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第十三話 過去からのツケ

「……ぐち……ん。……ぐちさん! 鬼口さん!!」

「!!」


 自身を呼ぶその声に反応して、鬼口アイラは飛び起きた。そして彼女は、大学の講義を受けている最中に寝てしまった事に気付いた。

 

「す、すいません。なんでしょうか?」


 鬼口は改めて声をかけてきた、いつも同じ講義を受けている女性へ用事を尋ねた。それなりに面識はあるが、友人とまではいかない関係だ。


「あ、あのね? これから私たちカラオケに行くんだけど、よかったら鬼口さんも一緒に……」


 鬼口がチラ、とその女性の背後を見れば、講義室の出口付近に何人かの男女グループが集まっているのが伺えた。彼女とカラオケに行く集団だろう。何人かの男達の視線が鬼口を捉えたが、鬼口はそれに碌に反応することもなく返事を返した。


「すみません。誘ってくれて嬉しいのですが……今日は夜、別の用事があるんです」

「そっかあ……残念だなあ。ほら、鬼口さんとても綺麗だからさ、男子たちに頼まれてたんだ。連れてこいって。

 でも用事があるんなら仕方ないか! また今度、誘うね?」

「ええ、また今度」


 だが、自分はまたその次の誘いにも乗ることはないだろう、と鬼口は確信にも近い思いを抱く。

 

 ――――自分は、退魔師なのだから。



「……こちら鬼口。指定のポイントに到着しました」

『あいお疲れ。今回の任務は鬼口ちゃんにとっちゃあ簡単だ、すぐ終わる。作戦内容はわかってるね?』

「勿論です」


 繁華街の一角。高層ビルの屋上の淵ギリギリの所に、鬼口は立っていた。長いポニーテールがビル街を吹き抜ける排気ガスの匂いのする風に煽られて、美しくたなびいた、

 常人なら見下ろした際のその高さに、足がすくんでしまうだろう。だが彼女はそんなことにはならない。ずっと、何回も、やってきたことだから。


『なあ鬼口……いや、アイラ。学校、楽しんでるか?』

「……ええ、とても。友達もたくさんいますし、一緒に遊んだりとか、食事したりとか……」


 少し逡巡して、鬼口は無線を通した自分の隊長、レミーからの問いに答えた。

 勿論嘘だ。レミーに変な心配はかけまいと、彼女は事実を伝えなかった。

 友達は極力作らないようにし、遊びも退魔(しごと)を理由に全て断っている。人と会話する時もあるが、それは大抵情報収集の為。


『そうか、なら、いいんだが……。お前はまだ若いんだ。何もこんなことを毎日やらなくたって……』

「いいんです。自分が好きでやってることですから」

『……そうか』

 

 鬼口は微笑みを浮かべながら会話を切った。レミーもそれ以上、何も言えなかった。


 自身の頰を撫でる生暖かい風を感じながら、すうーっと、彼女は目を閉じて深呼吸をした。そして、己の足元へ視線を向けて


「鬼口アイラ……いきます」


 言い終わるかどうかという所で、鬼口はビルの屋上から身を投げた――――。



 ビルの狭間の裏路地へと華麗に着地を決めた鬼口は、まず周囲をくまなく見渡した。彼女は数十メートル上空から飛び降りたというのに、ダメージを負った様子もなかった。

 勿論この芸当は鬼口の化け物じみた身体能力と努力と技能によるものだ。常人がやれば問答無用でグロテスクな中身を地面にぶちまけることになる。


(おかしいですね)


