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第十二話 鬼と因縁と・後編

 季太朗から()が出現したとの情報が入った時、清央神社は荒れに荒れていた。

 神職たちが

 

「鬼だと! そんな話聞いていないぞッ!!」

「千景さまは無事なのか! おいッ!!」

「貴様らが何かしたのではないだろうな?! ええ?!」


 などと騒ぎ立て、正に喧騒の嵐。

 だがそれも無理はなかった。ここに勤めているのは比較的経験を積んだ神職たちとはいえ、鬼は彼らの知る限り一度もここ近辺に現れたことはなかったのだから。


 タカハラ、アンジュがそのやかましさといわれのない罵倒に辟易し始めた時、忠勝が動いた。


「静まらんかあああああああぁぁぁぁッッッ!!!!」


 御年八十歳を迎えるとは思えない程の怒気と声。例外なく騒いでいた者達は一瞬で押し黙り、下を向いた。


「……タカハラよ。千景が、鬼に攫われたという話、誠か」


 静かに、それでいて殺気すら感じるほどの冷えた声で、忠勝が尋ねた。


「間違いないかと。季太朗君との通信が切れてしまったので詳細はわかりませんが、あの一瞬、巨大な反応がありました。並の霊的存在では、ああはなりません。

 それに俺が作って千景さんに付けた特製の発信機の反応が、地形をあり得ないレベルで無視して移動しています。取り敢えず、千景さんが自分の意思で動いていないのは確実ですね」

「ふむ……」

 

 発信機のくだりで「貴様、千景さまに無断でそのようなものを!」と声が飛んできたが、そんなものに構っている暇はないとタカハラは無視を決め込んだ。一刻も早く、千景を保護しなければ大変なことになる。


 鬼も人を喰らうのだから。


「しかし鬼、か。

 大災害、戦前、戦中、戦後……世が闇に溢れる時にしか、奴らは現れぬ。儂が最後に鬼と戦ったのは第二次世界大戦の時だ……」

「とりま、今鬼口ちゃんとレミー隊長を向かわせています。彼らなら鬼を相手に立ち回れる。

 ただこの広い樹海の中です。千景さんを発見するまでに、多少時間がかかってしまうかと」


 そう言った途端、たちまち罵詈雑言が再びタカハラたちに飛ばされた。極東支部には任せておけないと自分から千景を探しに行こうとする者はいい方で、その大多数は、千景を攫われた極東支部の責任を追求するものだった。


 その尽くを無視して、タカハラは願った。その時一番近くにいた、()に向かって。


(頼む季太朗君……無茶で筋違いってことは百も承知だ。ただ……君しか、()()を防げる奴は、いない)



 はっきり言って、季太朗の鬼の追跡は実に容易だった。

 信号の届く範囲を出たのか何かの影響か、無線も繋がらなくなり、樹海内ということもあって足場は悪く一歩間違えれば遭難という状況ではあったが、鬼が歩行するにあたって木々を折る度に発生する音と、地面に刻まれる巨大な足跡、そしてステラの勘が、難度を大幅に下げた。

 得にステラの勘に至っては最早勘と言っていいのかという精密さで、鬼の残したこれら目印を季太朗が見失った時でも、彼女が指差す方向に進めば、決まって再発見することができた。


「…………」

 

 そうして、何キロか歩いた時であろうか。季太朗の足が止まった。


 彼の目の前には、大きく口を開けた洞穴が姿を現した。富士樹海には風穴、氷穴を代表として無数の自然洞穴が点在しているが、それらを歯牙にもかけないほど、それは巨大であった。


 季太朗が足を止めた最大の理由は……この洞穴の入り口に、おおよそ動物の類ではない、巨大な足跡が付けられていたから。


「ここで間違いなさそうか、ステラ」

「うん……」


 ステラ・センサーのお墨付きも貰った。つまり間違いなく、鬼はここにいる。千景と共に。


「よし……いくぜ」


 季太朗は意を決して一歩、踏み込んだ。

 

 その洞穴は外側からの見た目に反して、中は異様に広かった。長い通路を抜けると、最早小山ほどもある巨大な空間が開けていた。巨大なかまくらといった表現が、一番近いかもしれない。


 そしてそこは、妙に明るかった。季太朗が上を見上げれば、上に穴が開いているのか、青白い月の光が何本も差し込んでいるのがわかった。それが原因だ。

 そしてその光に照らされた先で、何かが蠢いた。

 素早く季太朗はかんなづきを構えた。目を凝らしてそれを見れば……鬼がいた。そしてその奥には、岩の台に寝かされている、千景の姿が。


「そいつに手を出すな!!」


 季太朗の鋭い声が、岩壁に反響した。するとさっきからもぞもぞと動いていた鬼の動きが、ぴたりと止まった。そして首をもたげて季太朗の姿を見、確認すると、地面を揺らしながら立ち上がり、季太朗と相対した。


 その一連の動作はとてもゆっくりだった。だが季太朗は知っていた。あの鈍重に動く化け物の腕は、一瞬で己の命を持っていくことが可能だということを。だから、集中力を極限まで高めて、鬼の一挙一動を観察し、隙を見せないことを心掛けた。


