第十五話 対決・前編
「……さて、どうすっかな!」
「かるっ!」
それが、病院の大玄関から出て緋村季太朗が最初に放った言葉だった。ステラから的確なツッコミが入る。
「いや、良く考えたら鬼口さんが今何処にいるのか見当もつかねえし『安全が確認されるまで外出はご遠慮下さい』って言ってきた黒服のおっさん突き飛ばしてきちゃったし、柄に似合わず格好つけてしまった手前Uターンして戻るのも気が引けるし、でな」
「っ……!」
ステラは思わず自分の目頭を押さえた。そして同時に、ついさっき病室で口上を放った季太朗をかっこいいなと内心思ってしまったことを僅かに撤回した。
「……それに最悪、相手は鬼口さんだ。生半可な用意でいっちゃあ、無事じゃ済まねえのはよくわかってるさ」
一転、彼の声は真剣味を纏った低音へと様変わりする。それに釣られて、ステラの顔も引き締まる。
鬼口の強さを、訓練で散々敗北を喫してきた季太朗はよく知っていた。模擬戦において季太朗が鬼口に勝てたことは、一度もない。戦闘になるとしたら季太朗の負けは濃厚であった。だがそれでも、いざとなったら戦わねばならない。無意識に季太朗は強く拳を握る。
「……それにしてもよ、お前はよかったのか?」
そして次に季太朗はそう問い掛けた。彼が今、問いを投げかけられる存在はこの場に一人しかいない。他でもないステラだ。
「何も言わずについてきてよ。文句の一言でも言われるかと思ったんだが。
……今回はいつもとは違う。嫌なら嫌って言ってくれていいんだぜ」
ステラは僅かに逡巡し
「イヤっていったところでどうするの? わたし、きたろうからはなれられないんだよ?」
「……はっ、確かにそうだな。
それじゃあしょうがねえ。俺の我儘に、付きあってもらうぜ」
「……いまさらだよね」
ステラとの短い、だがそれでいて互いに信頼を寄せたやり取りが終わると、季太朗は思考を開始する。
(さて……鬼口さんを見つけるにはどうしたらいい。少なくとも薙刀を持ったままだとするとそう堂々とは移動できないはずだ。目立っちまうからな。移動手段は徒歩に限られる。極東支部のオフィスを中心としてしらみつぶしに捜す……のはきついが、今んところそうするしか手段がない……!)
『コツン』
「あ?」
彼が頭を悩ませていると、不意に季太朗は己の後頭部に何かが当たる感覚を感じた。
背後を振りかり地面を見てみると、そこには一機の紙飛行機が落ちていた。これが当たったのだろうと見当をつけて季太朗は紙飛行機を指でつまんで拾い上げた。
「ったくどこのガキだこんなもん人に向けて飛ばし……!?」
季太朗の語尾が、僅かに詰まった。ステラはそれを見逃さない。
「どうしたの?」
「……見てみろ」
それだけ口にして、季太朗は拾い上げた紙飛行機をステラに差し出した。
その紙飛行機の翼の部分には、文字が書かれていた。
――『広げてみろ。鬼口アイラはそこにいる』、と。
「きたろう、これ!?」
季太朗は手早く紙飛行機を元の正方形へと戻す。
「成程な。地図で紙飛行機を折ったって訳か」
現れたのはここら一帯を記した地図だった。そして紙の右上には赤い丸が書かれていた。地図上で言う所の河川敷にあたる場所だ。翼の文面から考えて、鬼口はここにいるということか。
「……」
季太朗は訝しさを多分に含んだ視線を紙飛行機の飛んできた方角へ向けたが、誰がいるでもなく、どこまでも続く夜の闇が広がっているだけだった。
季太朗はこれを素直に幸運だと喜べるような人間ではない。この時点で既に心の中では懐疑心が膨れ上がっている。
季太朗が鬼口を捜しているということを知っている者は全員病院、もしくは病院のベッドの上だ。なら、この情報は一体誰が送ってきたのか。
普段ならばこんな発信元の詳細もくそもなく、確証性の無い情報は、あてにはできない。
だが今は、普通の状況ではないし手段を選んでいる暇も無い。だから、
「……どこのどいつが寄越したのかは知らねえが、行ってみるしかなさそうだな」
例えどんなに怪しかろうと、それは間違いなく季太朗にとって心から求めていた『鬼口アイラ』に関する情報だった。
しらみつぶしに闇雲に動くよりはこんな出所の何処とも知れない情報を試してみる方がマシだと考えて、季太朗はコートを翻し、赤丸の場所へ走り出した。
●
某所・河川敷 陸橋下
「っ、私は、私は、私は、私はあッ…………!!!!」
細かな石が刺さり、自分の拳から血が流れるのも構わず、握った拳を土に叩き続ける。口の中の肉が切れてズタズタになる程に、歯を喰いしばる。
鬼口アイラは、そこに居た。
(私は、なんてことをッ!!!!)
