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第十四話 鬼口とレミー

「…………」


 季太朗は何も言わず、静かに椅子に腰掛けていた。ピッ、ピッと規則的に発する心電図の音が、彼にはやけに虚しく聴こえていた。

 

 電極の繋がれた先には、三人の人物がベッドに寝かされていた。

 左から、レミー、タカハラ、そしてアンジュの姿があった。あれだけの爆発に巻き込まれておきながら命に別状はないとのことだったが、三人共現在は、手術の影響により眠りに落ちていた。


 あれからの話をしよう。

 三人を瓦礫から引きずり出した季太朗が、レミー達全員の無事を確認した後、彼が呼んでもいないのに担架を持った救急隊員が駆け込んできた。

 季太朗が事情を聞いたところ、彼らは万が一極東支部に甚大な被害が発生した際に救助に動く、日本政府の下部組織とのことだった。極東支部と日本政府は協力関係にあるのだから、おかしな話ではない。


 その後レミー達は救急車に乗せられ、迅速に都内の某巨大病院に担ぎ込まれた。勿論即手術。

 三人の体には爆発の衝撃波によって飛び散ったガラス片が無数に突き刺さっており、レミーに至っては胸に巨大な刀傷。何十針も縫い、輸血用にストックされていた大量の血液をふんだんに使って、ようやく手術は終了した。


 その間、季太朗はずっと考え込んでいた。自分の出した結論――――極東支部を爆破したのは、鬼口であるということについて。

 信じたくなかったし、信じられなかった。

 

 鬼口は季太朗にとって、己の戦いの師匠とも呼べる存在だ。右も左もわからなかった彼を鬼口が鍛えてくれなければ、季太朗はとうに害霊に喰い殺されていても可笑しくはなかった。


「……ああ、くそっ」


 忌々しいとばかりに、季太朗は悪態をついた。この状況にありながら全くの蚊帳の外の自分に対して、だ。

 本当に、極東支部を襲撃しレミー達を傷つけたのは鬼口なのか。もし本当にあの鬼口が極東支部を襲撃したというのなら、何故か。レミーとタカハラの何かを知っていそうな口の利き方は、一体。


 考えに考えても、疑問が頭を回るだけで何も出てこなかった。

 季太朗は、少しでも極東支部の一員になった顔をしていた自分を馬鹿らしく思った。なにも、わかっていないじゃないか。


 そんな彼を見かねてか、


「……その、きたろう……げんきだして?」

「季太朗さま……あまり、気を落とさずに……」


 ずっと季太朗の側にいたステラと風香から、慰めの言葉がかけられた。


「……悪い。まだ、鬼口さんが犯人と決まった訳じゃない。大丈夫だ」


 自分より遥かに幼い少女たち二人から慰められているという状況に気付いて、季太朗は思わず苦笑いを浮かべた。余裕のなさと困惑が、それほど滲み出ていたのだろう。

 二人にこれ以上心配をかけさせまいと季太朗は強がりを言ったが、それでもこの僅かなやり取りの間で、彼の疲弊した心はだいぶほぐれていた。不安に押し潰されそうになっているのは自分だけではないと気付けたから。


「――――う、ううっ」

「!」


 微かに聞こえた呻き声に、季太朗の体が反応した。

 季太朗は椅子を倒しそうになるほどの勢いで立ち上がってベッドへと駆け寄った。


「レミー隊長! レミー隊長!!」


 声量を徐々に上げながら、最初に目を覚ました男の名を、季太朗は呼び続けた。


「……おーう。きたろう、か」


 いつもの彼の声とは似ても似つかない、覇気のない弱々しい声。その声が、極東支部隊長レミーがどれほどの傷を負ったのかを、何よりも雄弁に語っていた。


「ここは、病院、か」

「アンジュさんとタカハラさんはまだ眠っています。命に別状はないとのことですが……」

「はは、あいつらは大丈夫だ。溶岩に落としても、死なねえような連中だしな」


 一瞬乾いた笑みを浮かべたレミーだったが、すぐにまた沈痛な面持ちになってしまった。どんな時も彼の笑みを浮かべた表情しか見たことがなかった季太朗は、それだけで今回の事態の深刻さを改めて理解した。


