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第十二話 鬼と因縁と・前編

 日差しが地面を照り付けている。空は雲一つなく晴れ渡り、まさにお出かけ日和。ドライブでもするのならそれは最高だろう。

 

 だが、大前提は運転が荒くないことだ。


「い、いやあああああっっ!!」


 甲高い叫び声が、走行中の車の一台から響き渡った。

 閑散とした道路を速度制限ギリギリもしくはオーバーでとばすその車は、緑色の無骨なジープ。

 ここ最近かなり酷使されている極東支部のジープだ。当然、運転はレミー。


「ったく、うるせえぞステラ」

「そんなことっ、いったってえ!」


 季太朗の心無い言葉に涙目になりながら、ステラが反論した。

 当の季太朗は、さして問題はないという風に椅子に深くよりかかっていた。つい数週間前まではあれだけレミーの運転に振り回されていたというのにである。


「馬鹿だなお前は……いいか、起きてて地獄を見るんだったらな……(気絶す)ればいいんだよ!」


 そう言い切ったと同時に、ガクッ、と首が揺れて、季太朗の意識は遥か彼方へ旅立った。

 寝てしまえば後は何も考える必要も感じる必要もないだろう、という魂胆だ。逃げとも言う。


「っ、きたろうのばかあっ!」

「いや~季太朗君も考えたもんだね。寝ちまえばいいなんてのは盲点だったよ」


 苦笑いを浮かべながら、助手席に座っていたタカハラが後部座席を振り向いた。長年レミーの運転に耐え抜いてきた彼らだったが、寝るという発想はこれまで思いつかなかったようだ。その言動から素で季太朗に感心しているのがわかる。


「ま、いいんじゃないかしら。寝るのも立派な休息よ……風香ちゃんは大丈夫?」


 アンジュは、揺れる車内の中でなお季太朗の膝の上にちょこんと座っている和服少女、風香を見た。


「ええ、話には聞いていましたけどっ、まさかここまでとは……」


 既にいっぱいいっぱいのようだ。口元には普段のように絶えず微笑を浮かべているが、白い肌を伝っていく汗の玉が、それを言外に物語っていた。


 さも当然のようにこのジープに乗り込んでいる風香だが、ちゃんと先日、極東支部所属の扱いとなった。勿論、そのことに関しては帰省から戻った鬼口やレミー達との間でごたごたがあったのだが、それは別の話だ。


 一行を乗せて、爆走ジープは山道へと入っていった。



「ついたぞ、お前ら降りろ~!」


 レミーの声で季太朗は目を覚ました。眠っている間にも脳がシェイクされていたのか、彼の頭はやけに重かった。彼は目を拭って、まぶたに付着した目やにをこそぎ落とした。

 

 ふと、膝に重みを感じたので季太朗が下に視線を移すと、そこには完全にダウンしているステラと風香が突っ伏していた。


「うう……もう、だめ」

「すいません、お膝をお借りします季太朗さま……」

「お、おう」


 その光景を見て季太朗は心から思った。寝て正解だったと。

 次々とレミー達がジープを降りていくのを横に、季太朗は窓から見上げるようにして、二人の体調が少しでも回復するまでの間、ある一点を見つめていた。


「……しかしまあ、いかにもって所だな」


 目の前には、生える苔がそれが出来てから悠久の時が経っていることを証明している果てしなく上へと続く石造りの階段と、その果てにそびえ立つ、荘厳としか表現のしようのない神社が建っていた。

 

 今回の目的地、富士樹海内に存在するその神社の名は、()()()()



「すいません、少し遅れました!」

「遅いですよ季太朗さん!」


 数分経って、皆より少し遅れて階段を駆け上がってきた季太朗を、鬼口が叱った。

 自分の所為ではない、という思いが一瞬季太朗の胸をよぎったが、鬼口、ひいては極東支部メンバーに対する申し訳なさの方が、それに勝った。


「ふぉっふぉっふぉっ。これで、全員揃ったかの?」


 聞きなれない声が、季太郎の耳に届いた。ふと彼が前を見るとそこには、好々爺然とした風貌の、それでいてどこか神聖な気を纏った老人が立っていた。身長は、隣にいるレミーの半分くらい程の小ささであったが。


