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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$3$ 感覚共有
44/113

#6 薫


 なんでこんなに苛立ってるんだろう? 

 考えなくても分かりきっていることなのに、ついつい考えてるフリでもしてしまう。分からないフリでもしてないと、なんか悔しい気がしたから。

 本当のことを言うと、原因は分かっている。木村美羽の存在だ。彼女の来訪が意味するところは、すなわち裁定委員会による薫の監視……である筈だ。

 ――アイツ、私の監視が目的じゃないのか?

 だというのに、あの女は鳩間朱莉に興味を抱いている。本来の目的である薫の事など目もくれず。

「はぁ……」

 溜め息が出る。自分よりも朱莉に興味を示している美羽ではなく、彼女に対して苛立っている自分自身に。

 私は弱い――その自覚は以前からあった。フィジカルではなくメンタルにおいて。その事実は知っている。けれど問題なのは、それを直す方法が分からなくて――そして、実践できるかどうか……。

「考えたって仕方がないか……」

 考えるのは得意な方ではないので諦める。結論が出ないのはいつものことだ。焦ったって仕方が無い。時間制限なんてないんだ。暢気に探せばいい。

 視界が開ける。映ったのはローファーのつま先だった。考えごとをしていて、自然と視線が下に向いていていたらしい。

 視線を上げる。見上げた視界に映るのは、黒いアスファルトと雑多な色が混ざった町並み、そして半分より上を覆う青い空は、排気のベールで霞んでいるように見える。

 商店街にでも立ち寄る、という選択肢はなかった。なぜなら冬の一件で、いまだに工事・改修中のため、一部を除いて機能していないからだ。となると――残る選択肢は……。

「駅にでも行くかな」

 駅前には、都会風な店舗が形成されている……と薫は勝手に思い込んでいる。ちなみに薫の都会像とは『有名なチェーン店がたくさん並んでいる』図である。

 歩いて数十分ほどで、駅前に着いた。女性向けブランド店や小奇麗な菓子店は通り過ぎる。薫が望むのは、味が濃くて腹が満たせる、牛丼店かラーメン店のどちらかだけだ。ちなみに前者の方は、今年度のブラック企業ランキングにランクインしていたりするのだが、これは薫には関係の無い話である。

 道の両脇に店が並ぶ中、ラーメン店より牛丼店の方が手前にあったので、こちらを選択する。

 ガラス張りの牛丼店の扉を開ける。店舗の面積は狭いが、いわゆるカウンター席が大半を占めており、テーブル席は少ないので、そこそこの人数を収容出来そうだった。

 駅前という、競争の激しい地域では広い敷地を確保できないし、立地的に、こういう店に来るのは駅を利用する人間……すなわち、電車の来る時間が決まっている、社会人や学生が大半である。ちょっと小腹が空いたら寄って行くなら、カウンター席で十分である。店としても、カウンターの方が回転がいいので客入りが良く、好都合である。

 お好きな席にどうぞと言われたので、一度周囲を見渡す。なぜか老夫婦やカップルが多かったので、邪魔にならないようにカウンター席の端の方を陣取る。ラミネート加工された両面印刷の一枚紙のメニューに、ざっと目を通す。

 一人の女性店員が近づいてきて、薫の前にコップを置いた。茶色いプラスチックのコップだから一瞬気づかなかったが、中身はお冷ではなく麦茶だった。ちょうど喉の渇いていた薫としてはありがたい。

「ご注文はお決まりですか?」

 さわやかな笑みで店員が言った。薫は、「牛丼。大盛りで」と端的に答える。一瞬、店員の眉毛が吊上がったのを、薫は見逃さなかったが、店員は、なぜか得心がいったように「かしこまりました」と笑顔で立ち去った。たぶん、女子高生の薫が大盛りと言ったのに一瞬驚いたが、体格が良いから、そのくらいの量でないと足りないとか、勝手に考えを巡らしたに違いない。

「……うるせぇ」

 呟きは、厨房から聞こえてくる雑音や、周囲の客の会話によって掻き消される。なにが一番気に入らないかというと、店員の態度に出ている予想が、的中しているという点である。

