2 炎のサラマンドラ 手足
田舎道を歩く。
その道すがら彼女の話を聞いていると、明るいように見えて結構苦労しているらしい。婚約者に置いていかれ、唯一の財産だった店は焼失し、今は細々と小間物屋を営んでいるという。
「実はこの猿は虹を作ることができるんです。先日さるお屋敷から依頼があって、納品しようと遠くから届けにきたんですけど、嫌がっちゃったみたいで……」
きゅうううっと彼女のエプロンのレースを掴んでいる姿は確かに哀れなような気がした。
相手方はそれほど裕福な家庭ではないんですけど、信頼できる心優しい老夫婦なんですよ、と彼女は前置きして、
「それでも…職人のおじいさんの手元を離れたくなかったのかもしれません」
と続ける。
「職人?」
首をかしげる。どう考えたって普通の猿に見える。
そういうと彼女は「この子。本当はからくりで出来ているんです」と笑って見せた。
魂の込められたからくり。
それは個人としても、軍の一員としても非常に興味深いことであったが、彼女はそれ以上の質問を制して、森を背にした村の一角へと入っていく。白い漆喰の壁とオレンジ色のレンガの屋根の家の扉をくぐると、草の香りがした。
『畳』と彼女が表現する敷物に座って、綺麗な飴色の茶を飲むというのは不思議な感覚である。周りには商品と彼女が呼ぶ不思議なアイテムが並んでいた。一体全体どうやって使うのか想像もつかない。
「改めてはじめまして。鈴といいいます」
「はじめまして、レディ。私はノエルと申します」
お互い自己紹介すると、顔を見合わせて笑ってしまう。不思議の国のアリスに出てくるお茶会を思い出してしまったからだ。彼女のことをウサギに例えると、リンは私のことをアリスだといった。いやいや、そんな可愛らしいものであるはずがないだろう。
彼女は「きゅーっ」と辺りを見回す『虹を製作するという猿』を棚の上にちょこんと座らせると、黄色い果実を与えた。皮をむいて美味しそうに頬張る姿が愛らしい。隣に置かれた小さな箱は虹を作る付属装置だろうか?
「そういえば、何故私のズボンを掴んでいたのかな」
じいっとその姿を見つめると、彼女は楽しそうに説明した。
「実はこの子、水をかけられると虹に変えてしまう仕掛けをもっているんです。それで今まで何回も水をかけられたものだから、身体を乾かしてくれる火が好きになってしまったようで。どうやら貴方からは火の匂いを感じるわ。だから、くっついていたのね。」
ウェストシティの空気が服に染み付いているのだろうか。くん、とシャツの匂いをかぐと、彼女は
「私は、火が苦手だから分かるの」
と、悲しそうに微笑んだ。
生まれた沈黙を破るように、彼女は小さな引き出しから細長いクリスタルのような結晶を取り出した。手のひらにすっぽり納まりそうなサイズのそれは、1本ずつ薄い半透明の紙に包まれている。
包装紙を外し、透明な結晶でカラカラと彼女がお茶を混ぜると、お茶は飴色から美しいピンク色に変わった。私もリンから渡された結晶を入れてお茶をゆっくりかきまぜると、綺麗な真紅に変わっていく。
「この結晶は詩の1行からできているんですよ」
そう言われて、まだ封を切っていない新しいものを見せてもらうと、それは薄い水色のトレーシングペーパーに包まれたガラスの飴細工のような形をしていた。透けて見える結晶には文字が刻まれている。長細い結晶は一見甘そうだが、それは人によって違う味がするのだそうだ。
「これはどんな詩なんだい?」
彼女に聞くと、
「雨の音」
と返ってきた。
一口飲んで頷く。それは、染みこむような優しい味をしていた。
リンはとても不思議な女性だった。私は一瞬ここが本当に別世界なのではないか、例えば夢の世界ではないかと疑ってしまう。
けれど、表の木製看板には「リンネ商会」と彫られてあったし、コーヒーブレイク用の小さな机には陶器に女性の顔が描かれたカメオがはめ込まれている。その上にはガラスの花瓶に季節の花が活けられて、中に入れられた色とりどりのガラス球とあいまって美しい。こんな店を見たことも聞いたこともなかった私が、夢で見るとは考えにくい。
陳列棚には美術品かと思われるような凝った細工のようなものから、先ほど彼女が使っていたようなお菓子のようなこまごました品物まで備わっている。どちらかというと、専門店というよりはセレクトショップのようだと感じながらリンに聞いてみた。
「ところで、この店は何を扱っているんだい?」
そうすると彼女は急にぱああっと顔を輝かせて、待っていたといわんばかりに体を乗り出した。
「忘れてしまったものを扱ってるの」
そしてにっこり笑うのだ。
忘れてしまったものってなんだろう? 一瞬わからないという顔をすると、彼女はちょっと説明に困ったように、言葉を選び始める。
「何か欲しいなぁと思っても、それがなんだったか思い出せないときってあるでしょ。そんなとき、ああ、そうそう、これが欲しかったんだと思えるようなもの。それは必ずしも貴重なものでないし、ただの小石だったりすることもあるんだけど、見てもらうだけで、少しだけ幸せになれるようなものを集めてきては売ってるの」
例えばそれは、さっきの虹を作る猿かもしれない。
例えばそれは白い雪の塊かもしれない。
そう話す彼女の横顔は眩しくて一瞬視線を外せなくなる。その向こうに白い雪景色を見たような気がした。それは何故だかひどく寂しく映ったのだった。