 だがそんな季太朗さえも、次に鬼がとった行動には驚きを隠せなかった。


「……オデ、ハラ、ヘッタ」

「!」


 喋ったのだ。鬼が。季太朗がこれまで戦ってきた奴らは、感情を見せることはあっても声を発することはなかった。

 季太朗に衝撃が走るが、それを悟らせてはいけないと、彼は必死に冷静を取り繕った。


「アイツ、チカラアル。オデ、アイツくラウ。ゼッたイ、ウまイ」


 アイツ、というのは千景のことだという事を、そしてこの鬼は、彼女を喰おうとしている事を、季太朗は瞬時に察した。あの岩の台はテーブルのつもりだったのであろうか。あと季太朗が来るのが数分遅ければ、千景は、物言わぬ肉となっていたかもしれない。


 思わず季太朗の中で怒りが生まれ、銃を握る手に力が入った。


「……ケド、ヤメル。オまエラ、モッとチカラ、アる。

 オまエラの、ホうガ……モっトもットうまゾおオオオおおおおおおおおおおおおおおぉぉォォッッ!!!!」

「何ッ!?」


 その刹那、鬼の腕が季太朗に向かって振り下ろされた! 咄嗟に季太朗は右へ跳んで避ける。その一撃だけで、振り下ろされた先の地面に深い亀裂が走った。


(マジかよ!!)


 改めて目にするその破壊力に季太朗は戦慄した。一発でも喰らったら、ヤバイ。

 同時に発生した土煙の中に身を隠し、脳味噌をフル回転させて季太朗は策を練る。


(どうする!? 八雲が捕まっている以上派手に動くことはできない。洞穴の外まで誘導する余裕もない! かといってッ!?)


 土煙の向こう側に、鬼の巨大な影が見えた。風圧を纏った拳がとんでもない速さで季太朗に向かって突っ込む!


「きたろうッ!!」 

「がああああッ!!」


 影を確認した瞬間、季太朗は姿勢を限界まで低くして影に向かって走りだしていた。彼の頭頂部紙一重の所を剛腕が通り過ぎた。その勢いのまま、拳は壁に減り込んだ。洞穴全体が激しく振動する。


「こういう時は、むしろ前へなんだよ!!」


 そのまま鬼の股の下を潜り抜けて背後へと回った季太朗は、ありったけの力で神無月を連射した。

 拳が減り込んでしまった鬼は銃弾を回避することはできず、蒼い光が次々に鬼の背へ刺さっていく。十発ほど撃って鬼が何の動きもしなくなったことを確認すると、季太朗は追撃の手を止めた。


「……」


 やったか、等とは言わない。油断は死を招く。彼は今までの経験上それをよく知っていた。だが、


「ガアアアアアアアアア!!!!!!」

「何だとッ!!」


 何の躊躇う様子もなく、土煙を突き破って再び拳が向かってきたことは季太朗の完全な予想外だった。斜め上から振り下ろされる形の拳に対し、季太朗は後ろに飛び跳ねて回避を試みたが


「ッ、うあああっ!!」

「きゃあああああ!!」


 鬼の拳が振り下ろされた瞬間、空中で季太朗の体がぶれるように動いた後、そのまま吹っ飛んで洞穴の壁に激突した。

 余波だ。鬼がその時放った拳の纏う風圧は、季太朗の予想を超えていた。


「か……ハッ」


 ずり落ちるようにして季太朗は地面へと落ちた。しかし内臓が押し出される感覚と骨が歪む感覚を同時に感じながらも、追撃を受けまいと彼はすぐに体勢を立て直す。


 対衝撃が施されたコートを季太朗は着ていたとはいえ、洞穴の壁は突き出した岩が剥き出しになっていた。故に季太朗が今の一連で受けたダメージは、ただ吹っ飛ばされただけとはいえ洒落にはならなかった。

 そして、


「……オマエ、ナにカシタのカ?」


 土煙が晴れて、そう言った鬼の姿を確認して、季太朗は目を見開いた。

 傷が無いのだ。鬼の体の、何処にも。あれほど神無月をぶちこんだ背中にさえ、何一つ傷は無かった。


「うそ……きいて、ない」


 ステラが、絶望に顔を歪ませながら、ポツリと呟いた。

 神無月が効かない。その事実は、二人の心を絶望に叩き落とすには、十分すぎた。今まで戦ってきた敵で神無月が効かないなんて奴は、一つもいなかった。

 

「……まだだ!!」


 叫んだ季太朗の手に、みるみる蒼い光が収束し始めた。そのままその光はどんどん大きくなり、やがて白へとその色を変えた。


 ――――圧縮弾(チャージショット)。真に絶体絶命な状況に置かれたことによって、その力が開花した。

 暗かった洞穴全体が白い光で満たされる。目が眩んで、鬼は自分の顔を腕で覆った。


「っ! 今なら!!」


 恐怖心を振り払い、鬼に向かって季太朗は走りだした! 季太朗の接近に勘付いた鬼から闇雲な拳と蹴りが入るが、その尽くを回避して季太朗は鬼に肉薄する!


