#17 薫
携帯電話は持っていない。なので、前のとき――野崎洋子のとき――みたいに、裁定委員会のヤツらが来るのを待つしかないだろう。どうせ、遠くで見ているに違いない。この大騒動だ。目立たないわけが無いし、もしかしたら消防やらが駆けつけるかもしれない。時間の問題だろう。
「アンタ立てる?」
腹を抑える男に、薫は手を差し出す。
「……ふざ……けんな」
ハードなオーダーに、桐高が苦笑する。薫は抑えたつもりだが、それでも人体には深刻なダメージをきっちりと与えていたらしい。だが、重度としては野崎洋子のときと同じくらいのものだろう。動脈さえ破裂していなければ、死ぬことは無いだろ……と思う薫だった。
片手で男を肩に乗せると、一跳びで地上に出る。
「委員会のやつら、来るかな」
「来るだろ……たぶん」
来てもらわなきゃ困る、と言外に意味していた。
「アンタさ……」
「……あんまり話しかけんな。腹痛いんだよ」
質問している途中で止められてて、ちょっと、むっとした。なので薫は追撃する。
「痛いって? 捩れてんの?」
桐高は無視した。薫は、お腹に肘鉄でも食らわせてやろうかと思った。
ふと、肩に乗った男の重さを感じる。……軽い。既視感に襲われ、脳裏を掠める女の姿。
――なんで私が妬むヤツは、みんなして私より小さいんだ。
たぶん、自分より大きな奴が自分より強いのは当たり前でも、自分よりも小さな奴が強いのは、当たり前じゃないからなんだろう。
見上げると、透明なルーフが夜空を透かしていた。
冬の夜空の星たちは、寂しそうにこちらを見ていた。
しばらくすると、桐高が薫の肩を叩いた。降ろせ、という意味だと察して、薫はそっと、桐高を地面に降ろす。
「どうしたの?」
「お前には拒絶されたからな、俺はもう此処に用は無い。委員会の奴らが来る前に逃げるだけだよ」
確かに、委員会はすぐにここに来るだろう。逃げられるかどうかは別として、可能性に賭けるという手もある。
「私に会いに来たって行ってたけどさ……どうやって、私のことなんて、知ったの?」
少しだけ、気になっていたことを尋ねる。
「ああ。俺が『蓮灘の記録』って同じ境遇の人間に会いたいって、……知り合いに言ったんだ。で、ソイツはここに来ればいいって教えてくれたよ。大方、俺の解創とお前の解創、どっちも珍しいから、優先して研究する方を決めたかったんだろう。俺とお前が対決することになれば、その結果で優劣は決まる。漁夫の利ってヤツだ。
で、裁定委員会としては、解創による大騒ぎを企ててるヤツがいるんだから、放っておけなかった、だから俺を追ってきた。そんなところだろう。
ま、一つ分かんないことがるとすれば、どうやって委員会が、俺がお前と会おうとしてることに気づいたか、ってことくらいさ」
私の存在を知っているヤツがいる……? 誰だ? 『蓮灘の記録』と関係の有るヤツだろうか……?
「知り合いって、誰?」
「悪いな、それは言えない約束なんだ」
変なところで義理堅い。まぁ、どうせ分かることだろう。『蓮灘の記録』を研究したい追求者なら、そのうち薫の前にだって現れるはずだ。
「じゃ、俺はこの辺で。せいぜい元気でな」
桐高は手を振ると、ふらふらと覚束ない足取りで歩き始めた。
あの時とは比べ物にならないほど弱弱しいのに、なぜか背中は――あの時と同じように見えた。




