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第九話 犬・後編

 その場に居る誰もが、曇った表情をしていた。


 ある者は、微かな怒りが窺える瞳で虚空を睨み、ある者はしょうがない、といった顔を作り目を伏せ、ある者は気を使うかのような視線を一点に向けていた。


 その方向の先に居たのは、季太朗とステラだ。

 

 そしてここは、極東支部オフィス北西方向に位置する、彼らの所有する会議室。


 白い壁に囲まれた大きめの長方形のスペースで、中央にはそのスペースの大部分を埋めるような、個人ではまず使わないであろうサイズの中心がくり抜かれた長大なデスクが設置されており、簡単にいえば、U字型の巨大な机と言ったところだ。

 そして、部屋の最奥には、よく会社の会議などで使用されているイメージがある、ホワイトボードとプロジェクターが壁に備え付けられていた。


 そのUの字デスクの左上から、タカハラ、アンジュ、レミー、鬼口、季太朗&ステラといった順番で、極東支部のメンバー各々が腰を下ろしていた。


「申し訳ありません、皆さん。

 俺の所為で……」


 その空気の中で、俯いていた季太朗が最初に口を開いた。その口から紡ぎだされたのは、謝罪の言葉だ。


 季太朗が何に対して謝罪したか、というのは分かりきったことだった。それは害霊をあと一歩のところで取り逃がしてしまったこと。


 あの後、霊力不足によって気絶した季太朗はレミーとアイラの手によって極東支部に待機していたアンジュの元に搬送され、戦闘で負った傷害の治療を受けた。その際、全力でアンジュは治療を行ったので、季太朗の身体的なダメージは既に無いに等しかった。ボロボロなのは、季太朗が日常的に羽織っていた黒いコートだけ。


 気を失っていた季太朗が目を覚ました時には、既にあの戦いから一日が経過していた。


「……私の所為です。あの、季太朗さんがお一人で戦うと言った時、無理にでも止めてけば、このような事態には」

「いや、お前は悪くない。まして季太朗も悪くない。あの場の最高責任者は俺だった。俺の判断ミスだ」

「お二人は悪くありませんよ。我儘を言ったのは他でもない俺です。

 俺を信じてあの場を託してくれたのに、結局、俺は何も全うすることができなかった……」


 それを皮切りに、レミー、鬼口と次々に謝罪の言葉が紡がれていった。

 そして季太朗は、このようなことを続けていても意味は全くないということを理解しながらも、再びの謝罪の言葉を口にすることしかできなかった。

 

 そんな中、一人の男がおもむろに立ち上がった。タカハラだ。


「はいはい。謝罪合戦なんざしてても前には進みませんよ? そんなこと、隊長だってよくわかってるはずじゃないですか。ほら、顔上げて顔上げて」


 至極真当なことだ。その言葉に何か言い返せる者は、誰も居なかった。


「そうよ。だからほら、始めるわよ。今回の案件についての情報共有会」


 アンジュも、手元にあったプロジェクターの作動スイッチを押しながら、そうくちにした。

 直後、ホワイトボードに貼り付けられていた折り畳み式のスクリーンに、映像が浮かび上がった。季太朗の装備していた無線に仕込まれていた、小型カメラの映像だ。


 その映像に、自らの失態の記憶を鮮明に蘇えさせられ、季太朗の顔が悔しさで歪んだ。


 まずタカハラが言葉を発した。


「うん、あの害霊はいわゆる獣型というやつでね。季太朗君は今まで人型の奴としか戦ってこなかったよね?」

「ええ。具体的にどのように違うんですか? 

 俺個人の意見としては人型よりも戦いやすかった気がするんですが……」

「まあ、個体差もあるし、君が強くなったってのもあるんだけどね。基本的に知能面においては獣型よりも人型の方が上回ることが多いんだ。よって、より狡猾に、こちらを欺くようにして襲ってくるから、戦いづらい、というのはある。

 ……ただ、その代わり、獣型は非常に厄介な特性を持っている」


 例えばコレ、と言って、タカハラが映像をあるポイントで止めた。

 それは、害霊の放った咆哮によって、季太朗が吹き飛ばされた瞬間の場面だった。


「この害霊の場合は獣特有の鋭い爪牙に加えて、咆哮による振動攻撃。

 要は、人間にはない動物的身体特徴を応用した攻撃手段を持っている訳だ」


 犬は吠える。故にあの害霊は咆哮(そういった技)が使えた訳だ。


「これを、防ぐ方法は無いんですか?」


 成す術もなく、ただただ無様に吹っ飛ぶことしかできなかった自分への叱咤の色をその声に含んで、季太朗は問うた。


「ハッキリ言うとね、咆哮系のやつは気合で耐えるしかないね!」

「…………」


 真面目な話をしているのに、もの凄い良い笑顔で返されたタカハラの答えに、思わず季太朗は殺気を向けてしまった。うおう、とタカハラはわざとらしく驚いてみせる。


「いや、真面目な話だ。

 一方向のみに伝わる直進型の振動なら左右に移動して躱すこともできるが、コレの場合は全方位に拡がってるから、何処へ逃げようと確実に何らかのダメージを受ける」


 根拠は俺の経験だと、季太朗の質問に答えるように、レミーが論を展開した。


 長年退魔師として活動してきたレミーが言うのならば真実なのだろうと、タカハラに僅かでも殺気を向けてしまったことに目を伏せて謝罪しつつ、季太朗は自席へと下がった。


「まあ、この件に関しては打つ手は考えてあるわ。現状、一番の問題は……」


 アンジュが手元の機材を操作してほんの僅かに映像を巻き戻すと、キュルキュルという短い機械音の後、その光景がスクリーンに映し出された。


 害霊が咆哮を放つ直前。そこに、先程までは映像の中になかったある人物が映し出されていた。

 

「……この女の子よ」


 見た目は幼く、年は八歳程であろうか。

 季太朗の前に立ちはだかり、害霊を逃がすきっかけを、敗北のきっかけを作った少女。


「こっから先は再びあっしが」


 時代錯誤な台詞とともに、タカハラがスクリーンで覆われていないホワイトボードの余白に、紙に印刷された資料を貼っていった。

 たった一日で集めたにしては多く感じる程の量であったが、そこはタカハラの手腕というやつだ。


「まあこの子……単刀直入に言って、害霊の飼い主ですね。正確には、害霊となる前の犬の飼い主です」

「………そうですか」


 自分で思っていたよりも、簡単にその事実を受け入れられている自分がいるということに季太朗は気付いた。確実とは言えなかったが、あの少女と対峙した際の言動からして一日という時間は、季太朗がその推測に辿り着くのには十分な時間だった。


「季太朗君も居ることだし、改めて簡単に害霊について説明しよう。

 害霊が生まれる代表的なパターンは二種類ある。一つは、死人や人の怨念とか恨みとか、まあ有体にいって負の感情が集まって形を成す場合だね。

 もう一つは……死んだ奴が単体でもって()()する場合だ」


 ここまでは良いか? といったような視線で、タカハラが季太朗の方を向いた。肯定と、続きを促す意を込めて、季太朗は軽く頷いた。


「前者の、幾つかの負の感情が集まってできた奴は行動が単純だ。恨みつらみの感情、何かに害を加えるという本能に従って動くからね。今まで季太朗君が戦ってきた人型はこれに相当する。

 厄介なのは圧倒的に後者のほう。個人単位で悪霊になる程に、未練や憎悪といった感情が強いということなんだ。故に、純粋かつ凶悪。行動原理もベースとなった奴に影響するから、調べないとよく判らない。

 ……そして、今回の奴は間違いなく、後者だよ」


 タカハラの眼に、真剣の色が宿った。


「この後、この女の子の家族の方に聞き込みしてみたんだ。

 この害霊……本体は一カ月前に死亡している。ただ、その翌日に死体がなくなっていたそうでね。そして、ある時ひょっこり戻ってきた。

 ご家族の方も訳がわからなかったそうだよ。当然だ。死体がなくなったとはいえ、確実に死んだ奴が急に元気になって姿を現すなんて、夢にも思わないさ。だけどあまりの嬉しさから、その家族は違和感を放棄してしまったんだ。

 ……この時既に害霊になっていたものと思われる」

「ちょっと待って下さい。既にその時害霊になっていたんだとしたら、何故その家族は今まで無事だったんですか?」


 季太朗が挙手をして、最も疑問に思っていた事を尋ねた。


 あの害霊は、人間を八人も殺している。なのに何故、最も近くにいた人間、家族は襲われなかったのか、ということだ。


「いいことを質問してくれたね、季太朗クン。そこに、この霊の行動原理がある。

 実はこの少女、とても生前の害霊を大切にしていたんだ。血の繋がりのある家族同然にね。

 飯食うとき、寝るとき、いつも傍にいたそうだ。勿論、そいつが帰ってきた時も、滅茶苦茶に泣いて喜んだらしい。あんまりその子が喜ぶもんだから、両親も余計なことは忘れてとても喜んだそうでね。『ずっと一緒にいようね』とまで言ったそうだよ。

 その家族と再び再会する為に害霊になって戻って来たんだから、襲うことはしなかったんだろう。

 ……それからだ。その犬が、夜中に外出するようになったのは」


 そこで言葉を区切り、タカハラが新たに資料を貼りつけていった。


 写っていたのは、季太朗も見た写真を含めた、犬害霊の被害者たちの末路。

 上半身を跡形もなく喰われた者、四肢が噛み千切られている者。ステラはそれを見た瞬間、思わず顔を背けそうになったが、口を強く結んで、逸らすことなくそれを見た。


「家の人が寝静まったり、いなくなった時間を利用して、ちょくちょく消えていたみたいだね。そんな時間帯だけ呼んでも出てこないし気配もなくなるから、不思議に思っていたらしい。ただ、朝起きてくると必ず戻っていたから、そこまで気にはしなかったみたいだ。