「……情けねえなあ」


 ぽつりとレミーは、そう漏らした。


「レミー隊長。教えてください。何が、あったんですか」


 意を決して、季太朗は尋ねた。その先にどんな答えがあろうと、受け止めるという意志を瞳に宿して。

 レミーにもその季太朗の強い意志が伝わったのか、ゆっくりと口を開き、言葉を紡ぎ始めた。


「……極東支部を爆破したのは、鬼口だ」

「……っ」

「やはり……鬼口、さまが?」


 季太朗の微かな希望は、即、砕かれた。

 鬼口が犯人。それはもう、覆せない決定事項となってしまった。だが季太朗はそこで折れはしない。一片の望みにかけて、食いさがる。


「……わかってるでしょうレミー隊長。俺が知りたいのは、その先だ。

 あの鬼口さんが、何の脈絡も無くあなた達を傷つける人間じゃないのは、新参者の俺にだってわかります。そこには何か、理由がある筈だ」


 季太朗の瞳は語る。ソレを教えろと。レミーの眼を捉えて、決して視線を逸らさせようとはしない。


 だが、次にレミーの口から語られた一言は余りにも酷なものだった。


「その通りだ……。

 俺は…………あいつの親を、殺しちまったんだよ」

「……え? こ、ころした、ってどういうこと……!?」

「……続けて、ください」


 語られた言葉の余りにも大きな衝撃に揺さぶられながらも、季太朗は続きを促した。


「七年前、夏の夜のことだった。その年は害霊が異常に多く出た年でな、四六時中俺たち三人……いや、()()()()()()()()()は対処に追われていた。

 そんな時だった。地方の有力な退魔一家が、凶暴な害霊の襲撃にあったという情報が入ったのは。

 ……俺たちは現場に急行し、そしてそこで……地獄を見た。

 …………いや、俺が、地獄にしちまったんだ」



 七年前、某山中――――


『こ、こちらB地点! 駄目です抑えきれません! 至急応援をギャアァッ!!』

『隊長、敵が強すぎます! 撤退の指示をッ!!』

「……クソッ、クソックソックソオオッ!!」


 口汚く叫びながら、レミーはがむしゃらに森の中を走り続けていた。

 こんな、こんな筈ではなかった。

 

 ただでさえ近年、出現する害霊の凶暴化が目立っていたが今回はその比ではない。仮にも教会本部から配属された精鋭が、既に何十人も殺されている。しかも相手の数が一匹や二匹どころの騒ぎではない。

 何もかもが自分の予想と正反対の結果を歩んでいた。


『レミー突っ走りすぎよ!! 危険だわ!!』

「んなこと、言ったってよおッ!!」


 アンジュの警告と同時に唐突に死角から襲いかかってきた犬型の害霊を一匹は地面に首根っこを掴んで叩きつけ、もう一匹は膝を頭部に打ち付けて粉砕するが、レミーは止まらずに走り続けた。


「まだ屋敷の中に生きてる奴がいるかもしれねえだろ!! なら行くしかねえだろうが!!」


 目的地の退魔一族の屋敷は深い森に囲まれた中心にあった。

 普段ならばこの森は、世俗との境界線と外敵からの防衛線の役割を果たすのだが、今回はそれが裏目に出ていた。害霊がどこに潜んでいるのかわからず発見が困難になり、視界も非常に悪い。この所為で極東支部の部隊は大幅な停滞を強いられていた。

 しかも、森を切り抜けなければならないと同時に害霊を一匹たりとも森から出すことも許されない。こんな奴らが外へ溢れ出れば、大パニックが起きるのは避けられない。

  

 故にレミーはある作戦を決行した。自分一人が森を一点突破し、屋敷にいる生存者を救出。他の極東支部人員全てを円で包囲する形で配置し、森に蓋をした。

 だからレミーは己の危険になどに構っている暇はなかった。極限の時間との勝負。

 一家を救出し、部隊に合流して外から殲滅戦を行うのが先か。部隊が壊滅し、一家が皆殺しにされ、害霊が外界に溢れ出るのが先か。


『でも今出てきてる奴らよりもっと強い奴がいるかもしれないんでしょう?! あなた一人じゃ!!』

「それでももう……何もできねえなんてのはごめんなんだよッッ!!」


 思い出したくもない過去を振り払って、レミーはただ、ひたすらに走り続けた。



「ハアッ、ハアッ、ハアッ!! ついたぞ、この野郎……!!」


 額から血を流し、右腕から溢れ出る大量の血を左手で抑え込んで、肩を大きく喘がせながらも、レミーは強い意志の籠った瞳で正面を見据えた。大男の自身すらも見上げるほどの木造の巨大な門。