「零距離ならッ……!! どうだああああ!!」


 そして鬼のへそと銃口を密接させ、季太朗は最後の望みをかけて圧縮弾を連射した。大気を揺るがす轟音が連続して空間に響き渡る。

 圧縮弾の威力でかつ弾丸の威力を減衰させない零距離で連射すれば、傷をつけられる筈だと考えたのだ。

 

 効果は、あった。弾丸が当たる度に鬼の皮膚が削れ、血が飛び散っていった。

 だが、


「ムだだ」

「があっ!!」

「あうッッ!!」


 直後、季太朗とステラの体に走る衝撃。全身の骨が砕かれる様な感覚。彼らの体は宙高く上げられていく。

 掴まれたのだ、鬼の手に。


 同時に先程弾を撃ち込んだ場所が季太朗の目に入る。()()()()()現在進行形(・・・・・)で。

 確かに傷はつけられた。だが鬼が自己再生を可能とするほどの馬鹿げた回復力を持っていることを、季太朗は知らなかった。その現実を前に季太朗すらも、絶望に叩き落とされそうになる。


「クッソ……! 離し、やがれえッ!!」


 みっともなく足をばたつかせ、季太朗は渾身の力で鬼の指をこじ開けようとしたが、効果は無かった。そうしている間にも鬼の握る力はどんどん強くなっていく。霊力が少なくなったことによる虚脱感も、その状況に拍車をかけた。季太朗の骨と内臓の軋む音が、より明確に、より鮮明に聞こえてくる。


「がっ! ぐう……! ぐぁあああ!!」


 季太朗からの抵抗が弱くなったことを確認すると、鬼は下卑た笑いを浮かべながら、口を大きく開いた。

 大の男でも簡単に丸呑みできそうな程大きな口。ご馳走を今か今かと、唾液を留めなく溢れさせながら待ち構えている。濡れた牙が妖しく光った。


(喰われちまうのか? こんな、ところでっ!!)


 成す術無し。季太朗の足が口へ入ろうかというその瞬間


「「!?」」


 突如、彼らの目の前で爆炎が発生した。正確には飛んできた、だが。

 季太朗は慌てて炎が飛んできた方向へ首を捻った。


「なっ、八雲、さん?! 目を覚ましたのか!」


 巫女服のあちこちが擦り切れ、泥だらけになりながらも、そこには毅然とした表情で前を睨む千景がいた。彼女の右手の人差し指と中指で挟むようにして、お札が握られている。さっきの炎弾は、彼女が放ったのだ。


 顔面で燃え盛る炎の中から、鬼の目が、彼女を捉える。ご馳走を邪魔された故か、その眼は怒りで染まっていた。

 

「なんっ、ぐうっ!?」


 その時突然に、季太朗達への鬼の拘束が解かれた。何の前触れもなかった所為で、季太朗の体は乱暴に地面に叩き付けられる。この期に及んで鬼が拘束を解いた理由は、すぐに判明した。


 鬼の足が、一歩ずつ、千景へと向かっていた。ご馳走は五月蠅いハエを叩き落としてからとでも言うつもりか。鬼は、千景を先に殺す気だった。


「八雲さんッ!!」

「ッ……私をおいて、逃げてください!! 私が気を引いてるうちに!!」

「……あんた、まさか」


 千景は、自分を犠牲にして季太朗を逃がすつもりだった。鬼の注意を常に自分に引き付けるため、お札を懐から取り出しては発射していく。ほんの僅かだが、なまじ効いているが故に鬼の怒りはますます膨らんでいった。


「何でだアンタ!! 俺達(極東支部)をあんなに嫌ってたじゃねえかよっ!! 何で自分から死のうとする?!」


 千景の行動が理解できなくて、季太朗は怒鳴り声で問い掛けた。極東支部をあんなに嫌っていた彼女が、何故極東支部メンバーの季太朗を助けようとするのか。


「……あってはならないのです!! 我が清央神社が、私が! 侮辱してしまった者達に借りを作るなど!!」


 そう叫んだ彼女の瞳には、涙が溜まっていた。


 容易に季太朗は察した。彼女が、己の義務感と、恐怖の間で揺れていることを。死にたくないと思う自分の心を殺し、神社の名に傷をつけぬようにと。


「だから、はやくッ!!」

「……いやだね」

「ッ!!」


 季太朗の、自分の意志などまるっきり無視した一言に、千景は臍を噛んだ。


「あなたこそ、何でですかッ!! 侮辱した相手の為に、何であそこまで!!」


 実のところ千景は、戦闘の衝撃によってだいぶ前から目を覚ましていた。最初こそ、状況がわからずただ茫然と目の目で起きる戦闘を眺めるばかりであったが、やがて気付いた。季太朗が自分を助ける為に、鬼と戦っているのだと。


 鬼は本来、手を出してはならない程凶悪な相手と退魔に通ずる者たちの間では認識されている。もし対峙するとしても、トップレベルの退魔師複数人で挑むのが常識だ。なのに、緋村季太朗(この人)は逃げずに、鬼と戦っている。もしこの人が鬼から逃げていたら、自分はとうに喰われていた。

 

 傷だらけになりながらも、血だらけになりながらも、戦い続ける季太朗。どうして、あれだけ侮辱した相手なんか見捨て、逃げなかったのか。


「……まあ確かに、正直言ってあんたの言動にはムカついてた。だがそんなのは、どうでもいい」

「え?」

「家族を昔丸ごとなくしてさ。その時俺は、逃げたんだよ。結果、もしかしたら助けられたはずの奴が死んだ。悪いがもう、あんな思いは二度と御免だ。

 助けられる命が目の見える範囲にあるってんなら、全力を尽くす。最近そう決めた!!」


 神無月がただ一発だけ、鬼に撃ち込まれた。


 鬼の歩行がぴたりと止まった。次に鬼は首だけを捻って、季太朗の方向を見た。


「鬼、お前に、ご馳走をくれてやる。精々よく味わえよ……」


 神無月の銃口に再び光が集まっていく。ただ、一発の弾丸を作りだす為に。


 そして鬼に向けて放たれた季太朗渾身の弾丸は――――ポヒュッと気の抜けまくった音を立てて、ふわふわ、まるでシャボン玉のように鬼の方へ飛んでいった。


「…………へ??」


 思わず人前では絶対に見せられない様な呆け顔になる千景。あまりにもその弾丸は、可愛らしくて、弱々しい。


 直後、季太朗は地面に倒れ伏した。完全な霊力切れだ。もう季太朗はろくに動くこともできなかった。


 そしてその弾丸が鬼の目の前まで来ると、鬼は――それを食べてしまった。


「ゲエエ~プッ」


 汚いげっぷが鳴った。


 鬼は、霊力のある物を好んで食べる習性がある。故に、その霊力が込めに込められた弾丸(シャボン玉)はお気に召したらしい。さぞ美味いものを食った、と言わんばかりだ。ダメージを受けた様子など、一切無い。