 この時に、人を殺して()()()いたんだろう。この被害者達、まとまった時間に殺されてるし、十中八九そうだろうね。

 ……こっから先の話は予測の範囲を出ないが、季太朗クンの質問に答えよう。

 奴は、自分の大切な家族である女の子と一緒にいるためだけに、人を喰っていた。これが、俺の出した結論だよ」


 言うべき事は言ったという風に、タカハラは自席に戻った。


「その結論は、間違いないと思うわ。

 おそらく、その犬も同じく、飼い主の女の子のことが大好きだったんでしょうね……。そのこと離れたくない、まだ死にたくないという、言うなれば未練がトリガーとなって、害霊となってしまった。だからこの世にずっと留まる為に、人を殺して喰うことによって得た栄養で、自らの存在を強固にするエネルギーを確保していたんでしょう」


 淡々と、タカハラの説明をアンジュが補足していく。

 これが、あの害霊と少女の全てだった。


「……だが、まさかあのタイミングでやってくるとは思わなかった。子供ゆえの直感というかなんなのか、犬がいなくなったのを勘付いて、付いてきたんだろうな。そして、犬に連れ去られた」

「……どうすればいいんでしょうか」

「どうするもこうするもない。連れ戻すに決まってる。

 親御さんも泣く程心配してるんだ。いくらそいつらがお互い大切に思ってるからって、許される訳がない……タカハラ」

「場所ですね、ええ分かってますよ。T区の某繁華街の裏路地です。女の子は無事ですが、害霊によって匿われている状況です。

 よって、どうあがいても女の子を奪還するには害霊を倒さなければならない状況です」

「……俺が行きます」


 その時、決意を込めて、自分が生み出してしまったこの状況に決着をつけるために、季太朗が立ち上がった。しかし、


「待て!」


 レミーによって、季太朗のその動きが止められた。

 幾秒かの静寂の後、言い聞かせるようにして、レミーは季太朗に語り掛けた。


「お前今、自分の体がどういう状況か判ってるか? アンジュの手によって、身体のダメージは完治されてる。だがな、霊力がすっからかんに近いんだ。初戦で神無月を撃ちすぎた結果だな……。

 だが、それは喜ばしいことでもある。お前が戦う理由は、その身体を蝕む霊力を、神無月を通して削る為。つまり、おまえはもう、この件で戦う必要はないんだよ。わざわざこれ以上危険を冒す必要もない。

 もう、家に帰れ。後は、俺達が責任をもって終わらせる」


 立ち上がりかけた姿勢のまま、レミーの言葉を、季太朗は頭の中で反芻した。


 良く考えれば確かにその通りだ。己のやるべきことはやった。後は全て極東支部に任せれば、全て解決してくれるだろう。これ以上怪我を負うこともない。死を間近に感じる必要も、恐怖を感じる必要もない。常識的に考えて、最もベターな選択といえる。


 だが、緋村季太朗はそれを拒んだ。


「その提案、お断りします」


 その言葉を聞いた瞬間、レミーの眼が剣呑に細められた。

 当然だ。自身にとって最良の選択肢を躊躇うことなく、季太朗は捨てたのだから。


「驚いたな。ほんの一昔前のお前なら、あっさりとこの言葉を受け入れると思ってたんだが……理由を、聞かせてもらっていいか」


 その理由を知る為に、レミーは季太朗に問いを投げかけた。

 季太朗はそれに答える為、口を開いた。


「……この様な事態になったのは、大方皆さんの所為ではありません。あの時、逃がしてしまった俺に責任はある……という罪悪感も、理由としてはあります。

 ですけど、それだけならまだ皆さんに任せて俺は帰ったでしょう。そっちの方が、俺みたいな素人が何とかするより良い結果になる確率は高いですし。

 ですが、もっと下らなくて、幼稚な理由があるんですね」


 そこまで言った所で、季太朗の視線は、すぐ隣にいる幽霊、ステラに向けられた。この時間、今の今までまっすぐこちらを向かれたことはなかったので、ステラは少しばかりの驚きを顔に出した。


 そして季太朗は、その反応に苦笑いすると、こう続けた。


「アレと戦う前に、コイツと約束したんですよ。どんなに怖くても辛くても前を向いとけって。

 その約束通り、コイツは戦闘中一度も怯えて目を瞑ったりしなかったし、先程の説明の時も、見たくもない死体を目を逸らすことなく見ていました。……なのに、ここで俺がこの件を放棄して帰ったら、俺がそれを出来てないことになってしまう。約束を取り付けた奴が、その約束を破るようなことになってしまう。

 こっぱずかしいですけど、()()()()()()()()()っていうのが、一番の理由ですね。

 だから俺は最後まで、戦いたいんです」

「……きたろう」


 ステラが、言葉ではうまく言い表せない表情を季太朗に向けた。

 眼は普段より大きく開き、驚きが隠せないでいるものの、その声音には、どこか優しい響きがあった。


 その答えを聞いて、レミーは口を強く、堅く結んだ。

 怒っているようにも見える、いや実際に怒っているのかもしれない。季太朗は自分勝手な我儘を、皆に迷惑を掛けてでも押し通そうとしているのだから。


 幾分か、その睨み合いにも見える膠着が続いた。

 やはり駄目かと季太朗が思い始めた時


「ガハハハハハッッ!!!!!

 そうか、そう来るかッ!!」


 レミーが突然、大声で笑いだした。

 一瞬何があったのかと、季太朗とステラは硬直する。

 そんな季太朗たちを放っておいて、レミーは立て続けに言葉を紡ぎだしていった。


「悪かったな季太朗くん。意地悪をして。

 罪悪感だの責任だの、そういった中途半端な覚悟だけで戦いに行こうって思ってんなら、一発なぐ……無理にでも家に送り返すつもりでいたが……。

 ()()()()()()……実にいい理由だ。確かに単純で我儘な理屈ともとれるかもしれないが、余計な感情が混ざってない分、本物だ。

 人間こうなっちゃ、誰がなんと言おうと止まらないんだよなあ」


 良いだろう、と一区切りおいて、レミーの口が先程とは対照的に静かに開かれた。


「わかった。この件、お前に最後まで託させて貰う……いってこい」

「……了解!」

 

 ほんの少しだけ間を置いて、季太朗は理解した。

 自分の願いを、レミーが聞き入れてくれたこと。そして再び自分を信じてくれたということを。


 タカハラとアンジュは、まるでこうなるとわかっていたとでも言うように、口元に軽く笑みを浮かべていた。


「さて……そうなると、色々と対策をしなければならないね。今宵の主役が存分に戦えるように」

「季太朗くん。咆哮攻撃の対策なんだけれど、少し来てもらえないかしら。協力してもらわないといけないことがあるのよ」


 そしてそのまま、彼らは席を立ち、出口へと歩き出した。季太朗もむず痒さをその言葉に感じながらも、すぐに追従して部屋を出た。


 こうなった以上半端は許されない。徹底的にやってやる、という意志とともに。


 そして、会議室は静寂に包まれた。

 ここに残っているのはもうレミーと鬼口だけだ。


「……どうした? 随分と暗いしてるが。ええ?」


 その短い静寂が、レミーの問いによって断ち切られる。

 問いかけた相手は、勿論鬼口だ。


 鬼口は、先程の会議中終始暗い表情をしていた。そしてそれは、会議が終わって各々が動き始めた今も変わらなかった。

 いや、むしろ会議が始まった頃よりもさらに暗くなっていた。


「……本当に、季太朗さんに任せてよかったのでしょうか」

「何だ? アイツの覚悟を信じられないのか?」

「いえ、そうじゃありません……! むしろ季太朗さんがどんな思いでいるのかは、よく分かっているつもりです。

 ですけど……」

「まあ、まだ戦闘経験も俺達に比べて少ないし、不安になるのもわかるが……ああいう風に覚悟決めたら、もう何言ったって聞かないもんよ。

 まあ、他にも理由はあるっちゃあるんだが……」

「……その根拠は、何なんですか?」

「ああ? ……うん、まあ……な」


 レミーが心底困ったという表情を作り出し、頬を指の先で掻き始めた。


「……はいこの話はもう終わりだ! 俺達もなんか手伝いに行くぞ! ホラ!!」


 唐突に、その話題は打ち切られた。そのことは話したくない、という感情が丸見えの方法で。そそくさと席を立って、レミーは部屋から出ていってしまった。


 鬼口は、それ以上レミーを追及することはなかった。言外に、どうして理由を言いたくないのかということを察してしまったからだ。

 

 レミーが、こういう話の切り方をする話題は、二つしかない。一つは、自分がこの極東の島国に来た理由。そして、もうひとつは……


「……やめましょう。もう、終わったことです。もう……」


 鬼口は、無理矢理自分の答えを求めたい衝動を押し殺して、心を納得させた。

 そして、何か少しでも手伝えることを探さなければと心を切り替えて、部屋を後にした。


 こうして、真の静寂が会議室に訪れた。



「……うみゅ……。ずっといっしょだよ、マル……」


 一匹の犬が、そこに居た。いや、正確には一匹の犬と一人の少女が、だ。

 犬の方はあの禍々しい姿ではなく普通の犬の姿形をしていたが、季太朗達と対峙した害霊に間違いなかった。


 現在、一匹と一人は人通りの少ない路地で、身を寄せ合って固まっていた。眠っている少女を護るようにして、犬はその体躯を円状にし、少女を包み込んでいる。その体躯に背を預けて少女は非常に心地良さそうに眠っていた。


