1 炎のサラマンドラ 胴体
「ノエルは仕官試験も楽に合格できそうだよな」
「どうだろうか。君のような美女に今日のランチを断られたら、気落ちして試験に落ちてしまうかもしれない」
肩をすくめて見せると、長年一緒に勉強してきた同僚はお腹を抱えて笑い出し、「落ちろ」と一言残してランチに出かけてしまった。
軍の養成学校は「鉄と火の町 ウェストシティ」にあった。近くの鉱山から豊富な鉄鉱石が産出されるため、名前の通り製鉄業をはじめとした重工業が盛んだ。船舶といった大型のものから銃火器のような小物まで、大小さまざまな鉄製品が作られる。連日鍛冶屋は大盛況で、火の粉が舞わない日はない。
ここ最近、北の国境が騒がしくなっているためか、職人なども徴兵されるようになってきた。私のように、一兵卒よりも仕官の道を選ぶものも多い。無論軍人になる場合はさまざまな特権が与えられるというのもある。学費の免除は勿論のこと、給料から没後の遺族年金まで保証されているのだから、中途半端な職を選ぶよりもよほど手堅いのである。
ランチを取るため、レンガ立ての建物の間をすり抜けるように歩く。今日も喧騒がなりやまない町。すすで汚れた壁に触れないようにして、学校の脇にある小さな食堂に入ると、教官が軽く手を上げた。
「教官、こんにちは。席をご一緒してもよろしいでしょうか」
「勿論だよ、ノエル君。学年で最もイケメンと噂の君とランチだと女の子が寄ってきて楽しいからな」
「ご冗談を」
試すような目つきでニヤリと笑う教官からは何も読み取ることができず、私はウエイトレスにステーキとパンとサラダを注文してから椅子を引いて座った。普段であれば、重いものを食べると胃がもたれて走れなくなるため敬遠するのだが、今日は昼から自習のため奮発してみた。
「君は肉食系男子というあれかねぇ。仕事よりも女性に興味がある振りして、本当は誰よりも出世したいタイプかい?」
「貧しい実家の家計を支えるため、また、両親への恩返しのため日々頑張っているだけですよ」
嫌味に答えるそぶりも見せずニコリと笑えば、今年定年退職になる教官は
「ワシは野心家が大好きじゃよ。分かりやすくて良い。上に推薦するのに何の遠慮も要らないからな」
と声を上げて笑った。
軍学校卒業後、仕官試験に合格すれば少尉だ。その後は上官の推薦などによって中尉、大尉へと上がる。その上は佐官試験を挟んで、少佐、中佐、大佐だ。将官級はよほどの手柄を立てない限りなることは出来ないが、佐官級にはなるつもりだった。
「教官は出世を望まれなかったのですか?」
「ワシが若い頃は平和だったからなぁ、出世を望むということが悪のように語られていたし」
トマトのサラダを口に入れて、老教官は噛み砕いた。出世を望まないということは、後を託す対象と見てもらえないことにもつながった。だからここで教官を定年までやったのだと謙遜する。
「出世したいという思いも、出世を厭う思いも、自分のものならば構わないんじゃが、ノエル君は器用にも他人から求められる『理想の自分』を演じきってしまっているようで、少し心配……といえば気を悪くするかね?」
「いえ……」
気を悪くすることはないが、そんな風に評されると困惑してしまう。
「君の能力について疑うものは誰もおらんよ。だが、自分を見つけられない奴は簡単に潰れてしまう。戦場で上官が潰れては部下は全滅する確率が高くなる」
ゆえに、今年の仕官試験は筆記と実技だけでなく面接試験も課されるぞ、と続けて彼は楽しそうに笑った。
希望、欲望、未来における在り方。他人が作った理想像では足りないと言いたいのだろうか。むしろ、忘れてしまった本当の私を見つけろとでも言いたいのだろうか。
ランチから戻ると、試験についての概要が貼り出されていた。それに際して、試験前に1日休みが与えられるとのことである。図書館で勉強するも良し、銃の練習をするのも良し、そして、私はそのどちらも選ばず、財布と身分証明書だけもって汽車に乗っていた。
イーストシティは良く言えばのんびりしたところ、悪く言えば田舎だ。ウエストシティが鉄と火の町であるならば、イーストシティは森と日の町といえる。どうしてここにしようと思ったのかはわからない。なんとなく汽車に乗って、なんとなく降りたらここだったのだ。
さっき降った雨が綺麗に上がって虹が出ている。
空気に適度な湿気が含まれ、肌を撫でていく風が柔らかい。
……そういえば最近、試験前で殺伐とした気分だったなと思い至って苦笑した。
少し背伸びをした瞬間、不意にいい香りがしてそちらに目を向けると、ピンクの薔薇を両手いっぱいに持った美少女がこっちに向かって走ってくる。紺のスカートに白いエプロン。サラサラとさわり心地の良さそうな黒い髪には白い花の飾りバレッタが留められていた。大きな瞳がキラキラと輝いて可愛らしい。
一生懸命な表情に見とれていると、彼女は息を切らして、私の隣に立ち止まった。
「はーーー。やっぱり虹のふもとって見つかんないもんなのかなぁ」
ピンクの薔薇を大切に持ったまま彼女はがっくりうなだれた。
虹のふもとって……普通たどり着けるものじゃないだろう?
彼女はそんな私に気がつきもせず、ヒラヒラのスカートを翻してそのまま過ぎ去ろうとした。手に時計を持って。
「やだ。こんな時間になっちゃった。急がないと!」
まるで御伽噺の不思議の国のアリスに出てくるうさぎのようである。
そんなことをしみじみ考えながら彼女を観察していると、彼女は何かを見つけたようにこっちへ向かってきた。
「あ、あの!」
少し上気した頬は薔薇のようにほんのり紅色だ。
「なんだね?」
女性用特別営業スマイルで対応すると、彼女は「有難うございます」とお辞儀をした。なんのことかわからなくて聞き返そうとした私の後ろには、小さな小猿がズボンの裾を掴んで立っている。赤い色のベストと、首からかけたポーチが愛らしい。
しかし、一体どこから湧いてきたのだろうか?
首を傾げると、それは彼女の猿だったらしく、とてとてと歩いて彼女の手に戻っていった。
「よかった。迎えにきたものの、虹が消えてしまってふもとが分からなかったんです。」
それは本当に嬉しそうな表情で微笑まれる。別に私は何もしていなかったのだが、お礼に彼女からお茶に誘われたので、何とはなしに自分の手柄にしてしまったのだった。