 そして鬼口は、この場の異常性に気付いた。静かすぎる(・・・・・)のだ。左を見ても右を見ても、害霊が暴れた形跡も、その気配もない。

 鬼口の足取りは自然と路地の奥へと向けられた。そして、曲がり角を右に曲がった時だった。


「!?」


 一面の血の海。ペンキの入ったバケツをぶちまけたかのように、そこは真っ赤だった。 

 その赤色の中心に、一人の男が背を向けて、立っていた。右手からポタ、ポタと血が滴っている。

 鬼口は警戒して武器を構えた。


「誰ですか! 貴方は!」

「…………」


 鬼口の胴に入った声を平然と受け流し、その男は振り向いた。男の靴が赤く染まった地面に触れるたびにピシャッ、ピシャッと、液体が跳ねる音が響く。

 ひょろりとした若い男だった。ただ一つ普通ではなかったのは、その男の髪の毛は、余す事なく真っ白だった。全身が黒づくめの服装の所為か、余計にそれが目立っている。


 鬼口は警戒を緩めずに無言で無線機に触れた。極東支部へ報告を入れる為だ。

 この男が誰であれ、この状況に無関係であるはずがない。


「隊長、怪しい男を発見しました。判断を請います」

『な……ザザッ、わる、きこ――ザザザッ……ザーッ』

「隊長? レミー隊長!」


 返されたのは、ノイズ塗れの音声だった。とてもじゃないが何を言っているかわかったものではない。こんな時に無線機の故障か? と鬼口は臍を噛んだ。


「……待ってたよ。鬼口アイラ、さん」


 初めて男が言葉を発した。鬼口は驚きの感情が表情に出るのを、何とか堪えた。

 どうしてこの男は、私の名前を知っているんだ。


「すみませんね。ちょっと込み入った話をしたかったので、無線はジャックさせて頂きました」


 男はさらっと、無線の不調は自分がやったことだと暴露する。鬼口は、すぐにその言葉を信じることができなかった。極東支部の無線関係は電脳関係においては天才と言って過言ではないタカハラが管理しているのだ。それをあっという間にジャックしたなど、信じろという方が難しいだろう。


 だが鬼口は即座に思考を切り替える。無線がジャックされたことは、タカハラなら当然気付いているはずだ。対抗策も即座に実行しているだろう。なら、その策が効果を発揮するまで、時間を稼げばいい。


「貴方は何者ですか。見たところ、害霊を殺したのは貴方のようですが」

「いやなに。そんな大それた人物じゃあないよ」


 そうだな、と男は一呼吸置いて再び口を開く。


「いうならば……極東支部への復讐者、かなあ」

「? 何を……ぐ、うっあ!?」


 なんの前触れもなく鬼口の視界がぐにゃりと歪んだ。その異様な視界に思わず、鬼口は地面に膝をつけた。

 頭が痛い、気持ちが悪い。脳味噌を直接、掻き回されるような出鱈目な痛み。それらが一斉に鬼口の体を蝕み始める。冷汗が吹き出し、心拍音も心臓が破裂するかと錯覚する程にと早くなっていく。


「ッ……何をッ、したッ!!」


 意識を辛うじて保ちながら、鬼口は目の前の男を睨みあげた。男はそんな苦しむ鬼口の姿を見て、笑っていた。

 男は鬼口の側まで歩き寄り、その顔を覗き込むように身を屈めた。鬼口の背に寒気が走った。男の眼には、光が無かった。奈落がそこにあるかと錯覚するほどね、真っ黒。


「鬼口さん、貴女と俺は似た者同士だ」


 口元の笑みを絶やさないまま、男は鬼口に語り掛ける。


「この世の理不尽を、憎いと思ったことがあるか? 嘆いたことがあるかな?」

「何、を」

「俺の家族は、極東支部に殺されたッッ!!!!」


 男の叫びが、鬼口の声を掻き消した。


「今から七年前のことさ。あの日は俺の誕生日でな、家族が全員、家にいた。

 いつもは共働きで忙しくて全然会えない親父や母さんが、俺の誕生日を祝うために家にいたんだ。嬉しかったさ。嬉しくなかったわけがない!」


 男は流暢に、自分の過去を語っていく。動けない鬼口は、その言葉を耳に流し込まれるしかない。


「それでだ。その日は学校の部活があってさ、帰りが遅くなったんだ。終わってすぐに駆け足で帰った。

 玄関の扉を思いっ切り開けたら、血塗れだった。母さんも親父も、名前を呼んでも返事がないから、ドッキリかと思ったよ。

 ――――リビングで焼き鳥の具みたいに、二人一緒に串刺しになってる姿を見るまでは」

「やめな、さい……! やめ、ろッ……!!」


 これ以上、この男の言葉を聞いてはいけないと鬼口の心が警鐘を鳴らす。だが、男は喋ることを止めない。むしろもがく鬼口が面白くてたまらない、とばかりにその嗜虐的な笑みは更に増していった。


「親父が母さんを庇うようにして、二人一緒に重なってたっけなあ? 

