4 炎のサラマンドラ 頭
試験は合格だった。しかし、慌しい日常に忙殺されてしまい、しばらく東へ行く暇なんてできなかった。
――数日後、イーストシティへ出張へ行く友人に「リンネ商会」の様子を見てもらえるよう頼んだ。
彼女は元気だろうか? そして……もし、もしも休みが取れるならウェストシティに来られないだろうか? 返事が欲しいという注文までつけて、切符にチップもつけて託した。
馬鹿みたいな話だが、彼女に対して軽いライバル意識を持っていたのかもしれない。
「こんなに出世したんだ。私は出世街道まっしぐらの期待の新人だよ」
そう言って自慢でもしたかったのだろうか?
多分違う。
彼女はいろいろな工夫を凝らしてもてなしてくれた。けれど、あの時の私は何か物足りなくて、何か欠けた状態……いわゆる不完全のまま彼女と話していた。
もっとリンを楽しませてあげられるような男になってから会いたい。
今度はウェストシティを案内しよう。
けれど、出張から帰ってきた彼はきつねにつままれたような顔をして帰ってきた。
「その店はもうありませんでした」
あんなに魅力的だった店はただの空家に戻り、扉には「貸し店舗」の札。不思議に思った彼は懸命にも事情を聞き出してきてくれた。
確かにリンネ商会はあったが、仕入用倉庫として近隣の農家が貸していたということだった。だが、誰も彼女の姿を見ていない。
「ノエル。お前夢でも見てたんじゃね―か?」
普通に考えたのならそんな不思議な店、あるなんて思えない。それが友人の素直な感想だった。
イーストシティに転勤が決まった際、私は真っ先に例の跡地へと行った。幻でもいいと……そう思ったけれど、やはりそこには空き家しかなかった。
不意に足元に柔らかい感触があり、視線を移せばそこにはうさぎがいる。
「お前……時計なんて、持っていないよな」
口に出してからしばらくして……苦笑してしまった。
空は高く、高く、届かないくらい高かった。
まして不思議の世界に繋がる扉が私の前に現れるはずもなく、忘れてしまった商品を扱う彼女の店は、店を忘れてしまった頃に現れるのか? ……なんて、そんなことをふとした瞬間に考える。
「それじゃあ二度と会えないのか?」
私にはあの時のことを忘れるなんてこと出来ないから。
数年後、私は小佐の地位まで上り詰めた。持ち前の美貌と、頭の回転の速さ、そして愛嬌をもってすればどうってことはない……などという馬鹿なことは言わないが、細心の注意を払って、最大の心配りをもってここまでやってきたつもりだ。
また、あの時購入した発火布が身を守ってくれたり、武器の代わりになったりしてくれたおかげというのもある。
大分くたびれてしまった布をなでていると、
「ノエル、とても面白い店を見つけたよ!」
扉をノックすることもなく、友人がつかつかと入ってくるなり、紙袋に包まれた品物を取り出した。机の上に中身がバラバラと広げられる。
いくつかのお菓子と……手のひらの上にのるくらいの小さな白い枕。聞くところによると、それは睡魔という悪魔を寝かしつけてしまうための小さな枕なのだそうだ。眠くなったらちょこんとこれを机の上に置く、すると睡魔は使用者を襲わずにその小さな枕で眠ってしまうので、いざという時はこれを使って集中するのだと、友人は得意気に説明した。
「お前が探していたリンネ商会の商品だ。なかなか面白い店だなー」
小さな枕に頬ずりする友人の顔を唖然と眺めていた俺は、ひったくるように紙袋を眺めた。このロゴ、この質感、あの日の記憶が蘇る。
転がった菓子の中に1行詩の刻まれた飴があった。
「どこだ!?」
「小さな村の……」
「地図を描け」
「ノエル、店は逃げないって」
「逃げるんだよ! あの店は」
今度こそ必ず、必ず捕まえたいのだ。
――時計を持って走るうさぎを。
歩道を曲がる。軍靴が小気味の良い音を立てる。なじみの酒場の女性がウインクを投げかけてくるがあいさつもそこそこに先を急いだ。小石が跳ね返る。待ちゆく人がこっちを振り向く。しかし今は気にしている場合ではない。
あっという間に、そこへたどり着いた。店の場所は前と変わらない。何度空き家を眺めたか分からないレンガ作りの小さな店は、今はたくさんの商品で溢れていた。友人の話では可愛らしい女性が店員と働いているとのことだった。
リンと出会ったのは数年前。きっと綺麗な女性になっていることだろう。淡い期待と、人妻になっていやしないかという不安と、今度こそデートを申し込もうという決意と、離れていた時間を思う。
扉を開けようとした瞬間……向こう側からそれは開いた。
「リン?」
そして、目の前には変わらぬ彼女の姿。
「え? はい、いらっしゃいませ~」
まさか年を取らないなんてあるはず無い。少女は大人になるはずなのに。
しかし、彼女はそのままでいる。出会った頃と変わらない姿。
ぽかんとした私を見て、彼女ははっとしたように口元に手を当てて呟いた。
「ノエルさん……」
その瞬間、消えてしまうのではないかという不安に刈られて彼女の腕を掴んだ。思っていた以上に細い腕だった。
「私は覚えている。君を覚えている」
じっとその目を見つめながら呪文のように言うと、
彼女は驚いたような顔をして、
それから少し寂しそうに笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見たら……もう、何もいえなくなってしまった。
色々考えていたことがあったのに。
色々伝えたいことがあったのに。
でも、しばらく時間が止まったように動かない。このままでいたい。
ゆっくりと止まった時間が溶けていく頃にでも、話を聞いてもらおう。
これまでの日々と、心の中にいたサラマンドラの尻尾について。
鉄と火の町、緑と日の町 商品番号1番 炎のサラマンドラ 終了