 その光景は、見る者の心を暖かくするような優しい光景だった。


 この状況がいつまでも続いてほしいと両者とも、心からそう願っていた。


 が、その願いが叶うことはない。


「! ……グルルルルルル!!!!」


 犬が突然、犬歯を剥き出しにし、威嚇の唸り声をあげ、殺気の籠った眼をある一点へと向けた。


 夜の暗い闇の向こうから、コッ、コッ、と地面に靴の当たる音が彼女らに近付いていく。その音が大きくなるにつれ、ボワッとした蒼い光が、暗い闇を晴らしていく。


「…………」


 一人の男が佇んでいた。

 片目だけ隠れるような不自然に伸びた髪。

 新調された黒を基調としたコート。

 片手に握られた、夜のように黒いガンメタルの銃。

 

 季太朗だ。


「……また会ったな」


 その姿を確認した瞬間に犬は凄まじい速度で季太朗に飛び掛かった。刹那、ガギイィッ!! と鋭い金属音がビルの谷間に響き渡る。


 犬の開かれた口に神無月の銃身が噛み込まされ、その突進は止められた。

 そのまま両者は硬直し、気を極限まで張りつめたその膠着が幾秒か続いた時、季太朗は耳に付けられた無線のマイクに向かって言葉を発した。


「いまです! 鬼口さん!」

『分かりました!』


 その瞬間、影が地面を這った。異常な速度でもって眠っている少女に近付き、一瞬にしてその体躯を脇に抱え込む。


「!?」


 一歩遅れて犬が振り返った。

 その瞳に映ったものは、たなびくポニーテールの黒髪を持った、すらりと整ったプロポーションの女性。

 

 鬼口だ。


「季太朗さん。回収成功しました!」

「ありがとうございます! そのまま予定通りに撤退を!」

「はい! 分かり――――ッ!!」

「グゥアアァァァアッ!!!」


 鬼口がその言葉を言い切るか言い切らないかの内、その脇に抱えられた少女(かぞく)を取り戻さんと、害霊が鬼口に襲い掛かった。それは季太朗の記憶にある限り、先程の戦闘でも見なかった最速の動きだった。


 が、それを許す鬼口ではない。


「ふッ!!」


 鬼口の体が、宙に舞った。更に人外じみたその身体能力で以って彼女はビルの壁と壁の間の僅かな窪みを使って跳躍し、屋上へと逃走した。


 その動きを可能としたのは、鬼口による薙刀打鉄の間違った使い方……否、応用だ。

 地面に対して垂直に叩き付け、棒高跳びの要領で高所へとその体を運び、その勢いを利用して壁の上へと蹴り上がったのだ。


「うにゅ……? っ!!!??? 

 えっ、お姉さん誰?! はなしてっ! はなしてよッ! マル!! たすけてマ――――あっ……!」


 その鬼口の一連の動作で激しく揺り動かされた為、少女が起きてしまった。しかし、鬼口は少女の首の後ろに絶妙な力でもって衝撃を加え、瞬間的にその意識を刈り取った。少女の首が力なく垂れ下がる。


 無論、害霊も追従した。地面を一蹴りしただけでロケット花火を彷彿とする勢いで上空へ舞い上がり、そしてそのままビルの屋上に到達しようかというその瞬間


「今だッ!!」

「今ですッ!!」


 ほとんど同じタイミングで、二人が叫んだ。

 そして


『呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃジャーン!! 任せろ二人共! 結界システム、作動ッ!!』


 かのハ〇ション大魔王の台詞が、二人の無線から響き渡った。

 結果


「?! ガッ……! グガアアアアアァァァァッツ!!!」


 害霊の動きが、分厚い壁に激突したかのように停止し、直後、上昇時そのままの勢いでもって地面に叩き付けられた。もうもうと辺りに煙が立ち込める。


(うまくいった……!)


 季太朗の口の端が、歓喜の感情を伴って吊り上がった。

 今の一連の流れは、始めから予定されていたものだ。


 まず、季太朗が真正面から害霊に接近して注意を惹き、少女から引き離す。


 そして少女から害霊が離れたタイミングでもって、極東支部最速を誇る鬼口が季太朗の背後より飛び出し、少女を回収。ただちに上空へ離脱。

 

 勿論、害霊は少女を取り戻す為に追って来るだろう。そこでタカハラの出番だ。

 予め、ビルの屋上に小型の結界発生装置を設置。害霊が飛び出す直前に作動させ、脱出できないようにし、そのままその区画に閉じ込める。

 

 これで、戦闘地帯から少女を離脱させることに成功した。


 そしてそれからは――――


「さて……行くぞ、ステラ」

「うん……!」


 季太朗とステラ、真打の出番だ。


 数秒の後、煙が霧散し始めた。


 地面に刻まれた放射状のヒビの中心に、害霊が立っていた。その瞳は、大切なものを奪われたことによる憎しみと哀しみで染め上げられている。


 周囲の空気が、一変した。

 生前の犬の姿を保っていた害霊が、公園で戦った時と同じ、どす黒い黒で覆われた禍々しい姿へと変貌したのだ。その特徴でもある紅い瞳が、通常よりも遥かに血走っているように思えた。


「「…………」」

「グルルルルルル……!!」


 害霊は理解した。あの子を取り戻す為には、まず目の前のこの男を殺さなければならないと。 


 両者、睨み合ったまま膠着する。


 濃厚な殺気と極限まで張り詰めた大気の奔流。ごく普通の一般人がこの空気に晒されようものなら、失禁でもしてもおかしくはない。


 だがその状況で、両者は一歩たりとも動かなかった。

 理由は簡単だ。互いに力が、僅かしかないからである。


 季太朗に至っては言わずもがな。先の戦いで神無月を撃ち過ぎたことにより、霊力が限界ギリギリまで削られている。現状、霊力というものは時間経過でしか増加しないので、殆ど回復もしていなかった。アンジュから処方された薬により、意識の混濁は避けられていたが、一回たりとも無駄な攻撃ができる状況ではなかった。


 害霊の方にしても、季太朗から与えられたダメージが癒え切っておらず、過剰に動くわけにはいかない状況だった。


 一触即発。互いに背水の陣。しかし短期決戦で勝負を付けなければならない。


 故に、永遠にこのままという訳にはいかない。

 少しずつ、僅か数センチにも満たないような距離ではあるが、互いの距離が縮められていく。近付く程に、過度の緊迫に脈打つ心臓を鎮める為、互いに吐き出される息の周期が短くなる。


 先に動いたのは

 

 害霊だった。


「グア゛ァ゛ァ゛アッ!!」


 一瞬にしてビルの外壁を駆け上り、そのまま重力を伴って季太朗へダイブアタックを決行する。その速度はあまりにも速く、最早流星を錯覚させる程だった。

 何とかその姿は視認できたものの、季太朗が後ろへ避ける暇も無く、咄嗟に前方に出した神無月で防ぎ、歯を噛み締めて踏ん張るのが精一杯だった。


「ぐうっ! やってくれるじゃねえかッ!」


 強気な台詞を吐くも、季太朗の体はダイブの衝撃をまともに受けてしまったことによってズ、ズ、ズ、と音を立て後方へと下がっていった。


 季太朗はメリメリと自身の骨が軋むのを感じ取った。突進の余波で狭い空間に突風が巻き起こり、コートの端が宙に舞い上がった。


「ッ……! ンおらあァッ!!」

「ガッ!?」


 このままではマズイと季太朗は直感し、半ば無理矢理に神無月の銃身を横に薙ぎ払った。一点にかけていた強烈な力の軌道を急に曲げられたため、減速する間も無く、そのままの速度でもって害霊は壁に激突した。

 コンクリートが砕け散り、細かい灰色の破片が宙に舞い、視界を遮る。


 そのまま季太朗は煙の中心に向かって二発だけ弾丸を撃ち込んだ。確実にダメージを与えられるときに与えておかなければならない。


「ガアァッ!!」


 どうやら無事に命中したようで、煙の中から害霊の呻き声が漏れた。

 だが

 

「よし、もう一発――――ッあ?!」

「グアアアァアウッ!!」


 あわよくばもう一発、と季太朗が再び引き鉄に力を込めた瞬間、と停滞していた煙を突き破って害霊が大きく口を開け、突き出され、露出していた季太朗の右手に噛み付いた。


「うッ……グ……あッがあああああぁぁぁぁ!!!」


 遅れて脳が認識する激痛。今まで経験したことのない程のその痛みに、季太朗は叫ばずにはいられなかった。


 鋭い牙が容赦なく肉を切り裂き、その隙間からボタボタあふれ出す鮮血がみるみる地面を紅に染めていく。何とか精神力でもって痛覚を抑え込もうとする季太朗だったが、それをさせじとまるで骨までしゃぶりつくすかのごとく、ガジガジと害霊はその顎を開閉する。一層その鋭い牙が肉に食い込み、骨が空気に触れ、脳を針で刺すような痛みが断続的に季太朗を襲った。


「きたろうッ!! きたろおおッ!!」

『季太朗さんッ!! 今私が!!』

『無理だ鬼口ッ! 今このタイミングで結界を解く訳にはいかねえ! 全てが無駄になるぞッ! 今アンジュが緊急手術の準備をしている! だから今は季太朗に任せろッ!!』 


 季太朗の耳に飛び交う、恐怖と悲しみの叫びと怒号。鼓膜が破れそうな程の音量だったが、今の季太朗にそれを認識できる余裕はなかった。


「ッツ!! クソがあアッ!!!」


 季太朗は筋肉がズタボロにされた右腕で、最早気合だけで落とさないよう握りしめていた神無月を、左手で奪うようにして右手から持ち換えた。そしてその銃口を、ガッ!! と音を立てて、自身の腕に今だ噛み付いて離れない害霊の頭部に突きつけた。