 んでさ、その場に他に誰がいたと思う? 

 筋肉モリモリの、でかい外国人がいた。そいつがさ、言うんだよ。『間に合わなくてすまなかった』、ってさあ?! 笑えるだろ?! 

 

 ……レミー・クラーク。極東支部(あんた達)の隊長だ」


 男は勢いよく立ち上がり、まるで舞台役者の演技のように、鬼口の周囲を回り始めた。


「その後の俺の人生はひどいもんさ! 親が死んで、親戚をたらい回し! あげくどの家でも邪魔者扱い! ……俺は憎んだね、この世の理不尽を。いや極東支部を!!

 もう少し極東支部が速く動いていれば、俺の親は害霊に殺されることはなかった!! 俺の人生が捻じ曲げられることもなかった!! ……貴女だって、そうだろう?」


 丁度一周して、男は立ち止まる。そして吐息がかかりそうな距離まで、鬼口の顔に自身の顔を近づける。


「復讐する為に、俺は極東支部(あんた達)の存在まで辿り着いた。

 そして鬼口アイラ、貴女のことを知ったんだ。俺とおんなじだ、ってな」

「……違います! 違う!! 私は、決してッ!!」


 果たしてそうかな? と男は言った。


「親を殺され、一族も殺され、人生を捻じ曲げられた……。どこも違ってないだろう?

 思い出すんだ、七年前のあの日を! あの時自分はどう思った?! さあ! さあ!!」

「ううううああああああッッ!!!!」


 鬼口の脳内に、記憶が流れていく。思い出したくもない、自らの奥底にしまい込んだ、記憶が。


 全てが見知った顔の、そこら中に転がる死体。自分にかかる、生温かい、ドロッとした何か。目を覚ました時目の前にあった、親の死に顔。そして、立ちすくむ金髪の男。




 ふっ、と鬼口の体が軽くなった。いきなり重圧から解放されて、よろける。

 息はまだ荒く、鬼口の全身は汗でびっしょりと濡れていた。


「はあっ! はあっ! はあっ……!!」


 肩を大きく揺らし、息を整える。だがどんなにその動作を繰り返そうと、鬼口の呼吸は中々元に戻らなかった。


『……ちゃんっ! 鬼口ちゃん!!』

 

 耳元から響く声に気付いて、鬼口は無線機を手に取った。タカハラが無線を回復させたのだ。


「タカ、ハラさん……」

『よかった! でてくれた! 無線もカメラも通じなかったみたいなんだけど、何かあった!?』


 極東支部に恨みを持つという男が現れ、害霊は既に殺されていて、自分は何もできなくて。

 鬼口が伝えなければならないことは、幾つもあった。だが


「……いえ、何でもありません。戦闘中に無線機を落としてしまって……一時的にショックで通じなくなっただけだと思います」

『そ、そうかい。なら良かった。……息が荒いけど、本当に大丈夫かい』

「……はい。なんでも、ありません」


 そう言った鬼口の目は、黒く淀んでいた――――



『残暑お見舞い申し上げます

 立秋を過ぎましても気温の暑い日が続いておりますが、お体は大丈夫ですか。もし先日私を救ってくださった際の傷が原因で何か体調を崩されていたらどうしようかと……。あの時は本当にありがとうございました。何度お礼を言っても足りません。もしこれから清央神社を再び訪れることがありましたら心から歓迎させて頂きます。是非お越しください。むしろ早く来てほしいというか……いえ、な、何でもありません!

