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ハニーポット  作者: 指猿キササゲ
$6$ 超越者たち
107/113

#12 祐輔

 ばかん、と開かれたキャリーバッグの蓋。それから溢れだしたのは、透明の液体だった。

 それが何なのか、祐輔はすぐに察しがついた。

 名前だけは聞いている。鶴野温実が最も多く使用する、(よろず)の望みを叶える解創――『我が命をそのままに』。

 四年前、追求者の家を一夜にして殲滅せしめた十六課の戦果は、その約半数が彼女自身の手によるものだったと聞く。いくら相手の追求者が、作り手主義で使う事に慣れていなかったとはいえ、それがどれほど異常なのかは、祐輔も十分、分かっている。

 けれど――ここで引くわけには、いかない。

 本当の意味での『解創』に、あと少しで届くのだ。守れなかった存在は、たとえ彼自身がいなくなっても、自身を守る力を身に付ける。

 それまでの時間稼ぎならば、祐輔でも、出来るかも知れない。

 祐輔は、雷挺の杖で温実を狙う。

「止めときなさ――」

 制止の言葉を聞く余裕はない。祐輔は一呼吸で、解創を揮った――その一時に限り、当初の目的も、為さねばならない事柄も忘れて。

 弾ける雷電。発破の如し電圧の塊が、温実に直撃した。余波がアスファルトを砕き、付近に瓦礫を撒き散らす。

 濛々と立ち込める土煙のせいで、向こう側の様子は判然としない。

 だが祐輔は、見える前に、すぐに横に跳んだ。

 今の一撃は、狙いがつけにくい雷挺にしては、確かな手ごたえがあった。しかしたとえ命中しても、それが必殺に至らない事くらい、容易に想像がついたからだ。

 直後――祐輔がさっきまで居た空間を、透明な何かが一閃した。

 二十メートルを優に超える、ガラス細工の槍に見える。だがその素材はガラスでない。水のような、なんらかの液体だが、今は確かに確固たる形状を有していた。

 液体だけ冷たくなって、凍っているわけではない。ただ使い手たる主の『命令』によって、温度も圧力も無視して、液体は分子の結合を強固にしている。

「なぁんだ。割とやれる方じゃん。人形作る黒幕気取りっていうから、自分じゃ何も出来ないのかと思ったけど」

 煙の中から、平然とした声が聞こえた。

 突如、空中で止まっていた槍の切っ先が、ぐん、と曲がったかと思うと、急加速して祐輔の方に伸びてきた。

 慌てて首を逸らして、槍の刺突を回避する。

 勢い余って、アスファルトに突き刺さる透明な槍。――その隙をついて、祐輔は雷挺の杖を持ち上げた。

 発破音――だが、今度は確実に防がれた。そして今度は、その瞬間を、しかと網膜に焼き付けた。

 『我が命をそのままに』は、槍に使われている一部が、温実の足元から伸びており――本体の方が、雷撃に細長い針をいくつも伸ばし、それが避雷針の代わりとなって、温実への命中を阻止したのだ。

 祐輔は歯噛みする。こちらの使う解創を読まれていたのか。だとすれば、こちらが攻撃のために杖を上げた時には、相手は既に防御の体勢に入るので、攻撃が当たらない。

 どうするか――次の攻撃を考えていた祐輔は、すぐに思考を中断した。なぜなら、地面に突き刺さっていた槍から、枝のように細い棘が伸びてきたからだ。

 伸びる棘の速度は、初撃よりは速くない。しかし棘は、一本ではなく、八も九もある。拡散して死角を埋める刺突の散弾銃(ショットガン)。速度でダメなら数で押す。そして防御もお手の物。一つの道具でありながら、その攻撃は変幻自在――これこそ、鶴野温実の所有する解創『我が命をそのままに』の真骨頂だ。

 後ろに退き、尻餅をつきながら回避に徹するが、全てを避ける事は叶わない。顔や喉、心臓を狙う棘に意識を集中すると、どうしても、脚を狙うものには注意が疎かになる。上半身へ向かってくるものを避けるうちに、右脚に一本、透明な棘が貫通し、祐輔は痛みに呻く。

 本来、解創としてあるべき形を逸している温実の解創(ねがい)。それもそのはず、彼女の願いは具体性に欠いている。

 槍になって伸びる事、攻撃する事、防御する事……普通の追求者であれば、、その一つ一つが別々の解創だ。

 けれど、温実の願いは違う。彼女の願いは、『私の命令を聞け』という願い。命令そのものでなく、命令なら何でも聞け、という事柄を願っているのだ。ただ道具としてではなく、従属して使役する。屈服させて支配する事を願っている。

 解創は、願いを叶える力のことだ。具体性が増すほど、願いやすくなり、その力は強くなる。だが、この女に具体性は必要なく、抽象的でも、それを他の追求者の具体的な内容の解創と、同程度の性能を有するまでに高める素質を持っている。

 これが鶴野温実か――祐輔は、彼女の解創一つで、彼女の本質を見破った。だが、見破ったところで、どうにもなりそうに無かった。

 一つの道具で万能。数多を叶える一つの願い。祐輔が、どれだけ多くの策を練ろうと、あの道具一つで対処されてしまっては、どうにもならない。

 ならば……と思考を巡らせる。もし対処されないものがあるとすれば、それはあの液体という道具にとって、物理的に不可能な事柄だろう。たとえば……雷撃に対して、避雷針が小さすぎれば、余剰分は温実に通る。避雷針の大きさを操作しているのは温実だ。つまり温実に、防御に回せる流体の量を減らさせることができればいい。

