#2 薫
蓮灘薫は、自分の名前があまり好きではない。
その理由は、全体を通して画数が多いからだ。小学生の頃、冬休みの宿題で書初めをすると、小筆で書いても名前が潰れてしまい、何度も書き直した記憶がある。ひらがなで書けばいいものを、自分の名前を漢字で書けないのは、なんかダサいという意地っ張りな性格をしていたため、自分で自分の首を絞めていた。
あの頃は無邪気だったな――思い返し、感傷に浸る。自分の口角が上がり、皮膚が引き伸ばされる感覚が、まどろみを阻害する。
窓から風が入ってきて、薫の額を優しく撫でる。汗がうっすらを浮かんでいたらしく、汗が気化して熱を奪い、ひんやりとした感覚がした。
うだるような暑さの中、強靭な精神力で睡眠を継続していた薫は、自身の顔面の筋肉の動きと、予期せぬ冷感によって覚醒した。目覚めとしては悪くないが、身体は熱くて最悪だ。眠ると新陳代謝が落ちるから、一緒に体温も下がるだろうと期待していたが、汗をかいてしまって、かえって蒸し暑い。
しだいに、がやがやと騒がしい教室の喧騒が聴覚に戻ってくる。時間は午後の五時限目。この時間帯は昼寝のゴールデンタイムだ。昼食後は胃の動きが活発になり、血液が脳より内臓の方へ優先的に行くとかで、眠くなるのだそうだ。
だったらこんな時間に授業なんてするなよ――と心中で突っ込みながら、薫は下敷きを取り出す。短パンを履いているせいか、余計に熱いスカートの中を扇ぐ。はしたない姿かもしれないが、教室では誰もがやる、日常的なありふれた風景の一つになっている。やる方も周囲も、意に介している生徒は一人もいない。男子生徒も、女子生徒がこんなことをするのは、もう慣れっこなのだろう。それに薫の席は、教室の一番窓側、一番後ろの席だ。自分の姿を視界に捉えられるのは隣の男子生徒くらいのものだし、その男子生徒は堂々と机に突っ伏してしまっている。
夏季休業が終わっても、生徒の服装は開襟シャツに薄手のズボン、あるいはスカートのままだった。もちろん、教師もそれに準じたものだ。いま授業をしている数学教師は律儀にネクタイをしているが、世界史や情報技術の担当教師は、クールビズという言い訳を駆使して、正々堂々ノーネクタイで授業をしている始末だ。
ふと気になって、半袖から覗く自分の腕を見る。肌の色は普通くらいだが、夏場の紫外線の影響からか、心持ち、浅黒く変化している。うっすらと生える産毛が気色悪いが、体毛には体温調節や触覚などの機能があるし、抜く気にはなれない。剃ろうと思えば剃れるけれど、どうせまた生えてくるのだから一緒だろうし、一部の男子生徒のように、髭と見紛うほど黒くて大量に――そして指の第一関節にまで生えているわけではないから、それに比べればマシか、と諦めている。
腕の筋肉は、下手な男子生徒のそれよりも強靭だ。こんな筋肉質だから、代謝が高くて、比例して体温も高くなるのだろう。この季節になると、毎年、自分の体質が嫌になる。
溜め息をついた薫は、頬杖をついて二度寝を試みる。
このご時勢で、この高校は未だに、職員室と会議室、それから情報処理室と図書室以外に、クーラーというものが存在しない。普通の教室は蒸し地獄だ。誰が好き好んでサウナで勉強したがるのか、ちょっと教育委員会の方々に詰問してみたいところだ。
いや、この場合は教育委員会ではなく、学校の校長とか理事長に話を通さないとダメなのだろうか? という小難しい事を考えていると、単細胞な薫は、それだけで眠気を催した。