脳裏に浮かぶのは己が行った非道の行為。極東支部を爆破し、人生の師……恩人を薙刀で切り裂いた時のこと。
自分でも何故、あんなことをしてしまったのか彼女には理解できていなかった。まるで操り人形になってしまったかのように体が言うことを聞かなくなり、だが意識は残ったまま、あんなことをしていた。
いや、心当たりなら一つだけ、あった。
「やあ鬼口さん。気分は、どうだい?」
「っ!?」
突然声をかけられ、鬼口は驚いて後ろを振り向いた。
「お前、私に……何をしたッ!!」
自身を見下ろす長身の男。髪は白髪で服は黒一色。数日前に鬼口に接触して来た、あの男だった。
鬼口の心当たり。それはこの男に他ならない。
「おお怖い。そんな怒ることないでしょう。俺はただ、あなたがしたいと願ったことを素直にできるようにしてあげただけだ。理性なんか吹き飛んでただ本能のまま望んだことをできる気持ちは、どうだった?」
鬼口は男の口調で確信した。自分がおかしくなったのは、最早疑いようもなくこの男の所為であるということを。
「どういう、ことだ。私は、何も望んでなんか……!!」
「まだ、分かってないのかい! 極東支部を壊して死ぬほど憎い奴をぶった切ってやったじゃないかあ!! ははは!」
鬼口の反応に、男は嗜虐の表情を顔一杯に浮かべ、嘲笑うように言葉を紡いだ。鬼口は反感の意思を露わにして男へ反論する。
「っ、あんなことが、私の望んだことであるわけが!!」
「いいや、間違いなくあなたが望んだことだよ」
スッ、と男の顔が鬼口の顔の近くまで下げられる。生気のない瞳が、鬼口を捉えた。
「あなたには理性を緩める薬物と心的外傷を刺激する薬物を吸ってもらったんだ。それ以外にもほんの少しばかり手を加えたけど……俺自身は何も行動を強制なんてしていない。
結局その行動を起こしたのは、間違いなく君の意思なんだよ!!」
「嘘だ!!」
「嘘なんかじゃないさ!!」
鬼口はそれ以上、否定の言葉を口に出せなかった。自分がそんなことを心の奥底で願っていたなんて、認めたくはなかったし認める訳にはいかなかった。だがそうする為に彼女の中で浮かんでくる言葉は、違うだの、私じゃないだの、薄っぺらい自己肯定の台詞ばかりだった。
自分は絶対に間違ってないと証明する手段は、もう鬼口の中には無かったのだ。
男と鬼口の口論が止み、辺り一帯が、静まる。
「あ、ああ……!」
鬼口の瞳から涙が溢れだした。男はその姿を見て、嗜虐の表情を増々強めていく。
「いい表情をするね。額縁に入れて飾っておきたい位だ。……だけど、俺の憎しみはこんなものじゃ、ない」
男は鬼口の耳元にまで口を限りなく近付け、言葉を続けた。
「実はもう一つ、とっておきのサプライズを用意しておいた。きっと、喜んでくれると思うぜ?」
「ッ!?」
鬼口の背を悪寒が駆け巡る。この男はこれ以上、自分から何を奪うつもりなのか。
その一言は鬼口にある決心を促した。即ち、これ以上何かを失う前に、男を殺す。
「っああああ!!」
鬼口は手にしていた薙刀を男に向かって突き出した! その刃先は正確無慈悲に男の心臓へと伸び、そして――――貫くことはできなかった。男の胸先一寸ばかりの僅かな位置から、強固な壁に阻まれたかのように刃が通らなかったのだ。
「なっ!?」
「危ないなあ。刃物は無暗に振り回すなって、お母さんに教わらなかったかな?」
「お前はァ!!」
激昂し、薙刀に更に力を込める鬼口であったが、その刃は男の胸先から微動だにしない。
「ハハ。いくらなんでも武器持ってる奴に丸腰で接触するなんて有り得ないって!! ……ほんの少し手を加えたって言っただろう? あなたは俺を、傷つけることはできない。
それにもうそろそろ……来る頃だね」
男はそう言うと鬼口の側から飛び退きそのまま一蹴りで、川にかかる橋の上へと着地した。