「それじゃ、今年も世話になるぜ爺さん」

「宮司と呼ばんかい宮司と」


 そのレミーとの一連の会話から、季太朗は自分たちの目の前に立つこの老人が宮司、即ちこの神社の長であることを察した。ならば、最低限の礼儀として挨拶の一つくらいはしなければ、と季太朗はその老人に近付こうとしたが、それよりも先に老人の方が季太朗に距離を詰めていた。その気配のなさと素早さに驚き、思わず季太朗は一歩退いてしまった。


「話は聞いているよ。君が、極東支部に新しく加わったという緋村君だね」

「え、ええ。そうです。素人、同然ですけど」

「そうかそうか。儂は話の通り、この神社の宮司、八雲忠勝というものだ。堅苦しい場所かも入れないが、そう固くならずに過ごして貰えれば……――――なんと」


 季太朗はいよいよ、本格的に後退りそうになった。

 先程までニコニコと話していたこの老人――――八雲忠勝の顔が、一瞬で、打って変わって厳しくなったからだ。

 

 笑顔は消え失せ、目は刃物のように鋭い眼光をたたえ、眉間には何本もの皺。しかもその眼球がカメレオンのようにぎょろぎょろと動き回り、季太朗を、いや季太朗だけでなく、その後ろのステラと風香をも見つめている。

 その姿は、先程までの好々爺然とした態度からは全く想像できない程、覇気に満ちていた。


「な、なに……このひと」

「…………」


 ステラと風香が、その視線に耐え切れず、さっと季太朗の背に避難する。


「なんと……そうか、そうか。奇妙なことも、あるもんじゃのお」


 そう、何か納得したように呟いた後、忠勝は季太朗達にそれ以上何も言わず、レミーの隣へと戻っていった。


(おいおい、何だってんだ……あの爺さん)


 いつのまにか季太朗の額には汗が浮かんでいた。それ程までに、忠勝から発せられる覇気が凄まじかったのだ。


「……さて極東支部よ。では案内しよう」


 何事もなかったかのように好々爺然とした態度に戻った八雲は、神社の本殿へと進み始めた。季太朗は何か言うこともできず、その後をついていくことしかできなかった。


(……レミーよ。お主、とんでもないものを背負い込んだの)

(はっ。貧乏くじを引く体質なのは、昔から重々承知さ)

(あの様子を見る限り、彼には伝えておらぬのじゃろう? いいのか。いつか必ず、受け容れなければならぬ日が……後悔する日がやってくるぞ)

(……そうならないように、努力するまでだ)


 レミーと忠勝の間でそんな会話が行われていた事も、気付かずに。


 次の問題は、もう少しで本殿という所で起こった。


「おじいさま!!」


 そう声が聞こえたかと思うと、境内の掃き掃除をしていた女性が、こちらへと早足で向かってきた。

 

 巫女服に身を包み、ロングの黒髪を束ねることなく自然体で後ろでなびかせるその女性。表現するならば、大和撫子という言葉が最も相応しいその人物は、季太朗達の目の前で立ち止まると、


「お帰り下さいッ!! 貴方達の力など、私達には不要です!!」


 予想外の言葉を投げつけてきた。季太朗の目が点になる。


「これこれ千景(ちかげ)や。そのようなことを言うでない」

「ですがおじいさま! この者たちの力を借りるなど……この神社には、退魔を出来るものなら数は少なかれどいるではありませんか! それに鬼口さまならともかくこのような……不浄の輩をいれるなどと!」


 不浄の輩。その千景と呼ばれた女性がそう言った時、その視線は季太朗を射抜いていた。だから季太朗は、その不浄の輩というのが自分であることを直感で悟った。言われて気持ちの良い言葉では絶対にない。

 だが逆上して怒鳴る程、彼は馬鹿ではなかった。霊が二人も憑いている男なぞ、神聖な神社にとっては不浄以外の何物でもないだろうということを、季太朗は理解していたからだ。


「千景さん……それ以上は、許しませんよ。彼は私達の大切な仲間です」


 季太朗がだんまりを決めたのとは反対に、鬼口は一歩前にでて、静かながらも怒気のある声を千景に向けた。


「っ……! 鬼口さま! 貴女はそれでよいのですか?! だって、彼らの所為で貴女のご家族は」

「千景や」 

 

 その一声で、その場全員の動きが止まった。

 上から押さえつけられるような、抗おうとする気があっという間に萎んでいく声。それを発したのは忠勝だった。


「掃除に戻りなさい。彼らは私の大切な客人だ。無礼は、許さないよ」

「っ、……わかりました」


 軽く頭を下げると、いそいそと千景は神社の裏手へとまわってしまった。忠勝の気迫に逆らえなかったのだろう。従うしか、彼女に選択肢はなかった。

 

