#8 朱莉
#8 朱莉
朝の教室で、朱莉と洋子は昨日と同じように教室で雑談をしていた。
「……っつーわけよ。結構みんな使ってるんだって。別にクスリとかじゃないんだから、やってみたって後悔はないって」
とはいえ、最近の洋子の話題は例の御札ばかりだ。朱莉は冷える指先を吐息で温めながら聞いていた。
「ふーん……」
朝日を浴びると、洋子の黒髪が赤みを帯びているのが分る。本人は染めていると言っているが、これは完全に教師に指摘されているのをビビッているに違いない。喋るたびに微かに揺れるポニーテールの穂先を、朱莉は、ぼーっ、と見つめていた。
いつもと変わらない、昨日と変わらない日常。だが今日は変化が起こった。
「そのまじないの話、詳しく聞かせてくれない?」
落ち着いた声色の呼びかけに、朱莉と洋子は顔を上げる。
「ああ……蓮灘さん……」
蓮灘薫。百八十を超える高身長を持つクラスメイトだ。話しかけられたのはこれが初めてで、今までは口を聞いたことすらなかった。
「うん……結構ヤバいみたいなの。あの御札」
「御札?」
朱莉からしたら当然の単語に、薫は眉を寄せた。
「うん。白いやつ。だいたい葉書二枚分くらいの大きさって聞いたよ」
「ちっ……」
洋子の説明に、薫が小さくした打ちした。
「どうかしたの?」
「んや。知り合いからまじないって聞いてたんだけど、話が違うと思ってね」
知り合いという単語に引っかかったが、友人ということだろうか? 朱莉は極力触れないよう努めることにした。薮蛇はゴメンだ。
「で? ヤバいってことは、なんかあったの?」
「うん。なんか使ったら、部活でモメた先輩が事故たって男子が言ってた」
「ふーん。呪いのおまじないってワケだ」
「呪い……か……」
薫の言い分を聞いて、朱莉は呟いた。呪いとは、随分とホラーな響きだ。井戸から這い出る長髪の女の姿を想起させる。
すると、洋子が口元を隠すような仕草をした。なにか言い知れない違和感を感じた。
「ちょっとー、呪いってヒドくない?」
なぜか友人が肩を震わせて笑う。理由はよく分らない。
「まぁいいや。参考になったよ。どうも」
薫が席を立つ。洋子は「こいつ何がしたかったんだ?」という目で、薫を見ている。
「えっと……蓮灘さん」
「なに?」
彼女はいつでも不機嫌そうに見える。大きな身体だけならまだしも、鋭い目付きとその表情が威圧感を与えてくるのだ。だが朱莉は、臆せず話してみる。
「どうして突然、こんな話……」
「こんな話したか? なんとなくだよ、なんとなく」
はぐらかされているのは明白だ。だが、だからといって何か言えるわけではない。
「そう……」
薫が席に戻るのを見送ってから、朱莉は授業が始まるまで、洋子との雑談を続けた。
あの御札の話が広まってから、だんだんと授業中の私語が増加していた。普段から相当うるさいのだが、最近になって特に酷くなっている印象を受ける。そして今日は格別だった。否が応でも話が耳に入ってくる。いつしか黒板の内容をノートに写していた朱莉の手も止まっていた。
「え、マジ? あの先輩死んだの?」
「だから死んではないって」
「でもそれやってすぐに事故ったんでしょ? ヤバくない?」
朱莉が黒板の内容をノートに写していると、隣からそんな声が聞こえた。授業中はいつもざわついていて、騒がしいが故に一人一人の言葉は聞き取りにくいのだが、今日の隣の人たちはどうやらテンションが高いらしく、自然、声も大きく聞き取りやすかった。
「その御札っていつ配られたの?」
「靴箱に入ってたって人もいたらしいよ。最初に誰が使い始めたのかは分からんないけど」
「え、それって怖くない?」
「いや、なんでも大概そうでしょ。っつか分ってても、それはそれで怖いわよ」
――なんか、クラスの雰囲気も変わってきたなぁ……。
前からそれほど良くはなかった。だが、ここまでではなかったと記憶している。例の御札とやらがどれだけ都合の良い物なのかは知らないが、これほどまでに話のタネになるとは予想できなかった。
――あの御札、使っちゃおうかな。教室を静かにしてくださいって。
思わず考えてしまい、朱莉は自嘲的に笑う。どうやら私も毒され始めたらしい。
いいかげん集中力も切れ始め、朱莉はノートをとる代わりに、かなり盛り上がっている男子三人の話に聞き耳を立ててみる。
「っつかその御札っての見つけて売ったら儲けられるくね?」
一番頭の悪そうな男子が、そんな低俗な事を言った。一番まともそうな一人が答える。
「それなら『億万長者にして下さい』って願い事した方が早いだろ」
だが、三人の中でリーダー格の一番ずる賢そうな男子は、それを否定した。
「バァーカ。ホントに叶うわけねぇだろ。事故って信じてる馬鹿が出るから売れ頃ってこったろ?」
「そうそう」
調子に乗って頭の悪そうな一人が同調する。
「そうそう、って、お前は絶対そんなこと考えてなかったろ」
人が怪我をしても、どうやら彼らには関係ないらしい。程度が低いとこれだから困る。中学の時、もっと勉強しておけば、もうちょっと真面目な高校に入学できたのかもしれないな、と朱莉は今更ながらに後悔してみる。
――この先、どうなるんだろ?
朱莉が溜め息をついたのと、授業終了を告げるチャイムが鳴るのは同時だった。