「待て!!」
「いやだよ。これから最高に面白いものが見れそうだからね! ハハハハハ!!」
男の姿が一瞬にして闇に溶ける。残ったのは気味悪く繰り返される高笑いの残響だけだった。
そして事態は進展する。
「何処にっ!」
「鬼口さん!!」
突如として背後から投げ掛けられた声が、鬼口の動きを遮った。
彼女はその声に一つの可能性を見出し、首だけを動かして、自分の背後に視線を移した。
夏夜には場違いな黒いコートに、片目が覆い隠された奇妙な髪型。何よりも、その背後に漂う少女の霊がそれが誰かを如実に示していた。
見間違えることなど有り得ない。
「……季太朗、さん……?」
緋村季太朗が遂に、鬼口アイラと相対した。
「……やっと見つけましたよ。鬼口さん」
「どう、して、ここに?」
肩を上下させ息を整えながら、季太朗は真っ直ぐに鬼口の顔を見つめた。
見つめられた鬼口は対称的に、表面上こそ一見落ち着いているように見えたが、眼球と薙刀を握り締めた両腕が、小刻みに震えていた。体の節々に動揺が見て取れる。可能な限り刺激を与えないようにと、季太朗は言葉を発していく。
「どうして、じゃありませんよ。突然いなくなったら心配するに決まってるでしょう。
……帰りましょう。皆、待ってます」
「っ」
鬼口は季太朗の言葉を理解することが出来なかった。自分のしてしまったことを思えば、無理もなかった。
「知らないんですか?! 私は、仲間を傷付けて! 皆の居場所を、壊して! なのに、皆、待ってる? 何を言って!」
「知ってます。……隊長から全部聞きましたよ。七年前の日の事を」
「!!」
鬼口の瞳が大きく見開かれた。同時に彼女の心臓も跳ね上がる。
自分が最も知られたくなかった過去を、知られてしまった。
「レミー隊長も、アンジュさんもタカハラさんも無事です。だから戻りましょう! きっと鬼口さんは」
「ちっ、違うんです! 私は決して、復讐なんて考えてなくて、あの日の事は、もう忘れなきゃいけなくて!! だから私は」
「鬼口さん!!」
季太朗の想い虚しく、鬼口は更に動揺を露わにしていく。
季太朗は歯噛みする。鬼口には自分の声が届いていない。いつもの冷静な態度は見る影も無く、明らかに精神が不安定になっている。
だが彼は、必ず届く筈だと信じ、何度でも名前を呼ぶ。
「聞いてくれ鬼口さん! あんたの思い出したくもなかった過去に土足で上がり込んでしまったのはすまないと思う!」
季太朗が鬼口へ向かって一歩踏み出す。
「っ、来ないで」
「だけど極東支部にはあんたが必要なんだ! あんたは自分の復讐の為なんかじゃなくて、皆の為に退魔師の道を選んだんだろう!? なら早く、戻ってきてくれ!」
「駄目なんです! 私はもう、あの場所には戻れない! あんな暖かい場所を、私は!!
私は、許されてはいけないんです!!」
「鬼口っ!!」
その時だった。季太朗と鬼口の間を、轟! と一陣の生温い風が吹き抜けた。
「ッ!?」
その刹那、季太朗は反射的に鬼口から一歩飛び退いた。見れば、彼の首筋は鳥肌で覆われていた。
忘れる筈もない、この出鱈目な恐怖と焦燥感。こんな感情を引き起こせるモノを、季太朗は一つだけ知っていた。
「ああっ、ううっ……!! うあああああ!!!!」
鬼口が苦悶の表情を浮かべ、身をよじらせる。
だが季太朗はそれに駆け寄るでもなく、冷静にその背後にいるモノを凝視した。
「きたろう、アレ……!?」
ステラが困惑の表情で季太朗の顔を見る。
「成程な。操られてるかもってのは、そう言うことかよクソッタレ……!!」
彼の瞳に映っていたもの、それは、鬼口の体を包み込もうとしている黒い靄だった。
だが、その靄には目がついていた。殺気を湛えた血の色の瞳が。
季太朗は溢れんばかりの怒りを込めてその名を叫んだ。
「害霊ッ!!」