「……おや、どうした。足が止まっておるぞ?」

「っ? す、すみません」


 それは季太朗も例外ではなかった。

 事実忠勝の声が止み、周囲の人々がぼちぼち動き始めた時になっても彼は固まっており、すぐに止まったものの、その足は小さく震えていた。


「ふぉっふぉっ。

 今年も頼むぞ極東支部。では、また夜に会おう」

 

 打って変わって笑顔となった忠勝の言葉で、その場はお開きとなった。



 ドサドサッ、と畳の床の上に大きめのバッグが次々と雑に投げ出されていった。中身は、三日分の着替え、洗面用具、そういったものが簡潔に収まっていた。


 そう、三日分。今回の任務は、泊まり込みだ。この神社の裏手にある墓地の霊の駆除作業という体である。


 夏、特にお盆周り、魂にはそれぞれの家に帰ろうとする習性が発生するが、それに混じって穢れた魂もこちら(・・・)に漏れだしてしまうため、各個撃破してその流出を抑える、というのが詳細だ。


 極東支部は毎年、この神社でその作業を行っていた。故に季太朗以外の皆の行動は慣れたもので、あっという間に本殿の一角に拠点を作り上げ、作戦が開始される真夜中に向けて準備を進めていた。


(しかし、何だったんだアレは)


 そんな中、季太朗はこの本殿に辿り着く前の一連の光景を思い出していた。


 ここにつくまでずっと、周囲から、ここで働く人々から容赦なく注がれた敵意の籠った視線。そして、あの千景と呼ばれた女性。少なくともこれから協力しようという人々がとる態度ではなかった。レミーを始めとした他のメンバーは柳に風と受け流していたが、季太朗はどうしても、あの視線と言葉を忘れることができなかった。


「……なあ季太朗君。あんま気にすんなよ? この神社はちょっと、俺達と因縁があるのさ」


 そんな季太朗の内心を察して、タカハラがそんな言葉を投げ掛けた。

 季太朗にそれは、知らされていなかった。


「因縁、ですか」

「うん。だからまあ多少厳しい目で見られても気にしない方がいい」

「…………」


 極東支部に入ってからもう既に半年が経過しようとしているが、未だ季太朗が知らないことは多かった。当たり前のことといえばそれまでだが、今回のようにこうしてそれを身を以て実感するたびに、季太朗は言いようのない疎外感を感じるのだった。


 だが、そんなことを口に出したとしても何も変わることはない。心に生まれたその感情を飲み込んで、季太朗は黙々と準備を進めていった。



 時は過ぎて夜。昼間は木漏れ日が降り注ぎ緑にあふれていたこの場所は、夜の闇によっておどろおどろしく変貌していた。周囲数メートル先は闇の中、肌に纏わりつく風は生温く、しかも今回の活動場所は、墓地だ。テケテケと戦った際の廃校舎も中々恐怖心を煽られたが、今回はその上をいっていた。

 故に、ステラは季太朗にべったりくっついたまま離れない。


「……動きにくいんだが」

「! だいじょうぶ、なれればだいじょうぶ……なはずだから!」


 もう少し、風香を見習ってほしいものだと季太朗は思った。風香は季太朗にくっつくどころか、落ち着いた雰囲気のまま横で眉一つ動かしていなかった。見た目は幼いのに、出来過ぎなのでは、とたまに思う。


「お気楽ですね」


 冷たい響きの声が季太郎の耳に届いた。彼が横を見ると、先程の女性、千景が隣にいた。


「あんたは……千景、か」

「呼び捨てにしないでください。不愉快です」


 その物言いに、季太朗の言葉が詰まった。

 先刻のそれといい、どうも季太朗はこの人物と仲良くできる気はしなかった。だが、積極的に敵意を向けていくつもりも同時になかった。

 面倒くさいことが苦手な季太郎にとって、これ以上事態がややこしくなることはどうしても避けたかったのだ。


「それは悪かったな。じゃあ八雲さん、とでも呼ばせてもらうよ。所で、なんでここに?」

「修行じゃよ」

「うおう!?」


 完全な死角からの一声。

 ふと季太朗が下に視線を落とすと、いつの間にか忠勝が傍らに立っていた。忠勝の身長の低さ故、声をかけられるまでずっと忠勝が千景の背後にいたことに気付くことができなかったのだ。