 そして味わい終わったかと思うと……再び千景に近づいていった。


「っ……! 馬鹿っ馬鹿あっ!! かっこいいこと言っておいてなんなんですかあああ!! いやむしろ期待した私が馬鹿でしたよこの人なら私を助けてくれるかもしれないなんて思った私が馬鹿でしたよおおおおお!!」


 途端、更に涙を浮かべながら叫び出した千景。その喋りは普段の彼女とは似ても似つかない。

 鬼の手が、彼女へと伸びていく。


(いやだ、死にたくない! まだ、恋だってしてないのに!! 

 ……おじいちゃん、ごめんなさい。私を、育ててくれて……あり、がとう……!)


 両親を早くに失った自分を、今に至るまで育ててきてくれた最大の恩人に感謝を告げながら、千景は目を閉じた。


 炎のお札は、もうない。全て撃ち尽くしてしまった。洞穴全体がメラメラと炎に包まれて、紅く揺れている光景が、彼女が一体どれほどの炎を放ったのかを語っていた。

 せめて最期くらいは静かに迎えよう、彼女がそう思っていた矢先だった。

 

「……?」


 何か、液体を掛けられる感触。彼女の肌の毛を濡らしていくそれは、妙にドロッとしていて、生温かった。

 思わず、千景は目を開けた。


「!! ……う、そ」


 鬼が、吐血していた。千景に手を伸ばした体勢のまま止まって、口から止まることなく血を流し続けている。


「ごっ! ぶッ!! がぶっ!!! ぐ、ばあああアアあああアアアアッッ!!!!」


 一泊おいて苦悶の表情で喚き始める鬼。

 ハッとして千景が鬼の腹を見ると、ボコボコッ!! と何かが鬼の腹の中で動き回っているではないか。


 何かが鬼の腹を内側から突き破る勢いで、暴れているのだ。


「一体なに……あっ!!」


 千景は、ある一つの可能性に気付いた。鬼が腹に入れたもの。それは彼女が知る限り、一つしかない。


「……やあっと、効いてくれたようだな」

「あ、あ、あ……!!」


 燃え盛る炎を背後にして、影を揺らしながら、立ち上がる男が一人。


「緋村さん……!!」


 彼の右手は、クイッ、クイッと何かを操作するように動かされていた。その手の動きと鬼の腹の何かの動きが連動していることに、千景が気付くのに時間はかからなかった。


 ――――追尾光弾(ホーミングショット)

 放った弾丸を季太朗の意のままに操作できる技。

 

 決して、さっきの弾丸は失敗だった訳ではなかった。鬼がそれを食べ、自身の腹の中に送り込むことを想定して、わざと季太朗は限界まで威力、速度を削っていたのだ。


 奴を内側から破壊しつくす切り札という真の姿を偽って、無害な餌と誤認させる為に。


「さすがに内臓を引っ掻きまわされるのは堪えるみてえだなあ。まだ完全に操作できる訳じゃないが、暴れさせること位はできるんだよッ!!」


 今まで受けた痛みを全てぶつけるかの如く、季太朗は鬼を内側から嬲っていく。


 確かに鬼には攻撃が一切通じなかった。だがそれは表側の話。

 どんなに堅固な鎧であろうと、想定されているのは外からの攻撃に対してのみ。内側から中の人物を直接(・・)攻撃されることなど、想定に入れてできてはいない。

 鬼も、一緒だった。


「あばッ!! おま゛ッ、おま゛え゛え゛エ゛エ゛ェェェエエ゛!!!!」

「……そろそろ、終わりにしてやるよ」


 怒り、恨み。それらを一身に受けながら、季太朗はトドメの準備に入った。


 右手の指先を、地面すれすれまで落としていき、そして、


「これでッッ!! 終いだああああああぁぁぁぁッッッ!!!!」


 その指を、天高くかち上げた。


 ――――断末魔は聞こえなかった。

 鬼の体が真っ二つに割れて、右と左、正反対の方向へ倒れていった。


 季太朗の、勝ちだ。

 

「やっ、たぜ……」

「!? 緋村さん?!」


 鬼の体が地面につくと同時に、季太朗も膝をついた。まるでスローモーションのように、その顔を土へ埋めた。


 慌てて千景が駆け寄り、季太朗を、自らを守り切った勇者を抱き起こした。


「緋村さん! 緋村さん! 目を覚ましてください!! 緋村さんッ!!」


 千景の叫びも虚しく、季太朗達は目を覚まさなかった。肉体がボロボロの状態で、かつ圧縮弾を連発するという無茶な霊力の使い方をしたのだ。当たり前だった。


「きゃあっ!?」


 突如として、洞穴が激しく揺れ始めた。パラパラと上から小石が降ってきている。


「まさか、崩れ始めているの!?」


 千景の顔から血が引いた。

 むしろよくもったというべきか。鬼の常軌を逸した打撃、周囲数メートルを吹き飛ばすことのできる威力をもつ爆炎。それら全てを受け止めていた洞穴は、もう限界だった。


「っ! ふん、っ!!」


 意識のない季太朗達を肩で支えながら、千景は出口を目指した。

 だが気絶して更に重量の増した成人男性を運びきる力は、彼女にはなかった。途中で力尽きて転んでしまう。


「あうっ!!