 目的地である屋敷の入り口がそこにあった。レミーは躊躇せず中へと踏みいり……そして絶句した。 


「っ、何だよ、こりゃあ……!」


 彼の目に真っ先に飛び込んできた物は、庭に転がる死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体、死体。

 片腕を食い千切られている者、足を二本とも根元から失っている者、頭部を砕かれその中身(・・)を散らかした者、背中に大穴を開けられうつぶせに倒れ伏す者、上半身だけの者下半身だけの者眼球を抉り取られた者首から上がない者。姿形は多種多様だが、どれも生きていないのは間違いなかった。


 数々の修羅場を経験してきたレミーでさえも、周囲一帯に漂う濃密な死の香りに衝撃を受けた。血と、肉の匂いだ。


「誰かいねえか! 助けに来たぞ!! 返事をしてくれーッ!!」


 それでも僅かな希望を込めてレミーが張り上げた声は、虚しく闇に吸われていった。

 レミーは屋敷中を駆け巡った。だがいくら声を張り上げようと、返事は一向に返さることはなかった。


「まさか、もう、全滅……」


 レミーの歩みが、止まりそうになった。底なしの絶望に飲み込まれそうにもなった。

 自身は、仲間を危険に晒し、ここまで来て、誰も救えなかったのかと。

 

 大量に血が抜けていた所為もあって、レミーの視界がぼやけ、膝が遂に地面につこうかという時……それは彼の耳に届いた。


「娘には……指一本た……も、触れさせ……っ!」

「……! どこだ、どこにいるッ!?」


 声量もなく、今にも消えてしまいそうな細い声。だが確かに聴こえたのだ。人の声(・・・)が。

 己の心身に鞭をうって、レミーは声の主を必死に探した。

 

 あれだけ小さい声が届くということはすぐ近くにいる筈だと見当を付けて、レミーは片っ端から部屋の襖を開けていった。

 そしてその予想通り、そこに辿り着くまで、時間はかからなかった。


「っ、これ、は」


 開け放ったその先を見て、屋敷に入った時と同じように、またもレミーは二の句を継ぐことができなくなった。

  部屋中の壁、畳、障子、掛け軸、調度品、全てが真っ赤に染まっていたからだ。そして何よりも彼をそうさせたモノは、部屋の奥にあった。

 

 死体が、山のように積み重なっていた。流れ出た冷たい血が部屋の奥から、レミーの立つ入り口にまで垂れてくるほどに。


 そしてその前に、長身の影が立っていた。

 人型で、額と思わしき場所からは赤い角が天を突くように生え、その眼は赤く爛々と輝いていた。それはまるで、そこだけこの空間から切り取られているかのような錯覚を起こさせた。

 レミーは一目見ただけで理解した。こいつは、自分の手に負える奴ではない、と。だが


「……てめえがやったのかあああああああああああああああああ!!!!!!」


 次の瞬間には、レミーは鬼の形相で影に殴りかかっていた。

 だがその拳は空を切った。影が一歩下がってあっさりと避けたのだ。そしてそのまま天井を突き破り、まるで溶けてしまったかのように、夜の闇に消えていった。


「待ちやがれええええええええええ!!!!」


 屋根に跳び上り、影を追跡しようと試みたレミーだったが、


 何かが崩れたような鈍い音が耳に届いて、動きを止めた。すぐに振り返った。

 その原因は、月の光に照らされてよくわかった。

 

 死体の山の一部が、少し欠けていた。


「まさか」 


 レミーは駆け寄って、死体の山から崩れ落ちたであろう男性の手首に触れた。脇腹が抉れ、内臓も幾つか破裂しているようだったが、まだ、()()()()()


「おい、しっかりしろ! おい!!」

「…………」


 まだ若く見えるが、立派な黒髭を蓄えたその男性は、僅かに瞼を開けた。だが殆ど見えていないのか、その瞳に光はなかった。


「今運び出してやる! 腕のいい医者がいる。大丈夫だきっとたすかっ」


 レミーの言葉が、男性の動きで遮られた。男が、死体の山の下腹部をじっと指差しているのにレミーが気付いたからだ。

 レミーがそれに気付いたことに安堵したのか、次の瞬間その男の手は、静かに床に落ちた。


「なっ、……く、そ……!!」


 レミーは、男の死を感じ取った。不甲斐なさで、歯が砕けるかという程に、口を噛み締めた。

 

