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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$4$ 刹那の生
61/113

#3 薫


 薫は、しばらくの間、少年と目が合ったまま、立ち尽くしていた。視界が、白く灼けてくる。彼は、その白い霞の中で、今にも消えそうだった。

 気まずい、と思ったのは、生まれて初めてだった。人と会話をしたいのに話せない沈黙は、話しているうちに、自然に訪れた沈黙とは比ではないと、この時初めて理解した。

「えっと……君、大丈夫?」

 大丈夫ではないのは、格好を見れば分かるだろうに、そんなことを確認してしまう自分が愚かで情けない。

「……はい」

 表情は堅い。条件反射で『問題なし』という意思表示をしたのは明白だ。実情とは関係なしに。

「裸足なのに?」

薫は、揚げ足を取るようにして指摘する。

「あ、えっとこれは……その……」

 顔が翳る。催促すると、責め立てているようで息苦しいので、薫は続きを待つ。

「えっと……脱げたというか……その……」

 嘘をついているんだろう。薫は、もうこれ以上は耐えられない、と頭を掻き毟る。

「ああ。分かった分かった。もういい。うん。どっから来たの?」

「あそこ……総合病院」

 少年が、後ろを指差す。虚空のように見える闇――丘の上には、一つの灯りが煌々と輝いている。

「抜け出してきたの? 花火見たくて」

「えっ……えっと……そうじゃないけど、色々あって抜け出してきたっていうか……」

「やっぱり、花火みたいんじゃない。見たかったんでしょ、花火」

「えあっ……はい、そうです……」

 どうやら、この子は初対面の人間に対して、いい子ぶろうと言い訳をしようと試みたが、いかんせん頭の回転が鈍く嘘が苦手なので、そんな器用な真似は出来なかったらしい。

「なら、最初からそう言いなよ……で、歩いて帰られるの?」

 その足で、という意図を言外に込める。分かりやすいように、裸足の足を見る。……足の裏は黒くなっていた。

「はぃ……じゃないや……えっと……あ、でも大丈夫かな……」

 肯定しかけたところで、客観的に自分の体力を測って、無茶だと思ったらしい。頼りない。少年に手を伸ばす。

「立てる?」

 頼りない手で、少年は薫の手を取る。反対の手で、橋の手すりを持って、立ち上がろうとする。

 だが途中で、がくん、と膝の力が抜けて、地面に落ちそうになる。薫は、慌てて少年の手を持つ腕に力に加え、反対の手で、そのか細い身体を支えてやる。

「ダメダメじゃん。ったく」

「ごめんなさい……」

 突然、少年の顔が皺くちゃになる。目元から涙が零れ、こらえるように顎が震える。鼻を啜る音がする。

 薫は、慌てふためいた。責めたわけでもないのに、突然泣かれてしまっては、もうどうしようもない。そもそも薫は、年下の少年とコミュニケーションをとるという経験がほぼ皆無なので、こういう時、どう接していいのかも分からない。

 ――もう、なんでこんなことに……。

 ええい、面倒くさい。考えることを放棄する。どうせ、突っ立って考えたって、上手くいかないのは分かりきっている。

「いいから、もう……ほら」

 少年の前で屈んで、背中を見せる。少年は、意図を理解できないらしく、小首を傾けている。

「負ぶってやるから。乗りな」

 少年が目を見開いた。その次に「はい」と遠慮気味に言って、薫の背中に身体を預けた。


 負ぶってすぐは大したことなかったが、歩いて時間が経ってくると、だんだんと暑くなってきた。時々背を反るようにして、少年と自分の間に隙間を作って、風を通す。

「花火、見えた?」

「はい、綺麗でした」

 そう、良かったね。薫は、そっけなく返答する。こんな応じ方しか出来ない自分が恨めしい。朱莉なら、もう少しマシなんだろう。きっと「すごかったよね」と、少年と同じか、それ以上にハシャいで、自然と少年を喜ばせるんだろうな、と予想する。

「どれが一番良かった?」

「連発花火が良かったです。赤とか、緑とか、青とか、いっぱい色があって」

 男の子は、ああいうのが好きなのか――薫は、少し意外に思った。

「大きいのよりも?」

「はい。カッコイイから。なんか、マシンガンみたいで」

 マシンガン。その、小学生か中学生が好みそうな単語に、薫は苦笑いする。

「そっか。マシンガンか」

 男の子は、単純だなぁ、と思う。

「でも、一番好きなのは、その後なんです」

「あと?」

 その後というのは、連発花火の次にやった花火という意味だろうか? と薫は誤解する。

「バババ、って凄い音がした後に、急に静かになるじゃないですか……なんていうか、それが、すごくいいんです」

 大きな花火は、轟音の後に歓声が続く。けれど連続した花火は、名残を残して静かに消える。楽しいのは前者かもしれないけれど、この少年は、静かな後者が好きらしい。

「でも、あれちょっと寂しくない?」

「その寂しい感じが、いいんじゃないですか」

 何が良いのかは、正直理解に苦しむが、不満そうなのに楽しそうな口調から、頬を膨らませて反論する少年の姿が想像できて、面白い。

「静かなのが好きなら、花火なんて来なけりゃいいのに」

「そういう静かさじゃないんですよ」

 分からず屋。とでも言いたげに、少年は鼻を鳴らす。その大人ぶっているつもりらしき反応が、薫には可笑(おか)しかった。――おそらく、その静けさとは、余韻を指しているのだろう。

