#14 練磨
練磨は、自然公園の丘陵地帯の散策道の入り口に立つ人影を認めた。
オレンジ色の街頭に照らされた、少女だった。さきほどから『蓮灘の記録』を尾行していて、あの少女と親しそうに話しているのを見ている。そして――なにより少女の視線が、自分との敵対関係を明確にしている。
視線には、覚悟と、敵意と、僅かばかりの疑念が込められている。
「『蓮灘の記録』の知り合いか?」
静かな夜、静かな公園で、練磨の声は、空気に透き通らんばかりだった。少女は、はっきりとした口調で答える。
「私は、蓮灘薫さんの友人です」
練磨は失笑し、目を伏せた。
「友か。だが君に、『蓮灘の記録』がどのようなものか分かるか? その苦痛が分かるか?」
「分かりません」
少女は、潔いまでに否定した。
「そうか……よくそれで、友などと言えたものだな」
「私はあなたとは違います。私が見ているのは『蓮灘の記録』ではなく、蓮灘薫さん個人なんです」
「『蓮灘の記録』が、それを望むか?」
「そんなのは関係ありません」
少女の力強い断言に、練磨は怯んだ。
「私が、そう思い、そう見てるんです。蓮灘なんて立場や、力じゃなくて、蓮灘さん個人を、私は見てる。彼女が、私にどう見て欲しいかなんて、関係無い」
「個人を為すのは立場だ。それを見なければ、個人の本質は分からない」
「いえ、それは違うと思います。立場なんて、所詮はペルソナです」
それは、練磨に対する最大の侮蔑であった。『降棚の記録』だけをアイデンティティーとしていた彼にとって、少女の否定は、練磨の存在意義そのものを否定することに他ならない。
「嘘というのか。君は。追求者の記録を」
「あなたの思想をとやかく言うつもりはありません。けど、私はあなたを認めない」
「俺が、友人である『蓮灘の記録』を奪うからか?」
「いえ、違います。あなたは……私の友人とは違うから」
「何?」
「あなたの望みは国だと言うけれど、見ているのは国じゃなくて、自分だけです」
「知った口をきくな!」
低い怒声が響いた。
「よくも、それだけの口がきけたものだ。自分の立場が理解できているか? それが分かっていて言っているのなら、正気の沙汰とは思えんな。それとも『蓮灘の記録』がいるからか? いざというときは助けになるとでも思っているのか?」
恐喝じみた台詞だった。だが、そうでもしないと赦せない。この少女は、架空の姓の追求者達の無念も悲壮も知らないくせに、勝手な批評を口にしている。それも否定を。そんなものは評価ではない。軽率なレッテル貼りだ。
「あなたはそんなことしないでしょう? あなたは国のために動く人なら、自分という個人を否定されて、逆上するなんて浅ましい真似をする筈がありません」
「都合がいいな。俺が個人の目的で動いていると言っておきながら」
練磨は、少女の口を止めようと――怯ませようと――一歩近づいた。だが、少女は止まらない。
「それでも、あなたの矜持はそれを許さない。そんな無益なことをする時間があったら、一刻も早く蓮灘さんを追うでしょう」
正解だった。こんな少女と、ずっと話しているつもりはない。だが――
「だが――君を見逃して、助けを呼ばれても面倒だ。邪魔立てするなら、排除する」
視線を向ける。そこに、明確な敵意と殺意、そして攻撃の意思を乗せて。並の人間なら、それだけで怖気付くだろう。――だが、少女は視線を合わせ、真っ向から対峙する。
「私は、邪魔なんてしません。――蓮灘さんなら、あなたには負けないって、信じてるから」
重なった。それは、以前、あの追求者に連れられてやってきた少女の視線だった。彼女には、明確な意思があった。『皆を幸せにしたい』という、重すぎる大望があった。
この少女にも、それがある。何を望んでいるのかまでは分からないが、それでも、意思だけは感じ取れる。
明確な意思は、練磨を通して、もっと大きなところを見ている。
「――なるほどな。名を聞かせてもらっていいかな?」
名乗る義理は無い。だが少女は、明瞭な声で答えた。
「鳩間朱莉です」
「なるほど。覚えておこう。鳩間朱莉。君の思想は理解の外だが、君の意思の頑なさは、我が日本国民にふさわしい」
鳩間朱莉が道をあける。練磨は、その道を通って、真っ暗な、丘陵地帯に消えて行った。