「ん? 修行ってことはじいさん」

「そうじゃレミー。千景にも、そろそろ退魔活動をさせようと思っての」

「私は一人でも大丈夫と申し上げたのに、お爺さまが……」


 忠勝が言うに、千景はまだ神社の娘といえど退魔に関わったことがなく、これを機に将来神社を継ぐためには必要不可欠である退魔能力を鍛えたい、ということだった。


 当の本人は到底乗り気に見えないが、あれだけ毛嫌いしている極東支部と共に、という状況が原因であることは容易に察しがついた。取り敢えず、戦力が多いにこしたことはないし大きく足を引っ張らなければ別に構わないだろう、と季太朗は思った。そう、この直後の言葉を聞くまでは。


「ふーっむ。オーケー分かった。んじゃ八雲の嬢ちゃんは季太朗とペア組んで動いてくれ」

「……はい?」

「っ!? 何故ですか! 何故私がこの霊憑きと?!」


 怪訝な顔で何も言えずに呆ける季太朗と、即座に抗議の言葉を叫ぶ千景。その反応は正反対でありながらも、考えていることは全く同じだった。

 「何でこいつと一緒に?」。

 

 季太朗のことを極度に毛嫌いしている千景と、その張本人。考え得る限り最悪の相性だった。


「簡単な人数合わせだよ。タカハラとアンジュはここに残ってサポートに回らなきゃならないし、本当なら季太朗には鬼口とまた組んでもらおうと思ったけど動ける範囲が広いにこしたことはないからな。本来鬼口なら余裕で単独で動けるから、季太朗と八雲嬢を組ませれば俺と鬼口がそれぞれ自由に動けて捜索範囲が広くなるってわけ。

 季太朗にとっても今回の任務はそんなに難しくはないし、八雲嬢は退魔活動が初めてなら一人で行動させるのは危険だからな。消去法で考えて、二人が組むのが一番効率がいいんだ。

 それとも八雲の嬢ちゃんは、この真っ暗闇の中で初めての退魔を一人で何ともなくできるってのかい?」

「くっ……!」


 直後に語られたレミーの論は、実に理に適っていた。

 

 レミーの言葉通り、今回の任務はそう難しくはない。ただ、そこらから湧いて出てくる霊を撃つだけ。


 無論本質は悪霊である以上人を襲う訳で、全く危険ではないということではないが、害霊のように何かしら強力な能力を持つ訳でも、都市伝説のように狡猾な訳でもない。ただその代わり数が多いだけで、今回はやろうと思えば現状の季太朗なら無傷で達成できる案件だった。

 千景もその正論の前に、何も言うことはできずにいた。



「…………」

「…………」


 沈黙が場を支配していた。前にもこんなことあったな、とデジャヴを感じつつも、神無月で黙々と霊を撃退しつつ、季太朗はやわらかい湿った地面を踏みしめながら、墓地周辺の山道を歩っていた。

 

 千景を背後にして。結局、この二人でチームが組まれた。


 正直なところ季太朗は、まさか背後から撃たれたりしないだろうかと冷や汗を掻いていた。それ位に、場の空気が張り詰めていたのだ。あれだけ任務が始まる前にはワタワタしていたステラさえも、すっかり押し黙っていた。

 

 こういう時うまい具合に間をとり持ってくれそうな風香は、いない。彼女は付喪神故に扇風機(ほんたい)から一定の範囲しか活動することができないという特性がある。ならどうやって清央神社までついてこれたのかというと、その扇風機をジープの荷台に括りつけてここまで持ってきていたからだ。だがこんな山道まで扇風機を抱えて行動するのにはいささか無理があったため、もれなく風香は神社で留守番である。


「……緋村さん、と言いましたか」

「!」

 

 千景が急に、言葉を発した。予想外のことに驚きつつも、季太朗はああ、と返事を返した。下手したらこの任務中、終始無言状態のままではないかと心配していたのだ。


 と同時に、すわ、どんな内容の話、いや最悪罵詈雑言が飛んでくるかと身構えた季太朗だったが、


「あなたと鬼口さまはどんな関係なんです?」

「……へ」


 思わず、彼の肩がずり下がった。予想の斜め上からの質問だ。

 ステラの口も曲がったが、それは捨て置かれた。


「どんなって、ただの仕事仲間だけど」


 崩れた体勢を元に戻して、季太朗は落ち着き払って答えた。

 鬼口とは仕事仲間であり、退魔活動における大きな先輩であるということ。


 こういう時、普通の若い男性なら相当な美人の類である鬼口との関係と聞かれて少しは狼狽しそうなものだが、そこは季太朗。自分にそんな価値も何もないことを自覚し過ぎている為、そんなことはなかった。