 丘まで続く道は長かった。傾斜は急で、少年という荷物も背負っている。けれど薫にとっては大したことのない道のりだった。……少年の身体が、どうしようもなく軽かったのも、大変じゃない理由の一つだった。

 道の脇、小さな土手の向こうは、林になっていた。夜の闇に包み込まれて、見た目は不気味なのだが、りーん、りーんという早めの鈴虫の声が、恐怖を払拭していて、とても夏らしい風情のある空気を作り出していた。

 遠くから近づいてくるエンジン音。曲がり道から車が現れる。ライトが視界を眩しく照らす。少しして重低音が遠ざかり、車は通り過ぎた。

 それっきり、聞こえる音は夏の虫の合唱と、アスファルトを()る、薫の足音だけになっていた。

 薫の歩調も、鈴虫の鳴き声も、どちらも一定の律を守っている。ゆっくりなメトロノームのようであり、時間の流れが、遅く感じる。

「静かだね……」

 少し眠たくなりながら、薫は、そんなことを呟いていた。静かでも、この静かさは、沈黙と違って、心地よかった。

「そうですね。死んだあとも、こんな感じだったら、良いのに」

 同意する少年の声は穏やかなのに、少しだけ哀しそうだった。

「えっ……」

 死んだあと、なんて言葉が、この少年の口から、さらりと自然に流れ出したことに、薫は少しだけ驚いた。


 病院についた。夜の病院というから、もっとホラー染みているのかと思ったら、駐車場の外灯や、窓から漏れる光、棟の間を繋ぐ渡り廊下の照明によって、建物の輪郭は薄っすらと照らし出されていた。

「着いたよ」

 薫が、小さな声で言った。背中の少年に反応は無かった。どうやら最後の最後で、眠ってしまったらしい。

 エントランスに入る。人は意外にも多く居た。ソファに座り、虚空を見つめる者や、点滴台を押して歩く老男(およしお)、杖をついて歩く老婆などがいる……年齢層が、かなり高い事に気付いた。やはり年齢が高くなるにつれ、身体が弱ってしまうからだろう。

 ――この中で、何人が死ぬ前に、退院できるんだろう……?

 ふと、不謹慎な事を考えてしまう。

「おーい、着いたよ」

 ゆさゆさを揺すって、薫は少年を起こす。いい加減起きてもらわないと、薫としても困る。

「ん……」

 少年が呻く。どうやら目を覚ましてくれたらしい。薫はゆっくりと背中の少年を床に下ろす。

「着いたよ、病院」

「え……あ、ホントだ」

 辺りを見渡して少年は自分の現在地を確認した。

「ありがとうございます……えっと……」

 なにを言い淀んでいるのか察する事が出来ず、薫はぎこちなく苦笑する。二人の間に、そんな気まずい空気が下りた時、

「あ、(しゅん)くん! もう、どこ行ってたの!」

 看護師の叱咤が飛んできた。自分たちに向けられたものだと悟り、薫は少年を見る。

「え……花火だけど」

「なんで外に出たりしたの」

 看護師は屈んで、少年に目線を合わせる。

「だって……」

 少年の顔が翳る。花火を見るために、無断で出たことを気に病んでいるのかもしれない、

「……ったくもう、この子は……すみません」

 看護師は薫を見ると一礼した。

「ああ、いえ、お構いなく……」

「ほら、お部屋に戻るよ」

 看護師が、少年の手首を掴もうと手を伸ばすが、少年は、それを慣れた動作で回避する。

「ねぇ……お姉さん」

 それが、自分の呼称に使われたものだと遅れて理解し、薫は(まばた)きする。

「お……おね?」

 少年が手招きする。耳を貸せということらしい。薫はかなり腰を屈めて、少年に耳を貸す。

「あのさ、今週の土曜日の夜の七時にさ、また来てくれない? お礼がしたいから」

 少年の柔らかな吐息と、変声期の来ていない高い声が、耳をくすぐる。

 普段の薫なら、一も二も無く断っていただろう――しかし、意外な呼称を使われ、少々歓喜に浸っていた薫は、そんな冷静な判断が出来なかった。

「分かった。また来る」

 ほら、行くよ、と看護師が手を引く。バイバイ、と少年が手を振るのを、薫は黙って見送った。

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