 そして、死体の山に視線を移した。男が最期に、何を伝えようとしたのか確かめる為に。

 

 影の開けた穴から月の光が降り注ぎ、血は銀に光り、それはどこか、幻想的でさえもあった。

 レミーは一人一人丁寧に、亡骸を上から少しづつ、崩していった。時間がとてもないのはわかっていたが、乱暴に崩すことは、彼自身が許さなかった。

 そして最後、何かに覆いかぶさるように倒れていた美しい黒髪を持つ女性をどけると


 ――――女の子がいた。その体は全身が血で濡れていて、意識もなかったが、息はあった。

 レミーは信じられないという表情で、その少女の顔を見た。

 

 無傷(・・)だったのだ。辺りの死体が全て、袈裟切りにされていたり、体のどこかが欠損していたりする中で、少女の体にはどこにも傷が無かった。レミーは、少女を宝物を抱きかかえるようにして持ちあげた。


「……すまねえ」


 彼が少女に言うことができた言葉は、それだけだった。




「これが、事の顛末だ」

「「「…………」」」


 口から語られただけというのに、その内容の壮絶さに、季太朗をはじめとした三人はただ閉口することしかできなかった。最初にようやく口を開けたのは、季太朗だった。


「そしてその唯一人助け出した少女が……」

「ああ――鬼口愛羅(アイラ)

 退魔一家鬼口家最後の生き残りにして、俺の罪そのものだ。恨まれるのは当然の話だ。

 この作戦で大損失を被った俺達は周りから糾弾され、部下も大半が死に、生き残った奴は俺が辞めさせた。もう俺の所為で誰か死ぬのは嫌だったんだ。……こいつらだけは、なんといっても辞めなかったけど、な」


 レミーは遠い目で、自分の左右に横たわる、タカハラとアンジュの顔を一瞥した。


「そして俺達三人はまだ幼かったアイラを引き取って、育てた。何もかも話した。だから……あいつが退魔師になるなんて言いだした時は、耳を疑った。大反対したぜ。

 だけどあいつは頑として自分の意見を曲げなかった。自分のような存在を、二度と生み出したくない、つってな。

 ……今思えば俺は、ただ逃げたかっただけなんだろうなあ。部下の死と、命を預かる責任。そして救えなかった奴らへの、罪の意識から。……我ながら女々しい、な」


 レミーは、いつかと同じように、片腕で己の目元を覆った。最後の方の声は、震えていた。


「……風香。家に帰って留守番、頼めるか」

「え? できます、けど」

「なら頼む。少し俺達は、出かけてくるよ」


 それだけの短いやり取りの後、季太朗は静かに立ち上がった。そして、レミーの顔を見据えて言葉を続けた。


「隊長。神無月を貸して下さい。今晩動けるのは俺だけですから、害霊が出たら戦えるようにしておきたいんです」

「……お前、まさか」


 レミーは察した。季太朗の真意は、語られた言葉とは別の所にあることを。


「……駄目だ。今回はバックアップ(タカハラ)もいねえし負傷しても治せる(アンジュ)もいねえ。そんな状況でお前一人で出すわけにはいかない。

 それにどっちにしろ、神無月はもう瓦礫の下に……」

「神無月なら、あるわよ」


 全員の視線が、一斉に横を向いた。


「アンジュ! お前」


 アンジュが、目を覚ましていた。


「ふっふっ(あだ)っ!!? ~っ腕の粗い医者ね! もうちょっと丁寧にやりなさいっての!!」

「えぇ……」


 起き上がっていきなり手術を担当した医者へいちゃもんをぶつけ始めたその姿に、季太朗は動揺した。いったい自分がどれだけの重傷を負ったと思っているのか。

 だが一方で、そんないつもと変わらない調子の彼女の姿が見れたことに、彼は心の底から喜びを感じていた。それはレミーも同じようだった。

 しかしまずそれを祝う前に聞いておかなければならないことがある。


「そ、それよりもアンジュ! いま、かんなづきがあるって!!」

「ええ、あるわよステラちゃん。丁度ここにね」


 彼女はそう言って横に設置してあった小さい戸棚を開けて、そこから何かを掴み取った。

 鉄の塊から削り出したかのような、無骨で、深い闇の色をした銃。アンジュのその手に収まっていたのは間違いなく神無月であった。


「ど、どうしてだ。確かに俺は、金庫にぶち込んだはずなのに」

「あーもーうるさいわね。データ収集よデータ収集! 季太朗くんの身体状況とか霊力が過剰に溜まっていないかとか、諸々調べてたのよ。

 まああんた(レミー)に許可取るのめんどくさくて無断拝借しちゃったけどね」

 