 ……諦め、ません!」


 もう一度、彼らを肩に乗せて、千景は歩き出した。その眼には、絶対に諦めないという強い意志が宿っていた。


(貴方は、私を助けてくれました。なら、今度は、私がっ!)


 だがその思い虚しく、次の瞬間、出口へと通じる道は落石で塞がれてしまった。外へ通じる道はただこれ一つだけ。


「……ああ」


 千景の目から、とめどなく涙が流れていった。

 今夜何度目かの絶望に、彼女の胸が染まりそうになった。


 そんな時に千景が思い出したのは、季太朗の戦う姿。諦めずに次の一手を模索し続け、鬼を倒すまでしてしまった人。

 

「……まだ、まだ手があるはずです。まだッ!」


 千景は周囲を見回した。入ってきた入り口は論外。壁に穴を開けるなども不可能。

 そして彼女が最後の望みで天井に目を移した時、

 

 開いていた僅かな隙間から、彼女は目にした。何か(・・)が、上に立っていることに。そして


「!?」


 天井が粉々に砕け散った。


 白く光る月が、それを、彼女(・・)を照らしていた。


「き、鬼口さん!!」


 天井を突き破って降り立ったのは、鬼口だった。

 汗をびっしょりと掻き、山を駆け抜けてきたせいで衣服のあちこちは泥で黒くなっていた。


「やっぱり、ここでしたか……な!」


 彼女は、自分の傍らで倒れ伏す鬼の死体に、一瞬ではあるが驚愕した。そして次に、千景に抱きかかえられている季太朗に目を落とした。


「彼が、倒したのですか」

「は、はい。それよりも鬼口さん! 緋村さんが目を覚ましません!!」


 その言葉を聞いてすぐに、彼女は季太朗の顔へ自身の顔を近づける。


「……問題ありません。多少の怪我はありますが、気絶の主な原因は極度の疲労と霊力不足です。アンジュ(医者)に見せれば治ります」


 千景は心から安堵した表情を見せた。季太朗の特殊体質を知らない彼女から見ればいかにも、季太朗が何かしら瀕死の重傷を負っているとしか思えなかっただろう。


「「!!」」


 だが千景が安堵に浸る間もなく、洞穴の崩壊は加速する。容赦なく彼女たちの周囲に岩が突き刺さっていく。


「ッ失礼しますよ!!」

「きゃっ!?」


 鬼口は咄嗟に打鉄を口にくわえ、季太朗とステラ、そして千景を脇に抱きかかえると、壁に突き出すほんの僅かな岩段を足掛けにして上へと上がっていった。


 そして鬼口が開いた天井から飛び出し、崩壊に巻き込まれない地面を足で踏みしめたその瞬間、洞穴は跡形もなく崩れていった。鬼の死体を、深く、深くに押し込みながら。




「ハッ! (いって)ええ!!」


 飛び起きた季太朗を激痛が襲った。あまりの痛さに彼はそのまま布団の上でゴロンゴロンのたうち回った。


 「ふーっ、ひーっ、ふーっ」、と大袈裟に呼吸を整え、痛みが自然に収まるまで待つと、季太朗は辺りを見渡した。


 床は畳み、扉は障子が張られたふすま。和室だ。

 優しい陽の光が障子を通して部屋全体に降り注いでいる。小鳥の鳴く声が遠くから聞こえてくる。

 

 季太朗はまず、自分の姿を確認した。


 季太朗は敷布団の上で寝かされていた。上半身の服は脱がされ、代わりに大量の白い包帯がグルグルと巻き付いている。傍から見ても季太朗が大怪我をしているのは明白だった。それは動けば激痛もする筈だ、と彼は納得した。


 そして更に隣りを見ると……畳に突っ伏している千景の姿が。

 彼女の側にはよく冷えた水が張られた洗面器とタオル。そして新しい包帯が巻き付けられた筒が転がっていた。


「――――んん? 何の音……っあ!?」


 季太朗の立てた物音によって眠りから目覚めさせられると、彼女はダンッ!! と凄まじい音と共に畳を軋ませながら跳ね起きた。が、その後のバランス取りが上手くいかず、季太朗の目の前に尻餅をつく形で着地してしまった。洗面器に張られた水が、大きくゆらゆらと揺れる。


「っ、あ、う……」


 それが余程恥ずかしかったのか、彼女の顔が真っ赤になった。それはもう、熟れた林檎のように。


 どうやって彼女の高いプライドを傷つけずにかつフォローを含めた的確な返事を返せばよいか、と一連の光景を目撃してしまった季太朗が頭を悩ませていると


「――――っ~!?!?」  

「あ、ちょっ、せめて状況説め――っ!」


 千景は、跳ねるようにその部屋から逃走した。



「あー、成程。つまり俺は丸四日寝ていたわけですね……」

「全く。無事だったから良かったものの、鬼口ちゃんが抱えて運んできた季太朗くんを見た時は心臓が止まるかと思ったわよ! 擦過傷多数に内出血多数。軽い火傷少数。骨にヒビまで入ってたんだから」

「ほんとうです! 季太朗さまはご自分のお体を大切にしなさすぎですっ!!