 麦茶を口に含む。冷たいが、感覚が鈍るほどではなかった。舌の裏側に麦茶を入れたり、頬を膨らませたりして遊んでいると、三分足らずで牛丼が出てきた。

「いただきます」

 誰にともなく一言詫びを入れて、カウンターの上にあった箸立てから、プラスチック製の黒い箸を一膳取る。

 まずは、上に乗っている肉から。醤油ベースと思われるタレだが、甘味が強く、肉にしっかりと味が付いている。肉そのものは噛み切りやすく、家で食べているグラム百円のそれとは、硬さというか食べやすさというか、そういう質が、まるで違った。

 次に、肉の天井が消えて、(あらわ)になった白い米を口に運ぶ。米は、普段家で食べるものよりも水分が少なく、身がしっかりしている印象を受けた。家で食べる安い米は粘性が高く、形状がはっきりしないが、これは一粒一粒の形がしっかりしていて、舌の上を転がるような感覚さえする。

 しばらくの間、無我夢中で(どんぶり)にありついた。時々麦茶で喉を潤しながら、タンパク質と炭水化物を胃に運んでいく。

 半分ほど食べ終わったところで、隣に女が座った。興味がないので、薫は無視する。

 八割ほど平らげると、薫は一息ついた。ほとんど勢いで食べてしまって、なんだか勿体無い気がしたのだ。米粒と牛肉の欠片を、ちびちびと箸でつまんで口に運んでみる。だが細かい作業が苦手な薫は、すぐに痺れを切らしてしまい、ああ勿体無い、なんて思いながらも、ついつい丼を持ち上げて、かき込んでしまう。

 まぁなんだかんだ言って、美味なものだったな、と箸を置くと、

「良い食べっぷりね」

 隣に座っていた女が言った。薫は女に視線を向ける。三十代後半くらいの女性で、薄く塗られたアイシャドウの影響もあるのか、二重の目はパッチリとして見える。黒い髪は肩まで伸ばしており、前髪を分けて額を出している。鷲鼻で、どことなく異国人のような印象を受ける。黒いワンピースという年頃に似つかない服装も、異国的な雰囲気を出すのに、一役買っている。

「どうも」

 どうせ、からかいか冷やかしの類だろう、と薫は視線を逸らす。気にも留めていないというポーズのつもりだった。

「普通の人よりも強い食欲……これも『蓮灘の記録』の特徴なの?」

 ――止まる息。

「……はぁ」

 ――裁定委員会は何やってんだ……木村め。何が『ボランティアで私が払ってあげる』だ。あの役立たず。

 胸中でこの場にいない人間を罵りながら、薫は女に向き直る。この女は追求者だ――確信を得た薫は警戒する。

「何が目的? 『蓮灘の記録』の事が知りたいならご生憎さま。私が知りたいくらいで、この事については私も全然知らないし、協力するつもりも無いから」

 信じてもらえるとは(はな)から思っていないが、一応は真実を話しておく。

「あらそ、残念。けど私の場合、ちょっと違うわ」

「違うって、何が?」

 ちょうど店員がやってきて、女の前に小サイズの牛丼を置いたので、その間だけ話が中断される。

「確かに『蓮灘の記録』が必要なのは事実だけど、私が欲しているのは『蓮灘の記録』そのものではなくて『蓮灘の記録』から見た、この世界……いや、『蓮灘の記録』が感じ取る世界の感覚、ってところかしら?」

 ……話の意図が掴めない。薫は首を傾げる事で、説明の不十分さを訴える。

「そうねぇ。人の願望って、人それぞれで違うでしょ? なんでこの差が出るか、考えた事はある?」

 考えた事など、あるわけもない。けれど追求者からしてみれば、この手の話は珍しくないのだろう。薫は「無い」と答えながら、差が生じる原因を即席で考える。

「欲するものが違うから……じゃないの? 欲するものが違うのは、取り巻く環境や、個人個人の能力に違いがあるから……違う?」

 女は首肯し、箸で器用に牛肉を切り分ける。

「そうね。けれど、似たような性格、能力の人間であろうと、望むものが異なることもある。それは何故か? 私はそこに着目したわ」

 薫は、女を奇異な目で見る。

「なんで、よりにもよって、そこに目を付けるのよ」

「だって、環境や能力の違いは、他の追求者が既に手を付けているからね。新たな自由を追求したいなら、他の追求者が触ってないところから……そう思って、色々調べたのよ。で、私は共感覚という言葉を知ったの」