 舌先をちょろっと口から出して、アンジュが笑った。それを見たレミーの顔が一気に渋くなった。堂々と規定違反をしてかつ反省の欠片も見えないのだから、そうなるのも当然である。


「アンジュ……てめえ」

「五月蠅いことは言いっこなしよ。爆発が起こった時、調査していて偶然持っていたのを咄嗟に白衣の下に仕舞い込んだのよ。……それで本題だけど」


 アンジュの目が、季太朗の瞳を捉えた。


「季太朗くん。あなた、アイラちゃんとドンパチする気ね」

「え!? そ、そうなのですか季太朗さま?!」

「……ええ。そのつもりです」


 季太朗はバツが悪そうに頭の後ろを掻き、


「心配かけたくないから言わないつもりでしたが、やっぱりばれてますよね」

「お前、自分の言ってることがわかっているのか。相手は戦いのプロフェッショナルなんだぞ」

「勿論」


 季太朗の声が、無意識の内に低くなった。


「正直、まだ俺は信じられないんですよ。鬼口さんが自分の意思で爆破を実行したなんて。

 今までの話は全て、推測と状況の上に成り立ってるだけ。だから探して、本人の口から直接聞いてきます。……夢の見すぎって言われるかもしれませんが、俺はそうしないと納得できない」

「だが今回はいつもとは違う! 相手は人間、それもとびきり強え奴だ! アイラの気分によっちゃあ死ぬこともあり得るんだぞ!」

「それでも」

「っ」


 季太朗の迷いなど存在しない瞳と声が、レミーを押し黙らせた。その瞳はまるで、鬼口が退魔師になると自分に宣言したあの日の瞳とそっくりで、何よりも……


「……もう、何を言っても駄目だねこれは」


 そんな時に聞こえてきたのは、最後の一人の声だった。


「タカハラさん……!」

「はーい俺ですよ、タカハラです」


 このとぼけたというか、どこか気の抜けた人を自然と笑顔にする声。

 おかげで張り詰めた場の空気が、僅かではあるが軽くなった。


「お前も目を覚ましたか……!」


 レミーの口元が、少し緩んだ。二人共無事、目を覚ましたことに安堵したのだろう。目の渕が微かに光っているのはきっと気のせいでは無い。


「情けない顔してんなー隊長。まっ、鍛えてますから、……って言いたいところですけど。

 それにさっきから聞いてたけど、季太朗くんの言っていること、あながち間違ってないかもよ」


 タカハラの発言で、季太朗の眼に期待の眼差しが宿った。


「ほ、本当ですか?」

「うん」


 タカハラは一呼吸おいて、


「言っちまうと、まずそもそも俺たちが五体満足で生きていることが自体が変なんだ。本気で復讐するなら、確実に殺すよね? 

 季太朗くんも知ってる通り、極東支部は地下にあったんだ。柱と天井を爆破すれば簡単に俺たちを生き埋めにできた。だが、実際爆破されたのは壁周りだけ。それもスプリンクラーで消化できる程度の威力だった。復讐で加減しても意味が無いのにこれは可笑しいだろ?」

「確かに……」


 タカハラの推論は最もだった。

 鬼口は極東支部の構造を知り尽している。確実に殺すための爆弾の仕掛け場所がわからない筈はない。


「じゃあ何だ。アイラの目的は何だってんだ?!」


 レミーがせかすようにタカハラを問い詰めた。


「……アイラちゃんは、何者かに操られている可能性がある」

「「「「「!!」」」」」


 ()()()()()()()()()()()()()