「オおおおおおおおォォォォッツ!!!」

「ガッ!!? ゲッ!! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」


 霊力が残り僅かしかないということなど、季太朗の頭からは既にはじき出されていた。殺らなければ、殺られる。その衝動が、左手の引き鉄にかかった彼の指に力を与える。


 何度も、何度も、何度も、季太朗は引き鉄を引き続けた。怒涛の勢いと物量を伴った弾丸の雨が害霊に降り注いでいく。何も聞こえない。何も感じない。ただひたすら、撃ち続けた。




「アぐうあぁッ!!!!」


 再び激痛が季太朗を襲った。だが腕に噛み付かれた時のような、肉を通して伝わってくる痛みではない。直接脳に響く、脳を掻き回すかのような痛み。この痛みに、季太朗は覚えがあった。


「ぐ、くっそッ。こんな所で……!」


 霊力切れ。

 霊力の過度の減少によって引き起こされる虚脱感が季太朗の体を蝕んでいく。アンジュの薬の効力ももうほぼ切れて、季太朗は膝から崩れ落ちた。


「ヒューッ……ヒューッ……ヒューッ……」

(おいおい……まだ、生きてんのかよ)


 そのぶれまくる視界で前方を見た季太朗が目撃したのは、頭部に致命的といっても過言ではない程の銃撃を浴びながらも、地面に横たわり、肩で息をし、その命を繋ぎ止めていた害霊の姿。


 そして――――立ち上がる姿。


(はッ、嘘だろ?)


 絶望や恐怖を通り越して、最早笑うしかない程の衝撃。あれだけの銃撃を浴びせながら、あれだけの力を出しながら、いまだこいつは立ち上がってくるのか、と。


 そして害霊は一歩ずつ、死を宣告する秒針であるかのように、季太朗へと歩み始めた。

 止めを、さす気だ。


「ッ……! おきてっ!! おきてよきたろうッ!! おねがいだからッ!!」


 目尻に涙を溜め、ステラが季太朗の肩を揺さぶった。ガクガクと、季太朗の首が力なく揺れる。そのステラの必死の呼び掛けに、季太朗は返事をすることができなかった。あらゆる感情が渦巻いて、口を開くことを阻害していた。


『……季太朗。もう限界か? 無理か? お前は、俺達にどうしてほしい』


 その時、レミーの言外に、助けることは可能だという意志の言葉が、壊れかけた無線機から紡がれた。ここで季太朗が一言、『助けてくれ』と言えば、確実に季太朗の命は助かるだろう。


 『助けてくれ』。朦朧とする意識の中でその誘惑の言葉が、思わず季太朗の口から漏れ出そうになった。

 

 だが、季太朗の中であることが引っ掛かった。何故、わざわざ確認なんてものを取るのか? そんなことをする必要は、この状況で無いだろうに、と。

 



 ――――そうだ。俺はあの時なんて言った?



 約束を破ることが気に食わない。

 逃げるのは御免だ。

 もう一度戦わせてくれ。


 会議室で口にした言葉が、季太朗のぐちゃぐちゃになった頭の中で明瞭に再び響いていく。

 そして彼は、レミーが、わざわざ確認を取った、取って()()()真意を理解した。



 大量の血がこびりついた大地に、オーバーアクションで足が突き立てられ、血飛沫が飛び跳ねる。

 それは、鼓舞だ。再び立ち上がって、まだ戦えるという意思表示だ。まだ、自分は信じられている。なら、あの時の言葉を裏切る訳にはいかない。

 

「……あぶねえ、必死になりすぎて忘れかけてたか。約束を破る事になるのが嫌だとか言っておきながら、約束破りになるとこだった」


 悠然と、緋村季太朗は立ち上がった。

 その瞳には、先程までのような諦めを感じさせる色は一切なかった。

 あるのは、明確な意志。すなわち、逃げてたまるか。


「ありがとうございます、隊長。まだやれます」

『それでこそだ。……頑張れ』


 沈みかけていた自分の意志を引きずり起こしてくれたその男に、季太朗は礼を言った。


『主役ってのは、最後の最後には必ず立ち上がってくるもんなんだぜ季太朗クン。そしてその後どうなるか知ってるかい? 大抵はハッピーエンドだ。だが稀にバッドエンドにもなる。季太朗クンは、どっちだ?』

「俺が主役とか、おこがましいにも程がありますよ、タカハラさん。

 ただ、バッドエンドにする気持ちは毛頭ないですが」

『季太朗君、腕のことは心配しないで。私が必ず治すから。極東支部医療担当の名にかけてね!』

「助かります、アンジュ先生。

 勿論、寸分狂わず治してもらいますよ? 貴方の腕は信じてますし」

『季太郎さん……私は……』

「……鬼口さん、いつも心配かけてすみません。でも大丈夫ですよ。鬼口さんが組手を付けてくれたおかげで、こんなにボロボロになってもまだ死んでませんから。……こっからです」

『……貴方を戦場(ここ)に立たせておいて、無責任かもしれませんが、言わせて頂きます。

 ……信じてます』


 極東支部メンバー各々の激励が、次々と季太朗の耳に届いた。


 その言葉それぞれに、ある時は苦笑いを浮かべ、ある時は軽く冗談を交え、ある時はこれ以上心配させじと声色を明るくしながら、季太朗は返答していった。


 そして最後に、自分の最も近くにいた者に、声をかけた。


「……ステラ。とりあえずなんだ、俺が()()()()()時、よく逃げようとしなかったな」

「……約束したでしょ? こわくても、まえをむけって。……でもやっぱりすごくこわかったけど!」

「! はは、確かにな!」


 さも当然といった風に返されたステラの返答に、おもわず笑いが季太朗から漏れた。

 もうこれは、コイツのことを臆病とは言えないなと季太朗は内心は思ったが、言葉に表さないのは、本人に聞かれるのが少しこっぱずかしいからだ。


「さてと……害霊。

 いや、マルといったほうがいいか?」


 そして季太朗は、目の前で立ち止まっていた害霊へと視線を向けた。意識を向けられたことにより、害霊の体がビクッと震えた。


「お前が、あの女の子の為に負ける訳にはいかないのと同じように、俺にも負けられない理由があるんでね。

 ……意地と意地のぶつけあいといこうじゃねえかよ……!」


 不敵に、季太朗の口が吊り上がっていった。

 その顔は告げる。第三ラウンドの始まりを。


 害霊は、分からなかった。

 元々の動物故の、その野性的直感をもってしても全く理解できなかった。目の前のこの男が何故立ち上がれるのか。


 自分は、今まで幾人もの人間を喰らってきた。

 何人かは自分の姿を見ただけで失禁し、ガタガタと震えるだけで何もできずに喰われていった。それでも、立ち向かってくる奴、逃げようとする奴は、腕の一本足の一本にでも噛みついてやれば、溢れ出す己の血に恐怖して、同じように喰われていった。どうすれば人間が壊れるかなんていうのは、その時に嫌というほど知った。


 この男にはそれら以上の痛みと恐怖を与えた。しかし、この男はまだ立ち上がってくる。 


 その時、害霊にある感情が芽を出した。霊となってから、ついぞ感じることがなくなった感情。過去、死に至る直前に溺れた感情。


 即ち、恐怖。


「が……ウ゛ゥ……!」


 思わず、害霊は一歩後ずさった。先程まで自分の勝利は盤石に近かったというのに、ソレが一瞬で水泡に帰してしまったような感覚にとらわれる。


 そして、悟った。

 この男は、危険過ぎる。早く殺さなければ。でなければ、死ぬのは自分だ!



『ウ゛ァッ!! グゥ゛アアア゛ア゛ア゛アァァァァァッッツ!!!!』


 

 ――――この世のものとは思えない叫びが、大気を蹂躙する。地面は勿論、周囲のビルの壁という壁に幾筋もの亀裂が走り、パリンパリンパリン!! と凄まじい勢いで窓ガラスが砕かれていく。そこから生まれた大量の粉塵が一気に霧散し、あらゆる者の視界を灰色に染め上げた。


 世界から、音が消えた。



「――――ガハッ……グァッ……!!」


 その方向が鳴り止み、幾秒か経った後、害霊の口から黒い液体が溢れ出た。人間でいう所の吐血に値する現象だ。


 害霊は、自らの体が傷を負うことも躊躇わず、全身全霊をかけた咆哮を放ったのだ。その威力の程は、周囲に広がる惨状を見れば推して知るべし。


 その光景を視界におさめて、害霊は確信した。これで、あの男は死んだと。


 今の咆哮は公園で放ったソレの比ではない。吹き飛ばされ、コンクリートの壁にめり込み潰れているか、あまりの衝撃に体そのものが耐え切れず、全身の肉がズタズタに断裂しているか、とにかく、確実に致命傷を与えたと。