 後日気付いたのですが、恥ずかしいことにちゃんとしたお礼も何もできていなかったので、我が神社の森自慢の果物と野菜を送らさせていただきます。本当はもっとお送りしたかったのですがもしかしたらご迷惑になってしまうかと思い――――』

「……長え!」


 季太朗は手に持った葉書を読み進めるのを途中で断念して、顔を上げた。ただでさえ残暑が酷くてげんなりしているのに、目の前にデデん! と置かれた巨大なダンボールが更に彼の不機嫌を加速させていたのだ。

 中には、ぎゅうぎゅうに青々とした果物やら野菜やらが詰められていた。

 一目見てみずみずしさが伝わってくる梨、桃。つやつやとした真っ赤なトマトに大玉で身が詰まったスイカ。まだまだたくさんの種類の野菜、果物がダンボールに詰まっている。

 

 これらは全て清央神社から送られてきた物だ。同封されていた千景から季太朗への手紙によると、どうやら前回の任務のお礼ということらしい。

 余程気合を入れて選んだのか、送られてきた果物、野菜はどれも素晴らしく、一級品といっても過言ではない質だった。

 

 なら何でこんな上質なものを貰って季太朗が頭を抱えているかというと……単純に量が多すぎたのだ。季太朗が一回試してみたが、物理的に季太朗家の冷蔵庫が受け付けなかった。容量越え(キャパオーバー)である。手紙の文面から察するにこれ以上の量を送ってくるつもりだったらしいから恐ろしい。

 かといってこのまま放りっぱなしな訳にもいかない。このクソ暑い時期に常温で放置しようものならどんな惨状になるかは目に見えて明らかだ。


 そんな訳で季太朗が頭を抱えていると、


「あ、そうです! これ、極東支部の皆さんにおすそ分けしませんか?」


 パンッ! と手を叩いて、季太朗の横に立っていた風香が、そう提案した。


「おすそ分けか……」


 悪くはない。と季太朗は思った。

 おすそ分けという形でなら食材を無駄にすることもなく、あげた方には喜んでもらえる。それに極東支部の面々には日頃から色々世話になっているので、その礼もしたい。


「よし、その案でいこう。そんな大量に使う予定もねえから五分の一だけ残して全部持っていこうか」

「五分の一、ですか……。五分の四を差し上げるとしたら、少し多くありませんか?」


 季太朗の示した数字に、風香は首を傾げた。無理もない。送られてきたダンボールはそれ程までにでかかったのだ。だが、勿論季太朗もそのことは考えてあった。


「何言ってんだ。タカハラさんやアンジュさん、鬼口さんはまだしも、あそこにはレミー隊長がいるんだぞ? むしろ一日で食い尽くさないかどうかが心配だ」

「「ああ……」」


 風香と、そして相変わらず近くでふわふわ浮いていたステラの両名が、何かに納得したように呟いた。


 つい先日、季太朗の快復祝い兼鬼討伐祝い(兼アンジュを宥める会)として開かれた宴会。アンジュの度を逸した酒癖の悪さによってカオスなことになってしまったが、同等、もしくはそれ以上にカオスの原因となったのが、レミーの大食いっぷりだった。

 あの日、風香が腕によりをかけて作ったプロ顔負けの料理の数々が、僅か二十分足らずで全滅したのだ。その主犯がレミーだ。勿論風香はその後も何皿も料理を作ったのだが……あえなく材料切れ。その際のレミー曰く、『まだ腹五分目』と……。


 それを考えれば、おすそ分けする量はむしろ多いぐらいがベスト、という訳だ。


「さて、そんじゃ余ってるビニール袋に適当にぶちこんで持っていくとするかな。ステラ、風香、手伝ってくれ!」

「うん!」

「勿論です!」


 こうして、緋村家の昼は過ぎていった。



 夜、夜空の満月が淡く輝く時間帯。

 地上には、死にそうな顔になりながら両腕にビニール袋をいくつもぶら下げ、ゲッソリとした顔で歩く季太朗がいた。その斜め後ろには、大玉のスイカを腕に抱きかかえて、おぼつかない足取りで何とか前に進む風香が。


「……わかってた。わかってたんだよこうなるのは」


 容赦なく喰いこむビニール袋の取っ手が、季太朗の腕をジンジンと刺激する。非常に痛い。もうこれは、ダンボールごと持ってきた方が楽だったんじゃないのか、と季太朗は思った。


「が、頑張りましょう! 極東支部まで、もうすこしですしっ……! あ、きゃあっ!」

「おっと!」


 抱えたスイカでただでさえ狭い視界を塞がれていたせいか、風香が地面の溝に足を取られて転びそうになった。咄嗟に季太朗は右腕にぶら下げていた袋を一瞬で左手に持ち替え、風香の着物の襟首を掴んだ。