 共感覚? 聞きなれない単語に、薫は首を傾げる。

「なにそれ、って顔ね。シナスタジア、共感覚を持つ人は、音や数字に色がついて見えたりするのよ。本来受容する感覚器で抱くのとは別の質感で捉える、ってところかしらね。この話を聞いて、私はピンと来たの。共感覚者の感覚は、私たちには理解できない。けれど、これって共感覚だけの話じゃないってね」

 ますます訳が分からない。薫は難しい話が好きじゃないので、段々と表情を曇らせる。

「例えば……これ、貴女まで香ってる?」

 女は、箸で丼を差す。確かに、牛丼の香りは漂ってきている。肉と甘めのタレの匂い。

「するけど?」

「その、貴女が香っている匂いと、私が今、こうして嗅いでいる匂いの感覚は、果たして同一なのかしら?」

「同じでしょ。同じ物を嗅いでるんだから」

 喩えが悪かったかしら。女は苦笑いする。

「じゃあ色ならどうかしら? 私は空を青色と言うけれど、私が知覚する『青色』は、貴女が見ている『青色』と同じなのかしら? あなたの言う青色は、私の感覚だと『緑色』かもしれない、『赤色』かもしれない」

 しばらく考えて、薫は、それが主観的な意味の、色の質感なのだと理解した。

「……ああ、なるほど。そういう意味」

「そう。さっきの共感覚者とは逆に、色盲っていう、色の区別がつかない人がいるのは知ってるかしら? あの人たちは、例えば赤と緑の色の区別がつかなかったりするの。彼らからすると、この世界はとても不便よね。特に電気の線みたいに、色によって意味が区別されているものを識別するのは不可能だわ」

 牛肉の欠片を箸で摘みながら、女は喋り続ける。

「色の違いが分からない人は、色の違いを判別する道具を欲するでしょう? 感覚が違えば、求めるものも違ってくる。感覚の違いが願いの違いの要因となる……私は、そう結論付けた。そこで私は、他人との感覚の共有が出来れば、新たな解創……今までとは違う願いを抱けると踏んだ」

 なるほど、と薫は納得した。

 解創を追求し、それを糧として新たな自由を追求するのが追求者。他人との感覚の共有、体験の共有は、それだけ新たな自由を見つけるヒントになると同時に、『自分の身体』の制約から解き放たれた自由でもある。

 そのための感覚と体験の共有。すべては新たな解創追求のため……だが、やはり解せない。薫は言い返す。

「それで、なんで私を狙うのよ。他の人間ってんなら、極論、その辺を歩いてる人間でも良いじゃない。そうはいかないにしても、裁定委員会に協力を仰ぐとか、解創について知っている人間とか、他にやりようはあるでしょ?」

 確かにそうね、と女は呟きながら箸を置く。見ると、丼の中身はいつの間にか無くなっていた。いつ食べたんだろう? という率直な疑問は、おくびにも出さないようにする。

「けれど、普通の人間との感覚の差異は、それほど期待できないわ。けれど『蓮灘の記録』なら話は別。どこまでの改造が施されたのは分からないけれど、期待は出来る。あなたの身体による体験を、私は知りたいのよ……別に、取って食ったりはしないわ。貴方に危害が加わることもない。あなたはただ、あなたの感じている世界を共有させてくれればいい。私の協力にイエスと答えてくれればいい」

 確かにこれは、薫にとってデメリットのある話ではない。だが……。

「断るわ。自分の身体を他人に貸すって事でしょ、それ」

「ええ……まぁ、そういうことになるわね」

「そんなの、想像もしたくない」

 自分の身体が、他人によって使われる、想像して、薫は思わず身震いしそうになる。

「潔癖症ね」

「なんとでも言えばいい」

 言って、薫は茶を啜る。敵を横にして飲む茶に、味はしなかった。

「あらそ。じゃあ仕方が無いわ」

 女は席を立った。膝に置いていた鞄から財布を取り出す。薫は、目を見開いた。

「……私のこと、力ずくで説得しようとは思わないの?」

「しないわよ。なに言ってるの。そんなことしてたら時間の無駄。追求者はね、自由を追求するのに忙しいの。あなたみたいなのを相手に戦ってる暇なんて無いのよ。ぶつかって勝てる相手とも思ってないし」

 堂々と背を見せて、手を振る事もなく、女は立ち去っていく。

 自らの名を、名乗る事もなく。


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