 そして、ビル風がその空間を駆け、滞留している粉塵を夜空へと巻き上げていく。景色が、徐々に、徐々に、明確になっていく。

 その中から現れたのは


 無傷の季太朗達であった。


「?! ……!?」


 目の前の、自らの瞳に映る光景が信じられず、困惑する害霊。

 何故、何故無傷なのだ。そんなことはあり得ない。


 そんな害霊を一瞥した後、季太朗は口を開いた。


「危ねえ……。あと少し反応が遅れたら今度こそ死んでたな。

 ……助かったぜアンジュさん。貴方が用意してくれたコート、ちゃんと、俺の命を守ってくれましたよ」


 季太朗の脳内に、数時間前の光景がフラッシュバックする。それは、会議室から出て直後のこと。



「うーん……むーん……」

「……何をしてるんですか、貴方は」


 訝しさを隠すことなく、怪訝そうに細められた季太朗の眼は、ある人物を見ていた。

 その目線の先には、メジャー片手に、季太朗の体の採寸を取り続けている白衣の医師。言うまでもなくアンジュだ。会議室を出て、数分と経たずにこの状況になった。


「いや、ちょっと必要なデータを取らせてもらって……よし! これなら大丈夫ね!」


 シュバッ! と勢いよくメジャーの紐をしまうと、軽く小走りで近くの部屋へと消えていったアンジュであったが、数秒と経たぬうちに素早く戻ってきた。

 その腕には、先程までにはなかった黒い布のようなものが掛けられていた。


「じゃーん! これ、何でしょう?」

「布……ですか?」

「うーふーふー。布は布でもただの布じゃないわよ!」


 そういったと同時に、バサッ! と音を立ててアンジュは大袈裟に布を広げた。そうして広げられた瞬間、季太朗は、ソレが何であるかを理解した。


「コート?」

大正解(イグザクトリィ)!!」


 アンジュが引っ張りだしてきた黒い布の正体は、良く仕立てられているということが一目見ればわかるようなコートだった。

 服の知識に疎い季太朗でも、それに少なくない金銭が掛けられていることは容易に察しがついた。


 少なくとも己の安コートなど到底及ばない位には。


「で、そのコートがどうしたんですか?」

「ええ。これね、季太朗君へプレゼント!」

「……へ?」


 予期していなかった発言に、季太朗は目を丸くした。

 

「プ、プレゼントというのは?」

「そのままの意味よ。実は、季太朗君の入部祝い&就職祝いに何か贈り物をしようっていう話になってね。で、いつも同じ黒いコート大事に着てるから、同じようなコート贈ったら喜ぶんじゃないかってことで、ある筋に依頼して作ってもらったの。でも、なかなか届かなくて、ついこの間やっと届いたのよ! でもやっぱりいい仕事するわね。サイズもぴったりだったし」

(すいません。あればっか着てたのはあれ以外に一着も羽織れるものを持っていなかったからで、そして何で今日この日まで採寸された記憶がないのにサイズぴったりに作れていたのか俺は猛烈に知りたい!)

「で、今までタイミングが悪くて渡せずじまいだったけど、今回のことでいつも着ていたコートもボロボロになっちゃったみたいだから、丁度いいかと思ってね」

「は、はあ……ありがとうございます」


 自分の心のツッコミを抑え込んで、礼の言葉を述べた季太朗。なにはともあれ、皆がそうやって自分のことを思ってくれたのが、彼は素直に嬉しかった。


「さあ! 早速着てみて!」

「わ、わかりました」


 正直、こんなことをしている場合ではないと思うのだが、この厚意を蔑ろにする訳にもいかないため、季太朗は言われるままに新しいコートを身に纏い始めた。


 着心地は、オーダーメイドの一品というだけあってとても良かった。


 まず、非常に軽い素材で作られているのか、着用した際にかかる体への重みがほぼ無い。さらに、肩の部分にとても伸縮性の高い素材が使われており、腕の動きをサポートしてくれる構造になっていた。さらには、通気性も非常にいい。


「これはなかなか……」


 近くに置いてあった全身鏡で、自らの姿を季太朗は確認した。


 デザインは、シンプルイズベストを地でいった印象を受ける。だが手抜きということではもちろんなく、人体に纏われた際に最も映えるような造りになっているのだ。また、布端のに沿って白い線状の布が縫い付けられており、それがまた纏った人間の体のラインを浮かび上がらせ、引き立てる。


 季太朗がすぐに気に入るには十分だった。


「どーだステラ。似合ってるか?」

「……まえよりはマシ?」

「……いうね君も」


 中々に捻くれた感想がステラから返されたが、概ね高評価だった。

 

「ありがとうございます、アンジュさん。このコート、とてもいいです。後で皆さんにもお礼を言わなければなりませんね」

「いいのよそんな気にしなくて。でも、やっぱり喜んで貰えると嬉しいものねえ」

「……ですので、今回は返却させていただきます」

「あらあら?」


 そして季太朗は、少しの間黙想した後、きびきびとした動作でコートを脱ぎ、綺麗に畳んでアンジュの手元に差し戻した。その行為にアンジュは困惑した。


「どうしてまた返すのよ。これはもう貴方の物よ? とても気に入ってたみたいだったのに」

「だからこそですよ。

 この後また自分は、あの害霊と戦いにいかなければなりません。前回ただでさえ満身創痍でしたし、次も無傷とはいかないでしょう。せっかく頂いたこの新しいコートをすぐにボロボロにはしたくないんです」


 その時、季太朗の眼に映っていたのは、傍らに置かれたボロボロの古いコート。昨夜、害霊の放った咆哮によって布地が無残にも引き裂かれた、長年彼が愛用していたコートである。


 わざわざ自分の為に作ってもらったコートが、害霊と再び戦った際にあれと同じような道を辿ることになるのはどうしても避けたかったのだ。


「あら、それはとても嬉しいのだけれど……。実はね、着ていってもらわなくちゃ困るのよね」

「? それはどういう……」


 アンジュの発言の意図が掴めず、季太朗は軽く首を傾けた。

 着ていってもらわなければ困る、とはどういう事なのか。


「うっふっふ。私達がプレゼントするのがただデザインが格好いいだけの普通のコートと思ったら大間違いよ」


 そしてアンジュは一呼吸すると、


「まずこのコートの素材に使われているのは天然物質で最高の強度の糸を生み出す蜘蛛に人口物質最高レベルの強度を持ったカーボンナノチューブとグリフェンを含んだ水を掛けることによって生み出された今まで最強と言われていた合成繊維ケブラー49の靭性を上回る蜘蛛の糸! 現在量産がほぼ不可能に近い代物なんだけど無茶いって大量に作ってもらったわ! なおかつ内側には衝撃が加えられた瞬間だけ硬化する非常に優秀な耐衝撃性と柔軟性を兼ね備えたd3oという物質が埋め込まれているの! あ、ちなみに頑張って軽量化にも成功したのよ! 大変だったんだからなんていったって衝撃を十分に吸収する為にはd3oの体積を削りすぎるわけにもいかないしかといって数を減らすと防御性に問題が出てくるし通気性も考えなきゃいけないしでもうほんと設計が大変で大変でようやく土台ができたと思ったら今度は」 

「ストップ! ストップですアンジュさん! それ以上はこちらの脳味噌が容量越え(キャパオーバー)です!! ステラなんて頭から煙吹いてますから!」

「あ、ごめんなさい。つい興奮しちゃって」


 突如として機関銃のようにアンジュの口から紡ぎだされていった科学用語の波に、季太朗達の頭は一瞬でパンク寸前まで追い込まれた。隣で巻き添えをくらったステラなどは、既にふしゅーっ、という音と共に頭から煙を立ち昇らせてしまっていた。


「えーとつまり簡単に言うとね、そのコートはメチャクチャ頑丈だってことよ……衝撃波とかも余裕に耐え切れるくらいね」

「……!! そうか、そういうことか……!」


 そのアンジュの言葉を聞いて、季太朗は漸くアンジュの真意を察し、目を見開いた。


 そう、この異常過ぎる程の頑丈性を有したコートは、おおよそ、日常生活で使う物ではない。このコートの真価が最も発揮されるのは、自らが傷つく可能性のある状況。つまり、()()の時に他ならないのだ。そして、この頑丈さならば、


「このコートを使えば……あの害霊の咆哮を防ぎ切ることができる!」



「……しかし、恐ろしい位に頑丈だなこのコート。あの衝撃波の嵐の中、ビクともしないとは」


 そして時は現在へと戻る。


 季太朗があの咆哮をくらって全くの無傷だった答えは、彼の羽織る新しいコートだ。

 害霊が咆哮を放つ直前、一瞬溜めを行った瞬間、季太朗は相手が何をしようとしているのかを直感的に理解し、咄嗟に体全体を覆うようにしてコートを被さった。勿論、ステラも含めて、だ。


 結果、咆哮を耐え切った。

 季太朗は身をもって自らのコートの優秀さを理解した。何せ、これ一枚羽織るだけで脅威であった咆哮の衝撃を完全に打ち消してしまったのだから。

 

 そして、事態は進展する。


「がッ……ぐあァ……」


 戦慄と絶望の感情を剥き出しにし、害霊は地面に倒れ伏した。


 無理もなかった。

 自らの命を削ってまで放った攻撃が、いとも容易く無力化されたのだから。それに加えただでさえ傷ついていた己の体で、無茶な咆哮を撃ったことによる反動が害霊の身に襲い掛かっていた。


 害霊に力は、もう残されていなかった。


 その時、害霊に変化が起こった。


「! ……何だ、あれは……?」


 その肉体を覆っていた闇そのものといっても過言ではない黒い靄が、次第に害霊の体から霧散し始めたのである。パキパキという音を立てながら剥がれ落ちるようにして、空へと昇っていく。


 初めて目撃する現象に警戒心を抱き、季太朗は無意識に一歩下がった。しかし、その心配は杞憂だった。

 何故ならその現象は、害霊になった者の二度目の死なのだから。


「これは……プレッシャーが消えていく……?」


 害霊と対峙した際に発生する恐怖、緊迫感、そういったものが自分の中で徐々に薄れてきていることに、季太朗は気付いた。そこで漸く、いま目の前で起こっている現象が危険なものではないことを彼は察した。