 それを聞いて、千景の表情が少し緩んだ。


「そうですか。もし、あなたがそんな霊憑きということに胡坐をかいて鬼口さまに迷惑を掛けているだけの男だったらどうなっていたことやら。

 最低限、退魔という責務は果たされているようですね」


 途端、季太朗とステラの背筋に冷たい波が走った。考えるまでもなく、原因は千景。どうなっていたのか……季太朗は一瞬で、想像するのをやめた。

 同時に、季太朗の心の中で、ある感情が芽を出した。


「……正直に言うと、俺は鬼口さんのこと、極東支部の中でも凄え強い、ということしかわからないんだ。何せ、新入りなもんだからな。

 皆が知ってることを俺だけが知らない。この神社のことだって。

 ……何か知ってることがあったら何でもいい。教えちゃ、くれないか?」


 己の中で着々と大きくなってきている知らないという疎外感。それがとうとう季太朗に、質問という行動を取らせた。


 例え極東支部の誰かに聞いたとしても、適当にはぐらかされるだけだろう。自分と関係が浅い千景なら、答えてくれるかもしれない。そういった僅かな期待が、季太朗の中にあったのだ。


 湿った地面を踏む音が、止んだ。千景が立ち止まったのである。それに合わせて、季太朗も止まる。


「何も知らないのですか。あの方が、どんな目に遭ったのかすらも……!」


 微かに、その声は震えていた。怒りとも、悲しみとも取れる感情が見え隠れしている。或いは、両方か。


「鬼口さまは、七年前、極東支部にご家族をころ――――!!」



 その瞬間、辺りから黒い粒が一斉に噴き出した。間欠泉から湧き出る湯の如く、それは大地から天へと登っていく。


「っ?!何だよこれは!」


 異様に不安感を煽る音の奔流と、バシバシと何かが大量に体にぶつかっていく感触を感じながら季太朗は辛うじてまぶたをこじ開けた。

 よく見ればその黒い粒は、生物だった。虫、鳥、そういった有象無象。

 ならどうしてこのようなことが起こったのか。原因はその時既に目の前にいた。


 巨大な筋肉で盛り上がった圧倒的な体躯。額から伸びる、渦を巻いた一本角。開いた口から覗く、鋭い牙。


「よけてえっ!!」

「っ!!」

 

 ステラの叫びが、季太朗の体を咄嗟に動かした。瞬間、彼の頭上紙一重を巨大な腕が薙ぎ払った。木々が一瞬でバキバキバキィ!!と凄まじい音をあげながら薙ぎ倒されていく。その光景を見て、死という単語が季太朗の脳に浮かんだ。


 そして同時に彼は見た。その巨大な腕の握られた拳の中に、人間が――千景が掴まれているのを。


「八雲――――ッ!!」


 季太朗が彼女の名前を叫ぶも、その声は届かなかった。凄まじい突風が、季太朗の顔の横を吹き荒れた。


 覆った目を季太朗が開けたとき、そこには、誰もいなかった。

 だが誰もいないということこそが、この場で発生した事件を如実に物語っていた。即ち、正体不明の怪物に、千景が連れ去られたということを。


『どうした季太朗君!! 何があった?!』


 無線機からのタカハラの叫び。それが唖然としていた季太朗の意識を呼び戻した。


「詳しくはわかりません!ただ……角の生えたでかい化け物が、八雲さんを連れ去った……!!」

『なんだって……待てよ、角の生えた、化け物?季太朗君、それは……鬼だ!!』

「鬼……?」


 季太朗が思い返せば、目撃したあの化け物は、確かに鬼と呼べるものだった。

 角に、筋肉質の巨大な体躯。日本古来より存在する怪物の代表者。


「?!」


 その時、遠くで凄まじい音が鳴った。季太朗が音のした方向を振り向いてみれば、大量の木々が倒れていく最中だった。なんの前触れもなく、突然に。

 それは、一つの答えを示していた。あそこに、鬼がいる。


「あそこか……!」

『待てッ季太朗!動くな!! 俺達が行くまで待ってろ! 鬼はお前の手に負えな――っ!!』


 無線に割り込んだレミーの制止も無視して、気が付けば季太朗は走っていた。ただ、音のした方向に向かって、ただひたすら真っ直ぐに。

長らくお待ちくださった皆様。ごめんなさい前編です。

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