 ほんとに、心配したんですよっ……!!」


 目の前に座るアンジュからの説明と、瞳を潤わせながらも頬を膨らませてプンスカしている風香の文句を受けて、苦笑いを浮かべながら季太朗は答えた。


 結論を言えば季太朗は鬼を倒してから今日までの四日間、気を失っていた。


 鬼を倒した直後に気を失い、その後は居場所を突き止めた鬼口に千景と一緒に救出されたという話を聞いて、また鬼口に助けられたという後ろめたさと、気絶していて自分が本来の任務を殆ど遂行できていないこと、そして『毎回気絶してるじゃねえか!』という事実が、彼の心中で黒い渦を巻いていた。


 千景が部屋からいなくなった後、真っ先に姿を現したのがこの二人だった。千景はただ逃げたのではなく、季太朗が目を覚ましたことを皆に報せたらしい。

 

 まず最初、風香は季太朗の姿を見た瞬間、彼女の中で慕う人が無事帰ってきた嬉しさと今までの心配とが爆発し、季太朗の腹にロケットタックルをかました。

 当然今の季太朗にとっては大ダメージであり、吐血するか思うほどの衝撃をもろにくらった。


 さすがに耐えかねて一言文句を言おうとした季太朗だったが、風香が自身の腹に巻きついた血の滲んだ包帯に顔を何度も擦りつけ、涙を流す姿を見て、結局は何も言えなかった。

 風香の方が一枚上手だったということだ。


 レミー、鬼口、タカハラにも季太朗復活の報は届いるとのことだが、今回の事件の後処理(ゴタゴタ)に手間取っており、それが終わればすぐにやってくるとのことだった。


「しかし、鬼を倒すってそんな事件になるようなことなんですか?

 俺としては四日間も寝込んじまった所為で本来の任務をろくにやれてない方が事件なんですけど」

「何を言ってるの季太朗くん!!」


 アンジュが慌てた様に季太朗の言葉を否定した。


「季太朗君は知らなかったでしょうけど、鬼は世間一般常識的に退魔師一人で挑んでいい相手じゃないの!

 過去何度名声目当ての流れの退魔師たちが挑んで、奴らの胃の中に消えていったか……。

 そんなものを新人のあなたが単独で倒したってんだから、そりゃひと騒ぎ起きるわよ」

「……よく生きてましたね、俺」


 アンジュと風香の首が、揃って大きく縦に振られた。

 今更ながら季太朗は、自分がどんな化け物を相手にしていたのかということを実感し、肝を冷やした。


 故に当然ながら季太朗が鬼を倒したということを、清央神社の大多数の人々は当初信じなかった。あの場に居合わせた千景が必死に説明を重ねたことで、ようやく認めたのだ。


「……そう言えば、八雲さんはさっきまでここで何を?」


 一連の会話の中に出てきた千景の名前に反応して、思い出したように季太朗は尋ねた。

 結局、千景は部屋から飛び出していった後戻ってくることはなかった。


「あー。

 彼女ね、季太朗くんのことをつきっきりで看病してたのよ。皆驚いてたわよー。彼女が自分から他人に関わろうとするなんて、殆ど無いのにって」


 季太朗も例に漏れず、その事実に目を見張った。


 確かに思い返してみれば、寝ていた千景の周りにはそういった道具が広げられていた。あんなに自分を毛嫌いしていたというのに、どういう心の変わりようだ、と季太朗は首を捻った。


「…………」

「……な、何ですか」


 気付けばアンジュが、ジト目で季太朗を睨んでいた。その眼は妙に迫力があり、奥には何かどす黒いものが漂っている。


「いえ、若いっていいなーって思っただけよ。フフ、フフフフ」

「「……」」


 風香が、季太朗の腹にひしっ、と無言でしがみついた。季太朗の額にも冷や汗が湧き出る。


 季太朗の目には、アンジュの体全体から黒いオーラが吹き出す光景が映った。錯覚などではない。確かに何か漂っているのだ! あまり鋭くない季太朗でもさすがにわかった。これは触れちゃいけない類の何かだと!


「……殺気を感じたので急いで来てみれば、アンジュさん……?」

「……い、いやね。あれよ? 決して年増のひがみなんかじゃないのよ?」

「「……助かりました。鬼口さん」」


 その時勢いよくふすまを開けて、鬼口が部屋に入ってきた。彼女は黒いオーラを出しているアンジュの姿を見つけると、大きく溜息を吐いた。アンジュの纏っていた黒い何かが一瞬で霧散した。