 故に、倒れ伏す害霊に向かって一歩ずつ近づいていった。


「ぐ……がぁあ……!」

「!」


 不意に、季太朗の歩みが止められた。その理由は、害霊が起き上がったからだ。


 害霊はふらつきながらも、地面に足をつけ立ち上がった。見れば、靄に覆われていた部分が生前の姿に戻っているのが分かった。


 現在進行形でこの害霊は死体に戻っていたのだ。だがそれでも、その強い眼光は、季太朗を捉えて離さない。


 ソレはどんな言葉よりも雄弁に語っていた。

 まだ終わっていないと。


「……」


 季太朗は無言で銃を構えた。鉄の動く無機質な音が、静かに響く。


 季太朗の方も既に限界だった。最早、意地だけで立っているようなものだ。


 もう麻痺してしまって痛みは感じられないが、手から溢れ出す血は一向に止まっていないし、害霊への攻撃手段であり重要なエネルギーの霊力ですら先程の応酬で尽きかけていた。


 しかし、害霊はこのまま放っておくだけでも死体になるのは決定している。

 故に季太朗の勝利は、もう確定していた。


 しかし季太朗は銃を構える。己の手で約束(決着)を果たすために。


「……ステラ、すまないな。これから無茶をする」

「……だいじょうぶ」


 ステラの方も、既に疲労の極地といった具合だった。


 ステラは、季太朗に憑りつく幽霊だ。憑依主である季太朗の心身が衰弱すれば、勿論、心身ともに結合状態のステラも衰弱するのは自明の理。


 だから、季太朗は確認を取った。これから無茶をするから、お前に限界を超えた負担を強いるぞ、と。


 その答えは、ほんの一言の言葉と力強い首肯で返された。これで季太朗の心に引っ掛かることはもう何も無かった。



 そして、季太朗の、神無月を構える左手に光が集まり始めた。ステラと同じ蒼い光が。


 やがてその光の塊は、徐々に、ゆっくりではあるが、膨張を開始した。辺りを、全てを包み込むのかと錯覚するほどの光が照らしていく。

 そして数秒後、光の量はそのままに、それは縮小を始めた。それと同時に、光の色が蒼から白へと変化した。神々しさすら感じるその光は、まるで白色矮星。


 それは、この意地と意地の戦いに終止符を打つ弾丸だ。

 最後まで一人の女の子の為に立ち上がり続けた忠犬へ、引導を渡す弾丸だ。


「……じゃあな。また、会えるといいな。あの子と」


 そして季太朗は一呼吸おいて、引き鉄を引いた。

 きっと最後に、掠れそうな声で『サヨナラ』と季太朗の耳に聞こえたのは、聞き間違いではない筈だ。





「…………また()()か」


 白い壁、白い天井。目が覚めた季太朗の眼に飛び込んできたのは、そのような光景だった。そして、己の体に掛かる重力の感覚で、横に寝かせられていることに気付いた。


 そこは季太朗が人生の分岐点となった日に運び込まれた部屋、極東支部の治療室。見覚えがあったのはその為だ。


 同時に、彼は腕に違和感を覚えた。ふと季太朗は意識して右腕を持ちあげ、視界に入れてみると、その腕は包帯でグルグル巻きにされていた。あの犬の害霊につけられた傷。

 季太朗の覚醒していない意識の中で、あの戦いが紛う事なき現実であった事を報せた。


 よもや、アンジュでも完全に治すのが無理だったのか、と季太朗は戦慄した。急いで、手をグーパーしたりする動作を繰り返した。

 結果、問題なく機能した。そのことに安堵し、取り敢えず、腕のことについては後で聞けばいいかと考え、季太朗は右腕を下ろした。


 そして少し周辺を確認しようとして首を曲げた際、季太朗ある事に気付いた。自分の胸の部分に、ステラが突っ伏すようにして寝ていたのだ。ステラも無事だったと知り、季太朗はもう一度心から安堵した。


 ステラの顔は、緊張の糸が切れているという事が優に分かる表情をしていた。

 取り敢えずてもちぶさたなので、季太朗はステラの髪を撫で始めた。


 淡い蒼色の髪は、季太朗の想像していたよりも遥かにサラサラしていた。指が全く引っ掛からない。幽霊の髪ってみんなこんな感じなのか―、などと季太朗はとめどなく思った。


 予想外に心地よかったので、季太朗はそのままステラの髪を撫で続けていた。そうして、何分か経った後だろうか。


「んんっ……。あ、ねて…………きたろう?」

「ん? ああ、おはようさん」


 小さい呻き声をあげた後、ステラが起きた。季太朗の顔を見て、眼をパチパチと大袈裟に開閉している。

 どうやら本人は、意図しないうちに眠りに落ちてしまっていた様だ。起こしちまったか、と謝ろうと季太朗が口を開きかけた時、


「きたろうッ!!」

「おわっ! おい、なんなんだいきなり……」


 ステラが、季太朗の首元に飛び込んだ。寝かされているので何のアクションも取れず、そのまま何の抵抗もなく季太朗はステラに抱きつかれた。

 いきなりのステラの行動に混乱し、何か物申そうとして、


「ひっく……! うっ……!」


 季太朗はステラが泣いていることに気付いた。


「あー……随分と、心配、かけたみたいだな。

 まあほら泣くの止めろって! この通りピンピンしてるしお前心配し過ぎだ! だからホラ!」


 泣くのを止めさせようと、回復した様を見せつけるようにして季太朗は声を出した。だが、ステラは一向に泣き止む気配は無い。

 いくらステラが幽霊とはいえ、季太朗にとって幼い子供の姿で泣かれるのは、非常にバツが悪いのだ。

 

 何度かステラと会話しようと季太朗は言葉を投げかけたが、尽く効果がなかったので、最終的には先程と同じようにステラの髪を撫で続けることにした。

 よく、自分が泣き止まない時などは、母に背中をさすってもらったり、頭を撫でてもらったのを思い出したのだ。妹相手にしていた頃もあったので、その手つきはよくこなれていた。


 その成果があったのか、ステラの泣き声は次第に小さくなっていった。


「ほーらほら。泣き止んだか? 心配するのはわかるが、お前も何かある度に泣いてるんじゃ……」

「……うん。わかった」

「あ? ……お、おう」


 いつかのように、ずっと泣きついてくるかと思っていたが、思いの外あっさり離れたので、季太朗は拍子抜けしてしまった。早めに泣き止んでくれるのは良いのだが……と、季太朗の中にもやっとした何かが残った。


 そんなことを季太朗が考えていると、突然自動ドアが開いた。


「……あら? 季太朗君?」

「あ……アンジュさん」


 開いたドアから現れたのは、アンジュだった。

 彼女が自身に治療を施してくれたのは明確なので、一言礼を述べようと口を開きかけた季太朗だったが、


「みんなぁーーーーッ!! 季太朗君が起きたわよーーーーッ!!」


 それを言う間もなく、アンジュの発した大声に季太朗の声は遮られてしまった。


 言葉の内容を聞く限り、無事を極東支部の皆に報せてくれたのは分かるのだが、せめて起きたばかりの怪我人の前でそんな声を張り上げないで欲しいと少しジンジンする耳を押さえて季太朗は声に出さず愚痴った。


「あ、ごめんなさい。つい大声出しちゃって」


 どうやら、本人も自覚したようである。

 治療の恩もあるし、ここで声に出して文句を言っても何の意味もないので、構いませんよ、と季太朗は手振りで伝えた。


 そして、季太朗の質問タイムだ。内容は、自分の右腕のことについて。


「アンジュさん。俺の右腕は……」

「心配しなくても大丈夫よ! 約束通り、全力で治させてもらったわ。動作に関しては問題ないはずよ」

「包帯がグルグル巻きなんですが」

「ああ……ほら、()()って知ってるかしら。霊関係で起こる体への悪影響のことなんだけど、代表的なものを挙げると精神不調とか肉体不全とかが起こるのよね。

 腕の傷や機能は簡単に治せたのだけれど、その傷は霊につけられたものだから、一応保険ってことで……そうね、そういったものを追っ払う仕掛けみたいなものだと思ってくれていいわ。だから、あと二、三日は外さないでおいてくれると有難いのだけれど……」

「わかりました。何から何まですみません。助かります」 


 どうやら季太朗が懸念していた腕の包帯は、霊障というものの予防策だったようだ。彼は改めて、腕自体は完治しているということを聞き、季太朗は心の底から安堵した。何から何まで世話になりっぱなしだとも思いながら。


 そして、ほんの少し経った後、ドタバタドタバタという騒がしい音がドアの向こう側から聞こえてきた。そして間髪入れずに


「「どおわあああああああああああああああッッ!!」」


 盛大にコケながら二人の男が部屋になだれ込んできた。


「……大丈夫ですか? レミー隊長。タカハラさん」

「おお! 季太朗くん! 起きたか! いや良かった。いや、勿論無事だと知ってたぜ?」

「ガッハハハハ!! 君なら大丈夫だと俺は信じてたがなッ!」


 なだれ込んできた二人の男は、レミーとタカハラだった。

 

 二人とも「お前なら大丈夫だと信じていた」的な台詞を言っているが、なだれ込んできた時そのままの体勢でいる為、非常にかっこ悪いことになっていたが(床に倒れているレミーの上にタカハラが乗り上げる形)。


「季太朗さん! だいっ?! ……大丈夫ですか?!」

「鬼口さん……」


 その次に追うようにして扉から現れたのは、鬼口だった。鬼口は倒れ伏す二人の男たちを見て一瞬驚愕したが、すぐに調子を取り戻して季太朗へと寄ってきた。良いスルースキルだ。