 タカハラの一言は、その部屋にいた全員を驚愕の表情に染め上げた。

 だが同時に、季太朗の中にあった根拠のない希望は、再び明確な形を持つこととなった。


「前に一度、アイラちゃんとの通信が不自然に切れたことがあったんだ。いや、切れたというよりはハッキングされて落とされた感じだった。

 すぐに修復してアイラちゃんと連絡とったんだけど――明らかにその前と後で、雰囲気が違ってた。帰ってきた時も、なんかおかしかったろ?」


 タカハラは同意を促すように、その時自分と同室にいたアンジュに顔を向けた。


「……確かに彼女、どこか変だったわ。虚ろというか、心ここにあらず、というか」


 アンジュがタカハラの意見を肯定した。


「その通信が切れた間に何者かと接触した可能性が非常に高い。そしてその間アイラちゃんに何かあったのは、確実なんだ。だから……」


 僅か一拍おいて


「頼む、季太朗君。アイラちゃんの所へ、いってやってくれッ……!」

「タカハラさん……」


 タカハラの頭が、深く季太朗へ下げられた。

 いつものへらへらした声音ではない、強い意志と、覚悟の籠った声と共に。


「私からもお願いするわ、季太朗くん」


 アンジュからも、同様に。


「俺達が行くことで、アイラちゃんを刺激してしてしまうかもしれない。操られているといっても、アイラちゃんの意識が残っている可能性がある。あの子は優しい子なんだ。

 それに本当はこの問題は俺達が解決しなけりゃならないってのはわかってる。俺達が過去から積み重ねてきたツケの問題なんだ! だけど――!!」

「もういいです。タカハラさん」


 季太朗の言葉が、タカハラの必死の言葉をぶった切った。だけどその空気を読まない行為は、断る為では、ない。


「最初からそのつもりだって言ってるじゃないですか。長ったらしい理由なんていりませんよ。家族がいなくなった、心配だから探してきてほしい。それだけでしょう?」


 季太朗はそれだけいうと、椅子に掛けてあったコートを羽織り、病室の出口に向かって歩き出した。


「っ、待て季太朗!!」

 

 レミーから静止の声がかかったが、季太朗の歩みが止まることはない。


「もうこれ以上は聞きませんよ。隊長は義務とか責任とか気にしてるようですけど、その状態で何ができるってんですか。だからたまには、そういうこと考えないで部下(オレ)に任せてみたらどうですか」

「だが、お前は本来この件とはなんも関係ない! 身内(アイラ)の問題は身内(オレ)が片付けるのが道理だ!」

「関係ならありますよ? そりゃ、隊長達ほどじゃないですけど。

 鬼口さんは……自分勝手な訓練に付きあってくれた師匠(せんせい)ですから」


 扉の閉まる音がなった時、もうそこに、季太朗の姿はなかった。


「……彼、随分と頼もしくなったわね」

「うん、本当に。……ねえ隊長」


 タカハラが、季太朗の出ていった扉を見つめたまま茫然としていたレミーを呼んだ。


「季太朗君の言う通りです。今の俺達じゃアイラちゃんに会いに行ったところで、何もできませんよ。だから、さっさと怪我を治さないと――――隊長?」


 タカハラが、レミーの異変に気付く。彼の頬を、涙が伝っていた。だがそれは何処か澄みきっていて、今までのような悔しさから流れる(もの)ではなかった。

 レミーが静かに、口を開いた。


「……タカハラ、アンジュ。俺は今までずっと、なんでもかんでも俺が何とかしなきゃならねえ、やらなきゃならねえって、思ってたんだ。俺は極東支部(ここ)の隊長なんだからって……。

 ……だけどよ、人が自分に力を貸してくれるってのは、こんなにも……嬉しいものだったんだな」

「ばーか。気付くのが、遅すぎなのよ」


 アンジュが、項垂れたままのレミーの後頭部を指で小突いた。


「あんたは何でもかんでも一人で気張りすぎ! 近くで見てるこっちの身にもなれってんのよ。危なっかしくてヒヤヒヤするわ。

 ……だから今夜だけは、休みなさい。そしてまた明日から始めるのよ。アイラちゃんと、季太朗くん達と一緒にね」

「まずは事務所を新しく設置しないといけませんね。書類もデータもスプリンクラーの所為でほぼ全滅でしょうから……頭痛くなってきたなあ、はは」

「ああ……そうだな」


 自分の横で話す、ずっと過去(むかし)から自分を支え続けてくれた掛け替えのない仲間を見やり、レミーはただ静かに、強く、感謝の念を抱いた。

 同時に、今戦いに赴いている一人の青年の事を思う。


(季太朗……アイラのことを、頼む)


 使命と責任に縛られてきた男が初めて、何の気負いもなく、誰かに頼った願いだった。

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