 季太朗達は嘘偽りのない誠心誠意の感謝を鬼口に告げた。割と本気で命の危険を感じていたからだ。


 つまりそれは、あの鬼口が危機感を抱くほどの殺気をアンジュが放っていたという訳で……。


「……季太朗さん」

「は、はい」


 鬼口の声が、季太朗へと向けられた。無意識に彼の背が伸びる。


「今回は、素晴らしい活躍でした。胸を張ってください。貴方のおかげで、命が一つ、救われたのですから」

「……ありがとうございます」


 鬼口の言葉が、季太朗の心のモヤモヤを晴らしていく。季太朗にとって、その言葉だけで十分だった。


「……なか、よさそうね??」

「!?」


 突如季太朗の背に降りかかる殺気。アンジュではない。それを放っているのは別の誰かだ。


 季太朗がギ、ギ、ギ、と錆びた機械のようになりながら、後ろを振り向いた。

 この部屋にいる全ての人の視線が、注がれた。


 皆、完全に忘れていた。彼女の存在を。


「……お、おはよう、ステラ」

「ん、おはよう。……ずっとまえから、おきてたけどね?」


 この場にいる誰もから放置され、へそを曲げに曲げまくったステラが、そこにいた。

 彼女は先程のアンジュに匹敵する程の殺気を放ちながら、うっすらと微笑んでいた。幼い顔立ちながらもその表情は、不気味なほどに美しかった。


『季太朗が運ばれた部屋はどこだー! この神社、入り組みすぎなんだよーッ!!』

『隊長そっちじゃない! 左です、左!』


 同時に、ドタバタと五月蝿い足音が二つ、畳を揺らしながら迫ってきた。その主達を察して、季太朗は思わずこめかみを抑えた。


 鬼を倒すよりめんどくさい状況になってしまった、と。



「だから悪かったと言ってるだろうが……。帰ったらチキ◯ラーメン俺の分もやるから、いい加減機嫌直せ……」

「! ……で、でも、ダメ!!」

「なんでだよ……」


 そこには未だに機嫌を直さないステラに対して、げんなりしながら自分のチキ◯ラーメンを機嫌直しの交渉材料にする季太朗の姿があった。


 一体今の季太朗を見て誰が、彼が鬼を単独で倒した人物だとわかるだろうか。


 結局、季太朗が満足に動けるようになるまで、あれから更に三日を要した。当初三日間だった予定を超えて一週間以上、清央神社に滞在したことになる。


 本来の目的、霊の駆除は季太朗が気絶している間にとっくに終わっていたことを、季太朗はあの後部屋に流れ込んできたレミーとタカハラから聞いた。


 予想はしていたし、鬼口からの励ましの言葉があったとはいえ、そのことで思う所はまだあったが……それはもう、季太朗は考えないようにしていた。

 終わったことを考えても、仕方がないからだ。


「緋村君や」


 後ろからかけられた声に反応して、季太朗は背後を振り向いた。

 季太朗の目の前に、八雲忠勝が立っていた。


「八雲宮司……。どうかしましたか?」


 初対面時の一連の騒動から季太朗は忠勝に苦手意識を持っていたが、それを表に出さないようにして返事を返した。忠勝の口がゆっくりと開かれた。


「いやなに。もうすぐ、帰ると聞いての」

「ああ、そうですね」


 そう。今日は、清央神社から極東支部が撤退する日。

 タカハラ達は神社の手前に止められたジープに、今回使用した機材やらを詰め込んで、帰る準備をしている最中だ。季太朗も手伝おうとしたのだが、病み上りは安静にしていなさいとアンジュからドクターストップがかけられて、暇を持て余している所だった。


「……礼を言いにきた。千景を救ってくれたこと、感謝する」


 忠勝が、そう言って頭を深く下げた。元から小さい身長が更に小さくなる。


「いえ、こちらこそ一週間以上も清央神社に厄介になってしまいましたし……」

「何を言う。可愛い孫の命、この世に賭けられる物があろうか。本当に、有難う……!」


 心の底から滲み出るような忠勝の感謝の言葉に、季太朗の表情も真剣味を帯びた。


 程なくして、忠勝はその顔を上げた。


「しかし……誰も、見送りに来んとはな」


 打って変わって、失望の色が見える声で、忠勝はそう言った。


「はは。まあ、気にしてませんよ」


 笑って言ったが季太朗も気になっていた。

 二人は自分達の周囲を見渡す。もう時刻は昼過ぎだというのに、誰の姿も見えない。

 神職達は、極東支部の見送りをする気は、ないという訳だ。


「……すまんのう。奴らもわかっておるのじゃ。今回、誰に救われたのか。

 じゃが、下らないプライドと意地が邪魔をしておる」


 ふとその時、季太朗の中で疑問が再燃した。神職達がここまでの行動を取る理由……それは、一体何なのか。

 千景にそれを尋ねた時は、話途中で彼女が攫われてしまったしまった為、聞くことができなかった。今この場、忠勝からなら。

 淡い期待を抱いて、季太朗は言葉を発した。


「……八雲宮司。極東支部と清央神社の因縁って、何なんですか」

「! そうかやはり……知らされて、おらんかったか」


 忠勝の息をのむ音が、季太朗の耳まで届いた。周囲の空気が、一瞬で張り詰める。

 それだけで、その因縁が並大抵のものではないことを季太朗は察した。

 

「事は、清央神社だけの問題ではないのだよ。この因縁は、あの日に関わった全ての者が持っているのだ」

「『あの日(・・)』……? あの日って、何ですか」


 静かに、それでいて知りたいという欲求を抑えきれない声色で、季太朗は忠勝に迫る。


「……いや。儂の口から、この事は語られるべきではない、な」

「ッ」


 餌のお預けをくらった犬のような顔で、季太朗は言葉を詰まらせた。ようやく答えに辿り着けるかと思ったら、この仕打ちだ。


 そんな季太朗の内心を察したのか、忠勝が一言、付け加えた。


「なに。儂の予想では、お主はもうすぐ、おのずと答えを知ることができるだろう。その時は近いはずだ」


 明確な根拠など無い、ただの予想。だが、季太朗は何も言えなかった。

 テレビで見る大予言や占いなども一切信じない彼でさえ、その予想は本当に、当たっている気がしてならなかったから。


「――――季太朗く~ん!! 準備終わったから、帰れるわよ~!!」


 遠くからアンジュの呼ぶ声が季太朗の耳に届く。


「もう、時間みたいじゃのう」

「はい……お世話になりました」


 改めて季太朗は忠勝の方へ向き直って、頭を下げた。ステラもそれにならって、ぺこりとおじぎをした。


 季太朗はそれ以上、忠勝に因縁のことを聞く気は起きなかった。時間がもう無いこともそうだが、忠勝から絶対に話さないという強い拒絶の意思を感じ取ったからだ。

 

