されると。
そして、レミーはこう言った。
「君ね、退魔師になりなさい」
すっかり寝静まった夜の街に、一人の男の大絶叫が木霊した。