「す、すいません季太朗さま!」

「いいって。気を付けろよ? 自慢の料理人に怪我でもされちまったら困るからな」

「……はい!」


 頬を染めて元気良く返事をする風香。相変わらず季太朗にはベタ惚れだ。掴まれた襟首を心底嬉しそうにさすっていることからも、それが伺える。

 

「ん?」


 そんな時、首をちょんちょんと何かにつつかれるような感触を感じて、季太朗は後ろを振り向いた。するとステラがふくれっ面で、人差し指を伸ばしていた。彼女がつついたことは明白だ。


「なんだ? お前俺と風香が何かしてるといつもちょっかい出してくるよな? 何か気に食わないことでもあるのか」


 風香と長話をしているだけで髪の毛を引っ張られたり、口をきいてくれなくなったことがあったことを思い出し、季太朗はステラの行動に眉をひそめた。


「たしかにきにくわないけど……それよりも、アレ!」


 ステラの人差し指が伸ばされたまま、スーッと、季太朗の肩越しに遠くへ向けられた。


「アレ?」


 季太朗が彼女の指差す方向に目を移すと


「……! ああッ!!」

「す、スイカが!」


 なんと風香がこけた拍子に落としてしまったスイカが、下り坂を全力疾走で転がっているではないか!

 思わず季太朗は腕にかかっている大量の荷物の負担も忘れて後を追いかけた。いくら夜道で交通量が少ないとはいえ、万が一車にあたったり人にあたってしまったりしたら面倒事は避けられない!


「うおおおおお!! そのスイカ、とまれえええええ!!」


 オリンピック選手張りのフォームでスイカを確保せんと走る季太朗。だがその努力も虚しくスイカとの距離はどんどん離れていった。


「おおっと」

「!?」


 突然、スイカの動きが止まった。いや、止められた。どこからともなく現れた男が、手でスイカを掴んで止めたのだ。

 季太朗は減速して男の近くで立ち止まる。


「……危ないよ。気を付けてくれ」

「っ、す、すいませ……!?」


 季太朗は、その男の顔を見てギョッとした。若く見える割に頭髪は全て白髪で、何よりも季太朗を驚かせたのは、その眼の冷たさだった。光はなく真っ黒で、死人の瞳のように感情がまるでこもっていない。


「? 俺の顔になにかついてる?」

「い、いやなんでもない。スイカを止めてくれてありがとう」


 男のことは気になるが、まずは礼をしなければと思って季太朗は礼を述べた。

 男はスイカを拾って季太朗に手渡し、そのまま季太朗の横を通り過ぎて、


「どういたしまして。――――緋村季太朗くん?」

「っ!?」


 季太朗が驚愕に顔を染め振り向いたときには、もう誰もいなかった。まるでいた事そのものが嘘であるかのように、男は消えていた。


「き、季太朗さまー!!」


 風香がトテトテと足音を立てて、坂道を下ってきた。普段あまり激しい動きはしない為か、風香は季太朗の側まで行くと背を曲げて肩で大きく息をした。そして彼女が顔を上げると、


「? お二人ともどうかなさいましたか? お顔が、優れないようですけど……」

「……いや、何でもない」


 思わず強張ってしまっていた顔を揉みほぐして、何も無かった風に季太朗はスイカを風香へ受け渡した。

 

 だが、心の中にどうしても拭えない不安が芽を出していた。


(あいつ……何で、俺の名前を)


 一度も会ったことのない人物が、己の名を知っていた。警戒するのは当然だ。しかし、それだけではとても表すことのできない得体のしれない何かを、この時の季太朗は感じていた。


 その予感は数秒後、最悪の形で実現した。


「「「!!??」」」


 突如として地面が激しく振動し、大気を切り裂く爆音が響き渡った! 季太朗達は思わず耳を塞ぎ、地面にしゃがみ込んだ。


「何だ!? 何が起こった!?」


 地震か、と最初に季太朗は思ったが、その考えはすぐに否定した。まずそもそも揺れ方が地震とは思えない程不自然だったし、一瞬で揺れが収まったからだ。本当の地震ならこうはならない。