 それに、命令すれば何にでもなるということは、逆を言えば、命令しなければ何もしないと言うことだ。鶴野温実の不意をついて攻撃すれば、彼女自身は対応できない。

 問題は手段だ。鶴野温実の虚を突くには、並の手では通用しない。

 だが、試してみる価値はある――祐輔は、雷挺の杖から意識を切り離す。色即是空。持っていようと、考えなければ、無いのと同じだ。

 攻撃手段である解創を一時放棄して、祐輔は別の願いを抱く。

 ――深夜の道路、暗闇が舞い降り、沈殿している。ナトリウム灯のオレンジ色の光が、空中で攪拌されて混ざり合い、奇妙なカクテルを作り出している。高い湿度と秋の夜の気温が、ねっとりと顔を撫でて、不快と恐怖を増長する。

 祐輔は目を細める。焦点は温実にでなく、空中に注がれる。――右脚の傷の痛みが集中を乱すが、既に解創を叶える準備に入った祐輔には、微かなものである。

 祐輔が何をしようとしているのか……温実は、具体的には分かっていない。けれど、何かしらの抵抗をしようとしているのは分かったらしい。

 温実が眉を顰める。怪訝に、そして不快に。その原因は祐輔の態度にあった。

「戦力差は分かってるでしょうに……諦めないの? 私、馬鹿な奴は嫌いなんだけど」

 明白なまでの力の差。温実の解創を見せ付けてなお、相手はまだ降参しない。それは温実にとって、まだ反撃の余地があると思われているのと同義であり、同時に、温実のプライドを、ひどく傷つけるものだった。

 ――夜の道路に、光が透け、じわじわと闇が満ちてくる。

「……まぁ、あんたがそう言うつもりなら、別にいいわよ。ただ……」

 祐輔の視界で、温実に従う解創の液体が蠢く。これまでより、より獰猛に、より殺意に満ちた動きで、いつまでも流動している。

「身体のパーツが一つも残らなくても、知らないわよ」

 音も無く発射される二度目の槍に、祐輔は無意識で応じた。

 意識を、解創を為すために使っている以上、それ以外の行動は、意識外で行わなくてはいけないのだ。

 祐輔は、歴戦の裁定員でもなければ、戦いに慣れた追求者でもない。まして、裁定員の中でも上位五指に入るとされる鶴野温実に、まともに対抗できるわけがない。

 だが――祐輔は続く二発目の槍を、目で追わずして避けていた。

「――!」

 鶴野の表情が、驚愕に、僅かに強張る。

 回避された槍は地に突き刺さらない。そのまま、半流体の鞭の状態で、祐輔を中心として螺旋を描こうとする。

 前後左右を 螺旋によって包囲しようという魂胆なのは、祐輔もすぐに察しがついた。そうすれば回避も不可能と思ったのだろう。もちろん、その状況に陥れば、回避は至難の業だ。

 祐輔は、その状況に陥らないよう――包囲される前には、既に液体による螺旋の中心から脱している。

 ――夜の宙から、光が消える。闇の侵食は止まらないが、じめじめとした湿度は、むしろ増していた。

 一度とならず、二度までも。全ての攻撃が回避され、温実は仏頂面になっていた。だが斟酌する祐輔ではない。鞭は螺旋に廻った遠心力を活かして、その先端を刃に変えて飛んで来る。

 しなる鞭の部分の速度はそれほどでもないが、先端につれて速度は速くなる。特に先端の刃は、目に見えない速度で祐輔を襲撃する。

 胸を一文字に切り裂かれると確信し、祐輔は右腕を上げていた。

 ギャリリ、と金属質の嫌な音が響く。切断こそ免れるが、一瞬、目に映った杖の表面には、削り取ったような痕が残っていた。

 ただ刃の形にしているだけではない。流体で形成された刃の刃金(はのかね)――実際に物を切る部分――は、流動した分子によって、チェーンソーのようになっているらしい。実に手が込んでいる。

 しなって空を切る刃付きの鞭だったが、空中で急停止する。――祐輔は、条件反射的に、今まで自分の願っていた事柄を頭の隅に追いやり、一瞬で雷挺の解創を為す。

 破裂する雷の閃光が、祐輔に向かってくる『我が命をそのままに』を、衝撃によって吹き飛ばす。――再び、頭の隅から願いを再起する。

 ――空気が渇く。祐輔の周囲からは湿度というものが消えていた。――代わりに、鞭の周囲の空間の濃度は高くなっている。

 祐輔は、さらに願う――視線は、鞭の辺りから、鶴野温実の近くの空間へ。

「避けてばっかじゃ、どうにもならないわよ」

 雷撃の発破で後退していた鞭が、体積を大きくし、巨大な槍となって猛勢を伴い前進する。

 雷撃による回避に限界があると悟ったらしい温実は、この一瞬のため、足元の『我が命をそのままに』の流体の多くを、攻撃分に回していた。

 防御分が減り、隙が出来てしまうようだが、守る必要性もないという計算があるらしい。巨大な槍は、真正面に立つ温実を覆い隠さんばかりのサイズで、雷撃を発しても、盾の代わりとなるので、温実まで届かないのだ。

 さらに、これほどの大きさになれば、雷撃一つで吹き飛ばすのは難しい。先ほどと同じ手は使えない。

 ――だが、これこそ、祐輔の狙いだった。

 目を見開く。瞳孔が開く。空即是色(、 、 、 、)。 祐輔は右手に持っていた雷挺の杖の存在を、一瞬にして思い出しつつ、自己の願いを切り替える。

「轟け」

 再起する雷のイメージ。発破音と眩い閃光――。


 瞬間、祐輔の目の前で、渾身の雷挺が轟いた。


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