 どうやら、鬼口は訓練中だったらしい。その手には薙刀が握られっ放しだった。


「鬼口ちゃん、ここは病室だから武器はしまっていただけると嬉しいのだけれど……」

「あ……すみません……! 少し慌ててしまいました……」


 アンジュが困ったようにそう告げると、少しうろたえた後、鬼口は急いで打鉄をしまいに逆走した。

 確かに、アレを持って近くまで来られるのは少々物騒だと季太朗も思わざるを得なかった。


 数秒後、鬼口は戻ってくるなり季太朗の手を強く握った。


「よかった……。本当に良かった」

「っ……あ、あの? 鬼口さん?」


 その行動が、季太朗を困惑させた。


 言ってしまうと、季太朗は女性との交遊は一切経験したことがない。故に、女性免疫ゼロの季太朗が混乱するには、その行動は十分であった。


 互いの手を通して、熱が伝わってくる。男のそれとは違う柔らかい肉の感触が彼の掌を包んだ。

 それをみてニヤつく人間が二人。


「おーう。仲いいねぇお二人さん」

「見せつけてくれるじゃあないの。 ええ?」

「はっ! す、すいません季太朗さん! 私ってばついこんなことを!」

「い、いや、お気になさらず。そりゃまあ驚きはしましたけども……」


 季太朗の手を握りしめていた鬼口だったが、レミーとタカハラの一言でパッと手を離した。鬼口は、恥ずかしさからか少し顔が赤くした。季太朗にとっては、女性免疫ゼロ故に、緊張で鼓動がバクバクいっていていい気持ちではなかったので、二人に助けられた形となったが。

 

 しかし、いくら心配してくれたからといっていきなり手を握ってくるとは、心臓に悪いことこの上ないな、と季太朗は胸中で呟いた。


「……レミー隊長。害霊は、どうなりました」


 そして、季太朗は一呼吸おいて、最も聞きたかったことを口にした。

 即ち、あの戦いの結末を。


「ああ。いきなり、何かすげえ量の光が爆発したと思ったら、次の瞬間、害霊の反応が消えてな。

 光が収まったことを確認して結界を解除して中に入ってみたら、血塗れのお前と、害霊がぶっ倒れてた。その後急いでお前を医療室に担ぎ込んで、治療した。霊力不足が酷くてヒヤヒヤしたが……ステラの霊力回復のスピードが早かったのが救いだった。ちなみに、お前今回は三日間気絶しっぱなしだったんだぞ? 

 害霊の方は……よし、ちょっとこっちついてきてくれ」

「え、あの、安静にしとかなくていいんですか? 俺」

「うち自慢の医療トップがつきっきりで治療したんだ。まだ、体はだるいだろうが、動くことには問題はねえはずだ。

 だろ? アンジュ」

「ええ、大丈夫なはずよ。一応、まだ過剰な運動は控えて欲しいけど」

「……わかりました」


 重い体に鞭打って布団から起き上がり、医療室常備のスリッパを履いて、季太朗は、言われるままにレミーに追従した。けだるさは依然としてあるものの、起きてすぐ問題なく動かせる自分の体を実感し、季太朗はアンジュの治療技術に脱帽した。


 医療室を出て、オフィスを突っ切り、彼らは一際頑丈に作られた扉へと到着した。その扉は、ノブはもともと鍵穴もなく、まさに巨大な鉄板という表現が相応しい重厚さだった。


 見れば、すぐ横に数字の書かれたタッチパネルのついた機械が壁に埋め込まれていた。


「えーとパスワードは……うん、よし開いたな。入ってくれ」

「はい」


 そのパネルをぎこちなくレミーが押していくと、扉は横へゆっくりとスライドし、その奥へと続く道を開いた。


 その後ろに伸びていた細い通路を季太朗が言われるがままについていくと、徐々に周囲が暗くなっていった。そしてふとレミーは立ち止まったかと思うと、


「うおッ。まぶしっ……」


 スイッチの押された音が鳴った直後、その空間に白い光が拡がった。

 部屋の全貌が露わになる。


 細い通路はいつの間にか終わり、季太朗がいつのまにか立っていたのは、ある一室だった。 


 壁は他の部屋と同じように白。床には小さな埃一つなく、非常に清潔に保たれている。大きさはそこそこ広めで、数十人ほどなら何とか入れそうというくらいだ。

 

 それだけなら普通の部屋とさして変わらなかったが、その部屋には他の部屋にはない大きな特徴があった。


 中央に、人一人余裕で寝転ぶことが可能なサイズの鉄の台が置かれていた。その上には、巨大な円形のライト。


 この機材と似たようなものを、季太朗はテレビで目にしたことがあった。流石にここまで仰々しくはないとはいえ、それは病院の手術台にそっくりだった。

 しかし、その鉄の台の上に置かれているのは患者ではなかった。というか人間でもなかった。


「……害霊(マル)?」

「そうだ」

 

 そこに伏されていたのは、先程季太朗と激闘を繰り広げた害霊の本体である犬の遺体だった。


 動き出す気配はない。当然だ、死んでいるのだから。だが、反射的に季太朗の体は強張った。ステラも同じように。


「この部屋は解剖室だ。倒して死体が残った場合、そういった害霊の肉体をバラして色んなことを調査するための場所だな。

 そこにあるのは、ご存知君達がさっき戦った害霊の死体だ。一緒にぶっ倒れてたから、ここに運び込んだんだ」

「……この死体、どうするんですか」

「ああ、もうデータも取り終わってるから、飼い主の所に返しに行くつもりだ。……お前を呼んだ理由はそれだ。やっと終わりってときに、最大の立役者がいないんじゃ、話にならないからな。これから返しにいこうと思ってるんだが、来てくれるか?」

「……わかりました」


 少し逡巡し、季太朗は是の返答を返した。

 この事に関しては、自分が最後まで見届けることが筋だと考えたからだ。


 レミーは明日で良いと言ってくれたが、ただでさえ色々と迷惑を掛けているのに、これ以上自分の個人的な事情で面倒をかける訳にはいかない。と季太朗は考え、その日の夕方に季太朗たちは遺体の返却に向かうこととなった。


 

 現在時刻午後五時。日は傾き、オレンジ色の光が大地を染め、町に影を落とし始めたころ。

 あるアパートの一室に、二人の男と、一人の幽霊がいた。季太朗と、レミー。そしてステラ。

 

 彼らは先程、害霊であった犬の死体……マルの亡骸を飼い主であった家族に届けてきた所だった。さすがに、バチカンの退魔組織なんていう名を公衆に使う訳にはいかない為、彼らは警察の関係者という形で訪問した。


 後にレミーによれば、害霊に寄り添っていたあの少女は鬼口に保護された後、極東支部で然るべき検査を受け、一足早く家族の元に返されたということだった。


 しかし、先程訪問した際に季太朗たちは知ったのだが、少女は未だに目を覚ましていないかった。

 アンジュの話によれば、過度の精神的負担が原因だそうだ。確かに、あの一晩で起こったことは、年端もいかない少女にとっては大きすぎただろう。


 しかし、アンジュの話によればもういつ目を覚ましてもおかしくないということで、それを季太朗達が少女の家族に伝えたところ、彼らは涙を流して喜んだ。


 しかしこの後、もうこれで自分の役目は終わったかと季太朗は帰宅しようとしたところをレミーに引き止められ、先日張り込みに使用したアパートの一室へと再び足を運んだのだ。

 レミー曰く、見せたいものがあるということだったが、季太朗は全く見当がつかなかった。そんなこんなで、既に一時間近くが経過していた。部屋には夕日が差し込み、壁を紅く染めていた。

 夜に使った時とは、部屋の中も外の景色も、全く違う印象を季太朗は受けた。


「……なあ季太朗。退魔って仕事、始めてみてどう思う?」

「は?」


 そんな中、唐突にレミーから季太朗に問いが出された。

 この仕事をどう思うかと。


「…………」


 季太朗は、その問いにすぐには答えられずに逡巡した。

 おいそれと適当な答えを返すわけにはいかない問いだ。故に彼は、良く考え、答えを出した。


「そうですね……。

 色々と、よくまだ分かっていないこともありますし、決して楽ではありませんが、()()()()()だと、俺は思っています。人の平穏と幸せを守っているということは、素晴らしいことだと思いますから」

「そうか」


 レミーは、軽く頷いただけだった。


 今の問いのレミーの意図はまるでわからなかったが、季太朗は素直に思っていたこと告げた。


 季太郎にとって決して退魔という仕事は決して楽ではない。むしろ、辛いことの方が多い。今回に至っては季太朗は何度も死を覚悟する有様だった。


 だが、そうして人に害を与えるモノを倒すことによって、確実に、人々の平穏は確保される。そして、誰かが死んで、誰かが不幸せになることもない。

 季太朗の答えの根本には、そういった退魔への捉え方があった。


「……ほい」

「? っと」


 そんなことを季太朗が考えていると、レミーから唐突に何かが投げ渡された。

 トランシーバーのような、小型の機械だ。


「? 何ですか、これは……」

「それな、あの家に仕掛けた盗聴器の受信機だ」

「……はっ? 盗聴器?」

「そう、盗聴器」

「なんでそんなもん仕掛けてんですか?」

「あー。まあ、な。取り敢えず、聞いてればわかると思うぞ。むしろ、お前を呼んだのはそれを聞かせる為なんだからな」


 レミーから渡された機械。それは、つい先程訪問したあの家に仕掛けられた、盗聴器の受信機だった。


 無論、盗聴器を仕掛けるなどという行為は褒められたものではない。だがレミーには何か考えがあるようだった。それに、一々驚くのももう疲れた、という本音も季太朗にはあった。

 故に、言われた通りに彼は受信機から流れてくる音に耳を傾けた。


 最初に聞こえたのは、人が歩く音。

 足音は、二人分。


 誰かはすぐに分かった。あの女の子の両親だ。


『……しかし、まさか工事現場で重機に巻き込まれて死ぬなんて……』

『……あの子に、なんて言えばいいの……。必死で、探した結果がこんなのなんて……』

『仕方ない……仕方ないさ。あの子も、ちゃんと言えばわかってくれるはずさ……』


 すすり泣く声が、季太朗の耳に届いた。

 

