#4 朱莉
#4 朱莉
時刻は午後四時になろうとしている。
退屈な授業が終わって喜んでいるのは、自分だけではないだろう。朱莉は校門をくぐりながら、今にも歓喜に暴れだしたい自分を制し、愉快な心境で帰路に着く。彼女は通学に自転車を使っており、片道に掛かる時間は十分程度のものだ。家に帰ったら何しよう――至極日常的で平和な考えが浮かぶ。
だが、彼女の喜びも長くは続かない。朱莉は朝のニュースなど見ないから、夕立を予期していなかった。
乾燥した路面に、ポツポツと湿潤のマーブル模様が広がっていく。
「うっわヤバ……」
慌てて朱莉は鞄をまさぐる。すると幸運にも折り畳み傘が入っていた。慌てて広げる。赤と白のチェック模様は、少し可愛すぎる。
傘差し運転は交通ルール的に問題があるので、自転車を降りて歩行する。こうなると流石に二十分では帰れない。小さく溜め息をつきながら鞄を自転車の前のカゴに入れ、自身の位置も、出来るだけ前に来るように工夫する。
冬の雨は寒すぎる。手はかじかみ、指の先から感覚が無くなっていく。乾燥した風が吹かないのはうれしいけれど、雨粒が落ちる音は寒々しい。
信号が青になる。朱莉が急いで横断歩道を渡っていると、黒いアスファルトの上に白い何かが落ちているのが目に入った。
ポイ捨てられたチラシか何かだろうか? だがそれにしては小さすぎるような――朱莉の疑問の答えは、すぐに出た。
「これって……」
縦十センチ、横は五センチ程度。長方形の白い紙。紙にはなにやら呪詛のようなモノが書き込まれている。普通の紙なのに、不思議と雨に濡れて破けそうな感じではない。
「これってもしかして……」
白い札に、黒い文字。朱莉は本能的に、コレが何か察した。
――洋子が言ってた、例の御札だ。
思わず朱莉は、周囲を見渡す。
誰もいない――今なら持っていってもバレない。まるで駄菓子屋から菓子をくすねる子供のような心境で、朱莉はその場から離れようとして――
「おい、嬢ちゃん、随分と趣味の悪いモン持ってるなぁ」
不意に声をかけられて。朱莉は思わずびくついた。声のした方向を見ると、そこにいたのは、小柄な男だった。
年齢は四十くらいで、一重で目付きが悪い。だが悪意のある人物では無さそうだ。例えるならば、あまり接客が得意ではないタクシードライバーといったところか。Tシャツにジーンズ、片手にはスポーツ新聞と傘の両方を持っていて、耳にはボールペンをかけている。
男はポケットからメモ帳を取り出してページを一枚破ると、耳にかけていたボールペンで、なにやら書き込んでいく。だがその速度はお世辞にも速いとはいえない。横断歩道の信号が、いつ点滅し始めないかと、気が気でない。
「それ使うくらいだったらここに行け。俺の知り合いんトコだ。ああ、でも行く時にはその御札持ってけよ。相談料の代わりになるだろうからな。あぁ、安心しな、そいつは誰の話でも聞いてくれるヤツだから」
メモ用紙を押し付けると、男は朱莉の横を通り過ぎていく。朱莉は信号が点滅し始めたことに気づかない。
もしかしたら……この御札は悪いものなのかもしれない。そうだとしたら、この人はわざわざ自分にそれを忠告してくれたのだろうか? だったら一言、ありがとう、と言うべきなのかもしれない。
「あの……お名前……」
感謝の言葉を述べようと、朱莉はメモ用紙を手に振り返る。だがそこに男の姿はなかった。
不思議に思いながら横断歩道を渡りきり、ふとそこでメモ用紙を見てみる。そこには住所と、ある男の名前が書いてあった。
『県営ヒルズマンション805号室 角川祐輔』