「き、きたろう! アレっ!!」


 ステラが宙を指差して声を荒げた。その指の先を季太朗も見つめる。

 黒い煙が濛々と立ち上っていた。それだけなら、ただの火事だと言うこともできただろう。だが季太朗にはできなかった。そこに何があるか、誰がいるかを知っていたからだ。

 目を見開き、彼は叫んだ。あの距離、あの位置、あの場所は――――


「極東支部かっっ!!」



「ハア! ハア! ハアッ!!」


 息を切らして季太朗がそこに駆けつけた時には、全てが変わっていた。

 スプリンクラーが作動したようで発生したであろう火は既に掻き消えていたが、粉々に砕けた蛍光灯のガラス管、辺りに散乱する書類の山、吹き飛ばされて横倒しになったデスクの数々、焼け焦げた壁。

 それが今の、聖光王教会極東退魔支部の現状だった。


「これは……!」


 風香が、いつもとは似てもつかない極東支部の惨状を目の当たりにし、ショックを隠し切れずに手を口に当てた。


「季太朗さま! これは!?」

「俺が知るか!! とにかく皆を探せ! 早く見つけるんだ!!」


 季太朗達は手当たり次第に辺りをひっくり返していく。そして


「う、ううっ……」

「! 掘り返せ!!」


 呻き声が聞こえた。穴を掘るようにして書類の山をどかしていくと、僅かにだが、茶色がかった指が見えた。見間違う筈もない。


「アンジュさん!! しっかりしてください!!」


 極東支部の医師、アンジュを季太朗は引きずりだした。季太朗が適当な壁を背もたれにして彼女を座らせると次は


「きたろう! あそこ!」


 ステラが示す方向へ迷わず駆け出す。薙ぎ倒されたデスクの側に、見慣れたヘッドフォンが落ちていた。瞬時に季太朗はこの下に誰がいるのかを理解した。


「ふんっ……! オラあっ!!」


渾身の力を振り絞ってデスクの山を崩していき、ようやくタカハラの顔が現れた。アンジュと同じように気絶しているのかと思いきや


「ぐ……ううっ。き、季太朗くん、かい……?」

「!タカハラさん! 俺です! 季太朗です!」


 タカハラの方はかろうじて意識があった。季太朗は必死に彼の肩を揺すって意識を繋ぎ止める。


「いったい何があったんですか?!」

「はは……。人生のツケが、回ってきたのさ……あの時俺が、気付いてやれていれば……!」

「何を……!」


 季太朗がタカハラの言葉の意味を考えている暇はなかった。次の瞬間


「?!今度は何だ!」


 轟音を響かせながら、季太朗の背後に巨大な物体が落ちてきた。ボロボロになったエレベーターシャフトを通って。


 瓦礫の山の上に大の字で、血だらけになって倒れていた男は


「――――レミー隊長!!」


 遠目からでもわかる、その筋肉質の体躯。

 極東支部隊長であるレミーが血塗れとなり、仰向けに倒れていた。胸からわき腹にかけ、刀で切られたかのような大きな傷ができている。即刻処置をしなければ大量出血による惨事は免れない。

 顔を覗き込み、季太朗は思わずギョッとした。

 

 レミーが、泣いていたのだ。その太い腕で目を覆い隠し直に確認することはできないが、腕の下からは隠しきれない涙が、溢れ出していた。しかし彼は嗚咽などは立てずに、血が滲むほど唇を噛み締めて、こう言っていた。


「クソッ……すまねえ……! アイラ(・・・)……ッ!! クソッ……!!」


 季太朗の頭の中でパチパチと音を立てながらパズルのピースがはまっていく。

 

 そんな、有り得ない。導き出された答えに対して最初に季太朗の頭が出した言葉は、それだった。


 風香やステラが今も必死で探し回っているのに見つからない、ここにいるべきなのに姿が見えない人物。そして何よりこの、レミーの胸に刻まれた深い刀傷。この切り口を、季太朗は何度も目にしていた。退魔活動の訓練、実戦、そんな時に。かつその人物は、レミーをここまで一方的に嬲ることのできる高い実力の持ち主。

 そして何より、レミーの口から出た名前が決定打だった。


「まさかこれをやったのは……鬼口さん、だってのか!?」


 季太朗の困惑に満ちた声が、廃墟と化した極東支部に虚しく響き渡った。

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