 両親には、害霊……マルは、家から逃げ出し、彷徨った後、工事現場にて事故で死んだ状態で発見された……という形、女の子に関しては、あの夜、家から逃げ出すマルの姿を見て後を追いかけたが、見つけることはできず、路端で寝ていたところを保護……というシナリオで話を通した。

 事実と彼らの会話に齟齬が生じているのはその為だ。

 

 真実は時にどんなことよりも奇妙だ。真実を話して、あの家族の()()を壊す訳には、いかなかった。


『……んんっ……。……あれ?おかあ、さん? おとう、さん?』

『……美羽(みう)ッ!! 気が付いたのね!!』

『よかった……本当によかった……』

『んむっ!……苦しいよ、おかあさん! ……なんで泣いてるの?』

『美羽……ごめんね……ごめんね……!』


 会話の中に、あどけない幼い声が混じった。


 女の子が起きたのだ。美羽というのは、彼女の名前だ。


 それと同時に、すすり泣く声がより大きくなった。

 行方不明になって、およそ三日もの間、目を覚まさなかった我が子が目を覚ましたのだ。両親の喜びの大きさは、想像に難くなかった。



『あ……ま、マル! マルは?! マルはどこッ!!』


 だが、その喜びは長くは続かなかった。

 

『美羽……マルはね……』

『美羽……マルなら、ここにいるよ』

『ほんとッ!? マルっ! マ――――る……?』



 数秒の沈黙。




『う、そ……なん、で?』

『……マルはね、死んだんだ。もう、この世には、いないんだ』

『うそ……うそだよね? だって、だってマルはわたしといっしょに、いっしょにいて』

『嘘じゃないんだ……。わかってくれ……!』

『…………いや、うそ、やだ、マル、まる――――』


 

 次の瞬間、受信機から流れ出したのは耳をつんざかんばかりの泣き声。

 行き場のない悲しみの、叫び。


「……退魔ってのはさ、間違いなく、お前の言った通り正しいことなんだよ。俺はこの仕事に誇りを持ってる。

 ただ、それで必ずしも、全ての人が幸福になる訳じゃあない。あの女の子のように、悲しむ人だって生まれる。それを、少しでもお前に知って貰いたかったんだ」

「……だとしても、俺のやることは変わりません。俺は不器用ですから、そこまで考えてる余裕もありませんよ」

「……そうだな」


 受信機から流れる泣き声が、止むことは、なかった。



「ただいまー……つっても、誰もいねえけど」


 実に、五日ぶりの帰宅。

 レミーとの会話の後、季太朗はそのまま帰路についた。


 体については、しばらくは安静にするように、と忠告をされたが、日常生活については問題は無いということだ。


「…………」


 新しく貰ったコートをハンガーに掛けつつ、季太朗は、先程のレミーとの会話を思い出した。


 『退魔という物は必ずしも人を幸福にするのではなく、不幸さえも生み出す』。


 先程の会話では、そのことに対してそっけない返事を返した季太朗であったが、そのレミーの言葉に内心思う所はあった。


 特に今回の少女の件については、彼はどれだけ少女の悲しみが深いかということが理解できてしまった。

 犬と人。姿形は違えど、大切なものを失う悲しみを、季太朗は知っていたからだ。


 答えを出そうとして出せるものではない。

 だが、それでも考えてしまう。

 もっと他に方法は無かったのか。あの女の子を悲しませることは、避けられなかったのか。


 考えても意味はないのに、季太朗の頭の中で、それがループを繰り返す。


 「……ああ、クソ」


 季太朗がそのことに苛立ち、自らの頭を掻きむしると、

       

『『ぐうぅぅ~ッ』』


「…………」


 

 腹が、鳴った。



「……そういや、拉致同然で連れていかれたから、五日間まともに何も食ってないのか……」


 そう。よくよく考えてみれば、食事を摂る前に強制的に連行され、その後戦闘、気絶していたことを考えると、季太朗はこの五日間栄養補充の為の軽食と水以外何も口にしていなかった。また、色々と気の抜けない状況が続いていたこともあって、そのことに気付く暇も無かった。故に、腹が鳴るのは当然だ。


 だが、季太朗はその時、一つどうしようもない違和感を感じた。

 それはつまり、「なんか今、腹の音が二つ聞こえなかったか?」、と。


 その違和感が正しければ、腹を鳴らしたのは自分だけではなく、もう一人いるということになる。というかもう、一人しかいない。

 この場にいるのは、自分とあと一人しかいないのだから。

 

 

「……おい。お前、腹なっ『クぅーーッ』……」


 また、腹の音が鳴った。だが、季太朗ではない。その音の発信源は、彼の目の前にいる、もう一人。


「きたろう……おなか、すいた……」


 ステラだ。先程聞こえたもう一つの腹の音も、彼女のものに違いなかった。


「……いや、ちょっとまて。お前って腹減るの?! 

 俺数か月お前と一緒にいるけど何も食わせたことないんだけど」

「ふだんはきたろうのエネルギーをすってるからだいじょうぶ……ってアンジュがいってた……」

「最近異常に腹が減ると思ったらお前のせいか……! ……はあ。まあちょうど俺も腹減ってたし……ちょっと待ってろよ」


 最近の悩みが思った以上にしょうもなかったことに呆れつつも、季太朗はある場所へと移動した。

 台所だ。


 理由は簡単だ。腹が減ったら食わねばならない。


 季太朗はおもむろに戸棚を漁り始めた。

 幾秒か後、彼がその手を戸棚から引き戻すと、その手にはギザギザが両端についた袋が握られていた。


「ん~。ストックはっと……お、ちょうど残ってたか。さて後は……」

「それ……きたろうがよくたべてるやつ?」

「ん? ああ、一応最低限の自炊はできるんだがな……ここんとこ忙しくてほとんどインスタントとかレトルトに世話になりっぱなしだなあ」


 そこから、季太朗は非常に慣れた手つきでソレを作っていった。

 丼を取り出し、その袋の中身をあけ、中央に生卵を落とし、湯をいれ、ラップをかけて、そして三分。


「……よし、もういいだろ」


 頃合を見計らって、季太朗はその丼に掛けられていたラップを取り外した。


「……わあ」


 湯気がもうもうと立ち上がり、それと同時に先程よりも数段強くなった美味しそうな匂いが、ステラの鼻をくすぐった。


 そこにあったのは、日本という国で知らぬ者はいない、かのインスタント食品。

 その名は、チキ〇ラーメン。


「ほら、食いな」


 季太朗は、箸とホカホカと湯気を立てる丼を、自分の分を含めて二つ、無造作に卓の上へと置いた。


「…………」

「どうした? お前の分もあるぞ?」


 だがステラは、丼をじっと見つめながらも、食べようとはしない。

 不思議に思って、季太朗は声をかけた。


「アンジュが、きたろうがたべれば、わたしはなにもたべなくてもいいって」

「まあ、俺からエネルギー吸い取ってんだからそうだろうな」

「それに……きたろう、いろいろとたいへんだったから……もっとたべたほうが」

「…………」


 理由は、すぐにわかった。

 こいつは、俺の体のことを心配して、自分が食べることを遠慮しているのだと。

 だから季太朗は、本心を伝えることにした。

 

「……まあ、その気持ちは嬉しいが、なんだ――――ご褒美だとでも思ってくれ」

「ごほうび?」

「ああ。よく、頑張った奴にあげるものだな」

「わたし……ただきたろうにくっついてただけ。なにもしてないよ」

「おいおい、俺はちゃんと覚えてるぞ。お前は、ちゃんと俺の約束を守ったじゃないか。『どんなに怖くても前を向け』っていう約束を。

 だから、さ、遠慮せずに食ってくれよ」

「…………」


 その言葉を聞いて、ステラは少しの間、再び丼と見つめ合った。そして、ゆっくりとした動作で箸を取り、拙い動作で麺を絡めて、また少し見つめた後口の中へと運んだ。


「――――! ……んー~~~~!!」


 ステラの目が、驚愕に見開かれた。

 そこから先は、もう止まらなかった。


「ズーーッ! きた、ろう! ズズッ、これっ、ズーー! おいひい!!」

「わーったからもう少し落ち着いて食え。 喉に詰まるぞ!」


 ステラの驚きぶりも、無理はなかった。

 何せ、彼女は生まれてこのかたこんなに美味しいものを口にしたことがなかったのだ。一心不乱に箸を動かし、止まることなくその口に麺が吸い込まれていった。


「…………」


 そんな光景を見ていて、季太朗はあることに気付いた。

 先程までごちゃごちゃだった自分の頭が、驚くほど落ち着いていることに。


 真面目な話、自分の目の前のまっすぐな幽霊の姿を見て、自分がここまで悩んで頭を抱えているのが馬鹿馬鹿しいと、季太朗は思ったのだ。


 自分がどんなに悩んで考えても、何がどうなる訳ではなく、起こったことは変わらない。改めてソレに気付かされた。


 だが、それと同時に、今回の件は絶対に忘れてはならないとも、季太朗は思った。退魔は、不幸さえも生み出すということを。

 己のしていることがそれほど重いものであるということを、常に心に留めておくために。


「……おっと、麺が伸びちまうな」


 思考も程々にして、季太朗はステラと同じようにチキ○ラーメンを食べ始めた。

 決意を一つ、新たに胸に刻みながら

続き物なのに、悪都合に悪都合が重なって、大変ながらくお待たせして本当に申し訳ございませんでした。

非常に更新が遅いというのに、拙作を読んでくださっている皆様には感謝しかありません。

中々話が進展しないことに苛立ちを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、これからもよろしくお願いいたします。



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