 挨拶も程々に、季太朗達は皆の待つジープへと駆けていった。そしてドアを開けようとして取っ手に手をかけたその時、


「ひ、緋村さんっ!」


 不意に呼び止められて、季太朗の動きが止まった。

 

 振り返ってみれば、千景がいた。力を入れているのか、拳の状態で両手がプルプルと震えている。見れば、顔もいささか赤くなっていた。


「どうした八雲さん」

「…………」


 部屋からいなくなってから一度も会うことがなかったが、一体どうしたのか、と季太朗が用事を尋ねる。

 だが千景は口を強く結んだまま何も言わない。

 そうして一分が経とうかという頃、やっと彼女は口を開いた。


「あ、あの! ……いつでもまた来てください。ずっと、お待ちしていますから!」

「? はあ」


 その時場の雰囲気が一斉に激変した!

 ステラは呆け、風香と鬼口は笑顔を浮かべたまま凍り付き、アンジュからはどす黒いオーラが再び溢れ、レミーとタカハラは声には出さないが内心で「八雲嬢のヘタレがあああ!!」「季太朗君は鈍感系主人公か何かかぁ?!」と叫んだ。


 千景が、自分を救ってくれた季太朗に想いを寄せていることは、明白だった。だが季太朗がそれに気付くそぶりはない。

 そして……


「くぉら若いのオォォォ!! 貴様千景嬢をなに誑し込んでんだアアアアア!!」

「許すまじ許すまじィッッ!!」

「生かして返すものかあああアアッ!!」

「裏の墓場にぶちこんでやるらああああッ!!」

「な、何だあ?!」


 さっきまで誰一人として姿を見せなかった神職達が、本殿から飛び出して津波のように押し寄せてきた。手には日本刀、薙刀、鎖鎌など凄まじく物騒なものが握られ、それをぶんぶんと振り回しながら迫ってくるからなお恐ろしい。


 命の危険を報せるアラートが季太朗の中で鳴り響く!


「あ~いかんぞ連中本気で起こってやがる……!! 隊長エンジンかけろおおオオ!!」

「おうともさッ!!」

「季太朗さん! 乗ってください!!」

「おわッ!?」


 季太朗の襟首が鬼口に掴まれて強引に車内へと引き込まれた。同時にジープの後輪がフル回転し砂埃を巻き上げる。

 



 砂埃が晴れた時、そこにはもう誰もいなかった。


「……いってしまいました」

「嵐のような奴らじゃのお」


 千景の横にいつの間にか立っていた忠勝が、そう呟く。

 

「嵐なら、また来年もやってきますね」

「ふん……おそらく、な」


 極東支部の走り去った先を、いつまでも千景は見続けていた。



「しかし何だったんだあれは……」


 帰りの車内。

 凶器を振り回しながら迫ってくる神職達を思い出して、季太朗は背筋を震わせた。


「……ねえ季太朗くん。本当に原因が何なのかわかってないの?」

「もうさっぱり……いぃ!?」


 季太朗の答えを聞いてアンジュの口がどんどん吊り上がっていく。だが目が全く笑っていない。


「ほ、ほら! まあまずは帰って何か食おうぜ!! パーッとやろうか!」


 アンジュから漂い始めた危険な空気を敏感に察知して、タカハラが慌てて話の軸を逸らした。思わずこの場にいる誰もが内心でガッツポーズをかました。

 ここぞとばかりに風香も便乗した。

 

「い、いいですね! なら私も頑張っちゃいます! 季太朗さまもしっかりと休んでくださいね?」

「お、楽しみだな! 風香の料理はうまいって季太朗から聞いてたんだよ。楽しみにしてるぜ?」

「き、季太朗さまがお褒めに……! 嬉しいです!!」

「……はあ、まあいいわ。さー今夜ははじけるわよッ! 色々とぶつけたいこともあるしね!」


 周囲の楽しそうな雰囲気に当てられて、アンジュも機嫌を戻した。作戦は成功だ。

 思わず季太朗は胸を撫で下ろす。 


「……ねえきたろう」

「ん?」


 騒がしい車内の中、掻き消されてしまいそうな声でステラが季太朗を呼んだ。


「何だ? ……あれか、まだすねてるのか」

「ううん。ちがう。ただひとこといいたくて……きたろう、かっこよかったよ」

「……お前も、頑張ったな」


 季太朗はその包帯だらけの、それでいて力強い手でステラの頭を撫でた。ステラも、心地よさげに目を瞑る。二人のやり取りは、誰にも気づかれることはなかった。


 この時季太朗は予想だにしていなかった。

 極東支部の持つ因縁――――その答えを知るのは、もうすぐだということに。



その夜


「誰だああああッ! アンジュに酒しこたま飲ませた奴はああああ!!」

「す、すみません私です! きゃああ! 私の扇風機(からだ)を振り回さないでくださいいい!!」

「いいッ!? メスも持ってんぞ! 逃げろおお!!」

「ッ! アンジュさん失礼します!! 取り押さえますよ!」

「やれるもんならやってみなさい鬼口ちゃーん!! 今夜の私はッ! 荒れに荒れているッッ!!」


「……帰りたい」

「……わたしも」

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