#4 朱莉
朱莉にとって一番仲が良かった友人、野崎洋子が消えて、早くも二週間が経つ。彼女が消えたというのに、教室の風景は、さほど変わらなかった。
まるで彼女は、亡霊だったのではないかと思える。自分ばかり彼女を見ていたようで、みんなが全く変わらないのが恐ろしかった。
――私だけ……なのかな。
ふと、そんなことを、思う。
自分だけがこの思いを抱いていて、他の人はこんなこと、考えていないんじゃないだろうか。私にとっては大切な友人だったけれど――世界では、ただ一人の人間でしかないんだ。価値観の違いに隔たりを感じる。
「どうしたの?」
クラスメイトが、心配そうな顔で声を掛けてきた。
「いや、なんでもないよ」
朱莉は、首を振って否定する。けれどそれはどこまでも、認めていると公言しているようなものだった。
芸術系の選択科目は、美術、音楽、書道の三つがある。どれにも縁が無い朱莉だったが、絵を見るのは嫌いではないので、美術を選択していた。昔はよく、祖父と美術館に行ったものである。祖父が逝去してからは、一度も行っていないが。
授業は、静物画のデッサンをするという内容だった。各四~五人の班に分かれて作業する。モチーフは林檎。担当教員の意向で、サンプルではなく本物を使っていた。あとでどうするんですか? という生徒の質問に、他の先生方におすそわけすると言っていた。食品衛生上、それはどうなんだろう? と思う朱莉だったが、美術の時間に使った旨を説明して、互いに了承しているのであれば、他人の勝手か――と納得した。
「……でさ、アイツ三日も経って『あ、ごめん見てなかった』とか返してきやがったの。マジふざけんなって感じ」
「うわー、それはないわ」
朱莉の班は五人班で、三人は何やら話をしながら、もう一人も聞き耳を立てているようだった。けれど朱莉は、洋子がいなくなって落ち込んでいるからなのか、人間関係の話題には参加しづらく、目の前の白い紙しか見ていなかった。
それほど絵心のある朱莉ではないが、一度入ると没頭するタイプだった。そして、没頭している間――絵を描いている間は、とあることに気づかない。
林檎は、シナノドルチェという品種だと、先生は言っていた。表面は真っ赤というわけでない。黄色の下地に赤色を塗り、消しゴムで擦ったようだ。赤と黄色の線と面が、曲面の中で入り混じっている。だが決して粗っぽい感じは無い。使い古されて色褪せしたデニムのように、品位と調和が取れており、光沢が弱いのもあって、落ち着いた印象を受ける。
当たり前だが、林檎の形は完全な球ではない。茎に近いところは、内側に捲れるように凹み、端から離れると、平らっぽくなっている部分もある。球に近い方が綺麗なのかもしれないが、朱莉としては、形が少しくらい歪な方が、味があって好きだった。
赤い部分は濃く描くが、黄色い部分は色が薄いので描けない。しかし、赤と黄色の二色しかないのだから、赤を描けば、必然的に黄色も描くことになる。あまりに気に留めず、朱莉は赤い部分を描いていく。
しばらくして、うーん、と絵の全体像を俯瞰する――少しおかしい。イメージと差異がある。まるで黄色の浮島に意識されたようだ。そう、赤より黄色のほうが誇張されて――。
なぜだろう? ふと、黄色い部分の面を見て、映らないはずの二人の顔を見た。洋子と、自分の顔だった。ああ――たぶん、揉み消したくなかったんだ。
朱莉は、ふと気づいた。絵を描いている間には気づかなかったとあること――そう、私は、一人だということに。
絵を描いている間は、絵に集中しているから夢中になって気にも留めない。けれどその姿を客観視すれば、キャンバスという鏡に向かい戦いを挑む、孤独な戦士の姿に似ている。
ふと、鉛筆が止まる。駄目だ。集中力が切れた――時計を見ると、あと十分ほどで授業は終わりそうだった。けれど集中力が切れた今、その十分は何物よりも長い。さっさと終わらせておきたかったのに――今日中に完成させなければいけないということなので、授業が終わってから、放課後の時間を利用するしかない。幸か不幸か、美術部が使うのは、ここ第一美術室ではなく、隣の第二美術室である。
朱莉は完成しない静物画を見て、小さくため息をついた。




