#2 朱莉
「おはよー」
気さくに自然に、長身の同級生に声を掛けると「おはよ」と短い返事が貰えた。情報量に換算して六バイトしかないが、鳩間朱莉にとってはそれ以上の意味がある。
「また一緒だね、よろしく」
「そうだね」
薫の口調は、いつもだいたい素っ気無い。それは春の陽気に包まれている四月であろうと変わりなく、それが平常運転なのだと、朱莉は理解している。
「新学期だしさ、転校生が来るのがベタかな?」
朱莉は冗談めかした口調で、実際に冗談を言ったのだが、薫は逆に、頭を抱えていた。
「そういうのやめて……現実になりそうで怖い」
怖いとは、どういう意味だろうか? 問い質そうとしたところで、急に教室から、ぞろぞろと生徒が廊下に出て行く。どうやら始業式が始まるらしい。
「えー、また三組って、岡本先生が担任なの~?」
教室の出口で、列の先頭の生徒が、一人の教員に話しかけていた。一年の頃、三組の担当が岡本教諭だったからだろう。無論、クラスの生徒の構成は違うので、その生徒は二年連続で三組ということになる。
「いや、たんに体育館まで連れてくのが俺ってだけだから。担任とか副担任の先生は、始業式の後に発表されるよ」
「え、誰! 誰?」
複数人の生徒が、岡本教諭によって集る。
「いや、今は言えんって……おーい! 全員揃ってるかー?」
わざとらしく時計を見ると、大声を張り上げて生徒を解散させえる。
雑談をしながら生徒が歩いていると、廊下の奥の方から『うるさーい! 喋るなー!』 という教員の怒号が聞こえてくる。それでも話し声は、少し静まるだけだから、生徒たちに反省の色が無いのは明白だ。なんで静かにしないんだろうと思いながらも、普段の休み時間と対比すれば大した音量じゃないから『うるさい』という認識が出来ないんじゃないか、と適当に予想してみたりする。でも一番の原因は、きっと教師の怒号を聞いてない――認識してないからだろう。ただ生活音の一部として聞き流しているだけなのだ。
行列の歩みは、断続的に止まったり、再開したりと忙しい。止まった時、ふと廊下の窓を見ると、一階の渡り廊下を、三年生が微妙に規則正しくない並びで渡っていた。要所要所で教員が配置されていて、生徒を誘導している。
流れが再開される。階段を下りて一階に着くと、今度は渡り廊下を進む。さっきまで俯瞰していた場所を歩いているのは、なんとなく不思議な気分だった。
体育館に入ると、既に何百という生徒が並んで待機していた。並んでいる生徒の群集は、大きく三つに分かれており、群集を構成する生徒の背丈や顔つき、制服の色褪せや落ち着き具合から推測するに、右側が一年、中央が二年、左側が三年生だろう。
体育館の後ろの壁には、何人かの教師が壁にもたれかかったりして、後ろから生徒を見ている。その中には、朱莉が一年の頃の生徒指導の先生もいた。
ふと、その先生の隣に、見なれない女子生徒が立っていた。僅かに茶色を帯びた黒い総髪は首の後ろまでの長さしかない。黒縁の眼鏡を掛け、表情は乏しく、地味な見た目の少女だ。
見惚れていたのがバレたのか、女子生徒は朱莉の方を見ると、微笑を浮かべて、それと分からないくらい小さな動作で会釈をした。釣られて朱莉も会釈を返す。新一年生だろうか? しかそれなら、どうして一年生の列の中に並んでいないのだろうか……?
『これより、平成二十六年度、始業式を行います。……礼』
スピーカーから、体育教員による開式の言葉が響いてくる。体育館中の生徒が、だらしなく礼をする。
『新入生挨拶……新入生代表、山本真一』
体育館の右側から、きびきびとした動作で生徒が歩いてくると、壇上に上がり、国旗に礼をする。瑞々しくも厳粛な動きを見ていると、年下の方が自分よりもよっぽど、しっかりしているように思えて、自分が惨めに思える。でも、こんな他意の無い仕草にさえ、いちゃもんを付ける人たちもいるんだよな、と思うと、なんだか居た堪れない気持ちになる。
始業式は、滞りなく進んだ。生徒会長の挨拶、校長祝辞、来賓祝辞と眠たくて退屈なのが続いて、最後に校歌斉唱。そして閉式。三十分程度の短い時間だったが、それでも舟を漕いでいる生徒は何人か見受けられた。
閉式後、一、二、三年生ごとに別れて、担任、副担任の紹介があった。他の学年の紹介する声がうるさくて、自分の学年の紹介する声が聞きにくいが、生徒の前に並んだ教員が、名前を呼ばれると一歩前に出てお辞儀するので不便とは感じなかった。
「これで担任教員の紹介は終わります。それから……木村さん」
木村という苗字の生徒は何人かいるため、二年生の人だかり中で、数人の生徒が立ちかけるが、「あ、ごめんごめん、違う違う!」という先生の声を聞いて元の位置に座る。それだけの出来事で少し笑いが起こる。
生徒の前に立たされたのは、さっき体育館の後ろにいた、ポニーテールで眼鏡を掛けた女子生徒だった。
「今年度から三組に編入されます、木村美羽さんです」
体育館で紹介するというのは、少し想像と違う。クラスで雑談をしていると教師が入ってきてホームルームを始める前に『今日は転校生を紹介しまーす』というのが、ベタだろうに。
「木村美羽といいます。これから二年間、よろしくお願いします」
女子生徒は、あまり大きくない声で言った。
三組に編入してきた女子生徒――これに裏がある事を朱莉が知るのは、少し後になる。




